第2話

 俺は入学式その日に、やらかしてしまった。

 申し込みが遅くて学園寮はすでに満員だった。とはいえさすが生徒数約五千人プラス教職員約五千人のマンモス校、徒歩十五分以内の場所のアパートに部屋を借りることができた。

 学園に通うための下宿に引っ越してきたのが前日。

 最高の学園生活を約束されたも同然の俺は、山積みになった段ボールの荷解きもほどほどに布団に入ったものの。希望と期待に胸が膨らみ、なかなか寝つけなかった。

 そして当日の朝八時頃、興奮状態を持続したまま意気揚々と通学路を歩いていた俺は、それを発見してしまう。

 初等科の児童と思しき六、七歳くらいの女の子が一人、渡ろうとしている横断歩道の向こうから、一台の大型トラックがかなりの速度で、まったくブレーキを踏む様子なく突進してくるのを。

「危ないっ!」

 俺は全力で走った。

 俺ならば、間に合うはず。

 女の子を抱きかかえ、横断歩道を渡り切ろうとした、そのとき――。

 ドンッ!

 わずかに残っていた右足が、トラックの正面にぶつかり――。

 俺は吹き飛ばされるように、転倒した。

 女の子をしっかりと、頭を打たないように包み込むようにして倒れた俺を、俺は褒めてやりたい。

 ブロロロロロローーーッ!

 トラックは止まりもせず、逃走。

「ぐぅっ……!」

 右足首踵付近に激痛が走った俺は、その場にうずくまるしかなかった。

 結局俺は、入学式で学園の門をくぐれさえしなかったのだ。

 診断は、アキレス腱断裂。

 学園の付属病院のベッドで一か月を過ごし、さらに一か月懸命にリハビリした。

 そして医師から、もう二度と以前のようには走れないだろうと告げられた。

 やっと松葉杖なしで普通に歩けるようになった俺は、今日。

 校長室に呼び出され、退学届けの提出を命じられた、その帰りだった。


     †


 真っ暗だった。

 俺は毛布を掛けられるでもなく、身一つで硬い床の上に横たわっていた。

 そこに、ぽぅっと、小さなランプの灯りが点った。

 まるで夢の中にいるみたいに、身体は鉛のように重く、思考の巡りもやけに悪い。ただ、薄ぼんやりとした視界に入ってくる景色だけが機械的に認識されていく。

 床は、フローリングだとわかった。そして、俺の二メートルほど先に、もう一人誰かが横たわっていた。

 胸が膨らんでいるので女性だとわかる。髪も長い。ツインテール。譜城山学園の制服。それは、胸のあたりから放射状に赤黒く染まっている。

 ――永霞叶詠だ。

「私……生きてるの……?」

 ごろりと仰向けになり、右手の甲で額を擦る。

 永霞は起き抜けのような状態で、まだ寝ぼけているように頭が働いていないのだろう。俺と同じだ。

 ここは、どこだ? そもそも、どうして、ここにいるんだ? 前後の記憶が定かではない。

「不正解、生きてはおらぬなあ」

 小馬鹿にしたような声が、響いた。

 黒ずくめの……、あいつだ! 俺と永霞は、やつに殺されたはず……!

「あなたはっ……! 私をっ……!」

 がばっと身を起こした永霞が、可愛らしい顔をこわばらせる。

 俺と一致する結論に達したのだろう、永霞の動揺が手に取るように伝わってくる。

 ランプが置かれた木製のテーブル。その横の椅子に、やつは優雅に足を組み座っていた。

 青い瞳は神秘的で、吸い込まれそうになる。銀色の髪は美しすぎて、現実感が薄れている。白いは白いのだが、生気のない青みがかったような、灰色がかったような肌。色白の美少女が死んだらきっとこんな肌になるんじゃないだろうか? そんな気がした。

「おっと、まだ名乗っていなかったな。吾輩は、サーリャ・ノヴガルド・ストリゴイ。不死者ノスフェラトゥが真祖の一を担っている」

 もともと不遜な態度だった少女が、さらに尊大に胸を張る。

「不死者……? 真祖……?」

 一方、それを聞かされた俺と永霞の反応は冷えたものだ。

 もしかしてこいつちょっと、やばいやつなのか?

 が、すぐに――。

 ある違和感に気づく。

 確か、こいつの左腕は、永霞に斬り落とされたはず……。なのに、今目の前のこいつは、組んだ膝の上で両手の指を絡ませている……!

「あなた……その手……」

「ああ、これか? 貴様の太刀筋がよかったおかげで、ぴたりとくっついた。大したものだな?」

 声を震わせる永霞に、平然と答える。

 手品でないとしたら……本物?

 ぞくりと背中を冷たいものが走る。今度は馬鹿にしたわけではなく、恐怖のためだ。

「どうした? 貴様は名乗らんのか? さすが下々の者は、礼儀がなっていないなあ?」

「永霞、永霞無間流、永霞叶詠」

 名乗りながら、永霞は視線を素早く左右に走らせた。日本刀を捜しているのだ。

 日本刀は、あった。サーリャと名乗った少女が座っている位置とは反対側、部屋の隅の壁に二本、立てかけられている。

「よかろう、永霞叶詠。これで吾輩と貴様は、今より正式な主従関係となった。忠義に励めよ」

「どの口が言ってるの? ふざけないで!」

 俺の心中を永霞が代弁する。

「まだ、己の置かれた立場がわかっていないようだな?」

「立て、永霞叶詠」

 売られた喧嘩は買う主義なのか、すっくと永霞は立ち上がった。

「服を脱げ」

 が、サーリャの口から次に出た言葉は、あまりにも脈絡がなさすぎるものだった。

 馬鹿なの? 俺は思った。てっきり永霞もそう返すと思っていた。

「くっ……」

 しかし――。

 なぜか苦しげに呻いた永霞は、両手を胸元へと上げる。

 そして――。

 ぷち、ぷち、ぷち、と制服のブラウスのボタンを外し始めたのだ。

「なんっ……でっ……! 身体が……勝手にっ……!」

 ついに、ブラウスの前は完全にはだけ、白いブラジャーに包まれたバストがさらけ出される。

「ほう、なかなかたわわな乳房をしているではないか。剣を振る際、さぞかし邪魔であろう?」

 羞恥心をことさら煽るようなことをサーリャは言った。

 彼女自身の胸がなだらかな曲線であるため、幾分の嫉妬と羨望が混ざっているようにも受け取れる。

「い、やぁっ……」

 消え入りそうな声が、永霞の口から漏れる。

 にもかかわららず、永霞は己の露わになった胸を手で隠そうともしない。

 もしかして永霞ってば、露出狂なの? 言葉とは裏腹に、見られることに快感を覚えちゃってる、ドMさんなの? 場違いな俺の妄想力が、むくむくと頭をもたげる。

「……はて? 吾輩は、服を脱げ、と言ったのだぞ? まさかそれで終いではあるまい?」

 サーリャはすました顔で、無慈悲な問いを投げた。

 すると、ふるふると震える永霞の指が、律儀にスカートのファスナーにかかる。

 ジィィィィィッ、……パサッ。

 スカートが床に落ちた。

 白いぱんつが、それに収まり切らない艶めかしい尻たぶが、無防備に晒されてしまった。

「まだ、一枚、残っているな?」

 容赦ない。

 永霞は前屈みになり、両手でぱんつの両端を摘まみ、躊躇なくするすると下ろしていく。

 嘘だろ……? いくらなんでも、素直に従える内容じゃないだろ!?

 ところが、気がつけば、次の瞬間――。

 全裸。真っ裸。すっぽんぽん。

 永霞叶詠という校内でも屈指と思われる美少女が、一糸纏わぬ、生まれたままの姿で、俺の眼前に佇んでいた。

「そうそう、背筋を伸ばして、よく見せるがいい。足をもう少し開いてみせよ、余すところなくな?」

 サーリャは心底楽しそうに、椅子の肘掛けに頬杖をつき眺めている。

 一方、永霞は――。

 がくがくと、膝が笑っていた。明らかに、異様な反応。本当に心から嫌がっているのに、どうしても逆らうことができないかのうような。

 永霞の両手が、ぴくぴくと逡巡するように、小刻みに動いていた。大事な部分を手で隠したいのに、それさえ許されない恥辱に、今にも崩れ落ちそうに見えた。

 ぽろっ、と。永霞の頬を大粒の涙が伝う。溜め込んでいた感情が、決壊したのだった。

 やめろ……、もう、やめろ……!

「跪け。いや、四つん這いになって、吾輩の足の指を舐めよ」

 まだ、終わらなかった。

 サーリャの拷問は、永霞の身ぐるみを全部剥いだうえで、さらにその先を要求していた。

 それを聞いた、刹那――。

 なぜ、今の今までぼーっとこの私刑を傍観していられたのか、不思議でならない。俺は弾かれたように我に返り、己のなすべきことを理解した。

「やめろおおおおおおおっ!!」

 絶叫とともに、俺は跳ね起きる。

 本当は、まっすぐにサーリャへと飛びかかって、ぶん殴ってやりたい。だが、相手はククリで躊躇なく永霞の心臓を一突きした快楽殺人者だ。

 武器が要る。

 壁に立てかけられた日本刀に向かって、俺は一目散に駆けた。

 手を伸ばす。柄を掴んだらすぐに反転して……!

 結果を先に言うと、俺の指先は、何にも触れなかった。

 愕然とする。瞬きをした直後、日本刀は壁の前から跡形もなく消え去っていた。

「探し物は、これかな?」

 背後から声をかけられ、振り返る。

 サーリャ! いつのまに!?

 ヒュンッ!

 刃が一閃される音。

 バシャアアアアアッ!

 何か大量の液体が、ぶちまけられた音。

 ドサァッ、ゴロンゴロンッ、と何かが床に落ちて転がる音。

 奇妙なことに、それに合わせて俺の視界も回転する。

 ゴツンッ。

 後頭部が壁にぶつかった痛みと衝撃を覚えたそのとき、再び視界が固定された。

 俺の目に映っているのは、日本刀を横一文字に振り抜いたサーリャと――。

 直立した、首のない俺の身体。

「きゃあああああっ!!」

 絹を裂くような、永霞の悲鳴が上がる。

 いまだにドクドクととめどなく、首から噴水のように鮮血を噴き上げたまま、グラリと俺の身体が傾き――。

 バタンッ。

 倒れたと同時に、俺の意識もブラックアウトした。

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