秘密の店(1)

 買い物を終え、家に帰る途中のアルトが珍しく難しい顔をして歩いている。

 顎に手を当てて悩んでいたかと思うと、空を見上げてふぅと憂いのため息をついた。


 そしてとある店の前を通り過ぎる。

 気になったアルトが映像を逆再生するように戻ってきて立ち止まり、


「……何だろ?」


 と首を傾げた。




「……分からん」


 コーヒーカップを持ち上げたままセルシオが呆れるので、アルトがえー? と口を尖らせた。


「だから、もじゃもじゃがあるでしょ」


 同居を始めて四ヶ月。

 今や二人の習慣となっている、寝る前のお茶の時間。


 いつもはアルトが今日あったことなどを話してセルシオは相槌を打つくらいなのだが、『もじゃもじゃ』というよく分からない単語が登場したので、珍しく口を挟んだ。


「だから何だ、もじゃもじゃって」


 アルトがもどかしそうに腕を振る。


「鹿の階に文房具屋さんと薬屋さんがあって、その間に背の高い草やツタがもじゃもじゃしてる場所があるんだ」


 あったか……? と首を傾げる。

 鹿の階といえば、レナードソンの家や図書館がある。

 図書館は学生時代によく通ったが、そんな場所は憶えがない。


「ぼく、そこって草しかない空き地だと思ってたんだけど、近づいてみると、何だかすごくいい香りがしてね」


 思い出し、ほわーと顔を緩ませる。

 セルシオはへぇ、と興味なさそうにコーヒーをすすった。


「もしかしてお店か何かあるのかなって。でも葉っぱだらけでよく見えなくて」


 またへぇと言いかけたセルシオが、ピタッと固まる。

 アルトが目を輝かせ、見えない犬の尻尾を振っている。


「……何だ」

「セルシオ、明日お休みだよねっ」


 ふふー、と嬉しそうに尻尾をパタパタ振る。

 どうやら一緒に行って欲しいらしい。


 セルシオが仕方なくため息をつく。

 まあどうせいつも通り、持ち帰った仕事を片付けるだけの休日だ。


「……分かった」




 身長よりも高い草をかき分け、奥を覗き込む。

 後ろからアルトが、


「どう? 何か見えそう?」


 返事の代わりにセルシオが呻る。

 わさわさ生えた草が邪魔だし、建物と建物の間で暗くてよく見えない。

 肉厚で鋭い葉は、滑らせると手を切りそうだ。

 ススキのような穂がある草、綿毛のある草など多種多様な草が生えていて、確かにもじゃもじゃと言えなくもない。


「草しかないぞ」


 ふっと、花の香りが鼻腔をくすぐる。

 アルトが言ってた香りはこのことだろうか。

 てっきりお菓子かご飯の匂いだと思い込んでいた。

 しかし見回してみても、花は一輪も咲いてない。


 アルトがだよねぇ、と同意する。


「じゃあ反対側に回って……」


「あらぁ、アルトちゃん」


 女性の声に草むらから頭を抜くと、アルトの知り合いらしいおばさんが手を振り近づいてくる。

 二人ににっこり笑いかけて、


「デートかい? 仲良しだねえ」


 その口振りは、セルシオのことを知っているらしい。

 あくまで猫の階の店同様、勘違いした形で、だが。


 セルシオなら即否定するところだが、そういえばアルトはどう反応するのだろうと思って見ていると、


「こんにちはっ。ね、ここって何があるか知ってる?」


 笑顔で爽やかにスルーする。

 セルシオは無言で固まった後、ふるふる頭を振った。


 おばさんは腕を組み、頰に手を当てて、


「前はこんなんじゃなかったんだけどねぇ。この上に崩れちゃった獅子の階があるだろ? あそこから水が漏れ出しててさ。ほら、この壁のところ」


 指差した隣の店の壁には水が幾筋も伝っていて、壁全体もじっとり湿っている。


「それがここに流れ込んできて徐々に溜まって、それで雑草がよく育つようになったらしいよ」


 ただし眉唾な噂らしく、本当かねぇ、と声を立てて笑う。


 セルシオはこっそり冷や汗をかいていた。

 その水は磁場形成のための魔力を含んだ水で、街を支える魔法を維持するため最上階にある水盤から配管を流れているのだが、獅子の階が崩れた際に一部の配管が壊れ、漏れ出しているらしい。

 水は触れても人体に影響はないが、溜まるとこんな風に植物が育ちやすくなる。


 しかしその話は一般人に聞かせられないため、口を噤んでおく。

 磁場形成についての詳細を知らないアルトはのんきな声で、


「ほへー。こうなる前は何があったの?」


 おばさんは眉を寄せ、深刻そうにそれがねぇ、とため息をつく。

 アルトが息を呑んで次の言葉を待った。

 おばさんは首を傾げると、


「……何だったかねえ」


 拍子抜けする答えに、アルトがガクッと頭を垂れた。

 あっはっは、と手を振りながら豪快に笑って、


「もうね、この歳になると物忘れがひどくって。夕飯に昨日と同じ物作って旦那に怒られるんだから」


 それはひどいな、とセルシオが呆れて顔を引きつらせると、よくあるのよぅ、とまた大笑いした。




 それでもおばさんは、「たぶん、何かのお店だったと思うよ」という曖昧な記憶を掘り起こしてくれた。


 おばさんと手を振り別れた後、じゃあ周ってみよっか、とアルトがうきうき歩き出す。

 セルシオはその後ろをついて歩いた。


 この街は他の街ではあまり見かけない、複雑な形状をしている。

 玄関が建物の下をくぐった先にあったり、階段を上がって二階から出入りする家も珍しくない。

 表札がなかったり、店らしい扉を手当たり次第ノックしてみるが、トロンプ・ルイユ(だまし絵)で開けられなかったり、開けると階下へ続く階段だったりした。

 それもまた街を探検しているようでアルトには楽しいらしく、しきりにニコニコしている。


 セルシオは左手に続く壁を眺めながら、扉を探しているような探してないような雰囲気でぼんやり歩く。


 ふと、さっきのおばさんが『デート』と言ってたことを思い出す。

 猫の階の人たちは分かってからかっているふしもあるが、普通はそう見えるのだろう。異性で一緒に住んでいるのだから。


 でも、と眉を寄せる。

 よぎるのは、ナナリーの笑顔と言葉。そして荒れた部屋。


 もう二度と、あんな想いはーーー。


 物思いにふけっていたセルシオが、アルトに呼ばれて弾かれたように顔を上げる。

 アルトは扉を指差して、


「ね、ここどうかなっ?」


 わくわくしながら扉をノックする。

 返事がないのでそっと押し開け中を覗くと、わあっと歓喜の声を上げた。

 そして扉を開けて走り出すので、セルシオが慌てて追いかける。


「アルト、待……っ」

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