0 part アルト(1)
ドレッサーの前に座り、ブラシでぐいぐい髪を引っ張るように梳かれる。
淡いピンク色のドレスときらびやかなアクセサリーで着飾ったアルトローザは、口をへの字に曲げて黙り込んでいた。
「お嬢様、今からとは申しませんが、お見合いのお席では笑顔で」
ひっつめ頭のグレイスが注意する。
「……分かってるよ」
「そのお言葉使いも、おやめくださいますよう」
むぅ、と頬を膨らませ、口を尖らせる。
「……分かりました」
お見合いは嫌いだ。
避けられないと頭で分かっていても、身体が拒否してしまう。
そうして二回目のお見合いは途中で逃げ出した。
そちらは体調不良だと取り繕ったが、今回は絶対に逃げないようにと従者のグレイスをはじめ、部屋の外でも使用人たちが見張っている。
お見合いは嫌いだ。
だって、と向かい合った見合い相手の目を見る。
相手は大層機嫌よくアルトローザに話しかけている。
アルトローザがそっと目を細めた。
その目は、自分を通して後ろにあるものを見てるから。
『好き』のない結婚。
それが、この世界の定石。
「ーーー何が気に入らない?」
コツ、と
「気に入らないなど申してません」
アルトローザが自分の駒を手前に戻す。
すると相手はその駒を追うように、目の前のマスに手駒を置いた。
「逃げてるだろう、明らかに」
うぐぐ、とアルトローザは呻き、
「逃げて、ませんっ」
これで詰め、としゃにむに駒を置く。
しかし相手は涼しい顔でその駒を取り、自分の駒を置いた。
「終わりだ。俺の勝ち」
「ああっ」
兄のユアンがしかめ面のままソファにふんぞり返る。
嬉しそうでないのは、勝って当然の
対照的に、アルトローザはがっくり落ち込んでいる。
「何が嫌だ? 見合いを始める前は素直に従っていただろう」
アルトローザがぐっと詰まる。
確かに十六歳になれば当然見合いをするものだと思っていた。
なのに、いざ相手と向き合ったら逃げ出してしまうなんて、自分でも想定外だった。
ーーー怖い、と思った。
アルトローザではないものを見つめる目。
お見合い写真からも伝わってくる熱視線。
それと。
ぼそぼそ小さな声でつぶやくので、兄が何だ? と訊き返す。
「ーーーじ、自由がないことが……嫌、なのです……」
兄が片眉を吊り上げ、うつむくアルトローザを見つめる。
「……お前の言う、『自由』とは何だ?」
ズキン、とアルトローザの胸が痛む。
見合い相手はどこもカルティア家に引けを取らない家柄で、金には一生不自由しない。
働く必要もなく、家事もしなくていい。趣味や勉強など、好きに時間を使える。
懸命に働いている人からすると羨ましく、また恨めしくなるような生活を送ることができるというのに。
「今よりは自由だろう、少なくとも」
うぐ、とアルトローザが頭を垂れる。
三回目の見合いで相手を骨折させ、父の顔に泥を塗ったアルトローザは、淑女のふるまいや教育を受け直させるとして屋敷に幽閉されていた。
勉強も、友人と会うのも全て屋敷の中で、確かに行動の自由はない。
アルトローザが暗い表情で目線をさまよわせる。
「……お父様が望むものと、私が思う自由が違うのです。上手く……言葉にできないのですが」
そんな生活は望んでないと主張しても、では具体的にどうありたいのか訊かれると困ってしまう。
暮らし方もだが、その他にも何かが違うのだ。
兄がふんと鼻を鳴らし、「要領を得んな」と一蹴する。
分かってる。自分の中ではっきりしないことが、他人に伝わるはずがない。
しょぼくれるアルトローザに、兄は紅茶をすすりながら、
「お前が思い描く自由がどんなものか知らんが、お前らしくいられる場所が一番だろう。まずそれを探したらどうだ」
アルトローザが黙りこくる。
自分らしくというのなら、まずは相手と気負わない会話をしたいけれどーーー。
「少年みたいな喋り方は、なかなか受け入れられないだろ」
思わずテーブルをバンッと叩く。駒が飛んで転がった。
「兄様っ、知って……?」
心を読まれたことより、言葉使いを知られてることがショックだった。
家族にはきちんと敬語で話して隠しているつもりだったのに。
見てれば分かる、とあっさり言われ、アルトローザがかあぁと赤くなった。
「嫁いだらおてんばは控えろよ。走り回ったり、木や屋根に登ったりするな」
「いたしませんっ。木はともかく、屋根になど高くて登れません」
強く言い張るアルトローザに、兄は「そういう問題か」としかめ面のまま笑った。
ノックの音に答えると、グレイスが入ってくる。
歩み寄り、見合い写真を差し出すので目を見開く。
来てしまった、次の縁談。
前回の見合いから一年、いっそこのまま独りでいさせてくれないかななどとのんきなことを考えていたが、あの父がそうさせるはずがなかった。
「次回のお見合い相手のお写真です。アスタームス様が、こちらは必ず受けるように、と」
そして写真を投影する。
アルトローザがぷいっと顔を背けた。
「お見合い映像なら見たくない」
「結構です。映像はございませんので」
へ、とアルトローザが間抜けな声を上げて振り返る。
ぐいっと写真を押しつけられ、しぶしぶ受け取った。
「国立魔法研究所の室長をしてらっしゃいます、セルシオ・レイトス様です。年齢は二十三歳」
そこで言葉を切るので、アルトローザが首を傾げた。
「……あとは?」
「以上です」
「えっ? だって身長体重趣味特技、思想や将来の展望はっ?」
定番のプロフィールを早口で並べ立てるアルトローザに、グレイスはございません、と短く答えた。
拍子抜けしたアルトローザが見合い写真に目を落とす。
すごく真面目な顔をしている。
けれど、今まで見た見合い写真の中では一番覇気がないというか、見合いへの意気込みが感じられない。
その様子を見て興味を持ったと捉えたグレイスが、受けられますね? と尋ねる。
アルトローザははっと気づいて顔を上げ、
「やっ、ちょっ、ちょっと待ってっ。考えるっ」
赤い顔でぶんぶん手を振ると、では、と頭を下げてあっさり下がっていった。
ベッド脇の明かりの下、うつ伏せで脚を揺らしながら写真を眺める。
五歳上の人かあ。何でお見合いするのかな? 研究所の偉い人の息子とか? だって室長ってまあまあ偉いんだよね。
真面目そう。ちょっと怖い顔? 魔法の研究って何だろ。
何にも書いてないから何も分からないや。
ぼくがカルティア家の娘って分かったら、やっぱりぼくじゃなくて家を見ちゃうかな。
グレイスは一般的な家柄だって言ってたけど……。
本に手を伸ばし、ぱら、とめくる。
見合い相手が住む街について書庫で調べてみたが、都市から遠く離れた街だからか情報はほんの少ししか載ってなかった。
街の全景を描いた絵と、わずか数行の説明。
それによると、街中は縦横無尽に走る路地と不規則な階段で、まるで迷宮。
国境が近いため、隣国からの観光客が多いという。
家々が積み重なり、遠くから見た姿はまるでーーー。
「砂時計のようなーーー街」
観光地なら、辺境の地にありがちな他者を受け入れない閉鎖的な街ではなさそうだ。
ほんの少ししか分からない見合い相手の、ほんの少ししか分からない街。
だからこそ色々な想像を巡らせるアルトローザの口角は、自然と上がっていった。
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