おまけのおまけ。

0 part セルシオ

 玄関の扉を開け、足音が二つと驚嘆の声が入ってくる。


「えっ、すげぇ広くねぇ? 部屋いくつあるんだよ」


 いち、にいとその場で扉を数え始めるので、後ろのセルシオが嫌そうな顔をする。


「レナードソン、入るなら早く入れ」

「へーへー。ってあれ? 靴脱ぐんだっけ?」


 何でだ、と呆れ返った。


 レナードソンが子どものように目を輝かせ、「たっだいまー」と言いながら左手の部屋に入っていく。

 セルシオが盛大にため息をついた。


 まるで自分が住むかのようなはしゃぎっぷりだ。

 この家に引っ越すのはセルシオなのに。




「うわー、本当に広い」


 入って左手はダイニングだった。

 一人暮らしには大き過ぎるキッチンがついている。


「まだ何もないからな。物を置けばそれなりに」

「暖炉もでっか。保冷庫ここ置いてー。ダイニングセットここでー」


 何の権限でかレイアウトを決め始めるので、もう呆れ果てて何も言えない。


 窓側を指差して、


「なっ、この辺にソファ置こうぜ。俺背ぇ高いからでかいやつなっ」

「……うちで呑んで、そのままソファで寝るつもりか」


 もちろん、と歯を見せて笑うので、セルシオは肩を落としてため息をついた。


 そしてダイニングを出て、勝手に扉を開け始める。


「こっちは部屋。ここで十分一人住めるじゃん。ここは洗面と風呂ー。洗い場広いなー」


 一番奥の扉を開け、


「うわ、主寝室ってやつ? 広っ」


 セルシオも遅れて部屋に入る。


「……そうだな」


 左の壁に作りつけの棚があるだけで、がらんと広い。

 右手の窓からは、昼下りの光が入ってきている。

 今の家は、窓はあるが建物に囲まれてあまり日が入らないので、かなり明るく感じられた。


「ベッドはこっちの壁際だな。セルシオ、大きいのにしてね?」


 くねっとしなを作ってウィンクするので、何でだ、と心底げんなりする。


「あっ、言っとくけど添い寝までだから」

「そろそろ叩き出すぞ」


 冗談だって、とヘラヘラ手を振るので、思い切りため息をついた。


 それにしても、


「……やっぱり広すぎたか」


 空き家の少ないこの街で、たまたま知り合いが引っ越すというので飛びついてしまったが、これは家族で住む広さだ。

 実際その知り合いも四人家族で、子ども二人が大きくなってきたので、部屋がもう一つある家に引っ越すのだと話していた。


「いーじゃん。結婚してもそのまま住めるぞ、これ」


 するとセルシオがうつむく。

 無表情に影をまとわせて、


「……しないさ」


 セルシオがここに引っ越すのは、室長に昇進したという金銭的な理由もあるが、今の家には思い出したくない思い出があるからだ。


 ナナリーを喪い、荒れてしまったこと。


 それでも二年間暮らしたが、時間が経ち落ち着いてきたのか、このところよく思い出しては自己嫌悪してしまう。それに辟易していた。


 しまった、とレナードソンが目を泳がせる。

 気まずそうな顔をした後、腕を振って唐突にセルシオの背を二回、力いっぱい叩いた。

 セルシオがつんのめってむせ、ぎろっとレナードソンを睨みつける。

 へらっと笑っているので、彼なりに励ましたつもりらしい。


「おっ、こっちベランダ?」


 向かいの扉を見つけて出て行くので、肩を落として何度目かのため息をついた。


「セルシオセルシオっ。来いよ、すげーぞっ」


 興奮した声に、しぶしぶベランダに向かう。

 出てみると、高層階ならではの強い風が吹きつける。

 反射的につむった目を開けると、その風景に心打たれた。


 砂時計のようだと言われる街の斜面が眼下に広がっている。

 積み重なった家々や、街をぐるりと取り巻く外周道路がよく見える。

 きっと夜は家や街灯の明かりがきらめき、また綺麗だろう。

 その先に目線を移すと、広い草原と青空がどこまでも続いていた。


「……すごいな」


 素直にそうつぶやく。


 隣のレナードソンが歯を見せて笑って、


「いー家じゃん」


 そうだな、と答えるセルシオは、いつもの無表情より少しだけ穏やかに見えて、レナードソンが胸を撫で下ろした。

 ナナリーを喪ってから笑わなくなってしまったが、時が経つにつれほんの少しずつ変化している気がする。


 二人はベランダの柵に寄りかかり、しばらく何も言わずに景色を眺めた。


 レナードソンがぽそっと、


「……家が変われば、何か変わるって」

「……そうだろうか」

「変ーわーるって! 何か分からないけど、何か変わるって!」


 根拠のないことを、自信を持って言い切る。

 しかしセルシオは、否定も呆れもしなかった。


 それから再び沈黙が下りる。


 またぼそっと、


「……気づいたら奥さんがいて、『ただいま』とか言ってんだぜ」


 しつこい、と諌める声は、さっきより棘がなかった。


「じゃあさ、何か飼おうぜ。お前犬派? 猫派?」


 楽しそうに提案するレナードソンに、セルシオは「知らん」と素っ気なく答えた。



[0 part セルシオ 終わり]

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