六幕:食の敵には制裁を


「ほ……本当によろしいんですか?」

「ええ。此処まで案内してくれたお礼です」


 報酬を受け取ったソルは、その場で受付員に半々で袋に分けるように願い出た、ソルの申し出に首を傾げつつも、受付員のジェシカは特に何も言わず、報酬の硬貨が入った袋を二つ用意してくれた。

 そしてソルは、その袋のうちに一つを此処まで案内してくれた父娘への謝礼として手渡したのである。

 うまく遣り繰りをすれば半年は苦もなく生活できる金額をぽんと手渡してきたソルに、父娘は最早何度目かも判らない驚愕に目を見開き、同時に実は今夢を見ているのではないかと困惑すらして、己の頬を抓るのだが――痛みを感じて目を覚ます気配もなく、手の上に乗った袋の重さの現実味を実感する。

 こんな大金を貰って本当にいいのだろうか? と思わず顔を見合わせる父娘を他所に、ソルは「それでは」という言葉を残して踵を返した。そして一度も振り返ることなく、彼は開拓街の雑踏の中に姿を消してしまい――残された父娘はしばらく彼が歩き去ったほうを眺めていた。


「結局……何者だったんだろうな、彼らは?」

「なんだっていいじゃない。 私たちの命の恩人――それで充分でしょ?」


 物の怪に化かされたような気分になって、釈然としない表情で手の内に袋を見ながらそう呟く父親に対し、娘のほうは晴れやかな表情と共にそう語った。

 その言葉に、父親は「その通りだな」と納得する。そして娘を伴って帰路に着こうとした時である。


「そこの御仁、少しよろしいですか?」


 唐突に声を掛けられて、父娘は振り返る。

 いつの間にか、緋色の縁取りが施された外套に身を包んだ集団が立っていた。そしてその先頭に立っているのは、細身で小柄の、整った顔立ちをした銀髪の少女が此方を怜悧な眼差しで見上げていて、そっと一枚の紙を――似顔絵の描かれた髪を取り出しながら言った。


「――この近くで、二人組の冒険者セイバーを捜しています。一人は青い髪をした大剣使いブレイドの少年。もう一人は帽子を被った小柄の旅人トラベラーです」



      ◇◇◇


『収納』の魔法を起動させ、ソルは先程受け取ったビック・ボアの討伐で得た臨時収入を納めると、悠々とフロンティアの通りを歩き出す。

 フロンティアは、フィドア大陸の西に広がる広大な砂漠に程近い開拓地が元となった街である。こんな辺鄙な砂漠に程近い街にありながら、都市と呼べるほどまでに発展した街というのは非常に珍しい。しかも砂漠地帯に近い街であるにかかわらず、この街の特産品が、この地方独特刺繍模様を施した布地だというのだから、まったく以てよく判らない経歴を持つ街だと、ソルは思う。

 そんな街の、夕刻に差し掛かる時間。仕事からの帰りや夕食への買出しや食事に出かける人が多いのか、通りは結構な数の人で溢れていた。

 道に迷わないようにと、荷馬車に揺られていた時の道順を脳裏に描きながら、ソルは目的地に向かって足を向け――さしたる時間をかけることもなく、ソルは目的の酒場に辿り着いたのだが……

(……先に今日の宿でも捜そうかなぁ)

 店の前に出来上がった――酒場から溢れるほどの人だかりギャラリーを見て、率直にそんなことを考えた。

 人だかりの出来ている理由は、考えうる可能性として二つ、ソルには心当たりがあった。

 一つは師の――クラフティの常軌を逸した食欲を前にして突発的な大食い大会が発生した場合。

 この場合の人だかりは、ソルにとって良好的な展開である。面倒事トラブルの可能性も少なく、平和的にこの場を立ち去ることが出来るだろう。

 問題はもうひとつの場合だ。

 そして、酒場に近づくにつれて聞こえてくる喧騒にまぎれて聞こえてくる物騒な物音が、ソルの中で今出来ている人だかりの原因が後者であることを如実に教えてくれていた。

 ああ、ホント頭の痛い……人を厄災招きトラブルメーカー呼ばわりするけれど、あの人クラフティだって十二分に面倒事を呼び寄せる天才だと思う。

 人だかりに近づくにつれ、聞こえてくるのは喧騒に続いて罵倒と何かが壊れる音が増えていく。食器、テーブル、あるいは床か天井か……何にしたって碌でもない事態になっているのは確実視していいだろう。

(さっきの報酬は此処の修理費でパァかなぁ……)

 そんな諦念を覚える。だけど、原因の一端が自分の連れであるであろう以上、此処で回れ右をして見なかったことにすることは出来ない。

 ソルは「すいませーん、通してくださーい」とぼやきながら人だかりを掻き分けて進む。

 そして人だかりの最前線に出て、店の入り口が見えた――その時だった。ずばんっ!という凄まじい音と共に、酒場の扉が開くと同時、中からまるで大砲から発射された球のように何かが飛び出してきた。

 飛び出してきた何かは地面に落下する。しかし一度地面に着いたくらいでは、その勢いは止まらなかった。

 そのまま数回地面を跳ねて――真っ直ぐ自分の方に飛んでくるのを視認したソルは、どよめく背後のことなど気遣いもせずに、慌てて横に動いて跳ね飛んで来たものを回避した。  ソルの後ろにいた何人かがそれに巻き込まれる。ソルは心の中で謝罪をしながら、人だかりに激突してきた存在を確認――そして、ああやっぱり。と納得した。

 店の中から勢い良く飛んできたのは、恐らく客の一人であったのであろう大柄な男だった。起き上がらないところを見ると、吹き飛んできた際の衝撃で意識を失ったのかもしれない。

 そしてよくよく男の様子を観察する。

 赤らんだ顔と、気を失っても手に握って離さない酒瓶を見た途端、ソルはすべての事情を把握した――ような気がした。

 いや、把握したような気がしたではなく、確信を得たというほうが正しい。

 何より今も店内から聞こえる喧騒――というか、完全に乱闘をしているような物騒な打撃音と、その間隙を縫うように聞こえる、ひゅんひゅん!という風切音の止む気配がないという状況が、どんな音や言葉よりも如実にその原因を物語っていた。

 となれば尚のこと、ソルはこの中に足を踏み入れるのを躊躇ってしまう。むしろ全力で知らぬ存ぜぬ赤の他人を貫き通したかった。

  だけど――そんなわけにはいかないのだ。ソルには目的がある。そしてその目的に辿り着くためには、クラフティと行動を共にするのが最適解だと、四年近く行動を共にして確信している。

 だからどんな形であれ、クラフティと旅をする必要がある――ならば、この場を離れるという選択肢は、ソルにはない。

 ということは、頭では判っている。だけど、やっぱりいざ足を踏み入れるかと問われれば――

(――気持ちとしては別に決まってるっての……)

 そう心の中で愚痴一つ零し、深い溜め息を吐きながらソルは店への扉へと足を向けた。後ろから制止する声や警告の声が聞こえてきた。正直その言葉に従って踵を返したいのが正直な気持ち。だがそうは問屋がおろさない。ソルは振り返って力ない笑みを浮かべると「大丈夫です」と軽く手を振って、そのまま酒場の門を潜った――次の瞬間である。

 顔の横すれすれに、小さな物体が超高速通り過ぎ、すぐ横の壁を鼓膜が破れるような激しい破砕音と共に穿った。

 引きつった笑みを浮かべながら、ソルは恐る恐る横に目を向ける。油の切れたブリキ人形よろしく、ギギギという尾登が自分の首あたりから聞こえたような気がした。それでもどうにか首を動かして横を見れば、


「――〈踊り踊らされるものリグレ=リグル〉」


 それは今も直凄まじい速度で回転し、穿った酒場の壁を抉るようにして唸りを上げる、禍々しい形状の二重円盤アクセル――師クラフティが操る【ファーレスの魔剣】の一つ〈踊り踊らされるもの〉に相違なかった。

 ソルはゆっくり〈踊り踊らされるもの〉から伸びる糸の先へと視線を辿らせた。縦横無尽に店内を駆け巡ったらしい〈踊り踊らされるもの〉の糸が地面や床を貫いていて、その傍らにはもんどりうって呻き声を漏らす、厳つく屈強な戦士たちの姿があった。

 壁際やカウンター際には、成り行きを見守っていたのであろう他の客が身を寄せ合って冷や汗を流したまま、呆然としているのが見えた。

 そして彼らの視線の先と、店内に駆け巡る糸の進む先に、ソルは目的の人物の姿を見た。


 店の真ん中のテーブルで、テーブルから溢れんばかりの料理の山を前にして、もっきゅもっきゅと口一杯に含んで食べている何か、、


 うん、あれは〝何か〟――と呼ぶべき存在だ。ソルは毎度のことながらこの光景を見るたびにそう思う。あれは到底〝人物〟という呼称を使いたくない大喰らいビックマウス、悪食だ。〝食〟という存在に対しての賛辞と冒涜の両方を担う、食うことに関して特化した化け物に違いない。

 そんな空想に逃げそうになる――いや、空想じゃないのかもしれないけど、ソルはとにかく色々な雑念を振り払って、莫迦みたいに山盛りにされた料理に手をつける師の背に声を掛けた。


マスターマスタークラフティ……正直訊くのも嫌なんですけど、訊かざるを得ない状況だから訊きますよ? 何やってるんです?」

「見て判らないのか、莫迦弟子ソル君や。ご飯食べてるに決まってんでしょう」

「ご飯って量じゃないでしょ、それ――ではなくて、周りの状況のことですよ」

「――ああ、そいつらですか」


 呆れるソルに対し、クラフティは今の今まで忘れていたというふうに――というか、完全に忘れていたのだろう――視線を床で蹲る男たちに向け、さもなんでもない風に言うのだ。


「なんか知りませんけど、酔っ払いがボクの食事を邪魔しようとしやがったんでねー。制裁を加えたらお連れの連中まで怒っちゃって――まあ、簡潔に言えば、悪を成敗したんですよ」


 此方を振り返って不適にほくそ笑む師の姿に、ソルは呆れ果てて溜め息を吐き、そしてこの場にいる皆の意見を代表するように悪態を吐いた。


「――状況的に悪は完全にアンタだよ、莫迦師匠」


 彼のその言葉に、その場にいるクラフティ以外の全員が心の中ではっきりと頷いた。

 勿論、クラフティはそんな総意など気にも留めず、悪びれずに言う。


「こういう言葉を知らないんですか、莫迦弟子――〝食の恨みは神すら殺す〟と。人の食事を邪魔するものは、神様だって殺されるんですからね」

「ちなみに訊くけど、それ誰の格言?」

「ふざけてるんですか? ボクのに決まってるでしょうに」


 何を当たり前のことを、とでも言うふうに首を傾げるクラフティに、ソルはもう言い返すのにも疲れてしまい、最後に万感の思いを込めて言い捨てる。


「――いやアンタがふざけるなだからな、マジで」


 本当に、心の底からふざけるなと、ソルは師に対して強く強く憤った。




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