Bittersweet love(2)

 お菓子を作る食材が切れたので、一度店を閉めて買い出しに出る。

 店はシエラ一人で切り盛りしているため、買い物は食材店が開いている時間にしなければならない。


 両腕に重い荷物を提げて歩いていると、道の先にレナードソンの姿を見つけた。

 かなり離れているので、向こうは気づいていない。


 声をかけようと近づいて、目を見開き固まった。


 レナードソンはスタイルのいい綺麗な女性と一緒だった。

 彼と喋っている女性に笑顔はないが、それが逆に親しい間柄のように見えた。


 そうだ、彼はモテるんだ。


 これまでだって数回こういう場面を見かけたことがあったのに、なぜか胸が痛くなって、いつの間にか自分が浮かれていたことを知る。


 ぎゅっと拳を握り、胸を押さえて踵を返した。

 涙が滲んで、頰に手を当てると熱い。


 改めて実感した。


 ーーー私、いつの間にか本気だった。




「もー、だから何であんたの買い物に付き合わなきゃなんないの。せっかくの休みなのにっ」


 スフィアがイライラしながら大股で歩く。

 その隣をレナードソンが同じスピードで歩きながら、


「シエラさんに何かプレゼントしたいんだよ。しょっちゅうしてるから、もーネタ切れで。いーじゃん、買い物するんだったら一緒に」


 スフィアが買い物をしていたところ、フィールドワークと称して仕事をサボっていたレナードソンとたまたま出会ったのだ。

 ちょうどよかったと追いすがってくるので、スフィアが振り払おうと早足で歩く。


「ついて来ないでよっ。ああ、やっぱり隣町に行けばよかった」


 失敗した、とこめかみを揉む。


「頼むって。他の女の子と行ったら、その子にあげるプレゼントだって勘違いされても困るし。しょーがないんだって」


 しょうがなくないわよ、とぎりぎり歯軋りをした。


 通りがかった白壁の店を指差し、


「あーもうっ、ほらあのお店は? アロマとかある。女性は好きでしょっ」

「アロマか、いいかも。あっ、でも食べ物扱う人って、香りするのどうなんだろ。あと何の香りが好きか分からないし……」


 店の前で立ち止まって熟考し始めたので、スフィアはため息をついてさっさと立ち去った。




 セルシオとアルトが喧嘩をし、二週間ぶりにアルトが戻ってきた日。


 玄関先で人目も憚らずに抱き合う二人を見て、レナードソンはため息をついた。


 心から想い合う二人。

 照らし合わせて自分に失望する。


 改めて実感した。


 ーーー俺、本気になれてないなぁ。




 今日もお菓子屋にレナードソンが訪れる。

 いつもなら嬉しいはずなのに、先日のことで自己嫌悪しているシエラは対応がどこかぎこちない。


 自分は一度結婚に失敗しているし、彼はモテる。

 いつも告白してくるのだって冗談だろうし、とぐるぐるマイナス思考が止まらない。

 自分がどうしたいのかも分からない。


「ーーーシエラさん」

「えっ? あ、うん、何かしらっ?」


 弾かれたように顔を上げると、レナードソンが真剣な顔をしていてドキリとする。


 レナードソンは真っ直ぐシエラに向かい合い、頭を下げた。


「今まで好きって言ったことーーー撤回させてください」


 シエラが固まる。目の焦点が合わない。声も出ない。


「それでーーー。って、シエラさんっ?」


 頭を上げると、目の前にいたはずのシエラの姿がない。

 店の裏口が開く音がして、慌てて走り出した。




 ーーーまだ本気になれてないって気づいた。


 本気になるまでは、軽々しく好きだなんて言えない。


 ちゃんと、ちゃんと彼女を想えるまでは。




 ーーーほら、やっぱり冗談だったじゃない。


 好きかもしれない、なんて。


 恥ずかしい、恥ずかしい。一人浮かれてバカみたい。




「シエラさんっ」


 シエラは振り返りもせずすたすたと早足で歩いている。

 追いかけるレナードソンが名を何度も呼ぶが、立ち止まらない。


「待って、まだ話の途中でっ。シエラさんっ」


 しかしその言葉は届いていない。


 シエラはただただ情けなかった。

 好きだと言われてあしらってたくせに、本当は彼が好きで。

 でも、自覚したところで彼にとっては大勢いる彼女候補の一人でしかなかったのだ。

 いや、撤回された今、その中にも入りはしない。


「待って、待ってって、シエラさ……」


「え、煙出てない? あそこ」


 すれ違った女性の声が耳に入り、シエラが立ち止まる。

 レナードソンも止まり、女性二人が見つめる先を振り返った。


 最上階から一つ下がったバクの階。

 家と思われるベランダから黒煙が上がっている。

 ここより上の外周道路を歩いていた人たちも、気づいてざわめき始める。

 あちらこちらから「火事」という言葉が聞こえてくる。


 これが下層階の家であれば、壁や屋根伝いに上がれるのだが、この街は上に行くほど高級住宅になるため、下から容易に上がって来られないようベランダが下の家よりも突き出している。

 また一軒一軒が大きいので、ベランダ同士隣り合っていない。

 なので消火するとなると、他の家よりも困難だ。


 さらにもう一つ、消火活動を妨げていることがあった。

 周りの人たちがベランダを指差し、ざわめいている。

 犬の階からでは遠くてよく見えないが、ベランダに小さな白い塊が見える。

 洩れ聞こえる話によると、どうやら飼われている小型犬が逃げ遅れたようだ。

 中に入れず、飛び降りることもできずにひたすらうろうろしている。


 シエラがハラハラしながらベランダを見つめる。

 するとレナードソンがシエラさん、と呼んで、


「あれ、俺が助けられたら結婚してください」

「うん、けっこ……えっ?」


 訊き返す間も与えず、レナードソンが走り出す。

 戸惑っているとレナードソンが振り返って、


「俺っ、シエラさんに本気のとこ見せるから!」


 にっと歯を見せて笑って、手を振り走り去っていった。

 シエラはただぽかんと立ち尽くしていた。

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