幕間


 深い深い地下の、暗闇の中。

 本来であれば深闇に覆われているはずの空間。

 されど、其処は地下であるにも拘らず、まるで雲ひとつない空に下にいるかのような、青い輝きに満ちていた。

 それはその空間の、何もないはずの中空に浮かぶ、巨大な幾何学文様円陣サークルによるものである。

 そしてその巨大な円陣を、一人の青年が見上げていた。

 巨大な幾何学文様によって描かれた円陣が、大規模魔法による術式陣――大結界と呼ばれるものであることを、青年は知っている。


「――相も変わらず美しい術式だ。幾千億もの古魔法文字ルーンによって描かれた、最早芸術の域と言っても過言ではない術式。たった一人でこれを生み出し、今もなお維持し続けていると言うのだから……やれやれ、彼の力は本当に恐ろしいの一語に尽きる」


 輝くような蒼穹色の髪と、その下で何かを憂い多様な青と金の双眸を伏せて、青年は黒衣を揺らしながらしばし頭上の結界の光を眺めていた。

 やがて、彼はゆっくりとその巨大な術式陣に向かって手を伸ばそうとする。



「――はい、ストップです。そのままゆーっくり、その手を下してもらえますかね。で、可能なら二度とこの場所に近づかないで欲しいところです」



 その地下空間に、自分以外の声が響く。青年は「おや」と目をしばたたかせた後、言われた通り手を下して、声の主を見た。

 淡い朱色の髪をした旅装束の人影が、鋭い眼光を向けている姿が見える。声音は淡々としているが、その言葉の端々から、針で刺すような鋭い殺気が放たれていることを、青年は感じ取った。

 だけど、あえてそんな気配モノには気づいていません――という風に、彼は肩を竦めて見せた。足首ほどまである丈の黒衣コートの裾を揺らして、青年は恭しげにわずかに低頭する。


「これはこれは……意外と早い到着でしたね。やはり気付かれましたか。流石――の、一語に尽きます。クラフティ・アッシュ殿」

「自己紹介は不要でしたか。初対面だと思いますけど……まあいいです。まるでボクが来ることを予想していたような口調ですね」


 旅人――クラフティ・アッシュが訝るように目を細めた。青年は頷く。


「それは勿論。と言っても、最初から予期していたわけではありませんよ? 少なくとも、貴方がこの街に訪れるなんて想定していませんでしたから。だからあなたの姿を確認したという報告を受けたときは本当に驚きました。ですが――その様子を見るからに、此方の動きを察知して訪れた、というわけではないようですね」

「そうですね。ボクらがこの街に来たのは偶然ですよ」

「だとしたら、幸運と取るべきか、不運と取るべきかは微妙なところだろう」


 じろりと睨むクラフティの視線に、青年は笑みを零しながらそう囁く。


「それで――クラフティ・アッシュ。何故、貴方は此処に来たのかな?」

「さっき言ったとおりですよ。此処に二度と近づくな――と」

「拒んだら?」

「勿論、実力で排除します」

「それは怖い。ですが――丁重にお断りさせてもらいますよ」


 冷徹なクラフティの言葉に対し、青年は微笑で応じながら、片手をクラフティへ向ける。その手に握られているのは、純白の拳銃。それも護拳ハンドガードの代わりに長大な曲刃を備えた、凶悪な銃剣である。

 青年は重厚をクラフティに向けると、なんの躊躇いなく銃爪を引いた。まるで道端でばったり知り合いに出会ったときのような、そんな気軽な動作で。

 そして撃ち出されたのは魔力の弾丸。極密度の霊子の塊が超音速で撃ち出され、吸い込まれるようにクラフティへと襲い掛かり――次の瞬間、クラフティの手から放たれた〈踊り踊らされるもの〉がそれを打ち落とす!

 その後継を目の当たりにした青年は目を丸くし、そしてうな垂れると同時に大きく溜め息を零した。


「いやはや。いくら魔力で造った弾丸とはいえ――それをヨーヨーなんて玩具で打ち落とす人は、世界中探しても貴方くらいでしょうね」

「それはもう。伝説級の魔剣鍛冶師が作ったヨーヨーですからねぇ。銃弾くらいなら打ち落とせますよ。さて、それでは容赦なく――」


 言って、クラフティがヨーヨーを手に身構える。その姿に、青年は肩を竦めて無言のまま微苦笑を浮かべる。

 返事は、


「――容赦なく、ぶっ飛ばしていいよなっ!」


 クラフティの背後から。

 振り返るクラフティ。同時に襲い掛かるのは、長大な鋼鉄の刃。咄嗟に、クラフティがヨーヨーを翳す。鋼鉄の刃が激突し――小柄なクラフティの身体が、まるで蹴球技のボールのように吹き飛び、そのまま岩壁に叩きつけられ、その衝撃で崩れた瓦礫と粉塵の向こうに消えてしまった。

 その様子を横目に見ていた青年は、「お見事」と言って、クラフティを蹴り飛ばした人物を見る。


「――遅かったね、クロード。何をしていたんだい?」


 クラフティを蹴り飛ばした襲撃者――灰色髪に褐色肌の青年、クロード・ルジェを見やり、青年は銃をしまいながらそう訊ねた。


「悪ぃ、大将ボス。ちぃと邪魔が入ってな。少しばかり遊んじまったんだ」

「またか。悪癖で、且つ、悪趣味だね」

「闘争は男の矜持だろ。強い奴と戦う時の興奮!」

「僕には理解不能だ」


 青年はクロードの言葉に端的に答えて踵を返し、改めて術式陣を見上げた。


「――さて。僕は当初の予定に戻る。その間、アレを足止めしてくれよ?」

「もう邪魔する奴もいないからな。任せろ」

「……ヤバいな。これほど安心できない『任せろ』が、かつてあっただろうかって疑問を抱くよ、その科白」


 つまりは彼の言葉を言い換えると、『邪魔が入ってそっちのほうが興味深かったら、そっちにいってしまう』と言っているようなものである。まったく戦闘狂バトルジャンキーというのは、価値観の重きを闘争心重視にするのだから手に余るものだ。

 だが、その心配は必要ないらしい。

 少なくとも――


「――不意打ちとかクソ良い度胸してんじゃねぇですか、ゴラァッ!」


 相手クラフティは、彼の闘争心を刺激するには充分な存在だ。

 蹴り飛ばされたはずのクラフティは、蹴り飛ばされた時よりも数倍上回るような超速度で舞い戻るや否や、棒立ち状態だったクロードへ、容赦のない飛び込み蹴りドロップキックを叩き込んだ。

「うおっと!?」突然の襲撃に、クロードは慌てた様子で『戒脚』を振り上げて対応する。しかし、クラフティは止まらない。飛び込み蹴りを受け止められると、すかさず〈踊り踊らされるもの〉が放たれ、暴風雨の如く荒らぶり縦横無尽飛び交ってクロードへと襲い掛かった。

 魔力による正確無比な軌道操作と、先端の二重円盤に込められた魔力打撃。クロードの防御にすら対応して即座に軌道修正し、防御を掻い潜ってクロードへと襲い掛かるそれを見て、青年はやれやれと肩を竦め、言った。


「――クロード、制御機構の限定解除を許可するセーフティ・アンロック

「ははっ! いいねいいねぇ! 判ってんじゃねぇか!」


 青年の言葉を受けて、クロードはその表情に喜色を浮かべながら声高に叫んだ。


「――『戒脚ペインレイス』。第一術式Prog-one励起open――行くぞ怪物モンストロ!」

「生意気ほざくなガキ、ボクに勝てると思ってんのか!」

「ったりめーだろーが!」


 両者が吼える姿を端目に、青年は改めて頭上の術式陣を――否。その術式陣の中央をたゆたう物を見る。


「――術式の解読に三週間。そこから解析と解体に更に二週間。そして対抗術式の構築に一月……で、その術式を起動させるのに三日と十六時間か。まあ、これほどの規模の術式に対して掛かった時間としては、短い方か」


 自然と口の端が持ち上がるのを感じながら、感慨深げに青年は言った。そしてそっと、何もない右手を術式陣へと向け、そっとその広げていた手を閉じる。

 途端、異変が起きた。

 青い輝きが明滅し、描かれていた幾重もの円陣に亀裂が走った。それは最初の亀裂を基点として、瞬く間に円陣全体へと広がっていき――そして、それは一瞬にして砕け散ったのである。

 一つが砕ける。

 すると今度はその内側にあった、一回り小さい円陣に亀裂が走り――再び、それは砕け散った。


 ――あとはもう、連鎖反応的に。


 何重にも描かれていた無数の魔法円陣が、まるで外皮を一枚一枚剥がすように崩壊していく。

 その様子を眺めていた青年は、円陣が綻んでいく姿を惜しむように、そして楽しむように目を細めた。

 そして最後の一つが崩壊したのを確認すると、ゆっくりとその中心点へと向かって手を伸ばす。同時に、空間の中心にあったあるもの、、、、が消えて――次の瞬間、それは青年の手に収まった。

 それは長柄五〇センチ程の、黒鉄で出来た杭だった。いや、実際は黒鉄などではない。これそれ自体が、膨大な魔力を圧縮して作り上げられた霊子結晶であることを、青年は知っている。

 よくよく観察してみれば、表面には非常に小さく、かつ綿密に描かれた魔法術式が彫り込まれているのが判る。恐らくはこの杭は、この場に施されていた封印を強化・補助する役割を担っているのだろう。その仕上がりと、簡単に観察しただけでも判るほど緻密で、一切の無駄がない正確な術式の施し方――


「――流石は生きた伝説。ファーレスの作、というべきだな」

「それがお目当てのものか?」


 感心していると、後ろからクロードがひょっこり姿を現して、こちらの手元を覗き込んでいた。「そうだよ」と青年は頷き返し――そして訝しげに眉を顰めて訊ねる。


「随分余裕みたいだけど、相手はどうした?」

「めっちゃ強ぇ」

「つまり?」

「実は『戒脚』の刃が欠けてるの忘れててさぁ。すげぇピンチ」

「――君というやつは……」

「戦闘中にお喋りとは余裕じゃないですかねぇ?」


 降ってくる声。

 襲い掛かる殺気。

 青年はクロードを蹴り飛ばして自らも後方に一歩下がる。途端、目の前に振ってくるヨーヨーの一打。地面を抉り、直径メルトル単位の擂鉢状の穴クレーターが出来上がる。とても玩具とは思えない破壊力だ。


「クロード、帰ったら説教な」


 言いながら、イルツァは左手で銃を抜いて、無造作にクラフティに向けて。

 魔導機関自動詠唱ガジェット=ダム・キャスト

 術式装填スペル・コネクト

 霊子集束マナ・コントラスト

 魔力増強マジック・ブースト

 魔法発動ルーンフォース

 

 ――神聖魔法ジン=セイント『聖撃』、発動。


 幾つもの魔法行程を魔導機関ガジェットが瞬時に演算し描かれるのは、青年の構えた銃を包む魔法術式円陣。銃口の先に集束する魔力が、浄化の光芒となってクラフティに襲い掛かった。

 ほぼ不可避のタイミングでの魔法攻撃だったのだが――壁際で不機嫌そうに眉を顰めるクラフティの姿を見て、青年は「やっぱり駄目か」と大して残念がった様子もなく呟いた。


「――自動型オート対魔法障壁アンチマジックシールド……流石、といったところか」

「だ・か・ら! あんま舐めないで欲しいですねぇ、ホント。ボクに生半可な魔法は通じませんよ。というか貴方、判っててやりましたね」

「確認ですよ。もし今後同じような状況になった場合を考えて」

「次なんてないですよ。貴方たちは此処でボクが徹底的に――」


 クラフティの〈踊り踊らされるもの〉を構える手が止まった。その視線は、すでに青年を見ていない。洞窟の天井を――あるいはそれよりも上にある地上に向けられている意識。

 同時に、空間全体に響き渡るのは、軋轢の音だ。


 ――びきり、と。


 極大のひび割れるような音。

 それは世界と世界が軋む音。

 それは世界の隔たりが綻びる音。


「――いい音だ」


 その音を耳にした青年は、にこりと微笑んで――そして言った。


「――残念でしたね。我々の目的は果たせました。もう此処に用はないので、これにて退散させていただきます。奴ら、、現界あらわれる前に――ね」

「……やはり知っていて此処に手を出したんですね」


 ぞっとするような低い声に、青年は背筋が凍るような気分になった。だが、そのことはおくびと出さず、不敵に微笑みを返すに徹する。そして手にした黒い杭――【ファーレスの魔剣】を掲げて見せた。


「知っていますよ。此処が何のための場であるか。そしてこれがどんな理由で設置されていたのかも――そして、これから何が起きるのかも。

 ですが関係ありません。我々の目大望のためならば、多少の犠牲は甘受して然るべき――それが、我らが皇帝陛下のお考えです」


 そう言い残し、青年は銃をしまい、ぱちんと指を鳴らした。瞬間、足元に描かれる魔法円陣。転移術式が起動する。


「それでは、クラフティ・アッシュ殿。我々はこれにて失礼します。どうか、良き夜を」

「あばよ、怪物。次は万全の状態で戦り合おうぜ」


 軽く低頭する青年の横で、クロードがにやりと笑った。

 そしてそれを最後に、彼らを包む光が眩さを増し――光が消えうせると同時、彼らはその場から姿を消すのだった。


      ◇◇◇


 ――そして。

 一人取り残されたクラフティは、忌々しげに彼らが消え去った場所を暫く睨みつけたのち、


「――ああ、もうクソ共めダム・イット。なんてことしてくれやがったんですか。ホントに!」


 クラフティは怨嗟の声を吐いてその場で地団駄を踏んだ。

 マズイ。

 とにかくマズイのだ。

 こういう場所があることをクラフティは聞き知っていたし、重要性も知っていた。しかしまさか、この場所に足を踏み入れる人間がいることも、ましてや此処の封印をぶっ壊そうとする人間がいるなんて、聞いたこともなかった。

 まさか、と思って来てみたのだ。

 そしたらそのまさか、、、が本当に起きているなんて……


「あーもう……どうすればいいんですかね、これ」


 誰にともなく呟いてみる。

 勿論、返事なんてない。

 判っていることは一つくらいだ。

 兎にも角にも、この場を何とかしなければいけない。元の状態に完璧に戻すことは、まあ不可能である。あんな頭の痛くなる難解な封印術式など、クラフティには到底作り上げることはできない。

 せいぜい取り繕う程度が関の山。それでもクラフティにとっては苦行に等しい作業になるだろう。


「――……うぐぐ……こんなことならちゃんと魔法の勉強をしておくべきでした」


 そう項垂れながら、クラフティは両手を翳す。

 その間も、軋轢の音が、ひび割れの音が大きくなっていた。おそらく間に合わない。

 最悪の結果が目に浮かぶ。自分が外に出て対処すれば、被害は減るだろう。だが、根本的部分を抑えるには、どうしても此処で対応するしかない。

 故に、判っていてもクラフティはこの場を離れることはできないのだ。

 せいぜい「どうか住民が無事でありますように」と願うくらいしか、できることはない。

 あとは、そう。


「――せいぜい死ぬんじゃないですよ、莫迦弟子」


 抗って、生き抜いて見せなさい。一度生き延びたんだから、今度だってできるはずです。

 そんな風に、弟子の無事を祈るくらいが、クラフティにできる今の精一杯だった。






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