五幕:荒くれ者の矜持
(注)ただのモブ敵との戦闘のはずが、気づいたら一人の男の独白と化してしまった件
それでもよろしければどうぞ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――侮っていた。
それが少年に対して、トールキンが抱いた評価だ。
腕が立つであろうことは、最初に絡んだ時点で判っていたことだった。そんな奴がこの街を拠点に活動されたら、自分たちに旨味のある仕事がなくなってしまう。そう思った。
だからこそ遠回しなやっかみと群集心理を利用して、自主的にこの街から出ていくように仕向けたのだが――それは失敗に終わってしまった。そして自分とこの少年の実力という彼我の距離は、トールキンが思っていたものよりも遥かに大きかった。
今それを誰よりもはっきりと強く実感しているのは、トールキン自身だった。衆目の前で演じさせられた失態に対する羞恥と自尊心を傷つけられたことで、怒り任せに武器を振るった。
怒りに身を任せた一撃だったが、それでも自分の持てる技量をいかんなく発揮した一打だったという自負はあった。
しかしそれすらも防がれた。
若く――それどころかまだ幼さすら感じられる少年に、こうも容易く。もし神ならんものがこの世に存在するならば、なんと不公平なことかと呪詛を吐きたくすらなった。
だが、それも一瞬のこと。
「――ソル。ソル・ルーン=ファルラ」
此方の一撃を防ぎ、軽い足取りで距離を取った少年の放った言葉に、トールキンは一瞬言葉を失ってしまった。
不敵に笑いながら、だけれど此方を真剣な眼差しでじっと見据える少年の姿に、トールキンは一瞬の忘我の果てから帰還すると、大きく一度深呼吸をし、寸前まで自分の中に渦巻いていた感情を鎮める。
そして感情任せに持ち上げていた得物を正し、少年――ソル・ルーン=ファルラの視線を真っ向から受け止めた。そしてこれまでの非礼を詫びるように――そして自分の持てる礼節の限りを以て、一人の戦士としての名を名乗った。
「――トール。トールキン・アランドラだ」
トールキンは名乗りながら、同時に目礼した。それに応えるように、ソルが口の端を持ち上げた。
そしてそれを合図に、トールキンはソルへと向かって地を蹴った。
先程までの、感情任せの接敵ではなく――それはこれまでの経験に従った踏み込み。
飛び上がるような動作から、地面に這いつくばるように体を滑らた。
そして腕を鞭のように撓らせて、トールキンは弧を描くように片手斧を振り抜き、迅雷の如き一閃をソルを目掛けて放つ。
それは片手斧という、重量のある刃と小回りの効く短柄の特性を遺憾なく発揮するため、トールキンが膂力、体捌き、体重移動――それらを計算し、長年に渡って研鑽と経験を積み重ね、編み出した技だった。
しかしこちらが動くと同時に、ソルもまた動いた。
振り抜かれたトールキンの袈裟に対し、半歩、彼は後退した。地を滑るような静かで、それでいて目を見張る回避だった。紙一重――ただの観客であったなら、見事と声を上げて喝采を送るような、そんな鮮やかな体捌きだった。
そして回避動作と同時に剣を大上段に構え――
「――吹ッ!」
裂帛の気迫と共に、大剣が振り下ろされる。
その一撃は、さながら稲妻の如し。
天高く掲げた白銀の刃が鮮やかな軌跡を描き、トールキンへと襲い掛かった。
迫りくる刃を見上げた時、トールキンの脳裏に一瞬、頭から両断される自分の姿が過った。だが、そんな幻想を即座に振り払い、迫り来るソルの大剣を、トールキンは体制を低く保ちながら身を投げるようにして横に飛んだ。振り下ろされた刃が纏っていた剣圧が、寸前までトールキンが立っていた地面を抉り粉塵を巻き上げる。
「ちぃ……物騒な得物使いやがって!」
トールキンの悪態に対し、ソルは失笑で応じた。既に剣を構え直していたソルは、此方が体制を整えるよりも先に地を蹴って肉薄する。そして驚愕に目を剝くトールキンへ凄まじい速度で剣撃を放つ。
――疾い!
一合、二合、三合――途切れることない剣閃が次々とトールキンを襲う。
ソルは自分の身長の半分以上ある長大な剣を軽々と振り回していた。しかし、軽々と振り回された剣を受け止めるトールキンにとっては、まさしく洒落にならない状況だった。
――鋭く、疾く、そして重い。
重量武器であるはずの大剣の重さに一切振り回されることなく、遠心力と体捌きで重心移動を正確に操り切った見事な剣技。
次々と繰り出される斬撃を、どうにか食らいついて受け止めるので手一杯だった。
恐ろしい子供だと、トールキンは思う。
一体どれほどの修羅場を潜り抜ければ、これほどの剣士に成長できるのか。トールキンには想像もつかなかった。想像もつかないような幾つもの死線を、自分よりも一回りは若そうな少年が超えてきたというのか。
ならば自分如きが及ばないのも道理だと、トールキンは納得する。
だがしかし。
だがしかし――実力の差を認めるのと、敗北を受け入れるのはまた別だ。
「――ぬ……ぉぉおおおおおお!」
叩き込まれる無数の斬撃。連撃と連撃のわずかな隙間目掛けて、トールキンは腹の底から声を発して自らを鼓舞し、片手斧の一撃を放った。
腕の膂力を限界の限界まで引き出すようにして、渾身の力を込めて斧を横一文字に振り抜く。
振り抜き様に、トールキンは相手を見据えた。渾身の一撃によって剣を受け止められたことに対し、呆気に取られているように見える。
ならばしてやったりだ――そう思いながら、トールキンは振り抜いた腕の勢いのままに身体を捻り、今度は頭上高く斧を振り被って、目を剝く少年に向けて躊躇いなく叩き下ろす。
(――受けてみろ!)
最初のような卑劣な不意打ちではない。
これはトールキン・アランドラという、一人の冒険者にして戦士として放つ、全身全霊、乾坤一擲の一撃である。
――トールキン・アランドラは、自分が悪党であるという自負がある。
似た者同士の外れ者と徒労を組んで、自分より格下と思える相手だけに目星をつけては、横から割って入って旨味だけを掠め取る外道である。
それが悪いことだとは思わなかった。
力ない者が力ある者から搾取されるのは世の常だ。清く正しく美しく、弱気人々ために盾となり剣となる――そんな清廉潔白な精神だけで食っていけるほど、冒険者とは生易しいものではないのだ。
金に名誉に女に酒、そして旨味のある
冒険者という生業に足を踏み入れてから十数年余りでそれは嫌というほど
実感した。
若かりし頃に何を思って冒険者になったかなど、とっくの昔に忘れた。
だというのに。
(ソル・ルーン=ファルラ……か)
トールキンは少年を見据える。
最初はただのカモだと思っていた。
しかし、蓋を開けてみればどうだ。目の前の少年は侮って良いように転がせるような小物どころか、自分が全力を出しても決して手の届かないような――その若さにして既に一流とすら感じさせるほどの力を持った剣士だった。
それどころか、トールキンの下らない言いがかりに対して憤慨することもなく、それどころか此方の技量を推し量り、戦士としての名乗りまでしてくれた。
若く、だが立派な若者だとすら思わせる。
対する自分は、なんと浅ましいことだろうか。
まざまざと、見せつけられるような気がした。
刃を交える程に、胸の内で震えるものがあるような気がした。
それがなんであるかなど、トールキンは考えたくもなかった。
それでも、知らぬうちに男の口角は持ち上がる。久々に高揚していることを、トールキンは自覚していた。
胸が躍るとはこういう時にこそ使われるべき言葉なのだと実感する。
そして、胸がすく思いというのは、このような感覚なのだと痛感する。
剣を打ち払い、生じた僅かな隙を狙って放った己の一撃は――いつの間にか引き戻されていた少年の剣によって受け止められていた。
と実感した時にはもう、少年は次の一撃を閃かせていて――逆にその一撃でトールキンの手から片手斧が弾き飛ばされていた。
そして続く二の太刀。分厚い剣の腹が、頭上からトールキンへと振り下ろされていて――
「――見事だ」
万感の思いを込めて、トールキンは持てる敬意のすべてでそう賞賛の言葉を送った。
◇◇◇
「――貴方も」
強かに剣で殴打し、気を失った男を見下ろしながら、ソルは微笑とともに一礼し、剣を鞘に納めた。
そして成り行きを見守っていた男の連れに視線を向ける。すると二人組はビクッと肩を震わせたのだが、ソルはそんな彼らの態度など知ったこっちゃないという風に苦笑し「連れて帰って手当てして」と告げると「勿論です!」と飛び上がって男を二人で担ぎ上げると、
「「――失礼しましたーっ!」」
の唱和と共に脱兎の勢いで走り去って行った。
同時に、事の次第を見てい観衆が一斉に湧き上がる。何やら次々と称賛の言葉やら囃し立てる声が飛び交ってくるが、ソルは大して気にも留めず――代わりに目を丸くしている受付員のほうを振り返って、言った。
「お騒がせしてすいませんでした――報酬の話、いいですか?」
という科白に対し、受付員の女性は返事の代わりのように、引き攣った笑みを浮かべたのだった。
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