第31話
甕をスターリッヒ殿の家までエッチラホッチラ運びおえた所で、メイ殿がもう家へと戻って来ていた。どうやら先程の騒ぎで人が集まっていたようで、その中にいた男衆にゼッパランドの救助をとっとと任せてしまったらしい。
「さて、メイも来たことだし今後の事でも話そうかねぇ」
最初に集まった部屋ではなく食堂の様な部屋へと趣き、椅子に腰掛けながら出された飲み物を啜った。
この辺り独特のパッサという飲み物で、珈琲に近いが何処と無く大豆の風味漂うものだ。何でも天日干しした柄付きの豆をそのまま焙煎して煎れるらしい。熱めのお湯で煎れるのがコツだそうで、今みたいに疲れた身体にはまさしく五臓六腑に染み渡る。
ハァッと一息湯気を吐くと、出された豆菓子をひとつまみ食べた。うん、豆とはどうしてこう癖になるのか。
「ノリユキ、スターリッヒ様の話を聞こうよ」
ジトっとした目で俺を見るポノラだが、口の周りがモゴモゴ動いてやがる。しっかりと豆を食べてるじゃあないか。
まあ、確かにポノラの言う通りだと、パッサの入った器を机に置いた。
「今後も何も、ゼッパランドが目覚める前にここを発つしかあるまい」
こっちの世界に来て、一度の戦いで二度も殺されかけるなんて初めてだ。次は負けても不思議ではない。ポノラは本調子ならと言ってくれたが、果たしてどうか。
「まあそれが妥当だろうねぇ。あの様子なら二、三日は目覚めないだろうけど、明け方にでも出発した方が良いだろう。それまでにしっかりと体を休め、支度をすると良い」
「夜に出ても良いんだが。俺は夜目が効くし、ポノラには耳があるからな」
「いえ、夜は絶対にやめた方が良いかと。国境を通る街道には昼夜を問わず両国の軍が駐留しており、そこを避けて通るには“あの森”を通る他ないからかと」
あの森という単語が出た途端、皆顔をしかめた。
あの森とはと問えば、スターリッヒ殿は少し口を閉ざし、眉をひそめながらようやく口を開いた。
「我々はそこを
確かサイパン帰りの先輩殿も、マラリアは恐ろしいと仰ってたな。なんでも同僚がそれで死んだそうだ。とにかく虫は怖い。
それにと言ってスターリッヒ殿は話を続ける。
「夜は松明の明かりを目印にとりわけ凶暴な虫が集まってくるそうだねぇ。一説によれば月明かりに反射した獣の目と勘違いするそうだが、研究する人が少ないから真実は分からない。とにかく夜は駄目だねぇ」
成る程、それは駄目だなと納得した時、突然部屋の扉が乱暴に開かれた。そこには肩で息をしている村の若い衆の一人がいた。
「し、失礼します!
双子山から?とするとゴブリン族のいた森から歩いてきたことになるのか。俺が知らないだけで他に村のあったのか。
若い衆に案内されたところへ向かう。
なんだ、リンバ婦人の家の隣ではないか。家の周りには野次馬が群がっていたが、スターリッヒ殿を見るとサッと別れて道を開けた。家の主のマルバガ爺さんが部屋の奥へと案内してくれると、寝床には女子が苦悶の表情を浮かべながら眠っていた。
目の下には隈ができており、頰は
メイ殿が女子の様子を見ていると、マルバガ爺さんがスターリッヒ殿に起きていた時の様子を話し始めた。
「こんな女の子が双子山を越えて来たのだから、よっぽど大変な目にあったのでしょう。村に来た時には着の身着のままといった格好で、靴さえ履いていませんでした。何日もろくに食事を摂っていないと言っていたので温かい
ちらりと俺の方を見るが、俺は何もしてないぞ。
そこへポノラがバッと手を挙げた。
「この人知ってるよ。森の集落で、ゴブリン族に攫われそうになっていた所をノリユキが助けた人の内の一人だよ」
ああ、だから知っていたのか。
しかし俺のせいとはどういう事だ。俺は何もゴブリン族を手助けしたわけではないぞ。そりゃまあ戦いに巻き込まれたくはなかったから逃げはしたが。
流石に言葉にはしなかったが、スターリッヒ殿をチラリと見ると、何か察してくれたのか大きく頷いた。
「……何もしてあげなかったから恨まれてるんだねぇ。この娘にとってはノリユキちゃんは救世主だったのさ。だがまあノリユキちゃんが気に病むことじゃないねぇ」
救えたのに救わなかった事を恨まれたのか。俺は聖人君子ではないし、あの時点でどうすれば良かったんだ。和解の為に動くべきだったか。いや、あの問題はどちらか一方が滅ぶまで付き纏うものだ。余所者がおいそれと手を出して……ああ、最初に助けた時点で肩入れした事になるのか。流れとはいえ迂闊だった。
さて、と話を区切るスターリッヒ殿。
「マルバガよ、引き続きこの娘の看護を頼んだねぇ。ノリユキちゃんはリンバに事情を説明し、明け方までしっかりと休むんだ。出発前に必ずうちへ立ち寄るんだよ。メイ、その娘の様子はどうかねぇ」
呼びかけにメイ殿はすくっと立ち上がった。
「目立った外傷はないかと。軽い栄養失調なのでご飯を食べれば数日で回復するかと」
では解散かねぇと言って、スターリッヒ殿は手を叩いた。何か腑に落ちないものを感じつつ、俺とポノラはリンバ婦人の家へと向かった。
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