お花見(5)

 さっきまで春らしい霞がかった天気だったのに、ふいに日が陰り出す。

 ぽつ、ぽつと落ちる粒はすぐに増え、細かい雨が降り始めた。

 慌てて荷物や敷物を拾い上げ、みな散り散りに雨宿りできる場所へと駆け出した。


 最後まで片付けていたセルシオも木の下へ移動し、アルトからタオルを受け取る。


「大雨だな」


 雨粒は大きくないが、霧のようにけぶっていて少し先も見えない。


「この季節はよく降るね。でも通り雨だからすぐに止むよ」


 向こうの方は晴れてるし、と遠く晴れた空を指差した。


「ああ。でもーーーちょうどよかった」


 今は二人きり。周りに誰かいる気配もない。

 アルトを見つめ、


「ーーーアルト」


 するとアルトがわぁっ、と悲鳴を上げてよろめき、セルシオの胸に倒れ込んだ。


「おかーさん、いっぱい大雨ー」


 驚き見ると、ルカがアルトの腰に激突して抱きついていた。


「ルカ。びっくりした。ーーーって、ええええちょっとキミ、びしょ濡れなんですけどっ?」


 頭からずぶ濡れで、身体のあちこちに花びらをつけている。

 Tシャツまで泥だらけだというのに、ルカは相変わらず無表情だ。


「うん。雨宿りしよって走ってたら、おっきな水たまりがあったの。ばしゃーんって踏んで、顔までかかった」


 飛び込んだのか、とセルシオが苦笑する。

 花びらに埋もれて水たまりが見えなかったらしい。

 さらにその泥を落とそうとして、大雨に濡れていたという。


「うわー、中のシャツまでびしょびしょ。風邪引いちゃうから着替えよう」


 はーい、と手を挙げいい返事をする。


 ルカの髪を拭きながら、


「まったく、キミはおてんばさんだねっ。誰に似たのかな」

「おかーさん」


 即答するので、そーですよっ、と笑ってぐりぐり頭を拭いてやった。


 着替えさせている間に雨は小降りになり、日が射し始めた。


「ーーーはい、おしまい。水たまりに注意して走るんだよっ。もう着替えの服ないからねっ」


 上から下までさっぱり着替えたルカは、はーいとまたいい返事をして早速駆けていこうとする。


「あ、待て、ルカ」


 呼び止め、セルシオが鞄からカメラを取り出した。


「撮ろう、三人で」


 アルトとルカが目を輝かせる。

 はーい、わーいと両手を上げて喜び飛び上がった。




 三人とその背景にチェルリスが入るように、カメラを持った腕を伸ばす。


「おとーさん、入らないー」


 小さなルカまで入るよう、セルシオが懸命に腕を下げる。

 それでも入らず、ソラを抱えたルカがぴょんぴょん飛び跳ねる。


「ルカ、抱えてやるから……うっ!」


 抱きかかえようと身をかがめたところで、ルカの頭がセルシオの顎にクリーンヒットした。

 ゴチンッと痛そうな音とともに、セルシオが首を仰け反らせてよろめく。


「わ……っ! はわわわ、セルシオ大丈夫っ? ぷっ、あははははっ」


 心配とともに吹き出し大笑いする。

 セルシオがジンジン痛む顎を押さえて呻いた。


「おとーさん、ごめんね」


 小さな声で気まずそうにルカが謝る。


「大丈夫だ。お前は痛くないか?」


 だいじょぶ、と答えるので、セルシオがそっと髪を撫でた。


 セルシオがルカを抱え、アルトがカメラを持って今度はまともに撮影する。


 セルシオの肩から下りたところではっと気づいて、


「おとーさんおかーさん、虹ー!」


 雨上がりの空に、橋のように大きな虹がかかっている。

 同じく虹に気づいた家族友人たちも、空を仰いでいる。


 綺麗だなと言うと、ルカが虹に向かって駆け出した。


「ルカ、走るときは下も見て……」


 あっという間に小さくなる後ろ姿に、まあいいか、と肩をすくめて苦笑した。

 そしてくるりと振り返り、


「……で、そこのお前は笑いすぎなんだが」


 アルトは必死で声を殺し、腹を抱えて震えている。

 ぷはっと息を吐き、


「あはははっ、だっておかしくって。大丈夫? 舌噛まなかった? んふふっ、見事に命中したね」


 痛かったねぇ、と赤くなった顎を撫でる。

 セルシオが顔をしかめて後ろに引いた。


「帰ったら湿布貼ろうね。そういえば昔も貼ったね、顔に」


 くぷぷ、とまた笑いをこらえる。


 いつもなら呆れ返るところだが、セルシオは何も言わずにとん、とアルトの肩に頭をもたせかけた。


「セルシオ? やっぱり痛かった?」


 黙って首を振ると、横向きになりアルトを見つめる。

 間近で見る真剣な目に、思わずアルトがドキッとする。


 ふっと目を細めて笑うと、


「ーーーアルト。好きだ」


 昔、ここで告白したときと同じ言葉を告げた。


 目を見開いたアルトがふいっと顔を背けて、セルシオが吹き出し苦笑する。


「何でそらす」

「こ……っ」


 こ? と訊き返すと、アルトが両手で顔を覆って、


「今年は不意打ちだった……!」


 肩を震わせ、赤くなった顔を隠して狼狽える。

 セルシオが声を立てて笑った。


「ーーーたっ」


 た? とアルトが振り返る。

 見ると、セルシオの頭の上に小さな丸っこい物が乗っている。

 それをつまみ、首を傾げた。


「……コレット?」


 街の誕生祭のときに飾る、豆粒大の陶器の置物だった。

 何でこんなところに、と訝しむ。


「上から落ちてきたぞ」


 頭上のチェルリスを見上げるが、特に何も見当たらない。


「鳥が拾ってきて、雨で巣から落ちたのかな? フクロウのコレットだね」


 アルトから受け取り検分する。


 昔、ナナリーに買ってやったコレットがこんな色と形だった気がする。

 セルシオが持ってる写真以外、ナナリーの遺品は両親が引きとったからこれではないだろうけれどーーー。


「形は違うけど、ぼくも持ってるよフクロウ。ちょうど誕生祭のときに住んでた家がフクロウの階だったから」


 セルシオに半ば追い出されるように一人暮らしを始め、やっぱり戻ってきてくれとセルシオが頼むまでのほんの一ヶ月住んだ家だ。


「一人暮らし、ちょこっとだけだったけど面白かったな。家に一人きりって初めてで、あれっ? ってなることもたくさんあったけど、スフィアに色々教えてもらったよ」


 お嬢様ゆえに、分からないことがあるだろうから相談に乗ってやってくれと頼んだことを思い出す。


 そうそう、とアルトがグッと拳を握って自信満々に、


「あの頃セルシオそっけなかったでしょう。それをスフィアに言ったら、『仲良くなるには胃袋を掴むのが一番よ』って」

「私はそんなことまで教えてやってくれと頼んだ覚えはないが」


 だからやたらと晩ご飯を作りに来てたのだろうか。

 『友達として』仲良くなるために。

 そしてセルシオはまんまと掴まれたのだった。


 深いため息をつくので、アルトが不思議そうに目を真ん丸にする。


「でもね」


 つぶやき、セルシオの胸に倒れ込む。


「ずっとセルシオの家に帰りたいなって思ってたよ。自分の家じゃないのにね」


 ふふっと照れ笑いする。

 セルシオが目を見開き固まり、


「ーーーそうか」


 穏やかに笑い返して、そっとアルトを抱き締めた。


 ざあっと風が吹き、空を見上げる。

 雨に洗われ、透き通った青空が遠く広がっている。

 チェルリスの花を揺らして暖かい風が渡る。


 手を広げると、薄紅色の花びらがはらはら舞い降りた。

 それを見て二人で笑い合う。


 この手を流れていく時間の砂。

 これからもたくさん、幸せな思い出に変えていこう。




 日が傾き、人々の影が長く伸びる。

 集まってくれた友人や家族とまたねと言い合って別れ、セルシオたちも駅へ向かう。


「いっぱい遊べたか?」

「うん。お友達できた」


 よかったねー、とアルトが笑う。


「お花見に来てた子かな。同い年くらいの子?」


 ルカはふるふる首を振って、


「おねーさん。一緒にボール遊びとかくれんぼした。おとーさんも遊ぶと思ったけど、おとーさん起きたけど起きなかった」


 アルトと一緒に寝こけてたことを思い出し、ごめんなと謝る。

 頭を撫でられ、ルカがえへーと頰を緩めた。




 ちょうど列車が行ったところのようで、小さな駅には三人以外に人はいなかった。


「わぁ……」


 遥か遠くに見える景色に、アルトが感嘆の声を漏らす。


 ずっと続く草原の向こう、山のような砂時計の街が小さく見えた。

 夕闇に家々の明かりがちらほら灯っている。


「ぼく、この景色好きなんだ。明かりがあると、そこに家があって、人がいて、生活してるんだって思うから。あったかいよね、明かりって」


 あの家は晩ご飯の支度をしてるのだろうか。それともお風呂だろうか。

 今日一日を振り返り、やがて眠りにつく。

 どれだけ時が経っても変わらない、人の営み。


 そうだな、とセルシオが同意する。


「私は家に帰って玄関の明かりがついてるとほっとする」


 それは誰かが家にいる証。

 おかえり、と自分を迎える人のぬくもり。


 アルトが微笑み、そわそわし始める。


「ああ、早く帰りたくなってきた。列車まだかな。ねぇルカ……」


 声をかけて見ると、隣にいたはずのルカがいなくなっていて、きょろっと振り返る。


 ルカはこちらに背を向け森を見つめていた。

 すぅっと大きく息を吸い込むと、


「またねーっ!」


 大声で言って、ぶんぶん手を振る。

 セルシオがぽんと頭に手を乗せる。


「また来年も来ような」


 うんっ、と元気よくうなずいた。


 木々の上にわずかに見える薄紅色をアルトも見つめる。


「帰るぞ、アルト」


 気づけば列車が到着していて、驚き振り返ったアルトが少し潤んだ目を見開いた。


 くすぐったそうに笑って、


「ん、帰ろうっ」




 みんなでわいわい楽しんだ場所。

 思い出話をした今日が、また新しい思い出になる。


 車窓を流れ始めた名残惜しい風景に向かって、そっとアルトが微笑みかけた。




 おかえり。またね。



[薄紅色の花々の中で ー再会ー 終わり]

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