0 part ナナリー

「セルシオっ」


 呼ばれて振り返ると、寝巻きにカーディガンを羽織ったナナリーが駆け寄ってきた。


「傘、病室に忘れてたわよ。雨降ってるってさっき言ってたところなのに」

「ああ、ありがとう。それよりナナ、走ったら身体に障るぞ。それも薄着で」


 院内は暖炉があって暖かいとはいえ、外は雨で雪もちらつく天気だ。


「だーいじょうぶだったら! 病院中走り回ったって平気って言ったでしょ」


 気楽に笑うので、セルシオがむすっとする。

 大丈夫、とさらに重ねて微笑んだ。


「お見舞いありがと。じゃあ、またね」

「うん、また明日」


 手を振りながらセルシオが病院を出て行く。

 出口で振り返ってまた手を振るので、ナナリーが嬉しそうに大きく手を振り返した。


 姿が見えなくなったところで肩を落とし、大きなため息をつく。


 今日も……言えなかった。


 今度は頭を仰け反らせ、もどかしそうにあーと低い悲鳴を上げる。


 セルシオに、いつ言おう。

 この病気はもうーーー治らないんだって。




 厚手のコートを着たセルシオが、今日もナナリーの病室を訪れる。


「ナナ、今日は外で……」


 言いかけてあれ、と立ち尽くす。


 ナナリーのベッドはもぬけの殻だった。




 飲食店が並ぶ蝶の階。

 うっすら雪の積もった道を、うきうきと胸を弾ませ歩く。

 どの店も青と銀のモールやガーランド、点滅する魔法石で賑やかに飾りつけされ、眺めてるだけでもわくわくする。


 街全体がお祝いムードに包まれる今日は、この街の誕生祭だ。

 広場から流れてくる軽快な音楽に誘われ、行き交う人たちは皆笑顔で浮き足立っている。


 外周道路沿いにずらりと並んだ、食べ物や飾りのオーナメントを売る出店。その一軒をひやかしで覗く。

 街のミニチュアを閉じ込めたスノードームを何気なく手に取った。


 この街はーーー。


 最初は農牧を中心とした、これといって特徴のない普通の村だった。

 それが国境が近いということで交易が始まり、人が増え始めた。


 しかし環境を守るためか、それとも地盤や権利の問題かよく知らないが、村の周りに新たな建物を作ることができず、苦肉の策で家の上に家を作った。


 それが街のはじまりなのだと、出店のおじさんが自慢気に語ってくれた。


 空を見上げ、白い息を吐く。

 砂つぶのような機械に夕日の残滓がキラリキラリと反射している。


 上空の機械、最上階の水盤、街中の配管を流れる魔力を帯びた水、擬磁石メッキされた階層、そして磁場形成室。

 積み木のように重ねた家々はいつしかうず高く積み上がり、今やこの仕組みがなければ街を支えることができない。


 けれど今後、この仕組みは変わっていく。

 そのためにここに国立魔法研究所は造られ、磁場形成室を抱えているのだろうから。


 自分もその研究に関わりたかったけれど、


「間に合わなかったなぁ……」


 つぶやきに悔しさを滲ませる。


 気分転換のために街へ出たのに、やっぱり一番気がかりなことは頭から離れない。


 セルシオに……いつ話そうかな。




 ふと道の先に目をやると、向かいから見慣れた顔が歩いてくる。

 いや、珍しく怒った顔をしている。

 バレた、とナナリーが顔を引きつらせた。

 ずんずん向かってくる相手に、取り繕った笑顔で手を振る。


「セっ、セルシオーっ。こんなところで奇遇……」


 すると向かい合う間もなくいきなり抱き寄せられ、ナナリーが驚き固まる。

 セルシオははーっと白いため息を吐くと、


「……黙って一人で出て行くな」


 人前で手をつなぐのも恥ずかしがる彼が、こんな往来で抱き締めてくるなんて思いもよらず、ナナリーがドキドキする。

 そうさせるほど、心配させてしまったのだろう。


 眉を寄せるセルシオを横目で見て、


「えっと……ごめんね?」


 うん、とうなずく。

 そして離れると、巻いていたマフラーをぐるぐるっとナナリーに巻きつけた。


「寒い中出歩いて。風邪引いたら治りが遅くなるぞ」


 ナナリーが目をパチパチさせ、それからふふっと嬉しそうに笑った。


「ありがと。あったかい」




 あった、とナナリーが指差した出店を覗くと、陶器でできたミニチュアの置き物が売られている。


「コレットが欲しかったの」


 整然と並べられた豆粒大のコレットに、ナナリーが目を輝かせる。


「言ったら買っていったのに」

「お店によっていろんな形があるでしょ。手作りだから一つひとつ表情も違うし。自分で選んで気に入ったのが欲しくて」


 コレットをつまみ上げ、早速吟味し始める。

 するとセルシオが口をへの字に曲げてふてくされた。

 子どもが拗ねたみたいな顔に、ぷっとナナリーが吹き出す。


「ごめんね、置いていって。だってセルシオ来るまで待てなかったんだもん」

「僕はナナが一人で外を出歩いたことに怒ってるだけだ」


 ごめんごめん、と気楽に手を振るので、セルシオが顔をそむけた。

 ナナリーが肩をすくめ、鼻からため息を吐く。

 まったく、年下の彼はこういうとき子どもっぽくなる。


「ほらっ、セルシオの家は鹿の階だからこれね。星がついてて可愛い」


 ミニチュアは各階の名前にある動物の形になっていて、住民は自分が住む階のコレットを飾る。

 一つだけ願い事を叶えてくれるといわれているが、元は家を守るお守りとして作られたそうだ。


「私はウィンクするフクロウ。うーん、色が地味ね。もっとカラフルな……あっ、私、双子ウサギも欲しい」

「えっ、あるのか? 最上階には家がないのに」

「全部の階のコレットを集める人もいるから、ウサギもちゃんとあるのよ」


 手の平に二匹のウサギを乗せてウィンクする。

 それは知らなかった、とセルシオが苦笑した。


「じゃあフクロウと鹿とウサギも。でも、いくつ買っても願い事は一つだけだろう」

「そうなのよね。うーん一つ、一つだけかぁー」


 顎に手を当て真剣に悩む。

 あまりに熟考するので、セルシオが吹き出した。


「欲張りだな、相変わらず」


 春祭りの幸せの腕輪も、じゃらじゃら腕につけてたなと笑う。

 すると今度はナナリーが子どものように頬を膨らませて、


「だって叶えて欲しいこといっぱいあるもん! 美味しいもの食べたいし、見たこともない場所にも行ってみたいしっ」


 セルシオがほんの少し目を見開く。

 すぐに穏やかに細めて、


「叶えたいこと全部しよう。病気が治ったら」


 ナナリーは一瞬間を置き、ふっと微笑んだ。


「ーーーそうね」




 購入したコレットを受け取り、病院まで並んで歩く。


「そういうセルシオの願い事は?」

「僕は決まってる」


 ナナリーがわくわくして「何なに?」とせき立てる。

 セルシオは笑みを浮かべると、


「ナナの病気が早く良くなりますように」


 その優しさが素直に嬉しくて、ナナリーが口元をほころばせる。

 しかし即座にいたずらっぽい顔になって、


「でもそれ、言っちゃったら効果なくなるんじゃなかったっけ?」

「えっ、そうなのか?」


 慌て出すので、ナナリーが声を立てて大笑いした。


 ーーーこんなにも彼は、私の病気が治ると信じてくれている。


 ふと空を仰ぐと、日の落ちた暗い雲から冷たい雪がちらちら舞い降りてきた。


「綺麗。……よかった、セルシオとまた雪が見られて」


 セルシオが首を傾げる。

 ナナリーは薄く笑うと、セルシオと腕を絡めた。


「セルシオ、私ーーーチェルリスが見たいな」

「……無理だろう、まだ」


 チェルリスが咲くのは暖かい春だ。

 満開の薄紅色の花々を脳裏に浮かべ、「だよね」と寂しそうにつぶやいた。


 黙りこくっていると、


「ナナ、さっき何でーーー願わなかった? 病気のこと」


 どくん、とナナリーの胸が跳ねる。

 言ったら叶わなくなるからなんてごまかしも、口が渇いて出てこない。


 急激に顔色の変わったナナリーを、セルシオが真剣な表情で見つめる。


 このときが永遠に続けばと思っていたけれど。


「……ごめんね、セルシオ」


 やっぱり、わがままはだめだね。




 大きな音を立て、病室の扉が開く。

 飛び出してきたセルシオに、すれ違った看護師がきゃっと悲鳴を上げた。


 ナナリーはベッドに腰かけ、ただじっと床の一点を見つめていた。


 ふと目を上げると、


「あ、傘。また忘れてーーー」


 手に取りかけて、ピタリと止める。


 彼を追いかけることはできない。

 これから先、隣に並んで歩くことも。




 セルシオに買ってもらったフクロウのコレットをつまんで掲げる。


 願い事。本当は、一つだけ。


 この病気を、セルシオが受け入れてくれても、くれなくても。


「ーーー忘れないで、セルシオ」


 笑って何度も手を振り返してくれた姿を思い出す。


 また明日。

 当たり前に交わしてた言葉が、今は心から愛おしい。


 こつん、と額にコレットを当てる。

 胸が詰まって、また涙があふれた。


 病室の前に佇んでいたセルシオは、扉を開けることなく静かに立ち去った。




 明日もあなたを待ちわびて。

 明日もあなたに会えることを願って。


 少しだけ早く、眠りにつくよ。


 隣合っていた道は離れてしまうけれど、その先できっとまた会えるから。

 そのときは、笑いながらめいっぱい思い出話をしよう。


 ずっとずっと、楽しみに待ってるよ。




 だから


 さよなら


 じゃなくて、


 またね。

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