第16話

 サーリャの忠告は空振りに終わり、俺たちは何事もなく学園に到着した。

 スマホの表示時刻がぴったり午前零時になる。

 深夜の学園は、当然というかほかに人の姿もなく、静寂に包まれていた。

 昨日タイムを計った校庭を歩きながら周囲を見回すも、予告どおり、チキータや生徒会長、タカにぃの出迎えはない。対象を捜すところから始めなければならない俺たちが不利なことは明白だ。気を引き締めなければ。

 とはいうものの、待ち伏せがどれだけ有利なのかも、俺は実際にはよくわかっていない。

 背後とか気をつけておけばいいんじゃないの? 最初の奇襲の一撃さえ防ぐことができれば、あとはどうとでもなるんじゃねーの? 楽観的な憶測が拭えない。

「む」

 暗闇の中、サーリャが小さく声を発した。

「あちらのほうに、気配を感じる。もう少し近寄って確認してくるとしよう。貴様らはそこで待っているがいい」

 サーリャが指さしたのは、高いフェンスで仕切られた、野球場の辺り。

 俺たちの返答を待たず、サーリャはどんどん遠ざかっていく。

 おいおい、素人考えかもしれないけど、こういうときは一緒に行動するべきなんじゃないか? バラバラになるのが、一番危ないのでは……と思っているあいだに、サーリャの姿は闇に溶けて見えなくなってしまった。

 頼りになるのは、月明かりと、学園の敷地の外に所々設置されている街灯くらい。

 かなり真っ暗な状況で、永霞と二人きり。

 なんていっても、別にドキドキとかしないけどな。戦いに備えて、しっかり食事も済ませておいたし。

 むしろ心細さで、ドキドキするかも。とか考えながら、やっぱりちょっと気恥ずかしいのか、俺は永霞からしばらく視線を逸らしていた。

 すると、

「ねえ、芹生くん……」

 永霞から、声をかけられた。

「ん? な、なに?」

「私……、私ね?」

「う、うん」

「と、トイレに行きたくなっちゃった……」

「……へ、トイレって、トイレ?」

 一瞬耳を疑い、聞き返してしまう。

「うん……」

 恥ずかしそうに、永霞は俯いてしまう。

 これから戦いだってわかってたのに、水分たくさん取っちゃったのか……?

 あ、食事のときに、いっぱい汗かいたのかも。男子よりも女子のほうが、出る液体の量がずっと多そうかも……。

 カアアーーーッ、と俺の人間だった頃より低めの体温が、急上昇するように感じた。

「そ、そっか、じゃあっ、トイレ、行かないとなっ?」

「うん」

「こ、校舎の中に入らないとダメかな?」

「あっち、体育倉庫の隣にも、あるから……」

 入学式から二か月学校を休んでいた俺よりも、永霞のほうが詳しいのは当然だった。

 女子のトイレについていくとか、ありえるのか? で、デートとかだったら、ありえるのか?永霞の後ろを歩きながら、俺は自問する。

 なんかふわふわした気持ちで、トイレの前まで来た。

「じゃ、じゃあ俺ここで見張ってるから、なるべく早めに……」

「あ、ねえ、芹生くん……」

 永霞は俺の言葉を遮り、トイレではない建物へと歩を進める。

「見て、体育倉庫の扉、閉め忘れてるみたい」

 永霞が手をかけると、カラカラッ……、と乾いた音を立て倉庫の扉が開いた。

「ほんとだ……」

 中を覗きこむ永霞の隣に立つと、むわっと、独特の埃のような匂いが漂ってくる。

 体育倉庫の中で、え、エッチなこととか、みんなちょっとは妄想したことあるよね? 数時間前、家の中で落ち着いて食事をしてきたばかりだというのに、俺ってやつは……。

「えいっ」

 ドンッ。

「えっ?」

 不意に、永霞に背中を押され、体育倉庫内に突き飛ばされる格好になる。

「っとと」

 ガシャンッ。

 真っ暗な体育倉庫の中で、ハードルか何かにぶつかる俺。

「え、永霞?」

 まさか、俺と同じこと考えちゃった? また、食事したくなっちゃったの?

「うふふ、芹生くん……」

 月光を背に、永霞はにっこりと艶やかに笑う。

「バイバイ♪」

 ザシュ、ザシュ、ザシュ、ザシュ、ザシュッ!

 ドス、ドス、ドス、ドス、ドスゥッ!

「ぐはっ、がぁっ……!?」

 ごぼごぼっ、と俺は口から大量の血液を吐き出し。ぼたぼたぼたっ、と床が血に染まったはず。

 身体の至る所に激痛が走り、そのまま何かに叩きつけられた。

 そのとき俺は、混濁しかかっている意識で、ある異変にやっと気づいたのだ。

 学園に来るまでは確かに永霞が手に持っていた二本の日本刀。それが、トイレに向かって歩き出したくらいから、二本ともなくなっていたことに……!

 長い金属の物体が、何本も俺の身体を貫いている。

 刺されるときに、ちらっと見えた。これは、たぶん槍投げの、槍。

 そして俺は今、人間大かそれ以上の大きさがある木の板に、磔みたいに打ちつけられている。いや、昆虫標本の虫みたいと言ったほうがより的確か。

 ごそごそと、俺を突き刺した者たちが、闇の中で蠢いている。何人、いるんだ……? 十人、前後か……? 幸いにも、というべきか、さらに攻撃してくる様子はない。

「よし、行くぞ」

 野太い男の声が外から響くと――。

 ざっざっ、と統制の取れた足並みで、十人くらいが倉庫から出ていく。

 頭にも一本、槍が貫通していて、俺は首を曲げることができない。両腕も二の腕辺りを貫き留められていて、掴んで引き抜くことができない。

「サーリャとかいう真祖が消滅するまで、そこで刺さってろや。滑稽だぜ」

 聞き覚えのある声だ。

 一年一組の教室にいたとき、廊下から聞こえてきた……。「道を開けろおっ! 見世物ではないぞ!」――柔道部主将、増島克矢……!

 ってことは、ほかの十人くらいも全員柔道部か。

 チキータめ……嘘つきかよ……。三対三じゃ、ないじゃないか……。

「あーあ、女のほうじゃなくて、がっかりもいいとこだわ。女だったら、このまま楽しめたのによー」

 なかなか効果的に怒りを煽ってくる、いい感じに下衆なセリフを増島は吐き出す。

 永霞……、永霞は無事なのか……?

 俺が永霞だと思っていた相手は、永霞ではなかった? 変装? 身長も体格も全然違うのに、そんなことが可能なのか? どこからか、永霞と入れ替わっていた? いつのまに?

 頭の中が疑問符と全身からの激痛で埋め尽くされる俺を残して。

 ガラガラガラッ、ピシャンッ!

 体育倉庫の扉は、再び閉じられたのだった。

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