第2章ー第4話 火の国
森を抜けると肌寒く感じる程、ぐっと気温が下がっていた。目の前に見える山々は雪化粧に彩られている。森に居たから感じなかったのか、それとも森が防寒の役割を担っていたのか。
火の国とマールが言っていたので熱い国を想像していたが、どうやら雪国のようだな、と春馬は思った。
マールは雪山に向かって歩いている。山越えをするのか。それにしては装備が軽装過ぎる。凍死しないだろうか、と春馬は少し心配になった。
「この近くに町でもあるのか?」
「いえ、ここから一番近い町、というより国は火の国です」
「火の国ってのは山を越えるのか?」
「それも違います。火の国は目の前に見える山に沿って作られた国です」
マールの言っていることが正しければ間違いなくこの服装で行けるような場所ではない。和装というのは見た目よりは暖かいが、雪国に行けるような格好ではない。それにマールの格好もやはり雪国には適していない。
春馬が腕を擦りながら雪山を見ていると、マールは何かに気付いたようで口を開いた。
「春馬さんは火の国はご存知ではないのですね」
「ああ。俺は風の国ですら良く知らないからな。というかこの世界のことはほとんど知らないぞ」
世界という単語に違和感を覚えていたようだったが、気にせずマールは答える。
「火の国というのは名前の通り火のクリスタルを中心にして栄えた国です。火のクリスタルの加護があり、風の国より暖かい、というより熱いというのが正しいですね」
「クリスタルか」
風の国に風のクリスタルがあるように、火の国にもクリスタルがあるらしい。その時、春馬の頭にある考えが過った。
「ちょっと待ってくれ。火の国にもクリスタルがあって、帝国が向かった先も火の国だったよな。それなら火の国も危険なんじゃないのか?」
「――まずいですわ」
春馬に指摘されるまでマールも気付いていなかったようだ。この数日、命を狙われ続けていたのだから仕方がない。だが、その可能性があるならマールは火の国に行くべきではない。春馬にはリリアンを探すという目的があるが、マールは帝国に見つかれば再び命に危険が及ぶ。
「マールは火の国に行かない方が良いと思う」
春馬は思ったことをそのまま伝える。
「ええ、そうかもしれませんね」
そう言っているのにも関わらず、マールは火の国へと向かう歩みを止めようとしない。
「分かっているんだろう? 火の国には帝国がいるかもしれないし、また襲われるかもしれないんだぞ?」
「その時はその時です。火の国の叔父様以外に頼れる当てはありません。どちらにしても火の国へと行けなければ私の復讐は成し得ません」
やはりマールは自分の命より復讐に重きを置いている。いや、復讐以外に考えることを止めているのだろう。
「俺の話を聞いても止める気は無いんだな?」
「ええ。私もこの道を歩んだ先に何が待っているか分かっています。それでも進むしかないのです」
そう言ってマールはやはり悲し気に笑う。その笑顔を見て春馬は気付く。まだマールには感情が残っている、ということは完全に鬼に取り憑かれてはいない。春馬が鬼に取り憑かれた時、感情も何も浮かばなかった。春馬の見える世界は全て色味を失い、何があっても心に響くことはなかった。
「――俺が騎士になったら復讐は止めるか?」
気付けばそんなことを春馬は口にしていた。春馬は主君に辛い思いをさせられて、復讐まで果たした。いくら相手が違うと言っても誰かに仕えるということに変わりない。主君に命令されれば逆らわず、従うしかない。春馬も主君は恨んだが、実際に手を下した武士に恨みは抱かなかった。桜は主君の理不尽な我儘に殺されたのだ。主従関係に良い気持ちを思っていないのは間違いない。
それでも鬼に堕ちようとするマールを救えるのなら、と春馬は思ったのだ。
マールにも春馬の気持ちは伝わっていた。でもマールの答えは決まっていた。
「ごめんなさい。私は何を犠牲にしても復讐を成し遂げます。私の命が潰えるまでは!」
「そうか……」
知り合って間もない自分が仕えたところで復讐心が消える訳がないか、と諦めせめてマールを無事に火の国へと送り届けよう。そう春馬は決意した。
雪山に向かえば向かうほど、気温が上がっていた。それなのに足元には雪が薄く積もっている。この世界の雪は暖かいのか、と雪に触れてみるがやはり冷たかった。外気だけが何故か暖かい。これがクリスタルの加護というやつなのか。
空を見上げると雪が降り始めて来た。雪が降るということは上空は見た目通り寒いのだろう。
しばらく山を上って行くと、ある一定の場所から線を引くようにして雪が積もっていない場所が目に付いた。そこに足を踏み入れると、まるで初夏のような空気を感じた。
「暖かいっていうより、熱いな。マールの言っていた通りだな」
「そうです。火のクリスタルから球を描くように加護が働いていて、初夏のような気温を常に保っているのです」
火のクリスタルの加護下に入ると目の前には大きな都市が見えて来た。降りしきる雪が都市を隠していたのだろう。加護下に入らないと都市が見えないようになっている。
「帝国が火の国を見付けられない、ということはないのか?」
「可能性はありますが、火の国を知らなければただの雪山です。そんな場所に帝国が向かうとは考えにくいですね」
「存在を知らなければ、ここへは来ないということか」
ならば火のクリスタルの加護下に入ったら帝国兵に襲われる危険が増す。ここからは慎重に行動しなければ、と春馬の緊張が増した。
警戒しながら歩みを進めて行くが、帝国による奇襲はなかった。そして何事も無く、火の国の関所が見えて来た。
「そこの二人、止まれ。よそ者だな? 火の国に何用だ?」
火の国の門番に声を掛けられた。
「私は風の国の王女、マールです。叔父様に面通りを願いたいのですが」
何を言っているんだ? という顔をして訝しんでいた門番だったが、マールの顔を見て驚き、慌てて姿勢を正した。
「これは失礼致しました。今、陛下に話しを通して参りますので、中に入ってお待ちください」
そう言ってマールを関所の控室へと案内する。春馬もマールと共について行く。そして口を開く。
「俺の役目はここまでだ」
「そう、ですわね。すみません、どうもありがとうございました。この御恩はいつか必ず返します」
「気にするな。元気でな」
簡単な別れを済まし、春馬は控室から退出する。こうすることしか出来なかったんだ、と自分を納得させる。それに自分にはリリアンを探すという目的があるのだ、と言い聞かせて城下町へと向かうことにした。
「おい、お前……。ああ、なんだ」
関所から出ようとした際、門番のエルフに声を掛けられた。だが、春馬の姿を確認すると一人納得し、用は無いといった様子で立ち去った。ヒトがエルフの国にいて驚いたのだろうか。何か引っかかったが、気にしても分からない。それに変に蒸し返して追い出されたらかなわない。
火の国の城下町は風の国と比較すると縦に大きな建物が多かった。山の斜面に国があることから土地の狭さを補うための知恵だろう。それに建物の屋根からは銭湯のような煙突が建ち、煙が立ち上っていた。
こんな広い町で人探しをするのは困難だろう。しかも帝国兵は人目を避けて行動する。普通に探しても見つからないだろう。とは言っても、まずは情報を集める必要がある。町で情報が集まる場所といえば酒場だろう。風の国でも行商人達はアディの店に来て情報交換をしたり、常連の世間話など情報に溢れていた。それを思い出し、春馬はリリアンに習ったエルフ語を使って酒場を探す。エルフ共用語というだけあって、火の国でも同じ言葉が使われていた。
「すまない、酒場の場所を教えてくれるか?」
「あ? ああ、アンタ達か。酒場なら東通りにあるぞ」
「ん? ありがとう」
――まただ。
「東通りっていうのはここを真っ直ぐでいいのか?」
「お、おお。そうだ。……やっぱりヒトがいるってのは慣れないな」
――これで何度目か。火の国のエルフに声を掛けると驚いた反応をされ、その後普通に会話をしてくれる。風の国でも初めての相手には驚かれたが、それは好奇心から来るもので、この国のエルフ達は恐怖から来る驚きである。
帝国が来ていることと関係があるのか? そう考えるが、それでは話が繋がらない。帝国に敵対し、恐怖しているのなら普通の会話は成立しない。そもそも入国すら出来ない、という状況でなければおかしい。関所ではマールに付いていたから、という理由で納得も出来るが、俺の素性を知らないエルフ達の反応は明らかにおかしい。春馬をヒトと認識してからの会話、それに『アンタ達』という言葉を発したエルフもいた。それはヒト種全てを指す言葉なのか。
「分からん。分からんが嫌な予感がする」
国に入ってからの違和感。俺という『ヒト』に対して嫌悪や恐怖を感じながらも、エルフ達は意識して普通に接しようとしている。
居心地が悪い。 他国、そもそも異世界なのだ。居心地の良い所なんて、この世界にある訳がなかったのだ。
思案しながらも歩みを進めていると、賑やかな通りにへと出た。ここがこの町の繁華街だろう。風の国は広場に市場が開かれる程度の大きさだったが、ここは城まで続く坂道の両側に店が立ち並び、同じような店がしのぎを削っている。「うちの店は安いよ!」「うちの店は美味いよ!」など、同じ飲食店でも店の売りを宣伝し、客を集めている。風の国には飲食店と酒場を兼ねたアディの店しか飯所はなかったが、争っても互いに利益が上げられるほど、町は活気づいているのだろう。
ただ、それだと集まる情報が分散してしまう。全ての店を回って情報を集めてもいいが、効率も悪い上に金もかかる。森でマールから少しは金を渡されているが、全てを回る余力はない。
どの店にしようかと通りを歩いていると、あることに気付く。味が良いと宣伝している店は金額が高い。その店に行く客の服も質の良い物を着ている。逆に安さを売りにしている店には、当たり前だが集まる客も質素であったり、あまり綺麗とはいえない服を纏っている客だったりする。
今、春馬が必要としているのはリリアンの情報で、それは帝国の情報である。身なりの良い客が帝国や裏の話をするとは思えない。それならば春馬の向かうべき場所は値段の安い酒場と決まって来る。
春馬は何軒かある酒場の中で値段が最も安く、客入りの多い店を選んだ。
店に入っても給仕は現れず辺りの様子を覗うと、客は店主のいる机で金を払い、酒や料理を受け取って空いている席に座っているようだ。店主の机にも席が設けられ、常連客は店主と話しながら酒を飲んでいる。
酒場の店主であれば、この店の中で一番の情報通に違いない。そう思った春馬は店主の机に腰を掛け会話に耳を傾けることにした。
「……いらっしゃい。何にする?」
先程まで楽しそうに談笑していた店主が春馬の顔を見た途端、愛想がなくなり要件を早く済ませろ、という態度で取った。この国ではヒトは好かれていないのだろう。そう考えたことでリリアンの言葉を思い出した。この世界にいるヒトは全て帝国人である、と。風の国は帝国に攻められるまで帝国との関わりがなかったから春馬に対しても嫌悪感を示さなかったのだろう。つまり火の国には最近、帝国との関わりがあった、ということに違いない。
「麦酒をくれ。……それと聞きたいんだが、最近帝国がこの国に来たのか?」
注文を受け後を向きながら酒を用意していた店主だが、春馬の言葉を聞き猜疑心のこもった目を春馬へと向けた。
「帝国が最近来たか、だって? おかしなことを言うやつだな。お前も帝国人じゃないか」
「いや、俺は違うんだ。俺は風の国にいたんだ」
「ああ、お前が風の国を奪ったって奴か。まったく帝国人は酷いことをするもんだな」
話が噛み合っているようで噛み合わない。
「違う。俺は風の国で暮らしていたんだ」
「別部隊とかってやつか? それなら知らないってこともあるのか。もちろん帝国はずっと来ているよ。王様が決めたことだから俺達国民は逆らえないが、良い気はしないね。他のエルフ達も心の中では思っているよ」
ほらよ、と麦酒を雑に机に置くと、もう話す気は無いと店主は顔を背けて席に座るエルフと会話を再開した。これは近くに座ると嫌な顔をされて何も情報を得られないだろう、と思い他の開いている席に座ることにした。だが、気になる情報は得られた。店主の話では、火の国は『元々』帝国人の出入りがあったようで、それは王が許していることらしい。つまり秘密裏や隠れてではなく、火の国と帝国には公に交流があるのだ。つまりこの国の王、マールの叔父は帝国側のエルフである可能性が高い。それはマールに危険が迫っている可能性が高いことも示している。そうなれば帝国は王の元にいる可能性が高く、更にはリリアンもそこにいる可能性がある。
それならば今すぐに城へと向かう必要がある。ヒトは全て帝国人だと思ってくれているのなら、止められることなく城へと入れるかもしれない。そう考えた春馬は麦酒には一度も口を付けず席を立ち酒場を後にした。
※
酒場を出て城へと続く坂道を上って行くと、外套を被った者が春馬の行く手を遮った。
「ちょっとお兄さん、どこへ行くのかな?」
帝国人か? と春馬が警戒していると、目の前の男は被っている外套を外した。その男の耳は長く尖っていた。
「城に用があってな」
「ふーん、それは困るよ。お兄さんには付いて来てもらうよ」
そう言って辺りに視線をやると、いつの間にか春馬は外套を被った集団に囲まれていた。この状況で抵抗してもやられるだけだろう、と観念し春馬は従うことにした。
春馬が連れて行かれたのは東通りから更に東へに位置する東裏通り。
「お前達は帝国人なのか?」
「いやいや、それはもちろん違うよ。この耳が見えないかい? 帝国人ってのは『ヒト』しかいないんだよ?」
自分の耳を触りながら春馬の質問に答える。
「じゃあその格好はなんだ? それは帝国の物だろう」
「へえ、そうことは知っているんだ。じゃあ、さっきの質問も馬鹿とは言い切れないね。そう、これは帝国の物だよ。だけど、オイラ達は帝国人じゃない。俺達はただの雇われさ」
エルフと帝国は敵対しているとばかり思っていたが、帝国に雇われるエルフもいるのか。特に火の国のエルフは帝国を毛嫌いしていると思っていたが。
そんな春馬の考えを読み取ったのか、エルフは口を開く。
「まあエルフも一枚岩じゃないってことだよ。まあ、察しは付いていると思うけど、城へは行かせないよ。というか、どこも行かせない」
そう言ってエルフは目で仲間たちに合図をする。合図を受けたエルフの仲間達は外套から武器を取り出す。ジレスを襲っていた連中と同じ武器で、蒸気を噴き出し、のこぎりの様な刃を回転させた。
それに遅れず、春馬は和傘を放り投げる。
――もちろん、刀は春馬の手に残したまま。
春馬を囲む外套の連中は和傘につられて視線を上げる。だが、エルフは春馬を見据えていた。春馬の目論見に気付いているのか。だが、一人に構って千載一遇の機会を失う訳にはいかない。
エルフの視線が気になったが、それでも無防備な首を切り裂いていく。
投げた傘が再び春馬の手に戻る。――小さな金属音と共に。
その刹那、春馬を囲む連中の首から鮮血が溢れ出す。血に濡れることを避けるよりも、エルフを視界から離さないように体を向ける。正面の外套からの鮮血が春馬に降りかかるが、それでも瞬きもせずエルフを見つめていた。
「へえ! お兄さん、やるね!」
仲間たちが次々と倒れて行くのを見て、エルフは笑いながら拍手をしていた。
「気に入ったよ。俺が城へと連れて行ってあげる」
そう言って近づいて来るが、春馬は刀を再び抜いて対峙する。
「おや? どうしたっていうんだい? 城へ行きたいんだろう? それならオイラが連れて行ってあげるって言ってるだろ?」
悪戯っ子のような笑顔を浮かべながらエルフは春馬を煽る。その態度に敵意は無いようだった。
「……わかった。案内してくれ」
溜め息を吐き、刀を再び和傘へと仕舞う。正直、一人で城へ潜入するなんて難しいと思っていたのだ。敵とはいえ、城へと連れて行ってくれるなら渡りに船だろう。
「度胸もあるね! ますます気に入ったよ。オイラはペテル、お兄さんは?」
「……ハルマだ」
「ハルマか。良い名前だね。これからよろしく!」
そう言ってペテルは手を差し伸べた。春馬も渋々といった様子でペテルの手を握り握手を交わす。ペテルは屈託のない笑顔を浮かべ力を入れてその手を握り返す。
春馬に奇妙な知り合いが出来た瞬間だった。
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