お花見(4)

 ふっと気づいて薄目を開けると、目の前に誰かの顔がある。


「起きたか」


 セルシオが微笑む。

 耳が温かいなと思ったら、腕枕をしてくれていた。


 頭を持ち上げたまま、眠そうな顔でぼんやりする。


「……セルシオ?」


 ああ、と照れ笑いするセルシオに何だか嬉しさがこみ上げてきて、思わずへにゃっと緩んだ笑みを浮かべた。


「何だ?」

「んーん」


 含み笑いをして、セルシオの腕に頭を乗せ直す。


 今日は父が仕事の付き合いがあって行けないからと、母も来なかったけれど。


 ーーー自由だと思える場所は人によって違うのよ。

 あなたが居心地の良い場所に出会えたのならーーー。


 また目を閉じ、にっと口角を上げる。


 ーーー幸せだなって、思ったんだよ。




 アルトが胸にすり寄ってきて、セルシオが慌てふためく。


「わっ、待て待てアルト。外だ」


 後ろで寝ていたレナードソンは蹴り出したが、家族と友人たちが近くにいる。


 アルトがうなずき、寝言のようにぽそぽそと、


「……夢見てた。セルシオと出会う前の」


 セルシオが周りを気にして狼狽しながら「そうか」と答える。

 声音ははっきりしてるので、寝ぼけてるのではないようだ。


「うん。ぼくね、キミと友達になりたかったんだよ、最初は」


 ーーーキミに会えて嬉しいよ。キミと仲良くなりたいなっ。


 思い出してにゅふふん、と頬を緩ませる。


「それがねぇ、いつの間にこうなっちゃったんだろうね? ぼくは友達と一緒に暮らしてる気持ちだったのにさっ」


 胸元でにこにこする妻に、セルシオが顔をこわばらせる。


「……お前をいつ好きになったかって話ならしないぞ」


 蒸し返そうとしてるだろう、と嫌そうに顔をしかめる。

 えー? とアルトがくすくす笑った。




 セルシオとアルトがいちゃつく様子を、アルトの兄と兄嫁が離れたところから見守る。


「アルトローザちゃん、幸せそう。仲良しさんですねー」


 義姉がおっとり微笑む。

 兄はいつも通りのしかめ面で、ふんと鼻を鳴らした。


「よかったということだろ、結果的には。一般人と見合いし一緒に暮らしてると聞いたときは、親父もついに耄碌したかと期待したが……」


 前髪を撫でるな、と鬱陶しそうに義姉の手を払う。


 少し休もうと横になったところ、義姉が首をもぐ勢いで自分の膝に乗せようとするので、観念して膝枕されているのだった。

 恥ずかしいなどという感情はとおになる前に捨てたので、恥はかいてない。


「ユアン様は本当に、アルトローザちゃんのことがお好きですねぇ」


 兄が黙り込み、じっと義姉を見上げる。

 義姉が不思議そうに首を傾げた。


「あら? 嫉妬なんてしてませんよー? 私もアルトローザちゃんはだぁい好きーーー」

「ーーーお前は」


 言いかけて口を閉じる。

 察した義姉がふふっと笑った。


「私は幸せですよ。ユアン様のおそばにいられて」


 何も言ってない、と眉間に皺を寄せて意地を張る。


 大きなため息をついて、


「……そうだな。お前は金持ちの世界で他人に流されたり孤立するタイプじゃない」


 義姉がすっと目を細め、意味ありげに微笑んだ。


 すぐに泣く感動屋で、のんびりした雰囲気で周りを和ませ、ときに脱力すらさせる女性。

 それが彼女のの姿。


 先ほどまでとはがらりと声色を変え、


「ーーーええ。でもまさかそれをお見合いの席で見破られて、その上で伴侶に選ばれるなんて思いもしませんでしたけれど」

「目を見れば分かる。カルティア家というだけで他の女は目をギラつかせていたが、お前は拍子抜けするくらいぼんやりしてた」


 そうですねー、とまたふわふわした口調に戻す。


 兄がくっと苦笑して、


「でも時々、別人と見まがうほど鋭い目をする。相手の本質を見抜くような、突き刺すようなまっすぐな目を」

「能ある鷹は爪を隠すと申しますし」

「隠しとけ。あんな目で射抜かれたら、普通の男はすくんで逃げ出す」


 くすくす二人で笑い合う。


 ふと義姉がチェルリスを見上げ、遠い目をする。


「ーーー私たちのいる世界で生きていくには、あざとさも必要です。例えば人を褒めること一つ取っても、自分に利があるから、でなければ悪意を内包している。介在する思惑を見極め、足元を掬われないよう立ち回らなければならない」


 義姉がのんびりして見せているのも、彼女なりの身を守る術だ。

 子どもの頃から教え込まれ、身につけた盾と鎧。


「気心の知れた相手など、ほぼ皆無。そのような冷たく殺伐とした空気は、人一倍思いやりのあるアルトローザちゃんには合わないと、どこかで感じていたのでしょうね」


 再び兄を見下ろし、くすっと笑う。


「お義父様も、ユアン様も」

「あれはあれで持ってるぞ。盾も武器も」

「ええ。人の心にすっと入り込む力は、アルトローザちゃんの最大の武器であり盾です。そうやって人々を味方につけーーー従えたなら、新たな派閥を作ることだってできましたのに」


 氷のような冷ややかな声に、さすがの兄もぞくりと背筋を震わせる。


 義姉が肩をすくめ、


「もちろん、わざとであれば、ですけれど」


 にこっと、表向きの仮面で黒い気を隠して笑う。


 兄がぽかんとその顔を見上げた。


 こいつはーーー。


「……あざとかろうが、わざとだろうが」


 長い髪をつかんでぐいっと引き寄せられ、義姉がきゃっと悲鳴を上げた。


「それでも俺は、お前を離す気はないからな」


 ーーーまったく、俺を飽きさせない女だ。


 まっすぐ目を覗き込まれ、義姉が目を見開く。

 しかめ面の口元は、今にも緩みそうにピクピクしている。

 思わず義姉が顔をくしゃっとさせて笑った。


「どうなさったんです? そんなことおっしゃるなんてお珍しい」


 嬉しそうに頰を赤らめる。

 兄は頭を乗せ直し、さあなとしらばっくれた。


「あいつらのせいかーーー。そうじゃなきゃ、毒気を抜くようなこの空気のせいじゃないか」


 ありがとうございます、とおっとり笑って、兄が鼻を鳴らした。


 ゆっくりと、二人の周りを優しい風が吹き抜ける。


 義姉は空を見上げ、目をとろんとさせた。


「本当、心地いい空気ですねぇー」




 穏やかな春の風が、どこからか雨雲を連れてくる。


 一つ落ちた雨粒が、ぽつんと花に当たって涙のような雫になった。

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