三幕:一悶着待ったなし



「――ちょっと待て」


 突然の呼びかけ。それが誰に対するものであるかなんて、考えるまでもなかった。

 ソルはわずかに歎息を零す。面倒くさいことになるなぁ、という予感があった。だけどそんな諦観めいた感慨などおくびにも出さず、ソルは声の聞こえてきた方向に視線を向ける。

 そして、「ああ、うん」と納得した。

 それはソルにとって馴染みのある光景だった。

 ビック・ボアの首を見に来た住民たちを押し退けるようにして姿を現したのは、目測二メルトル程の背丈の屈強な男と、細身で長身の、やけに自信にあふれた表情の青年。そして醜悪な笑みを浮かべた小男の三人組。

 その先頭に立っていた屈強な男が、二人を引き連れてソルの目の前にまでやってくると、これ見よがしな嘲笑を浮かべながら言った。


「ふん。あのビック・ボアが討伐されたと聞いて来てみれば――いるのは軟弱そうな小僧ガキ一人か。噂に聞くビック・ボアも大したことがなかったようだな」


 周りに主張するように声を上げる男の科白に、ソルは言葉を口にすることなく男を見上げ、そして心の中でこう思っていた――ああ、またか。と。

 これはソルにとって本当に馴染みのある展開だった。

 冒険者協会に登録して以降、行く先々で起きる――あのぐうたら・怠惰・悪食な師匠がよく口にする、〝お約束な展開〟というやつである。

 ――曰く。


 『やたら筋肉を見せつける巨漢と、その取り巻きに絡まれるなんて、ソルと会うまでは物語フィクションの中だけだと思ってましたねぇ』


 とのこと。

 ソルもまったく同意見だった。そんな物語の冒頭によくあるチンピラとの衝突なんて、現実にあるとは思ってもいなかったのだ。

 しかし、残念なことに、どうやら現実はそうではないらしい――ということを、ソルは冒険者として協会に登録してから痛烈に思い知らされることとなった。

 それも一度や二度だけではなくて――何度となくに、だ。

 行く先々――新しい街の冒険者協会に行くたびに、ソルはこういったチンピラとの遭遇エンカウントが、何故かお約束と化していた。

(……そんなに十五の冒険者が珍しいか?)

 そんな疑問を何度覚えたか、ソルはもう覚えていない。確認しようとも思わなかった。だいたい、彼らが何を考えているかが想像できる。

 往々にして、ソル・ルーン=ファルラという冒険者は、同業者に侮られる傾向にある。年齢や容姿もあるが、何よりこう言った輩は膂力――腕力や筋力を中心に物事を考えているきらいがある。まあ、その考えは判らなくもない。

 単純に、筋骨隆々――というのは、内外に判りやすいからだ。盛り上がっている筋肉は、そのまま強い力を周囲に体現アピールし易い。

 その考えからすれば、ソルは対極に位置しているのは明白だ。たくましい体をもつ大柄な男と、年若く細身の若者――どちらのほうが見た目的に優劣があるかとすれば、間違いなく軍配は目の前の男に上がるだろう。

 実際、周囲のどよめきにはそういった観点が強いらしく、早くもソルを憐れむ声が囁かれていた。

 そしてそんな周囲の反応に気を良くしたのであろう。眼前の男は満足げに口の端を持ち上げて、背負っていた片手斧を手に取り、ソルに見せつけるように刃を翳しながら言う。


「――さて、小僧。一体どんなペテンだ? お前のような階級も低そうな子供に、このビック・ボアを倒せるわけがない。寿命か何かで死んだかしているところを見つけたとか、そんなところだろう? どうだ、正直に白状しろ」


 周囲に聞かせるように、男は言う。どうやらソルを『たまたま死んでいたビック・ボアの死体を持ってきた卑怯者』として周囲に印象付けようとしているらしい。

 よくもまあそんな適当なことを思いつくなと、ソルは一周回って呆れを通り越して感心すら覚えた。

 魔獣討伐――特に依頼クエストなしによる大型魔獣討伐は、その申請の際に協会側から魔法による討伐判定が行われる。その魔法によって、魔獣の死因や死体の腐敗進行状況などが検査されるため、もし報告との食い違いがあればすぐに虚偽が露見する仕組みになっている。そうばれば討伐報酬の支払ないがないどころか、協会から罰せられることは、冒険者ならば当然知っている常識だが……流石に協会の情報に通じていない一般人相手ともなれば、男の主張は周囲の群集に、自分ソルは卑怯な手を使うやつ、という認識される可能性は否めなかった。

 つまり男の目的は――

(――新参者の吊るし上げ、ってところか)

 だとすれば、これは確かに効果的だろう。少なくとも様子を見ていた周囲の中には、すでに疑惑の視線を向けてくるものが少なからず見受けられた。

 さて、どうやってこの状況を潜り抜けようかと考えていると、思わぬところから声が上がった。


「その人はそんなことしていない!」


 そう叫ぶ声があった。ソルの――いや、この場にいるすべての人々の視線が、その声の主に集まった。

 声を上げたのは、ソルとビック・ボアの首を此処まで運ぶのを手伝ってくれた父娘おやこの、娘のほうだ。そして父親のほうも、娘の隣で鋭い視線を男に向け立っていた。


「このビック・ボアに追われたのは、私たちよ。その人は、そんな私たちを助けてくれた。私たちの目の前で、このビック・ボアを倒して見せたわ! 変なイチャモンつけないでくれる!」

「それとも何かな、冒険者さん方。貴方たちは私たち親子が嘘をついていると言うのかい?」


 父娘の言葉に、男の顔にわずかな険しさが浮かんだ。代わりに声を上げたのは、男の後ろに控えていた小男だった。


「それはあり得る話でしょ? なにせビック・ボアには破格の懸賞金がかかってら。その懸賞金を山分けするために、アンタたちが噓をついてる――ってことは、あり得ないとは言い切れねぇだろ?」

「そうだよ、お嬢さん。僕たちはこれでも結構な魔獣を討伐してきた腕利きだ。そんな僕たちから言わせると、こんな少年にビック・ボアを倒せるとは到底思えないんだよ」


 小男の言葉に追従する形で、長身の青年が小莫迦にするように、あるいは此方を挑発する風に言い放つ。

 そして二人の視線が、父娘から自分たちの頭目リーダーへ向けられるのを、ソルははっきりと捉えていた。

 同時に、男が片手斧を頭上に掲げて声を張る。


「まったくその通りだ。こんな子供にビック・ボアが倒せるわけがない。もし倒せるならば――」

 

 そこで男が言葉を切った。

 周囲の視線が、男へと集中している。勿論、すぐ傍に立っていたソルも、それは同じだった。

 そして、そんなソルに対し、男は、


「――これくらい避けられるだろう!」


 掲げていた片手斧を、その顔目掛けて叩き下ろしたのだ。






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