十三幕:鋼脚の狩人
「――へぇ、それが【ファーレスの魔剣】ってやつか」
飛来した声に、ソルは剣を素早く引き抜き身構え、相手を見上げた。声の聞こえてきた方向を正確に見据える。
ミルドレッドも同様。彼女もまた、声が工場内に響いた瞬間に、左右十指に魔力の輝きを展開させて、声の主を見た。
視線の先。
暗闇の中。
灰色の髪に褐色肌の男が、不適に微笑んで窓枠に腰掛けていた。男はぱちぱちと軽い拍手をしながら此方を見下ろし、言った。
「ああ、悪くない。悪くないな。こっちの声に反応してからの構えに移るまでの躊躇のなさ。動きの無駄のなさも上々。魔力による身体強化も、呼吸一つで完了させた。戦いなれている証拠だな――惜しいのは、俺が声を発するまで存在に気付けなかった、ってことくらいかねぇ」
粘つくような声で、男は軽口を叩きながら窓枠から飛び降り、危なげなく着地する。高さとしては十メルトル以上あったはずだが、男は怪我をした様子もなく悠然と佇んで、にやりと笑った。
「そんでそっちの帽子の奴は何者だ? 俺が侵入する前からこっちのこと警戒しやがって。おかげで不意打ちが出来やしねぇときたもんだ。まったく恐ろしい奴だねぇ。
「残念。ボクは
男の戯言に対し、クラフティは至極真面目に答えた。本気でそう自称しているんだなぁと、正体も目的も不明の男と対峙しているにも拘らず、ソルは胸中でそんなことを思った。
そしてクラフティの言葉に対し、男は「冗談だろ」と皮肉げに笑った。
「はっ。一〇〇メルトル近く離れた距離で接近に気付く美食家がいるわけねーだろ。おかげで此処に入って来るのもおっかなびっくりだった」
この言葉にはソルも、そしてミルドレッドも目を丸くして、超然と佇むクラフティに驚きの目を向ける。のだが、視線を向けられたクラフティはというと、特に自慢するわけでもなく、さも平然とした表情で、
「この莫迦弟子。敵から目を逸らしてんじゃねぇ」
叱責の声。
「全く持って同意見だ――ぜっ!」
背後から続く同意――振り返る。目の前にはもう、男が迫っていた。
右手に握られているのは、怪しく輝く白銀の刃。その刃が、自分目掛けて放たれる!
「――隙有りってなぁ!」
「いえいえ、そうでもないです」
嘲りの科白に続くのは、実に覇気の欠いたクラフティの声。そして、短剣を突き放つ男目掛けて、何かが襲い掛かる。
高速で回転する
それはクラフティの持つヨーヨー、〈
のんびりとした足取りで、クラフティが〈踊り踊らされるもの〉を
高速の
そしておどけた様子で肩を竦め、呵呵と笑う。
「ははっ! すげぇんじゃねぇの、自称美食家。ヨーヨーなんて
「それは無知を晒しますねぇ、
クラフティはヨーヨーを手にしたまま男を平坦な眼差しで睨み付ける。しかし、次の瞬間その表情が変化する。
クラフティは男から視線を逸らした。いや、視線を別の方へと動かした――というのが正しい。
数秒、クラフティは男とは見当違いの方向へと視線を向けた。そしてクラフティが走り出す。否、走りだろそうとした。
しかしそれは阻まれる。男がクラフティへと切りかかったからだ。素早い踏み込みから刺突を、クラフティは〈踊り踊らされるもの〉で防ぐ。続けざまに男へとヨーヨーを打ち込む。男はそれを短剣で
「――なるほど。狙いはボクでしたか」
「ご明察。勿論、あそこの魔剣も欲しいがね。欲張るなってご指示さ」
にやりと、男が笑う。クラフティは苛立たしげに眉を吊り上げて、
「――どけ」
静かに、だがぞっとするほどの怒りを込めてそう告げる。だが、男はクラフティの怒声など何処拭く風といった様子でにやりと笑い、
「どくわけねーだろ!」
強く吼えてクラフティと刃を交える。
だが、男は引かない。まるで食らい付くことこそが己の使命とでも言う風に、距離を詰め、短剣を嵐の如く振り回す。
「あーもう、鬱陶しい!」
「そりゃどうも、だ!」
憤慨するクラフティに、男が嘲笑で返した。そこに、
「――ハァッ!」
割り込む影一つ。
クラフティと男の間に、ソルが飛び込んだ。
気合いと共に大剣を上段から振り下ろし、魔力を開放。剣先から迸る魔力が術式にしたがって魔法を発動させる。『爆刃』と呼ばれる
それを地面に向けて開放する。炎と衝撃――爆炎が、男の身体を後方へと吹き飛ばし、そしてクラフティの前に、ソルが割り込んだ。
油断なく剣を構え直し、視線を壁際で座り込む男へ向けたまま、ソルは言う。
「――此処は僕が引き受けます」
「あーあ。それなんて死亡フラグ……」
「言ってる場合かっ!」
真顔でふざけるクラフティの科白に、ソルは思わず突っ込んでしまった。が、すぐに気を取り直して言葉を続ける。
「話を聞いている限り、あいつは師匠をどっかに行かせたくないんでしょう。なら、貴方は其処に行くべきです」
「ふむ……ですが、はっきり言っておきますよ」
「何をです?」
「百回やれば、百回殺される相手です」
「ッッッ――……マジか」
クラフティの言葉に、ソルは流石に息を呑んだ。
こういう
よって、ソルは男と自分の実力差を一瞬にして自覚する。
――百回戦っても、百回勝てない相手。
つまり、相手は圧倒的な強者ということだ。
未熟な自分に勝機はない――クラフティがそう断言している。ならば、まず勝つことは出来ないだろう。
しかし、だからと言って、今更「今のなしで」なんて言う気も、さらさらなかった。
「なら、百一回目の可能性に賭けるとしましょう……」
「自殺行為ですよ? 貴方の死に場所は、此処じゃあないはずでは?」
「でも、だからといって『はい、そうですか』って後ろで見学してるとでも? 冗談じゃあない」
忠告するクラフティの科白に、ソルはそう言い返す。
「それに、相手が強いから戦わない――なんて、それこそありえない。僕の目的は、もっと上だ」
ソルは断言する。
そうだ。と、強く自分に言い聞かせる。
相手が強いからなんだ。
自分が弱いからなんだ。
目指す相手は遥か高み。巨峰を見上げ、その頂にいる存在である。
そんな相手に手を伸ばそうというのだ。この程度の相手に尻込みしてどうする。
ぐっと、剣を握る腕に力がこもった。
それを見て、クラフティは説得するのが無駄と悟ったのだろうか。小さくため息を零し、クラフティはソルの背に向けて言った。
「死にそうになったら逃げるように」
「死にそうにならないんで逃げませんよ」
「減らず口を――」
ソルの切り返しに、クラフティは笑って〈踊り踊らされるもの〉を頭上へ放る。そして二重円盤に糸が巻き込まれる形で、その身体が宙高く舞った。
「行かせると――」
「思うさ!」
男が立ち上がってクラフティの後を追おうとする。だが、ソルがそれを阻む。放たれた『斬撃』が男の進路を阻む。男は咄嗟に足を止めて『斬撃』を躱し――ソルは男に立て続けに四度『斬撃』を放つ。
「こいつ……ッ!」
男が鋭くソルを睨んだ。ソルは言葉なく、ただ口の端を持ち上げて挑発する。
男の視線が頭上を仰いだ。だが、最早其処にクラフティの姿はなく――男は舌打ちを零してソルを見やる。
「せっかく楽しめそうな奴が相手だったってのによぉ……横槍入れてんじゃねぇよ。せっかく見逃してやってたのに、わざわざ首差し出して死に急ぎか?」
「まあ、命知らずっていう意味なら、自覚はあるかな」
「つまらねぇよ、その科白。挑発だとしたら安っぽい上に
男が吼えて、ソル目掛けて矢の如く走り出す。ソルも同時に地を蹴って男へと肉薄する。
男の短剣をしゃがんで躱し、立ち上がりながら切り上げる。男は短剣で受け流し、壁を蹴ってソルの頭上を飛び越えて背後に着地。
振り返り様に大剣を袈裟に一閃。着地のタイミングに合わせた一撃。回避は先ず不可能――だが、男は深く沈み、そのまま倒れるように身を逸らして剣閃を回避した。そしてバネ仕掛けの玩具のように身体を持ち上げて、げらげらと笑った。
「はっはー! やるじゃねぇか! 今のはなかなか悪くなかったぜ!」
「難なく躱しておいてよく言う!」
言葉を返しながら、ソルはなおも剣を振る。身体強化を腕と足に集束させて、より剣速を加速させる。
さながら剣の暴風と化したソルの剣舞を、男は短剣の
なにより恐ろしいのは、どれだけ霊視しても、男の身体からはわずかばかりとも霊子反応がないということ。つまり、男は魔法による身体強化をしているわけではなく、素の身体能力だけで此方の攻め手をすべて凌いでいることになる。
(――化け物めっ!)
なるほど。確かに師であるクラフティが、
勿論、諦めるつもりも退くつもりもさらさらない。何がなんでも勝ってみせる。そう息巻いたのだ。ならば、そうするまでのこと。
剣に魔力を込め、男目掛けて振り下ろす――空振り。男が軽く後ろに後退して躱す。だが、それを想定しての剣撃だった。剣の先が地面を抉り――そして魔力を開放。術式が発動。ソルが使える近接魔法の一つ、『斬華』が炸裂した。
『斬華』は名が現すように、切りつけた場所を中心に、周囲へ無数の斬撃を出現させる魔法だ。
勿論、男が回避した先も魔法の攻撃範囲内である。ソルの大剣を中心に、花開くように下段から放たれた切り上げが、男を襲い――
「――うぉぉ……らッ!」
男が吼えて、短剣を振るった。魔法によって作り出された斬撃を、男が短剣で受け止め――挙句にそれをはじき返してみせる!
(――んな出鱈目な!?)
これにはソルも驚嘆した。『斬華』はソルの扱える魔法の中でも特に攻撃に秀でた近接魔法である。しかし、それすら容易く凌いでみせる男の技量は、どうやらソルの想像よりも遥かに上らしい。
「――考えごととは余裕だなぁ」
「――ッッッ!?」
男の声によって、ソルの意識は思考から強引に現実へ引き戻る。
目の前に迫る男の姿が、ソルの視界に飛び込んだ。咄嗟に剣を振るう。だが男が地を這うように伏せて回避した。そして続け様に放った反撃の突き上げ――は、ソルの前に突如として現れた魔力の糸によって受け止められる。
無数に張り巡らされた魔力の糸が、盾となってソルを守ったのだ。
男の目が驚愕に見開く。ソルはそれを見逃さず、すかさず剣を掲げて振り下ろす!
男が短剣でそれを受け止める。びしっ、と男の短剣に皹が入った。男が舌打ちを零して短剣を手放し、ソルの足を払う。
後ろに軽く跳んで足払いを躱すが、その間に男が体勢を立て直し、そると同じように大きく飛び退いて距離を開いた。
両者、睨み合う。
肩で息をするソルの隣に、ミルドレッドが駆け寄って来たのに合わせ、ソルは軽く肩を竦めた。
「ありがとう、助かったよ」
「貴方たちにしなれては困りますからね。それに、あの男の狙いも【ファーレスの魔剣】のようですから」
「此処のは役に立たないんじゃなかった?」
「それとこれとは話が別です!」
ソルの軽口を真面目に受け止めたミルドレッドが、「不敬ですよ!」と頬を膨らませて憤慨した。
ミルドレッドの反応に、ソルは小さく笑った。
「それは失礼しました、巡回騎士様」
「……牢屋にぶち込んでやりたいですね」
と言葉を交わす二人に対し、男は眉間にしわを寄せながら言った。
「随分とまあ舐めてくれるじゃねぇか。戦闘中にいちゃついてんじゃねぇぞ、女ひでりの俺に対する宛て付けかってんだ、くそめ」
「いちゃついてなどいません!」
男の茶々にも素直に反応し、顔を真っ赤にして憤慨するミルドレッドを――ミルドレッドの外套に施されている印を見て、男はふと目をしばたたかせた後、にったり……と、ねばつくような笑みを浮かべた。
「へぇ……巡回騎士か。まさかまだいたとはな。こいつぁ予想外だ」
「……なんの話ですか?」
男の言葉に、ミルドレッドが訝る。対して、男は一層不気味な笑みを浮かべながら言った。
「俺さぁ、魔剣の情報が欲しくって、さっきまである場所にいたんだよね。まあ、其処の連中は何の情報も持っていなかったから、退屈しのぎに遊んでやったんだよ。そしたら其処に、魔剣の情報を持ってる奴らが現れたんだよ。
『我々は第一〇七巡回騎士隊だ。この街で【ファーレスの魔剣】を所有するらしき二人組を発見。彼らの身柄を拘束するため、援軍の要請に――』ってな」
「それって……」
男の言葉にソルは目を見開き、ミルドレッドを見た。彼女は言葉を失くしたように口を開いたまま棒立ちになって男を見ていた。その肩が小刻みに震えているのを、ソルははっきりと見る。
そして、
「質問することを、貴方は嘲笑うのでしょう。
希望に縋ることを、貴方は喜ぶのでしょう。
ですが、判っていてなお、私は敢えて、訊ねます。
――……その人たちを、貴方はどうしたというのですか」
肩を震わせるミルドレッドが、絞り出すように口に言葉をした。
その言葉を待っていたといわんばかりに、男は赤い双眸に喜色を浮かべて、にたりと笑いながら答える。
「――もぉぉちろん、ぶち殺して差し上げましたともさ。なかなか粘ったぜ、巡回騎士の方々は。最後の一人になっても結局口を割らなくってな。どうにか騎士の一人が持ってたこれの魔力を
そう言って男が翳したのは、巡回騎士がその身分を証明するための紋章だった。
瞬間、ミルドレッドの右腕が閃く。指の先から放たれた『操糸』が、矢の如く男へ襲い掛かった。
男が飛び退る。男が立っていた床やその背後の壁を『操糸』が貫いたのを見て、男は感嘆するように口笛を吹く。
「すげぇな。魔力の武装化か。そんな高度な技術を使える魔法使がいるとはねぇ――って!?」
ミルドレッドの攻撃を躱した男が飄々と口を開き――そして目を丸くする。男が目にしたのは、自分目掛けて襲い掛かる視界を埋め尽くすほどの『操糸』の濁流だった。
男が回避行動に移るよりも先に、糸の濁流が男を文字通り吞み込んだ。悲鳴すら上げる間もなく、男の姿が糸の中に掻き消える。
代わりに糸塊の中から引っ張り出されたのは、先ほどまで男が掲げていた紋章だった。
糸に運ばれて、紋章がミルドレッドの手の中に納まる。
「これは貴方のような輩が持っていていい物ではありません。返してもらいます」
紋章を大事そうに両手で握りしめ、ミルドレッドは屹然とした眼差しで男のいるであろう位置を見て、言った。
「そこで大人しくしていてください。直ぐに自分の行いを後悔させてあげますから……」
返事はないものとして、ミルドレッドは踵を返そうとした。だが、
「――後悔、ねぇ。是非とも、させてみてくれよッッ!」
声と共に。
――斬、と。
糸の濁流が切り裂かれる。無数の斬撃が、ミルドレッドの放った『操糸』を切り裂き、切り開き、切り進んでいき――糸を切り裂く斬撃が、瞬く間にミルドレッドへと襲い掛かった。
「――下がって!」
ミルドレッドの前に、ソルが飛び出した。魔力を込めて、再び大剣を振り下ろす。
充填された魔力が解放され、巨大な『斬撃』となって放たれた魔力の刃が、糸の奥から飛び出した斬撃と激突する。衝撃が辺りに弾け飛んだ。
糸の塊も、その衝撃で吹き飛んでいく。細切れにされた魔力の糸は、ミルドレッドの供給する魔力を失って形を保てなくなり霧散していく。
膨大な霊子反応の光が周囲を照らす中、その向こうから男が姿を現し――その姿を目にした瞬間、ソルたちは言葉を失った。
男が、立っていた。
ソルたちからおよそ二十メルトルほど向こうに、悠然と。
不敵に笑い、此方を見ている。
その足に、鋭く巨大な――
「お前らを侮っていた。悪かったよ。たかが
かしゃん――と。
男の両脚が重い金属音を響かせる。
鋼鉄の足。
機械仕掛けの足。
巨大な刃を携えた両足。
男が、低く身を沈めて構えを取った。まるで獲物を捕食する体勢に入った肉食獣のように。
にやりと、男が笑う。
「――蹂躙するぞ、『
その声に応えるように。
男の機械脚に備わった刃が、鈍く――輝いて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます