二幕:協会受付員の厄日



 荷台に乗って揺られること一時間ほど。

 父娘と旅人二人を乗せた荷馬車が目的地――開拓街フロンティアの門をくぐると、門の周辺にいた住人たちがぎょっと目を丸くし、通り過ぎていく馬車を見やった。

「なんだあれ?」

「えっ……!? ちょっ、デカくね?」

「まさか討伐したのか?」

「いや、そんなまさか……」

「あれって懸賞金付きじゃなかったか?」

「え、嘘!?」

 遠巻きに眺める群衆たち。その中から、誰がともなく声をひそめ、そんな風に囁いていた。

 それもまあ、仕方がないことだろう。門をくぐったのがただの荷馬車であるのならば、それはありふれた光景である。しかし、親子が引く荷馬車の後ろには、荷物を運搬するためのソリがあって――そしてそこには一〇メルトル級の大型魔獣の切り落とされた頭が積まれているのだから、その光景に目を奪われるな、と言うのは正直無理といっても過言ではなかった。

 馬車の持ち主である父娘は、彼らの視線にどうしたらいいのかと顔を見合わせていたのだが、


「――あ、ボク此処で降りますね」


 まるで周囲の視線に気づいていないのか。帽子を被った旅人は、外套を翻して馬車からひょいと飛び降りた。


「それではソル、協会とのやり取りは任せましたよ」

「またですか……たまには先生マスターがやったらどうです?」

「ボク面倒くさいのは全般的にパスです。そういうのは弟子に任せますよ。ボクにはボクの使命があるので」

「もう何百回も繰り返したやり取りですから、そろそろ飽き飽きしてるんですけど――敢えて聞いておきます。その使命とは?」


 荷馬車の上からソルが呆れ顔で尋ねる。すると相手はやたら自慢げに懐から一冊の手記ノートを取り出して、もったいぶるように顔の前で数往復させて言った。


「――勿論、この街の美味しいものを堪能する。それがボクの使命――いえ、天命なので」

「この道楽者」

「好きに呼ぶがいい! その程度の罵倒で、ボクの食べ歩きの極みグルメ・ロードを止められると思うな!」


 超然とした佇まいでそう宣言すると、颯爽と踵を返して一番手近にあった酒場へと駆け込んでいく師の姿を、ソルは呆れ顔のまま見送る。

 そして呆気にとられている父娘を振り返り、苦笑いを浮かべながら言った。


「――とりあえず、冒険者協会までいいですか?」


      ◇◇◇


 そして。

 冒険者協会開拓街フロンティア支部――の、前にて。協会受付員になって三年目のジェシカ・ホールンは、過去最大級の衝撃を受けていた。

 彼女にとって、冒険者協会での受付というのは、端的に言うと紙面上でのみ行われる事務業だった。住民からの依頼を受けて、それを書面に起こし、協会に登録している冒険者に提示し、依頼達成者に対して報奨を支払う――そういう流れ作業の場所であって、ジャシカなりにそんな事務的な業務は気に入っていた。なにせ面倒が少ないのだ。

 確かに、時には報酬の額に関して一悶着が起きることもある。だけどそういう場合は大体協会の偉い人とその警護役のいかつい方々が一緒に出張ってきて、最終的に話し合い――のようなもので、最終的に解決するのだ。

 だからジェシカ自身が面倒に巻き込まれたことなど、この三年間でも片手で足りる程度の回数で、それも人に話せば笑い話になるような――その程度の面倒事トラブルだった。だった、はずなのだが――

(……厄日だ)

 目の前の光景を見て、ジェシカは疑う余地もなくそう断言した。今日は人生最悪の厄日だ、と。 

 彼女の目の前に広がる光景。それは――

 一〇メルトルを超える魔獣ビック・ボアの新鮮な生首と。

 そのビック・ボアを討伐したという、まだ年若い少年。そして、それを遠巻きに見ている住民たちの群集だった。

(なんでこんなことになっているの?)

 ジェシカは協会前の人だかりにうんざりしつつ、それでも受付用の表情で目の前の少年に声をかける。


「――えーと、登録証の確認をよろしいですか?」

「どうぞ」


 ジェシカの申し出に、少年は素直に鎖で繋いだ登録証を手渡してきた。ジェシカは必死に受付対応の笑みを浮かべながらそれを受け取る。


「――名前はソル・ルーン=ファルラ。年齢十五……え? 十五?」

「そうですが、なにか?」

「あー、いえ! なんでもないです!」


 そう答えながら、ジェシカは内心、まだ子供じゃないかと少年のことを訝しむ。冒険者になれる最低年齢は十三歳からなので問題ないのだが、だからといって十三歳になってすぐに冒険者になる――という者は、このご時世多くはない。魔獣による被害が絶えないこの大陸では、冒険者の需要はかなり高い。魔獣と戦えるだけの実力を持つ戦士は、どの国、どの都市でだって喉から手が出るほどほしい存在だ。

 だからこそ、生半可な腕前の者が冒険者になって、最初の魔獣との戦いで死ぬ――なんて事態を避けるために、大陸中に冒険者養成学校が存在する。そして冒険者を志す者の多くは、まずこの養成学校の門を叩くのが通例であり、養成学校の多くは入学の年齢制限が十五歳以上となっている。そして卒業まで五年を有することを考えると、この少年は養成学校やそれに類する教育機関を経ていない――という結論に至る。

 そんな少年が本当に一〇メルトルを超えるビック・ボアを討伐したのだろうか? ジェシカの疑問は其処だった。

 少年――ソルが討伐したビック・ボアは、ただのビック・ボアではない。この開拓街周囲を縄張りとし、過去に何人もの旅人や商人、果てには討伐に赴いた何人もの冒険者を殺していた、人食いのビック・ボアである。

 あまりに危険極まりないが故、かつて小規模ながらこのフロンティアを拠点とする冒険者たちによる討伐隊が結成され、それでも倒せなかった怪物なのだ。結局腹を空かせている時期にビック・ボアの縄張りにははいらないように――という街の住民に警告を発し、このビック・ボアに懸賞金がかけるくらいしか、フロンティア支部にできることはなかった。

 かけられたその額は、今では一般市民が贅沢をしなければ一年は暮らせるくらいの額に上っている次第である。

 そんな経緯があったためか、このフロンティアでは言うことをきかない子供に対して、「言うことをきかないとビック・ボアに食べられるぞ」という文句まで出来上がったのだから始末が悪い。

 ――閑話休題。

 話を現実に戻す。

 ジェシカは思考の彼方から帰還し、改めて少年の登録証を確認する。


――――――――――――――――――――――――――――

 Name:ソル・ルーン=ファルラ

 Age:15

 From:交易都市アンフェスバイナ


 Saver RANK:Aマイナス


――――――――――――――――――――――――――――



「――……へ?」


 登録証を確認したジェシカは、思わずそんな間抜けな声をこぼしてしまった。

(あれ? 私疲れてる? 最近仕事が忙しいのもあったし、疲れ目で字がうまく読めてないのかな?)

 などと自問自答を繰り返し、目頭を抑え何度か強めに指圧。目元をほぐしてからもう一度登録証を確認する。


――――――――――――――――――――――――――――

 Name:ソル・ルーン=ファルラ

 Age:15

 From:交易都市アンフェスバイナ


 Saver RANK:A-


――――――――――――――――――――――――――――


 見直しても同じだった。もう一度、もう一度と確認を繰り返しても、やっぱり見間違いではないらしい。

 ――冒険者階級セイバー・ランクA-。つまり彼は、冒険者に与えられる評価十二段階級において、上から七番目の階級にいるということである。

 十二ある階級のうち上から七番目――と、言葉にすればまだまだ下のほうに思われがちだが、そもそも冒険者全体で階級がB以上と登録されているのは、その全体のおよそ二から三割程度と言われていて――目の前の少年は、そのうちの一人、ということになるのだ。

(――登録ミス……なわけないわよね。確かB以上の上位冒険者階級ランカーって、協会本部からの直接認可がないとされないはずだし……でも……うーん……)

 不正登録があり得ない以上、このソルという少年は、弱冠十五歳にして一流の冒険者ということになる。なかなかに信じがたいが、実際問題協会が発行する登録証にそう記されているのだから、疑う余地はなかった。

 そう思えば――なるほど。確かにそれほどの実力者なら、ビック・ボアの討伐も頷ける――というか、そういうことにしておこうと、ジェシカは判断した。

 なんだか深く考えれば考えるほど泥沼に嵌まる予感がする。というか、すでに片足を突っ込んでいる気がしてならなかった。これ以上長くこの少年に関わっていると、面倒な事態になる――ジェシカは本能が発する警告に従うことにした。


「えーと……確認完了しました。こちらの登録証、お返ししますね」

「はい。ありがとうございます」

「いえいえ、お気になさらず。それでは報酬の支払い手続きを行いますので、中のほうにどう――」


 ソルに登録証を返しながら、ジェシカは模範的な受付員の笑みを浮かべて彼を協会の中へと誘導しようとした――のだが、


「――ちょっと待て」


 呼びかける声が一つ。

 誰に向けられたものなのかなど、考えるまでもなかった。唐突な呼び止めに、声をかけられた少年ソルは、何事か? といった様子で振り返る。その横で、ジェシカはわずかに笑みを引き攣らせた。

 ちなみに、

(――ああ、遅かった!)

 心の中では思いっきり頭を抱えていたのは言うまでもない。

 今日が自分にとっての厄日であることは、もう疑う余地がないとジェシカは思った。


 


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