ある酒場でのこと


『…………』


 大陸某所の某酒場で、その光景は広がっていた。

 誰もが――そう。店にいる誰もが、その光景に目を奪われていた。他の客たちだけに留まらず、店主、女給ウェイトレス調理人コック酒給仕バーテンダーに至るまで、誰もが自分の動作を忘れて呆然と、あるいは唖然として、酒場の一角に視線が集まっている。

 その席に座るのは、小柄な少年とも少女とも見える中性的な容姿をした若人だった。

 淡い朱色の髪の上に、古ぼけたキャスケット帽を被った旅装の若人。

 それだけならば、大して珍しい光景ではない。此処は旅人にも開かれた酒場である。

 問題は、その若人のついている席にあった。

 もっと厳密に言えば、そのテーブルの上に並べられた、若人の堆積の数倍はあるであろう料理の山であった。

 注文した量。およそ六〇人前。この店の一日に消費される料理の半分以上を消費した料理が、このテーブルに並んでいることになる。これが大人数による食事であるのならば、誰も別段驚きはしない。

 されど、驚くべきことに、その席についているのはその若人一人だけで。

 そしてさらに驚くことに、その料理の半分が既に、その若人によって綺麗さっぱり消え失せているのだから、これに驚かないわけがない。

 若人は小柄で痩身、背丈も一六〇ほど。

 一体何処にその量の食事をが入っているのだろうか? 明らかに若人の体積を遥かに上回る量が、観ている間にも次々とその口に運ばれは消えていき、運ばれては消えていく。しかもその手が止まることは一瞬たりともなく、そして食い散らかさずに綺麗に食事しているのだから、最早目の前の光景が現実のものなのかを疑うものが続出するのは――ある種仕方がないことだといえるだろう。

 そして、誰もが呆然と様子をも見守る中で、食事をしていた若人が不意に立ち上がり、顔を上げて店主を見た。

 流石に食いすぎたのだろうか? という疑問を誰もが抱く。だが、周囲の想像とは裏腹に、その若人は口いっぱいに食べ物を頬張ったまま、抑揚のない声で言った。


「――すいません、御代わりの容易お願いします」


 その科白を聞いた誰もが、心を揃えて思ったという。


 ――まだ食うのかよ!?


 勿論、そんな周囲の総意など知る由もない若人は、用件は済んだとばかりに再び席に戻り、残りを平らげるように両手を動かし続けていた。


      ◇◇◇


 見ているだけで食欲も失せるような光景を目の当たりにして、店にいた客たちが顔を合わせて苦い顔をする酒場の扉を、一人くぐる影があった。

 また、若い旅人だった。

 それも今話題の大食感の若人よりもより若い――まだ子供と言っても過言ではない背丈の少年が一人、ボロ布のような外套マントの裾を引き摺っていた。

 少年はあたりを見回す。その眼は酷く虚ろで、なにより淀んでいた。暗い気配を纏った視線が店内を一周し――やがて、その視線がこの店でいま最も注目を浴びている人物に向けられる。

 数秒、少年は食べることをやめない若人を見据えると、徐にその背に向かっていく。

 距離にして十歩分、若人と距離を取った少年が、薄汚れた顔を持ち上げて、言った。


「アンタが……魔剣狩りコレクター?」

「はい?」


 声をかけられた若人は、口に骨付きの肉を頬張りながら振り返る。

 視線が、交わった。

 若人は帽子の下の半眼で少年を見据え、少年は虚ろな目で若人を見上げる。少年の視線を正面から受け止めた若人は、口の中の肉を飲み込んでから、何処か面倒くさそうに首を傾げた。


「――確かに、まあボクは魔剣蒐集家ファーレス・コレクターですけど、それがなにか?」

「奴は何処にいる?」

「……」


 あまりに唐突で、脈絡のない質問に、若人は僅かに眉を顰めた。


「えーとですね。ボクが昔友達に言われたことなのですけど、質問は明確にしたほうがいいですよ、少年。一体誰のこと言っているんですか?」


 そう言うと、少年の眼光が鋭くなった。そして苛立ちの混じったような声で、再び問うてくる。


「――ファーレスだ。奴は何処にいる?」

「……むぅ。あの人に何の用です?」


 それは、若人にしてみれば何気ない質問であり、当然の質問だった。

 しかし、少年はそうは思わなかったらしい。彼の表情は一層険しいものとなり、怒気を孕んだ声で叫んだ。



「――御託はいい……ファーレスは……何処にいるっ!」



 怒号と共に、少年から迸る殺気が周囲の空気を震わせた。

 同時に――いつの間にか少年の手には、その身長よりも遥かに長大で、禍々しい形をした、朱く輝く刀身を持つ剣が握られていた。

 何気なく様子を見守っていたほかの客たちは、突然に全身を襲った殺意の気配に息を吞み、その鋭い殺気によって、気の弱い者は一瞬にして意識を失ってしまうほどだった。

 そんな殺気を前に、若人は涼しげな様子で茹でた腸詰ボイル・ソーセージを頬張っているものだから、そのあまりの緊張感のなさに、意識のあった者たちは思わず毒気を抜かれてしまったのは、幸運と言うべきか。

 若人は頬張った腸詰を蜂蜜酒ミールで胃の中に流し込むと、困ったように口元を綻ばせた。


「んー。残念ですけど、ボクも今の彼の居所は知らないんですよね。お互い放浪癖持ちですので、ちゃんとした連絡手段を持っているわけじゃあないですし。まあ、運が良ければ会える――そんな間柄です。どんな噂を聞いてボクのところに来たのか知りませんけど、当てが外れましたね。ご愁傷様ボンボヤージュ

「……」


 若人の言葉に、少年は暫くの間その言葉の真偽を図るように相手を睨みつけていたが、いつまでたっても態度の変わらない若人の様子を見て――その言葉に嘘がないと悟ったのだろう。彼は深いため息をついてその場に膝をついた。先ほどまで握っていたはずのあの朱い剣は、いつの間にか影も形もなくなっていた。


「――また……違ったのか」


 俯き、悔しげにこぼす少年の様子に、若人はやれやれといった風にかぶりを振った。


「何があったのか知りませんけど、根気よく追いかけるといいと思いますよ。百年くらい追いかければ、そのうちひょっこり見つかるかもしれませんし。ちなみにボクたちは再会するまで千年くらい掛かりましたけど」

「百年……だと?」


 若人の何気ないその科白に対し、少年は目を丸くし、まさに〝絶望した〟という表現がぴったりな表情を浮かべたのを見て、若人は訝しげに首を傾げた。


「……君、どうしてファーレスに会いたいんですか? 魔剣が欲しい、というわけではないみたいですけど」

「……奴に、用がある」

「……なんだか恨みつらみのありそうな科白ですねぇ」

「悪いか?」

「悪いとは言いませんけど……ふむ――」


 少年の言動。その端々から感じ取れる、底知れぬ憎悪の念に、若人は暫く何かを考えるように首を傾げ――やがて、少年に一歩歩み寄り、視線の高さを合わせるように膝をついて、言う。


「では、ボクと一緒に来ますか?」

「……なにを……言って……?」

「君の聞いた噂はこんな感じでしょう?

 〝魔剣鍛冶師ファーレスと、よく顔を合わせる旅人がいる〟

 とか、そんな感じの。

 あながち嘘でもないですからね。世のどーンな人間よりも、ボクは多分、一番彼と――ファーレスとの遭遇率が高いですから」

「どうして?」

「昔っからの知己ですから。いろんな意味で縁が結ばれてしまっている、そういう相手でして」


 にやりと、若人が意地悪く笑う。少年はそんな若人を見上げて、どこまでその話を信じていいのかと考えを巡らせていた。


「……どうしてそんな提案をする?」

「特に意味は。強いて言うなら、あれですね……召使いみたいなものがほしいなぁと思っていたところなんですよ」

「――……お前、なんなんだ?」

美食家グルメのつもりですよ。なんでか周りからは、魔剣狩りなんて呼ばれてしまってますけどねぇ」


 やはりどこまで本気なのか判らない科白を吐いて、若人が笑った。

 少年はしばらくその顔を見据え――やがて何かを覚悟したかのように一人頷くと、


「召使いでもなんでもいい。少しでも奴に会える可能性があるのなら、なんだって構わない」

「契約成立ですね」


 少年の言葉に、若人は何処か楽しげに口の端を釣り上げて、そっと右手を少年へと差し出した。


「では、晴れてボクの従僕になった君に、優しいご主人様が自己紹介をしてあげましょう。

 ――クラフティ。

 クラフティ・ポスティーノ=アッシュ。

 それがボクの名前です。以後しっっっっかりと頭に刻み込んで、敬愛を込めてクラフティ様と呼ぶように」


 偉そうに、若人は――クラフティはそう言った。実にわざとらしく、実に厭らしい、人に苛立ちを覚えさせる口上だった。

 間違いなく、その科白回しがわざとであることを、少年は悟っていた。だから、そんな下らないお遊びには付き合わず、だけど差し出された手を取りながら、静かに口を開いた。


「――ソル。

 ソル・ルーン=ファルラ。

 それが僕の名前だ。よろしく――ご主人マスター



      ◇◇◇


 大陸某所。

 何処にでもある宿場街の、ありふれた酒場の一角で起きた――魔剣を巡る物語の、最初の出会いだった。



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