Bittersweet love(1)

「じゃあね」


 別れの言葉を置いて、女性が去っていく。


 残されたレナードソンは、冷めた目でうつむいていた。


 ……別に、痛くも痒くもない。


 『好き』って、よく分かんねーし。




「シエラさん、俺と付き合ってください」


 真剣な顔で告げる。

 するとシエラはにこっと笑って、


「ごめんなさい、レナードソンくん」


 おなじみの返事に、レナードソンががくりと頭を垂れた。

 その反応までもお決まりとなっている。

 何度告白しようが、この女性ひとはつれない。


 シエラがくすくす笑う。


「もう、こんなおばさんに構ってないで。この間一緒に歩いてた女の子はどうしたの?」

「……見てたんすか。フラれましたよ」


 あら、と目を見開く。

 レナードソンはいじけた様子で


「本気になれないんですよ、俺。シエラさん以外には」


 そんな歯の浮くような台詞にも、シエラは肩をすくめて「はいはい」と言うだけだ。


 レナードソンが拗ねた子どものように頰を膨らませる。


「というか何すかおばさんて。シエラさん、俺と五つしか変わらないじゃないですか」


 口を尖らせるが、またはいはい、とあしらわれた。




 そんな他愛のない会話をしていると、いつの間にか日が暮れていた。

 時刻はまだ夕方ではあるが、秋風吹くこの季節はあっという間に辺りに帳が下りる。


「シエラさん、家まで送りますよ」


 先を早足で歩くシエラを追いかけながら申し出る。

 しかしシエラは大丈夫よ、と答えた。


「危ないですよ、暗いし。変なやつが襲ってくるかも」

「あなたとどっちが危険かしらね」


 くすっと肩をすくめて笑う。

 そんなの、と否定しようとしたところで、暗い路地から人が飛び出してきた。

 シエラが小さく悲鳴を上げて立ち止まる。


 逢魔が時の上に街灯も少ないためシルエットしか分からないが、小柄なので女性のようだ。


「わっ、ごめんなさい」


 相手の女性も驚き、半歩後ずさる。

 そしてちょうどよかった、と身を乗り出した。


「道を教えて欲しいんだっ。うろうろしてたら迷っちゃって。迷路みたいだねっ、この街」


 朗らかな口調に、シエラが緊張を解く。


「一人で旅行? どこに行きたいのかしら」


 ここなんだけど、と差し出した紙片を二人が覗き込む。

 しかし暗過ぎて、書かれている文字は判読できなかった。

 残念ながらシエラもレナードソンも魔法使いではないので、灯りも出せない。


「家を探してて。えっと、南五十二地区ってどの辺かな」


「あー、それならこの上の階だね。向こうの角を曲がったところに明かりがついてる階段があるからそれを上がって、右へ行ったら今度は階段を半分下りて、左の小さい広場を……って、案内した方がいいか」


 この街の道は複雑なので、説明するより一緒に行った方が早い。

 レナードソンが近寄ると、女性はさっさと駆け出して、


「分かった、行ってみるっ。ありがとう! おにーさんおねーさんっ」


 そして足音を残して去っていった。

 二人がぽかんと立ちすくむ。


「……何だかちょっと、変わった喋り方の子ね」

「説明途中だったんだけど」

「警戒されたんじゃない? 危険なおにーさんだから」


 おかしそうにふふっと笑うので、違いますって、と困った様子で返した。




 研究所に併設されたカフェでコーヒーを飲んでいると、セルシオがやって来て向かいの席に無言で腰かける。

 相も変わらず無表情なので、表情の変化に乏しいやつだなあ、とぼんやり眺める。


「またサボってるのか」


 呆れた声に、にししっと歯を見せて笑う。


「今日の仕事終わり。俺って手ぇ抜いても何でもすぐできるからさ」

「それなら自分の研究をすればいいだろう」


 まあそっちも適当に、と気楽に手を振った。


「それより聞ーてくれよセルシオ。シエラさんがまた」


 聞かない、とすかさず会話を止める。

 レナードソンが真顔で、


「まだ何も言ってないだろっ?」

「聞かなくても分かる。またフラれたんだろう」


 テーブルに肘を突き、美味くも不味くもなさそうにコーヒーをすする。

 打ちひしがれたレナードソンが、大げさにテーブルに突っ伏した。


「いいよなぁ、お前は……。アルトちゃんがいて」


 ぽそりとつぶやくと、うぐ、と変な声を出して、カップを傾ける手を止めた。


 アルトは一度セルシオの家を出たが、戻ってきてくれとセルシオが頼んで一カ月、一緒に暮らしている。


 レナードソンがテーブルに頰をつけたまま、じたばた手足を動かす。


「あーっ! 俺もシエラさんと同じ家に住んで、一緒に飯食ったりイチャイチャしてーっ」


 するといきなりセルシオがコーヒーをむせ返った。

 へ、と声を上げ、レナードソンが起き上がる。

 セルシオは口元を押さえてじろっと睨みつけた。


「何? まさかないの? 例えばアルトちゃんが風呂入ってるときに、うっかり扉開けてキャー! みたいな」

「……それはこの間、私がやられた」


 レナードソンが驚いて息を呑み、両手で口を塞ぐ。


「えっ、キャーッ! つったの、お前」


 言ってない、と不機嫌な様子で立ち上がり、カフェを出て行く。

 相変わらず頭かてーなー、と半眼でその後ろ姿を見送った。


 そしてふと、冷めた表情を浮かべる。


「……」




 お菓子を入れた透明の袋をセルシオから受け取り、アルトが目を輝かせる。


「綺麗っ」

「でしょ? 紙袋よりこっちの方が中のお菓子が見えていい、ってレナードソンくんが言ってくれてね」


 シエラのお菓子屋で盛り上がる二人を、セルシオが手持ち無沙汰に眺める。

 女性は話し始めるとなかなか止まらない。


 ガラスケースに腕を乗せて、同じく暇そうにしていたレナードソンが、移動してセルシオの肩に腕を乗せる。


「いーよなーお前は。アルトちゃんとデートできて」


 一緒に住んでいる上に、休日は図書館デートなんて羨まし過ぎる、とからかい半分に言う。

 いつもなら即座に「違う」と嫌そうな声が返ってくるのだが、なぜか黙ってそっぽを向いている。


「え、お前もしかして」


 セルシオは振り返ると、わずかに照れた様子で口角を上げ、


「……また話す」


 そしてレナードソンの腕を払い退けると、アルトに近寄りそろそろ帰るぞと言う。

 レナードソンは拍子抜けした顔で、やっと自覚したか、とぽりぽり頭を掻いた。




 ーーー好き、か。


 ガラスケースに頬杖を突き、帰って行くセルシオとアルトを見つめる。

 ふと、ナナリーを亡くした直後のセルシオを思い出す。

 あれから四年が経ち、アルトに寄り添おうとしている今のセルシオも共に思い浮かべる。


 ……こんな俺でも。


 切ない表情で二人の背を見つめるシエラを見やる。

 そして暗い顔でうつむいた。


 いつかあんな風に、本気で誰かを想うことはできるだろうか。


 ーーー本気になれないんですよ、俺。シエラさん以外には。


 それは本当だ。今のところ。


 けれどシエラと付き合ったが最後、例外なくこの胸の熱はすぐに冷めてしまうかもしれない。




 店を閉める準備をしながら、いつの間にか鼻歌を歌っていたことに気づく。


 それはきっと、今日も会いに来てくれたからだ。

 いつも素っ気なくして告白も受け流しているけれど、来ない日はやっぱり寂しいし、何かあったのだろうかとそわそわする。


 シエラは五年前に離婚したせいもあって恋愛に積極的になれないが、人に好かれるのは純粋に嬉しかった。


 明日も来てくれるかしら、とまた無意識に歌い始めた。

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