第18話

 増島克矢とほかの柔道部員たちがいなくなって、十分ほどが経過しただろうか。

 意識が飛んだり戻ったりを繰り返していた気がするので、正確なところはまったくわからない。

 ガラガラガラ……。

 ゆっくりと、周囲を警戒するように、倉庫の扉が開いた。

 ついにとどめを刺しにチキータがやって来たのか、と覚悟しかけたそのとき、

「情けないにもほどがあるな、あれほど注意せよと言ったのにこのざまとは……」

 心底呆れた声が、息も絶え絶えな俺に浴びせられる。

 が、その声は今の俺にとっては、まさに救いの神……ならぬ救いの真祖だった。

「さ……、りゃ……」

 叫ぼうとしたのに、血の張りついた口はほとんど開かない。

「実に手間のかかる……、貴様ほどの落第眷属は、もしや不死者史上初ではないのか……?」

 悪態をつきながら、サーリャは俺に刺さった槍を一本一本抜いてくれている。

 こんなことで、サーリャに好意を抱いちゃダメだぞ、俺! こいつは真祖として司令官として、一兵卒である俺を過酷な目的に投入するためにメンテナンスしているようなものなんだから!

 脳を貫通していた槍が抜かれたおかげで、俺の意識もだいぶ回復してきた。

「ふむ、これは確かに、武器としてもなかなか使えるな。貴様、何本か持っていくがいい」

 抜いた槍をじっと見つめながら、サーリャは言う。

 身体中を貫いていた槍を全部抜いてもらい、ようやく自由を取り戻した俺は、まず手足をぶらぶらさせて固まってしまった筋肉をほぐした。

 それにしても、不死者の身体ってのは、本当にすげえな。

 突き刺さっていた異物が取り除かれた途端、傷口が閉じていくし、穴になっていた部分に、肉が詰まっていく。

 みるみるうちに悲惨な重体患者だった俺の身体は、健康そのものへと変貌を遂げた。

「どうも貴様はまだ、吾輩の眷属としての戦い方を心得えていないようだな」

 そんな俺にサーリャは、母親が幼子を心配するような視線を向けてくる。

「よいか、危険を感じたらすぐに縮地を使え。その場から退避するのだ、決して捕まるな。攻撃の際も一撃離脱、常に動き回れ。一時たりともその場に留まるでないぞ」

 な、なるほど……。

 確かに、俺が陥ったあの惨状だって、倉庫に入れられた瞬間に縮地を使っていれば脱出できたはず。

「こうして貴様の救出にすぐに来られたのも縮地のおかげよ」

 そうだ、サーリャと俺は、ほぼ正反対の方向に移動したんだった。敵に妨害されることなく味方と合流できるのも、戦いではすごく有利だろう。

「そういや、気配っていうのは、どうだったんだよ」

 サーリャと俺たちが別行動になった原因について、尋ねる。

「ああ、これであった」

 いたずらっ子のような顔をして、サーリャは自身の黒いノースリーブの胸元を指で下に引っぱってはだけさせる。

 そこからこぼれ出たのは、サーリャの控えめな胸のふくらみ、ではなく――、

「にゃ~」

 天鵞絨のような毛並みの愛らしい黒猫だった。

 黒猫はストンッとサーリャの胸元から飛び降り、地面に立つ。

「猫……。そいつをもふるために、俺は蜂の巣みたいな身体にされたのか……」

「猫はたまたまよ。あれは吾輩があの場を離れることでチキータの張った罠が発動するのではないかという予測に基づいて取った行動であるからな。見事、吾輩の読みどおりであったなあ」

 サーリャは満足げに腕組みをしてふんぞり返った。

「それってつまり、おまえがあの場を離れなければ、俺はこんな目に遭わずに済んでいたってことだよな?」

「吾輩は、敵がいかなる罠を張っているか、かかってみないと気が済まぬ性分でな」

 迷惑千万だ!

 そこで俺は、はっとする。

「永霞は!? 永霞も罠にかけられたのか!?  永霞は今どこに!?」

「やれやれ、主ばかりを働かせおって、困った眷属たちよ。……芹生龍征、今宵の戦い、貴様が鍵となるやもしれぬ。冗談ではなしにな、心しておけ」

 サーリャは急に真剣な口調になり、俺に奮起を促した。

「あ、ああ」

 俺のせいで、永霞が危機に晒されているかもしれない。もう足手まといにはなりたくない。一番弱い俺がしっかしなければ、俺たちの勝利は見えてこないだろう。

「永霞叶詠はまだ校庭のどこかにいよう。なに、縮地で捜していけば時間はかかるまい」


 サーリャの言葉は間違っていなかった。

 広い広い校庭を縮地で走り回り、一分も経たずに俺たちは永霞を発見した。

 しかし――。

 その姿は、直視に耐えがたいものに変わり果てていたのだ。

 永霞の後方には、チキータ、タカにぃ、生徒会長が並んで立っている。

「よお、遅かったじゃん」

 チキータは残忍極まりない笑みを浮かべた。

「よろしかったのですか、チキータ様、芹生龍征が回復してしまいましたが……」

 タカにぃが顔色一つ変えず平然と問う。

 永霞にこんな酷いことをしておいて……、やっぱりもうタカにぃは、俺の知っているタカにぃではないのだと、張り裂けそうな胸の痛みとともに確信した。

「あ~、いいっていいって、どうせオレ様たちは、かませ……、こいつに勝ったところで継承の儀参加資格は得られねーんだし、テキトーでよー」

 にもかかわらず、たいしてやる気のなさそうなチキータ。

 それではますます、永霞があれほどの目に遭わされている意味がわからない。

「不死者の身体は、切断された部位が近くにある場合、再生が始まらないのだ。それを利用すれば、あのようにして不死者の動きを封じることができるという、いい例ではあるな」

 冷静に解説するサーリャ。

 永霞は、仰向けに横たわっていた。

 その顔のそばに、永霞の両腕と両足、合計四本が日本刀で団子のように串刺しにされ、地面に突き立てられている。

 永霞の制服は、いつもすぐに血みどろになってしまう。日本刀に刺さった四肢の切断面から、力任せに引き千切られたことが窺えた。

「も、う……死なせて……」

 激痛に歪んだまま表情筋が凝り固まってしまったような永霞は、朦朧とした意識で息も絶え絶えに懇願する。

「そう悲観したものでもあるまい? 五体不満足でも人生は謳歌できよう……、おっと、すでに人でもなければ生きてもいなかったな」

「サーリャ……!」

 軽口を叩いていい場面だと、思っているのか……?

「おっと、その怒りをぶつける相手を見失うでないぞ芹生龍征。貴様、そのまま怒りに任せチキータに突進し、槍でやつの心臓を貫いてやれ。縮地を忘れるなよ」

 続けざま、サーリャがつぶやく。

 俺に作戦を伝えるうえで必要な流れのセリフだったとサーリャは考えているのか……。やはりどうがんばっても、不死者真祖と分かり合える日は訪れそうにない。

 が、怒りを起爆剤にするのは、確かに有効だ。

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