九幕:少年と少女
――意識を集中し、水の中に沈むような感覚。
それがミルドレッドが『索敵』の魔法を操る際の
深い深い水の中。あるいは海の底を漂うように。自分を中心に周囲のすべてを『索敵』という魔法の〝海〟に沈めていく。
気配も音もない水中で、何処までも手を延ばしていくようにして――ミルドレッドは自分の捜す標的を求めて『索敵』の〝海〟を広げる。
そして――ミルドレッドはようやく目的の相手を見つける。
無音の海の中で、僅かに淀む気配。巧妙に隠された気配を、ミルドレッドはかすかに感じ取り――その手を延ばした。
「――見つけた」
ぱちりと、閉じていた目を見開いて、ミルドレッドは彼方へと視線を向ける。南に約二キロメルトル。そこに、あの二人がいる。
「先行します。増援の手配の後、貴方たちも後を追って来て下さい」
周囲でミルドレッドの『索敵』を見守っていた巡回騎士たちが「了解!」と唱和する。ミルドレッドはそれを確認したのち、全身に魔力を巡らせ、地面を強く蹴り――跳躍。
霊子反応の光の尾を引き連れながら、ミルドレッドは夜の空へと躍り出た。屋根から屋根を伝って、目標地点へと一直線に駆けていく。
(一度目は遅れを取りましたが……二度はない!)
己に言い聞かせるように、胸中で強く宣言する。
――やがて、開けた通りの真ん中に人影を見た。
月光の下で、青い髪の少年が、長大な剣を手に悠然と佇む姿――ミルドレッドは、少年の十数メルトル手前に着地する。
「――ようやく、見つけました」
相手を鋭く睨みつけ、ミルドレッドは言った。
対して――
剣を手に佇んでいた少年は、ミルドレッドの視線を正面から受け止め――何処か挑戦的な、不敵な微笑を浮かべてたのである。
◇◇◇
「――で、
「あー……ある程度は想像がついてますよ」
「……料理食っただけで?」
そろそろ夜に差し掛かる道を歩きながらあっけらかんと言い放つクラフティに、ソルは目を丸くしながら聞き返した。隣を歩くクラフティは、ソルの訝しむ眼差しに対し楊枝を銜えたまま、にししと意地の悪い笑みを浮かべる。
「まったく。この莫迦弟子め。君の眼は節穴ですかー? それともその頭の中には何も詰まっていないんですかー? 観察眼と情報精査は常にするべきですよ、このあんぽんたんめ」
「なんで質問一つでそんなに莫迦にされなきゃらないんだ……」
「ソルが未熟者だからですね」
にべもなくそう切り捨てて、クラフティは項垂れるソルの頭を軽く叩いて――クラフティは外套の下に隠れている鞄から、一枚の布を取り出してソルへと投げつける。
ソルはそれを無造作に受け取って両手で開いた。それはこの街、フロンティア特有の刺繍模様が描かれたハンカチだった。
「……フロンティアの土産物ですか?」
率直な感想を口にすると、クラフティの手が凄まじい速さで閃いた。その手から高速で投擲されるのは、クラフティ愛用の【ファーレスの魔剣】〈踊り踊らされるもの〉。
ソルはとっさに身を反らし、顔面を強打することろだったヨーヨーをどうにか躱した。
「いきなり何するんだ、莫迦師匠!?」
「間抜けな弟子への体罰ですよ、体罰。注意するべきは、その刺繍模様ですよ。その曇った両目でしかと見ろや」
「口悪すぎだろ……ったく。たかが刺繡模様がなんだって……――って、これ……」
鋭い眼光でこちらを見上げる師の言葉に、ソルは渋々ながらハンカチを凝視して――そして、あることに気付く。
よく目を凝らし――霊視する。するとハンカチに施されている刺繍が、僅かにだが霊子反応の光を発しているのが見えた。
――霊子反応とは、魔法が発動する際に生じる魔法の発動現象のことであり、これが生じる際、魔法の源である
その反応が、ただのハンカチから生じている。本来ならば考えられないことだが、確かにソルの目には、ハンカチに施された刺繍から霊子反応の光が垣間見れた。
そのことに驚くソルに対し、クラフティは得意げに笑った。
「ようやく気付いたか。そう……それはただの刺繡模様じゃありません。れっきとした
「たかがハンカチになんでそんなものが……」
「別に意図して施しているわけではないと思いますよ」
ハンカチ如きに高度な魔法防御の術式が組み込まれていることに違和感を覚えるソルに対し、クラフティはこともなげに言う。
「この刺繍は、このフロンティアが出来上がる以前――本当に開拓地であった頃に生まれたものです。刺繍の施し方が独特で、この街の古参の住民たちにのみ手法が伝わっている、いわば伝統工芸ですね――問題は、この刺繍技術と使われている道具。恐らくそれが――」
「……【ファーレスの魔剣】?」
「おそらく」
クラフティが頷いた。
だが、ソルとしては如何せん釈然としないものがある。いや、それはソルにしてみれば今に始まったことではないのだが――と、そこまで考えた時である。
ちりっ……と、首筋に熱が走ったような感覚。
ソルはクラフティを見た。どうやら師も同じだったらしく、その表情が僅かに剣呑なものになっていた。
「――しくじりました。『索敵』……思った以上に有能だった見たいですね、あのお嬢さん」
そう言って、クラフティは回れ右をして彼方を見た。ソルもそれに習って振り返る。
見られている――否、補足されたのだ。『隠蔽』の魔法は未だ健在だったが、どうやら破られたらしい。
気配が迫ってくる。それも凄まじい速度で。
恐らくは魔法による身体強化。霊子を全身にめぐらせることで、常人を遥かに上回る身体能力を体現できる魔法技術だ。ある程度の訓練が必要とされるその技術を易々と扱っていることを考えれば――かなりの手練だ。
「――ソル、任せていいですか?」
クラフティが、含みのある笑みを浮かべながらそう訊ねてきた。ソルは溜め息交じりに肩を竦め、微苦笑を浮かべながら応じる。
「嫌って言っても、どうせ押し付けるでしょう?」
「勿論ですね」
「なら、任されますよ。
「良い返事です。では――」
ソルの返事を聞くと、クラフティは踵を返して歩き去る。まるでその辺を散歩してくるような、気軽な足取りで。
その背を見送ることもせず、ソルは近づいてくる気配を意識しながら剣を引き抜いた。
剣を手に無行に構え――
呼吸十回分の時間を経て、相手はやって来た。
左右で二つにくくった銀髪を揺らし、『連なる法の剣騎士団』の外套を翻して。
少女が一人、鋭い眼光をこちらに向けながら着地する。
「――ようやく、見つけました」
鋭い視線と共に発せられたその科白に、ソルは身震いした。
理由は判らない。
いや、違うか。
なんとなく、その意味が判った。
これは――どうしようもない高揚だ。
(――強い。これまで出会った人たちの中でも、かなり……っ!)
直感でそう感じ取った。
勿論、師であるクラフティほどではない。
だけど、ただ対峙しただけで感じるものがあるのだ――果たして自分は、全力を出してもこの相手に勝てるだろうか? という直感と興味。
――自然、口の端が吊り上がる。
それは剣士としての純粋な興味だった。
それは戦士としての純然な興奮だった。
自然と、剣を握る手に力が入る。足を肩幅に開いた。殆ど無意識の行動――だが、相手はそれを敵対の意思と感じ取ったらしい。
鋭かった眼光が一層鋭さを増して、かわいらしい顔が険しさを露わにして。
「――あくまで抵抗する、ということですね……ならばいいでしょう。実力行使とさせていただきます。多少の怪我は覚悟してくださいね?」
「もう勝ったつもりかい? 侮られたものだね。そっちこそ、怪我して泣いても知らないよ」
「泣きませんよ!」
ソルの軽口に、少女は寸前までの険しかった顔を真っ赤にしながら吠えた。だが、直ぐに自分の失態を悟ったのか、取り繕うように咳払いをして身構える。
その様子に、ソルはさっきとは別の意味で口の端を持ち上げた。それを嘲りと感じ取ったのか、少女は柳眉を吊り上げ――片手を翳した。五指の先端に迸る霊子反応。魔力が集中しているのが判った。
――あれはマズいな……
直感がそう告げる。
気を引き締める。
意識を研ぎ澄ます。
「――参ります!」
少女が意気軒昂として宣言し、その手の先の魔力が弾けるのを見る。
同時に剣を掲げ、ソルは少女目掛けて地を蹴った。
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