秘密の店(2)
中に入って、セルシオは言葉を失くした。
そこは植物と光が溢れる庭だった。
花壇がないので自然に生えているようにも見えるが、裏側の生えっぱなしの草よりも手入れされているようだ。
白や黄色、紫色の花、木には黄色やオレンジ色の丸い実がなっている。
庭の向こうには、白壁の建物があった。
その扉が閉まった音がして、セルシオがはっと我に返る。
先に入ったのか、と歩み寄り、扉を開けた。
建物の中は、なぜか真っ暗だった。
訝しんで出ようとすると、背中を押される。
「セルシオ、早く入って入って」
楽しそうな声が後ろでして、先に入ったんじゃなかったのか、と呆れる。
促されるまま、暗い建物の中に入った。
扉を閉めるとさらに暗く、自分の手すら見えない。
「何だここ……店か?」
他人の家のような気もするので、内心怖気づく。
暗さにだんだん目が慣れてくると、正面に扉があることに気づいた。
「セルシオ、開けてみよっ」
うきうきする声に押され、扉を開く。
するとその先にはまた扉があった。
「何だ、ここ……」
家にしてもおかしい造りをしている。
扉だけで、部屋らしい空間がない。
新手の見世物だろうか。
突っ立っていても仕方がないので、とりあえず扉を開ける。
まさかと思ったが次もまた扉で、開けては現われる扉を手当たり次第に開けていく。
「いつまで続くんだ……」
「いっぱい開けたね。でも思ってるより進んでないかも?」
言われて振り返ると、すぐそこに最初に開けた扉が見える。
そうだな、と答え、ちらっと後ろの女性に目を向けた。
しかし暗くて姿がよく見えない。
まあいいか、とまたノブに手をかけ扉を開けた。
それからも扉、開けては扉が続く。
開けた扉の数を思い出せなくなった頃、ふいにセルシオが手を止めた。
「どうかした?」
「やっぱり変だ……。戻るぞ」
惰性と女性の声に押されて諦めるのが随分遅くなったが、これ以上開けても無意味な気がする。
セルシオが振り返ると、女性が両腕を広げて立ち塞がった。
「引き返せないよ? 進めるのは前にだけでしょ」
分かってるくせに、と言わんばかりの口ぶりだ。
セルシオが訝しんでいると、女性はにこっと笑ったようだった。
そばにいるのがアルトではないことには早くから気づいていた。
けれど確信したくなくて、あえて目を背けていたのだ。
女性がふふっと笑う。
「訊かないの?」
訊かない。
彼女が誰なのか、訊いてしまえば二度と前に進めない気がするから。
進みたいーーーのだろうか?
「扉は目の前よ」
セルシオの心を見透かしたように女性が言う。
暗い顔で黙ってうつむいていると、女性がすっと扉を指差した。
「セルシオ、この扉の先にいるのはーーー誰?」
セルシオが扉を見つめ、そして目を伏せる。
いつからだろうか。アルトといることが当たり前になったのは。
いつからだろう。アルトがいる日常が、この先も続いて欲しいと思うようになったのは。
セルシオがノブに手をかける。
扉を開けると、いつも彼女は笑顔でーーー。
「お誕生日、おっめでとー!」
パンパン! と大きな破裂音のする弾け玉の音とともに祝福され、セルシオが立ちすくむ。
微動だにせず固まっているので、アルトがあれ? と口の端を引きつらせた。
「……セルシオ?」
驚かせすぎたかな、と恐る恐る窺う声にはっと気づき、素早く振り返る。
扉の外は、アルトと店を探しながら歩いていた道だった。
後ろにいた女性も、何枚もの扉も、光輝く庭も見当たらない。
そもそもここは階層で言えば下から三番目の階。
上には獅子の階も含めてまだ十二もの階層があるのに、あれほど光射す場所があるはずがなかった。
呆然としている間に、白昼夢のような出来事は霧散していく。
アルトがセルシオの後ろを覗き込んで、
「どうかした? 後ろ、誰かいる?」
いや、と首を振り、向き直って微笑む。
「背中をーーー押された気がしたんだ」
「それより……。何だこの店」
さほど広くはない店内を見渡す。
壁には乾燥させた植物、奥には複雑に組み合わされたガラスの器具があって、セルシオとっては身近な実験室を彷彿とさせる。
濃い花の香りがするが草の匂いはしないので、花屋でもないようだ。
「アロマのお店だよっ。花の香りで安眠とかリラックスできるんだ」
癒しであるとかそういう分野には疎いので、へぇ、とだけ答えておく。
店の裏のもじゃもじゃは、ああなる前まではポプリを作るための植物を植えていたという。
「ごめんね、セルシオ。実はぼく、このお店知ってたんだ」
先回りしてた時点でそうだろうと思っていたので、特段驚かない。
だって、とアルトが意気込んで、
「セルシオ、最近特に夜遅くまで起きて仕事してるでしょ」
これには驚き、目を見開いた。
確かにスフィアに警告されてから、家でする仕事の量は増えている。
しかし、
「何で……知って」
物音は彼女の部屋まで聞こえないはずだし、眠そうにしてるのはいつものことなのに。
「ぼく、たまに眠れないときベランダに出るんだ。そしたら隣のセルシオの部屋の明かり、いつもついてるから」
部屋の中は見えないが、カーテンの隙間から漏れる机の上の明かりが見えたという。
「ちゃんと寝てって言っても寝ないし。だからねっ」
はいっ、と大きな包みを渡す。
「誕生日プレゼント。ポプリの入った枕。これでよく眠れるよっ」
セルシオが目を丸くした後、素直にお礼を言って受け取る。
「分かった。これからはもっと早く寝る」
アルトがえへへっと嬉しそうに笑った。
「あとねっ、不眠にはセロリとか豆乳がいいんだってっ。ぼくこれから毎日料理に使うねっ」
ん? とセルシオが固まる。
「いや、寝られないんじゃなくて寝ないだけで。あとセロリは苦手」
「あとねっ、寝る前のコーヒーは目が覚めちゃうからよくないんだって。今日から寝る前のお茶はハーブティーにしようねっ」
「だからそういう匂いの強いものは……」
まくし立てるアルトに呆れ返っていると、二人のやり取りを見ていた店員がくすくす笑っている。
セルシオがはっと気づき、恥ずかしくなって踵を返した。
「……帰るぞ」
う、うん? と戸惑うアルトを置いて、さっさと歩き出す。
アルトも後を追って、店を出て行った。
微笑ましい二人に店員が、
「カップル? 一緒に住んでるみたいだから新婚さんかしら。可愛らしいわね」
するともう一人の店員が、
「あら、あの二人、恋人でもないそうよ」
「えっ? 何それちょっと詳しくっ」
早足で歩くセルシオの後を、駆け足でアルトが追いかける。
「待ってよセルシオー。本当はねっ、レナードソンさんやスフィアも呼んでお誕生日会したかったんだけど」
それはいい、と嫌そうな顔で断る。
この歳になってお誕生日会は恥ずかしい。
アルトは不思議そうに、
「何で? ぼくご馳走いっぱい作るよ? ホームパーティの料理は先生に習ったから」
「要らない」
とすげなく却下した。
ふと気づいて、振り返り尋ねる。
「お前はいつだ? 誕生日」
「ぼく? ぼくは秋の始めだよっ」
今は春の半ばだ。
過ぎてるのか、と思う。
サプライズをされたのだからサプライズで返すべきかと思うが、今のセルシオには何一つ案を思いつかない。
まあいいか、と早々に思考を放棄した。
アルトがうきうきと、
「晩ご飯、セルシオの好きな物作るね。あっ、そうだ誕生日ケーキ! お菓子ってぼく作ったことないけど、今度シエラさんにレシピ聞いて」
セルシオが急に立ち止まったので、アルトが数歩先で振り返る。
「アルト、私は寄るところがあるから先に帰っててくれ」
「ん? あっ、図書館? ならぼくも一緒に」
「いや、魔法石屋に」
そう言うと、アルトは目を棒線にして、あーと声を上げる。
「うん分かったー。ぼくは先に帰るよー」
何だその間延びした声と緩い顔は、とセルシオが汗をかいた。
そしてじゃあねと手を振って別れる。
それを見送って、踵を返した。
少し遅れて帰ろう。
扉を開けたときに、あの言葉を聞きたいから。
[秘密の店 終わり]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます