第9話
「芹生だ……!」
「芹生が登校してきた!」
一年一組の教室に入るなり、クラスメートたちがざわつき出した。
「百メートル走十秒ゼロ一、日本最速の中学生って騒がれた、あの芹生龍征!?」
「でも、高等部入学式の日に大怪我したって聞いたけど……」
「退学が噂されてたよな? 大丈夫なのか……?」
そこら中からひそひそ話が聞こえてくる。
けっこう聞き取れるもんだなー。本人が目の前なんだから、みんなもっと気を遣ってくれてもいいんじゃないですかねー?
って、あそこにいるの、佐藤真尋と鈴木和孝じゃん!
中学時代、通算防御率0.00の投手と、通算ホームラン数百五十六本の四番打者。そういや、この二人が入った譜城山学園は、今年の甲子園ぶっちぎりの優勝候補だってすでに言われてたっけ。SSコンビなんて呼ばれてマスコミを賑わせている、野球界期待の超新星だ。
改めて、すごいやつらが集まったところだよなあ……。
「芹生くんの席、そこだよ」
さり気なく、永霞が教えてくれる。
俺の席は、どうやら教室の一番後ろ窓側の端だった。ずっと休んでたから、机と椅子が邪魔にならない場所にどかされた感満載だな……。
「おや? それでは吾輩の席がないのではないか?」
堂々と、場違いなやつの声が教室内に響き渡った。
「サーリャ!?」
思わず驚いて、振り返ってしまう。
そういえば、永霞とサーリャと三人で、登校してきたんだった。そもそも学園に行くと宣言したのは、こいつだしな。
それにしても、ちゃっかり学園の制服まで着て学園の敷地のみならず校舎にも入ってくるなんて、どういうつもりなんだ?
今のセリフだって、サーリャの席がないなんて、当たり前だろうに。おまえ、学園の生徒ですらねーじゃん!
だというのに――。
「えっ!? マジで!?」
「ちょっとー、掃除のときとか誰か持ってったんじゃないのー?」
「俺ちょっと探してくるわ」
「対面に空き教室あるだろ? そこじゃね?」
「おお、それだなっ」
クラスメートたちは、いそいそとサーリャのために世話を焼き始めたのだ。
まさか、俺が入院していた間に、実はサーリャは譜城山学園に入学していた……?
いや……、そんなはずは……。ってことは、残る可能性は……こいつ、一年一組を全員、眷属に……!?
最大限の恐怖と怒りが瞬時に湧き上がり、俺は鬼の形相でサーリャを睨みつけようとした、そのとき――。
「大丈夫、芹生くん、サーリャ様は誰も殺してないよ」
隣に立つ永霞が、また俺に語りかけてきた。
「これはサーリャ様の、不死者真祖の力の一つ。眷属にしなくても人間を催眠状態にして、一時的に操ることができるの。こんなふうに、集団催眠も」
そうか、昨日、永霞の荷物を取りに寮に行ったときも、この能力を使ったのか……!
こいつ、不死者真祖って、やりたい放題じゃねーかよ……。恐怖はだいぶ収まったが、怒りの火には油が注がれた気分だ。
「持ってきたぜー、サーリャ」
「おお、すまんな」
そんな俺を歯牙にもかけず、サーリャはクラスメートたちとにこやかにコミュニケーションを取っている。
ちくしょう、俺よりもずっとクラスに馴染みやがって!
すると今度は、ザワザワというかガヤガヤというか、廊下のほうが騒がしくなってきた。
次々に、なんだってんだいったい。授業が始まる前からこれでは、疲労感が半端ない気がするんだが。
「道を開けろおっ! 見世物ではないぞ!」
怒声のような大声が上がる。
誰かがこちらのほうへと向かってきているみたいだ。
ガラガラッ!
教室の戸が勢いよく開き、入ってきたのは――。
柔道着を着た、高校生には見えない厳つい屈強な男たちだった。十人ほどが、黒板の前にずらりと横一列に並ぶ。
何事かと、愕然としていると、遅れて二人の人間が現れた。
「芹生龍征くんは、来ているかしら?」
みんなと同じ譜城山学園の制服だというのに、まるでドレスでも着ているみたいな。
グラマラスなボディに、螺旋状に巻かれたロングの金髪がなびく。大きな瞳、高い鼻、彫りの深い顔……ハーフなのだろうか? ハリウッド女優でさえ霞むような整った顔立ちの、豪華絢爛という形容がピタリと当てはまる女子生徒が、俺の名を口にしてにっこりと辺りを見回したのだ。
「生徒会長だ」
「いつ見てもお美しい~~~っ!」
「やっぱどんなときでも、柔道部の親衛隊を引き連れているんだなあっ」
クラスメートたちが好き勝手に発する言葉からは、断片的ではあるが状況を理解するには充分な情報がもたらされる。
「お初にお目にかかりますわね。わたくしは、私立譜城山学園高等部普通科生徒会長、
その、生徒会長は、長い役職名と自己紹介を小鳥がさえずるような美しい声で、淀みなく一息で言ってみせた。
「そしてこちらは……」
生徒会長が横を向き、もう一人に目を向ける。
「同じく生徒会副会長の、
「た……、タカにぃ!」
その人は、俺の幼馴染みだった。
身長百九十一センチメートル、体重百キログラム、日本人としてはほぼ最高といっていいくらい恵まれた体躯。モデルみたいにスラッとしていながら、鋼のように引き絞られた筋肉が全身を覆っているのを俺は知っている。眼鏡が似合う切れ長の目をした美丈夫。頭も良くて、勉強もめちゃくちゃできる。
そんな俺の自慢のタカにぃは、俺が生まれたときから実家のご近所さんで、一歳違い。幼稚園も小学校も中学校も一緒。血は繋がっていないが、本当に俺にとって兄貴みたいな存在だった。
俺が陸上を始めたのだって、タカにぃに影響されたからだ。小学校までは、タカにぃのほうが俺よりも走るのが速かった。
俺はタカにぃみたいになりたくて、来る日も来る日もタカにぃを追いかけて追いかけて追いかけて、気がついたらいつしか走るのだけはタカにぃを追い越していた。
タカにぃの百メートル走のベストタイムは十秒四。タカにぃは短距離以外にも、なんでもできる。幅跳びも投擲も、俺なんかでは歯が立たない。その中でも一番タカにぃに合っていたのが槍投げで、九十メートル七十七、現在日本記録保持者だ。
俺がこの譜城山学園への入学を決めたのも、去年タカにぃがここに進学したことがとても大きい。
「あら、お知り合い?」
「ええ……、まあ……」
生徒会長に問われ、タカにぃは少し困ったように言葉を濁す。
「た、タカにぃ、俺っ……」
「芹生くん」
会いたかった、会えて嬉しいよ、溢れる思いを伝えたかった俺を、タカにぃは冷徹な口調で遮った。
「君は学園から、退学届の提出を命じられたはずだ。それを今日、持参したという認識でいいのだろうか?」
タカにぃから発せられたのは、親しみの欠片もない、残酷で事務的な確認だった。
入院中、タカにぃが怪我した俺を見舞いに来ないのは、落ち込んでいる俺を慮ってくれているからにちがいないと思っていたのに……。
タカにぃにとって俺はもう、同じ学校に通えなくてもまったくどうでもいい、赤の他人のような存在になってしまっていったってことなのか……?
何も答えられず、すがるように向けた視線の先のサーリャは――、我関せずといった風情でのんびりと欠伸なんかしている。
集団催眠とか、使えるんだろ? 助けてくれないのかよ……。
ふと、サーリャと目が合った。
俺が絶望に溺れかけた表情であるのを見て、サーリャはにやりと満足げに笑う。
「こうしてはどうだろうか、生徒会長殿、副会長殿」
周囲の注目を一身に浴びるのもおかまいなしに、サーリャはずいっと前に進み出た。
「あなたは……?」
怪訝そうに、生徒会長に問われるも、
「今は吾輩のことなど気にせずともよかろう」
一蹴してみせる。
「それより、芹生龍征の足の怪我は、実は完全に治っているのだ」
「「「「「ええっ!?」」」」」
この場にいるかなりの人数から、ほぼ同様に驚きの声が上がる。
正直、俺自身も叫んでしまっていた。
「こやつが退学となる理由は、もはや以前のようには走れなくなったせいなのであろう? それが、以前と変わらず、いや、リハビリのおかげでそれ以上に走れるようになっているのだとしたら、いかがか?」
一人涼しい顔で、サーリャは尋ねる。
「それは……」
返答に窮する生徒会長と、
「そんなはずが……、アキレス腱断裂なんだぞ!?」
反論するタカにぃ。
だよな、俺だってそう思う。
「信じられぬか? それなら……そうよな、放課後、校庭で百メートル走のタイム測定をしてみるというのは? 全校生徒が見守る中、証を立てて見せれば異存はあるまい?」
自信満々に、サーリャはぶち上げた。
「よろしいですわ。そこまで仰るのでしたら、測って差し上げましてよ? 放課後、お待ちしていますわね」
にっこりと、売られた喧嘩をお買い上げなさるように、生徒会長は優雅に応じ、踵を返す。
それに倣って、タカにぃと、十数名の柔道部員たちは、一斉に生徒会長の後を追い教室を出ていった。
呆気に取られている俺に、
「目にもの見せてやれ」
サーリャはそれはそれは楽しげに、白い歯を覗かせた。
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