一章

一幕:街道にて


 ――魔獣エネミー

 それは大陸全土における、人類共通の害敵である。

 獣と称されど、必ずしも獣の姿を取っているわけではない。単純に、その全体数の中でも獣に酷似した姿をしているものが多い、ということからこの名称が使われているに過ぎない。

 中には獣と呼ぶにはあまりに禍々しい魔獣もいれば、人に近い姿をした魔獣――生きた屍リビングデッド骸骨人形マリオネット・ボーン等――もいることが確認されているが、そのあたりは別段問題ではない。

 それに魔獣が街道近くに姿をみせることは滅多になく、ましてや猛威となる魔獣と遭遇する確率は、雷に打たれるのと同等と言われている。もしも大型で、人を見かけるや否や襲い掛かってくるような魔獣と遭遇する旅人や旅商人がいたとすれば、それは〝素晴らしいくらい運がない人〟と言わざるを得ないだろう。

 最早そういう不運の星の下に生まれたと断言してもいい。

 そう、即ち――



「――助けてくれぇえええええええええええええええええ!!!」



 今、必死に手綱を握って荷馬車を走らせているこの父娘おやこはというと。

 まさに前述した通りの――素晴らしいくらい運がない人たち、ということになる。

 砂埃を巻き上あげて街道を駆け抜ける荷馬車の背後には、大型の猪の姿をした魔獣が、その双眸に赤い光芒――赫眼かくがんという、魔獣に共通した特徴である――を迸らせながら、嘶きを上げて荷馬車へと迫っていた。


「お父さん、急いで! 魔獣がそこまで来てる!」

「判っている! しかし馬たちがもう……限界にっ!」


 悲痛な叫びを上げる娘の声に対し、父親は険しい表情で荷馬車を弾く馬たちを見やる。全身から滲む発汗と苦しげな呼吸――既に魔獣に追われてからかなりの時間が過ぎていた。命がけで走り続けてくれているが、限界に近いのは火を見るよりも明らかだった。いつ倒れてもおかしくない――そんな状況を前にし、父親は手綱を握る手を合わせて強く瞼を伏せた。


「――おお……神よ……どうか我らを救い給え!」

「お父さん、前!? 前!?」


 祈りの言葉を口にしたのとほぼ同時、娘が再び声を――驚愕の声を上げたので、父親は伏せたばかりの目を見開いて、娘の言う通り前を見て、その目を丸くする。

 自分達を乗せた場所が進む先に、人影が見えたのだ。影は二つ。外套を纏い、荷袋らしきものを方に担いだ2人組――おそらくは旅人の類だと、父親はすぐに判断し、叫んだ。


「逃げろ! 前の二人! そう、アンタたちだ! 逃げ――いや、避けろ!?」


 何事かと振り返る二人に向けて、父親は力の限り叫んだ。すると、二人組は言われた通りに、やけにのんびりした動作で荷馬車が通れるように――とでも言う風に街道から少し外れるようにして道を開けたのである。

 ありがたい、と思うべきだろうか。それとも此方の緊迫した空気に気付けないのか? と心配するべきだろうか。

危機的状況にも拘らず、頭の片隅の冷静な部分が、二人の反応にそんな感想を漏らし、同時に父親は道を開けた二人に向けて再び叫ぶ。


「――飛び乗れ!」


 考えるよりも先に、無意識ながら叫んだ。そう、叫んだ。叫んでいた。

 状況を考えれば、あの二人を見捨てて逃げたとしても、誰も自分たちを責めることはしないはずだ。凶悪な魔獣に追われていたのだ。逃げることに必死で、たまたまそばにいた旅人を見捨て――あるいは囮にしたとしても、罰せられることはないはずだ。

 頭ではそう判っていた。だけどそうしなかったのは、単純に父親の性分によるものだった。こんなだから商人は向いていないだの、人が良すぎるヤツだ、なんて揶揄されるのだ。

 そんなことを考えながら、なおも父親は「急げ!」と叫んだ。

 二人組の旅人は、父親の叫びに素直に応じた。街道を全力疾走する荷馬車が横を通り過ぎる寸前、身軽な動作で荷馬車を摑むと、ひょい――と軽快な動作で荷馬車に飛び乗ってきた。

 そして、「突然の申し出……僕らとしては歩かずに済むんで助かりますけど、いいんですか?」と青髪の少年が不思議そうにそう訊ねてきて、帽子を被った小柄なほうは、「いやぁ、歩き疲れてたところなんですよね。助かりますよぉ。それにしても随分大慌てですね、どうしたんです……くあぁ、うう。眠い」と、暢気にあくびをする始末。

 荷馬車を操る父親は、さすがにそんな暢気な科白に構っていられず、今にも崩れ落ちそうな馬に向かって「頑張ってくれ!」と声援を送るしか出来なかった。

 そんな父親の代わりに、娘の方が鬼気迫る形相で後ろを指差しながら叫ぶ。


「暢気なことを言ってる場合じゃないですよ、旅人さんたち! 後ろを見て、後ろ!」


「「――後ろ?」」


 娘の主張に、二人組はいぶかしむように背後を振り返った。視線の先には、今にでも追いついて荷馬車をなぎ倒そうとしている、荒々しい猪の魔獣の姿がようやく映ったらしい。

 のだが、この旅人たち。別段慌てた様子もなく、暢気な気配を消すこともなく顔を突き合わせて、なんだこの程度――とでも言うように微苦笑を零した。

 そしてそのうちの一人――帽子を被った薄い朱色の髪の旅人が、こちらを振り返ってにんありと口元を綻ばせる。


「――ああ、なるほど。魔獣に追われていたんですねぇ。それもこんな大型の魔獣相手では、そりゃ慌てますよね。納得です」

「そう思うんでしたら、もう少し慌てたらどうですか!?」


 やけにのんびりとした様子の旅人に対し、娘の方は業を煮やしたように憤慨する。しかし、怒りの声を向けられてなお、旅人の態度は変わらない。

 どころか、大した問題じゃあない――とでも言う風に肩を竦めて、旅人は青髪の少年を見据えて言った。


「ほぅら、ソル。お仕事ですよ、お仕事。調度いいんで、魔獣討伐しちゃいましょうや。

 成り行きはどうであれ、荷馬車に乗せてもらったわけですし――お礼も兼ねて、ほれ。ちゃちゃっと片付けてくださいな」


 父親も娘も、揃って目を丸くした。そして心の中で同時に思った――この旅人は、何を言っているのだろうか? と。

 娘はおろか、馬を必死に操っていた父親まで振り返って、旅人たちを凝視する。特に、ソル――と呼ばれた青髪に少年を。

 旅人が名指しした彼。その後腰には、よくよく見ると少年の体躯には不釣合いな、剣身が幅広の剣――そう。大剣が括り付けられていた。

 そして先ほど旅人が言った〝魔獣討伐〟という言葉……。

 もしや、と思う。

 だけどまさか、こんな小柄な二人組にそんなことができるのか? と疑いの目を向けていると、二人はそんな父娘を他所に話を進め始めていた。


「え、僕がやるんですか? そこは言い出した師匠マスターがやればいいじゃない?」

「いやですよ、面倒臭い。道くらいは作って上げますから、ちゃっちゃかと終わらせてくださいねぇ――あ、一撃でできなかったら罰ゲームですよ」

「いきなりふっかけて、いきなり理不尽な条件付けられた……」


 帽子の旅人の言葉に、青髪の少年は眉を顰めて項垂れる。だがそれも一瞬のことで、次の瞬間にもう、彼は今のやり取りなど無かったかのような涼しげな表情で立ち上げると、酷く流麗な動作で腰の大剣を抜いた。

 無骨で肉厚な、装飾なんて一切ない――実戦重視の刃が姿を現す。少年はその剣を軽々と片手で担ぐと、視線を追いすがる猪の魔獣へと向けた。

 同時に帽子の旅人は座った状態のまま、外套のポケットから何かを取り出した。


 重ねた二重円盤アクセルの間に糸を結び、それを回転させる玩具――ヨーヨー。


 らしきものだった。

 らしきもの――と父娘が判断したのは、その形状が玩具にしてはやけに禍々しく、玩具にしてはやけに精巧な、装飾品とすら思わせるような華美なものだったからだ。


「――さあ、遊んでやりましょう。〈踊り踊らされるものリデレ=リデル〉」


 そう囁くと、帽子の旅人は装指糸ストリングに指を通して、徐に猪に向かい投擲した。すると、ヨーヨーの二重円盤アクセルがまるで矢の如く魔獣へと飛んで行き――そして、魔獣にぶつかる寸前位置で静止した。

 そう。静止している。

 何もない中空にありながら、ヨーヨーの二重円盤アクセルは地面に落下することなく、一様に魔獣の眼前で静止していて。

 そして、


「――ほら。さっさと行け行け」

「あー、はいはい。行ってきますよ」


 という軽いやり取りをした青髪の少年が、その静止したヨーヨーの糸の上をこれまた軽い足取りで走り抜けて行ったではないか。

 あまりに常識外の情景に、父娘は言葉を失ってしまう。

 そして呆然とその背を見送った次の瞬間。少年は魔獣の目の前に迫り――そして、頭上に担ぎ上げた大剣を目にも止まらぬ凄まじい速度で振り下ろしたのである。

 振り下ろされた剛剣は、先ほどまで父娘を死神の使いかくやと思わせていた大猪の頭を、正面から鮮やかに両断していた。

 あまりに信じ難い光景に、父娘はもはや言葉を失ってしまう。

 そしてそんな父娘が現状把握が出来ていないうちに、頭を叩き割られた魔獣は、走っていた勢いそのままに地面に倒れると、その勢いで数度地面を跳ねてから街道に横たわり――そしてぴくりともしなくなった。

 父親は手綱を引いて、走る馬を止めると、娘と共に荷馬車から飛び降りて、倒れた魔獣を見た。

 

「そんな……ありえるのか? こんなこと……」


 倒れて絶命している魔獣を見やり、思わずそんな言葉をこぼした。

 あんなにも恐ろしかった魔獣が、こうもあっさりと倒されるものなのだろうか? そんな疑問が父親の胸中で渦巻く。

 ちらりと視線を隣に向ければ、娘も同じ心境だったのだろう。此方を見て、言外に「夢じゃないの?」と訊ねているように感じ、父親は一も二もなく頷いた。

 すると娘はようやく状況をしっかりと理解したのだろう。その目じりに涙を浮かべ、そして「た……助かったぁあああ!」と声を上げて破顔したのである。

 その表情を見て、父親もようやく自分たちが助かったのだと自覚する。その事をかみ締め、父親は荷馬車を振り返った。

 其処には寸分変わることなく荷馬車の中でくつろぐ帽子の旅人と、馬車の傍らに立って大剣を鞘に収める少年の姿があった。

 父親は彼らに駆け寄ると、これまで生きてきた人生の中でも最大の敬意をもって頭を下げる。


「あんたたち! 何者か知らないが、本当に助かった! 命の恩人だ、感謝しても仕切れんよ! 礼がしたい、私たちにできることであれば何でも言ってくれ!」


 そう父親が告げると、帽子の旅人は「では食――」と何かを言いかけたのだが、それは傍に立っていた少年が思い切り頭を抑えて遮ってしまう。

 食事を望んでいたのだろうか? それくらいなら幾らだってご馳走するのに。そう考えていた父親に対し、帽子の旅人に代わって、青髪の少年が人当たりのいい笑みを浮かべながら言った。


「では、二つほどいいですか? 一つは、この街道の先にある開拓街フロンティアにまで乗せていってくれませんか?」

「それなら勿論だよ。というか、私たちも開拓街に帰る途中だったんだ。喜んで乗せていくとも」

「そりゃよかった。じゃあ、もう一つ――」


 父親の申し出に、少年はにこりと笑った。そしてすぐにその表情を崩し、申し訳なさげに柳眉を下げて、そっと父親の背後――倒れて動かない大猪の魔獣を指差しながら言ったのだ。


「――討伐の証明に、あれを冒険者協会セイバー・ギルドに運ぶの、手伝ってもらえます?」


 その言葉に、父親は目を丸くし、振り返る。

 倒れている大猪。

 大きさは一〇メルトルを上回り、その重量は最早、語るまでもないだろう。

(あれを運ぶのか……)

 なるほど。少年が申し訳なさげに眉尻を下げる理由に納得した。だが、命の恩人の頼みだ。これくらい快諾せずにどうするというのか。

 持ち前のお人よしさで、父親は「勿論、引き受けよう!」と答えた……答えてから、こうも言った。


「――……一部だけでいいかな? 全部は流石に無理そうだ」



      ◇◇◇


 ――結論。

 身体の方は解体し、食える部分だけをまとめ。

 最後に荷馬車から荷引き用のソリを引っ張り出して、その上に大猪の頭を乗せて運ぶことになったのである。


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