Bittersweet love(3)
レナードソンが立入禁止の双子ウサギの階に現れたのは、それから十分後のことだった。
人々から驚きの声が上がる。
シエラも息を呑んだ。
彼が高所恐怖症だとは聞いたことがないが、それでも足がすくむ高さだろう。風もかなり強いはずだ。
そこでレナードソンが何をしようとしてるのか、嫌な予想はそのまま現実になった。
レナードソンは煙の少ない西側から、屋根を伝ってベランダに下りようとしている。
もし手や足を滑らせれば重傷、ひどい場合は命に関わる。
けれどこんな遠くから止めることもできず、シエラはただ無事に戻ってくることを祈ることしかできなかった。
救出活動をハラハラしながら見守っていると、
「うわー、一体何やってるの、あいつ」
呆れた声に見ると、トパーズ色の長い髪に派手めの顔立ちをした女性が、シエラの近くで火事を見上げている。
その容姿には見覚えがあった。
「あなた……」
「お会いするのは初めてですね、『シエラさん』。レナードソンからよく話は聞くけど」
真顔のままぺこんと頭を下げる。
先日、レナードソンと一緒に歩いていた美女だ。
彼の恋人がなぜ自分のことを知ってるのだろう、と目を丸くしていると、
「レナードソンの同僚のスフィアです。あいつさっき慌てて研究所に来て所長室で喚いてたから、何かあったのかと思って」
最上階は研究所の管理施設なので、レナードソンは立ち入りの許可をもらいに行ったのだという。
「出て行くところを捕まえてどうしたのか訊いたら、あいつ何て言ったと思います?」
シエラは戸惑うばかりで、さあとだけ答えた。
スフィアは肩をすくめて鼻を鳴らすと、
「満面の笑みで、『俺、犬助けてシエラさんと結婚するんだ』って。シエラさんが好き過ぎて、ついに暴走し始めたのかと思いましたけど」
シエラが目を点にする。
「私……あなたがレナードソンくんの恋人だと思ってたわ」
スフィアがぞわわっと鳥肌を立て、顔をしかめる。
「やめて。この街がひっくり返っても嫌よ、そんなの」
そしてうつむくと、口角を上げてくすっと自嘲した。
「レナードソンは除外だけど、前は研究者同士の方がいいと思ってたけどね。仕事とプライベートの区切りのないこんな仕事、普通はなかなか理解してもらえないだろうって。でも最近はそうでもないなって。室長たち見てたら」
よく分からず、はあ、とため息のような返事を返す。
そして歓声が上がったので振り仰ぐと、レナードソンが見事犬を助け出していた。
最上階に立ち、こちらに向かって手を振っている。
豆粒のようでも、いつもの歯を見せた笑顔なのが分かる。
拍手が鳴り響く中、シエラはほっと笑って手を振り返した。
じゃあ仕事戻ります、と会釈をして、スフィアは去っていった。
火事は研究所所属の魔法使い数人が、最上階から水を操って消火している。
そしてシエラのところにレナードソンが帰ってきた。
砂埃や煙の煤で、身体も服も汚れてしまっている。
けれど彼はちっとも意に介さず笑顔だった。
勇気ある行動を讃え、周りの人たちが拍手をする。
「シエラさんっ」
しかしシエラは答えずうつむいている。
レナードソンが覗き込むと、ぶるぶる肩を震わせて
「……んで、そんな……無茶したの」
ばっと顔を上げ、怒ろうとしたところでレナードソンがシエラの手を取る。
ドキッとシエラが戸惑い、二人両手をつないで向かい合った。
「好きです! って……、本当はここで言いたいところだけど」
レナードソンが穏やかに微笑む。
「ごめん、シエラさん。俺、全然本気じゃなかった。好きって何なのかも分からず、軽々しくあちこちに振り撒いてた」
シエラは目を真ん丸にして固まっている。
「でも、シエラさんには本気でいたいって思うんだ。シエラさんに毎日会いたいしプレゼントで喜ばせたいし、格好つけて、いいところも見せたいって思う。それが『好き』なのか、まだ分からないけど。でも、いつかそれが分かったら、その時は俺とーーー」
みなまで言わせず、シエラが口を開く。
「ーーーごめんなさい、レナードソンくん」
おなじみの返事に、レナードソンががくりと頭を垂れた。
「って、いや違うっ。シエラさんっ」
慌てて喚き立てる。
いつもの冗談みたいな、中身のない告白じゃない。
本気になるって、本気で告げたのに。
シエラが憂鬱そうに頰に手を当て、ため息をつく。
「ごめんなさいね。ほら私、結婚に一度失敗してるでしょ? そう簡単にはうなずけなくて」
「えっ、え、ちょっとシエラさんっ。このシチュでそれ勘弁っ」
レナードソンが笑顔を引きつらせ、手を震わせる。
周りの観客は、固唾を呑んで見守ってるというのに。
しかしシエラはまたごめんね、とにっこり笑った。
そして唐突に思い出す。
「そうだ私、お店放ってきたんだったわ。早く戻らなきゃ」
つないだ手を離し、何事もなかったかのようにレナードソンを置いて歩き出す。
レナードソンは開いた口が塞がらず、一人立ち尽くした。
周りで行く末を見守っていた人たちも、興味を失って、あるいは残念そうな様子で散り散りに去っていった。
「待って、待ってって、シエラさんっ」
シエラは振り返りもせずすたすたと早足で歩いている。
追いかけるレナードソンが名を何度も呼ぶが、立ち止まらない。
やっと追いついて隣に並び、しょげた顔でそっとシエラを覗き込む。
「あ、笑ってる」
「ーーーっ、覗かないでよっ!」
真っ赤になった顔を腕で隠して、レナードソンを押し退ける。
レナードソンは嬉しそうににまにまと笑った。
[Bittersweet love 終わり]
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