第4話

 この部屋を見回すかぎり、どこにも料理は置かれていない。箸や食器もない。明らかに、食事の用意ができていないのだ。

 にもかかわらず、永霞はすでに何かを食べる気満々。それって、つまり……。

 お、俺が、食われる!?

 永霞が、ふらあっとよろめいた。

 かと思うと直後、俺にがばあっと覆い被さってきたのだ。

「うわああああああああっ!?」

 噛みつかれる! 食い千切られる!

 両腕の自由を奪われた俺は防御することすらできず、ただ身体中の筋肉に力を入れ痛みに備えるしかない。

 だが――。

 がぶり、ではなく、ふわっと。永霞の唇が触れた。その場所は――。

 俺の、唇。

 っちゅうううううう~~~~~~~~~~っ!

 俺の頭を抱きかかえるようにして、永霞は執拗に唇を押しつけ続ける。

 それと同時に永霞の素肌が、裸の胸が、やはり裸の俺の胸部に当たってくる。

 むにゅっと、柔らかくて、すべすべで。ヤバい。気持ちいい。気持ちよすぎる!

 やがて――。

 あむっ、にゅるんっ。

 永霞の舌が、俺の唇をこじ開け、口腔内に侵入してきた。

「はっ……む、……ふぅぅっ!?」

 脳髄を電撃が駆け巡るような、快感の嵐が到来する。

 目をきつく閉じても、チカチカと瞼の裏で光が明滅する。

 長い、長い、あいだ。

 俺は永霞に唇を吸われ続け、舌と舌を絡ませられ続けた。

 ぷはああっ……!

 ようやく顔を離してくれた永霞が、大きく吐息を漏らす。

 つう~~~っ、と唾液が細く透明な糸を引いて、俺と永霞の唇をまだ繋いでいた。

 俺は目を見開き、ぱくぱくと酸欠の金魚のように口を開閉しながら、永霞を見つめるしかない。

 素っ裸の女の子と、キスをしてしまった。それも、すごくディープなのを……!

 俺の視線に気づき、やっと我に返ったらしい永霞は、頬を紅潮させ、瞳を潤ませ、自分の唇に指を当て、恥じらいの表情を見せる。

「ご、ごめんなさいっ、芹生くんっ……! でも……、ごちそうさま、とっても……美味しかった……」

 永霞は謝りつつ、素直な感想を述べた。

 美味しかったって……。え、まさか今のが……不死者の眷属にとっての、食事なのか……!?

 そのとき、ガチャリと、部屋のドアノブが回り、

「どうだったかな、眷属となって初の晩餐は?」

 サーリャが室内に入ってきた。

 膝立ちの体勢だった永霞が、力が抜けたようにぺたんと尻餅をついた。

 怯えた表情で、真祖を見上げる。

「さて、腹も膨れて落ち着いたところで、相互理解を深める必要があると思うのだが?」

 人を見下したような態度は相変わらずなものの、これまでで一番友好的な言葉がサーリャの口からこぼれた。

 俺も、二度も簡単に敵対行動を撃退されてしまった手前、おとなしく相手の出かたを窺う作戦へと切り替えることにする。

「不死者の眷属の食事っていうのは、キスをすることなのか?」

「いかにも。キスだけでなく、濃密な素肌の接触によっても同様の効果が得られるがな。そちらはまだ試していないのか? 永霞叶詠、今やってみるがいい」

 藪蛇だったか!? またしても永霞の意思を無視した命令をサーリャは下す。

 しかし、ちょっと頭を冷やして観察するに、サーリャとしては普通に眷属の所作を手ほどきしているようでもある。

 立場や価値観の違い。それがあまりにも隔たりすぎていて、人間側から見ればとんでもない悪意として捉えられるのかもしれない……?

「え……あ、うぅ……」

 それでも、命じられた永霞は、たまったものではない。

 葛藤が、真祖への絶対服従に、抑え込まれていくのが、傍目にも見て取れた。

 よろよろと、永霞が再び俺に手を伸ばし、接近する。

「眷属の存在維持に必要なのは、精気――貴様ら下等生物でいうところの性欲に分類される、精神的生命エネルギーなのだ」

 サーリャがまじめに解説する。言葉次第で、下世話な内容もかっこよく聞こえるものなんだな?

「ご、ごめん、ね、芹生くん……。嫌かもしれないけど、我慢、し、て……」

 泣きそうな顔になりながら、強制されている永霞が詫びてくる。

 そんな、そんな顔しないでくれよ……。永霞は、なんにも悪くないじゃないか……!

「ぜ、全然イヤとかじゃねーよ? 永霞みたいな可愛い女の子にっ、そのっ、嬉しくない男なんていねーんじゃねーかなっ?」

 テンパった俺は、あまり慰めるのに適切とも思えないセリフを口走ってしまう。

「け、けどこんな……、永霞は恥ずかしくないのか……?」

 さっきまで唾液が溢れていた口の中が、カラカラに渇いていた。

 俺は、恥ずかしかったのだ。恥ずかしくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、思わず浮かんだ思いをそのまま口にしてしまっていた。

 だが、最悪だ。聞かなくても予想がつくことを、おそらく永霞が一番聞いてほしくないことを、聞いてしまうなんて……!

「恥ずか、しい、よ? 恥ずかしくて、死んじゃいそうだよっ……」

 やっぱり。

「……でもね、私、嬉しかった。芹生くんが、私のために怒ってくれたこと。人間としての思い出は……、それだけあれば、十分かなって、思えたから……」

 泣き笑いの表情で、永霞は言った。

 こんな可愛い女の子を泣かせるやつが――、こんな素敵な女の子の人生を奪ったやつが、俺は絶対に許せない。

 サーリャを鋭く睨みつけた、刹那。

「こう、か、な……?」

 永霞が俺に抱きつき、胸を押しつけてきたのだ。

 永霞の身体からは、とてもいい匂いがする。甘い、花のような、お菓子のような。

 俺たちは、本当に死んでいるのか? 実は、サーリャに騙されているんじゃないか? 疑念と願望が、拭い去れない。

「永霞っ!? なっ、なにをっ!?」

「だって、食事だからっ……」

 永霞は俺に密着するだけでなく、くっついたまま身体を上下に擦りつけ始めた。

 むにゅむにゅと変形しながら永霞の二つのふくらみが、俺の胸部や腹部を刺激する。おまけに、ふくらみの中心部分にある、二点のこりこりした感触がくすぐったい。

 食事? これが? ヤバい。ヤバすぎるだろこんなの……。

 などと脳みそが沸騰しそうになったところで、冷や水をかけられるような事実に気づいてしまう。

 これほどの興奮状態にあるというのに、全然、胸が苦しくないのだ。心臓の音が、聞こえない。ぴったりと吸いつくみたいに接触している永霞の胸からも、鼓動は伝わってこない。

 体温は、少し低い気もするけど、普通に感じられる。涙も出るし、いい匂いの体臭だってある。

 にもかかわらず、俺と永霞の心臓は、動いていない。

「はっ……、んっ、あんっ」

 幸か不幸か、俺が絶望の淵に沈みそうになるのを、永霞の嬌声が妨げた。

 太ももまでを俺の下半身に絡めてきた永霞は、物欲しそうな、甘えたねだるような瞳を向けてくる。

 そんな表情で見つめられたら……。俺の中で、永霞への愛おしさが爆発しそうになる。

 にちゅっ、ぬるっ、と永霞の太ももの付け根から、水っぽい音が聞こえ出した。これはかなり、まずいんじゃないだろうか……!?

「はあぁぁぁっ!!」

 ぴくんっ、ぴくんっ!

 永霞の全身が二度、大きく跳ねた。そして乱れた呼吸のまま、小刻みな震えを止められずにいる。

 俺はぎゅうっと永霞を抱きしめ、永霞の横顔に自分の横顔を触れさせ、頭を撫でる。

「もう充分だろう? 永霞に、もう服を着させてやってくれ。……これ以上は俺が、目の遣り場に困る」

 俺は最大限真剣な声と眼差しをサーリャに投げた。

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