第2章ー第2話 森の主

 森の中心部へ辿り着くとジレスは警戒を強め始めた。

「姫様、もう直ぐ中心部です。ここからはグリフォンの住処です」

「そうね。グリフォンは昼行性の生き物ですから静かに進めば刺激することはないでしょう」

「ハルマも分かったな? 起こさないように慎重に進むんだぞ?」

春馬にはグリフォンが何か分からなかったが、森の主で危険生き物だということは分かっていたので素直に頷いた。

 慎重に歩みを進めていくと森の異変にジレスが反応した。

「森が荒らされています。おそらく帝国人が森を抜ける際、真っ直ぐ切り抜けるために薙ぎ倒して行ったのでしょう」

大きな神輿が無理矢理通ったように木々が左右に切り倒され、大きな道が作られていた。一方は風の国へと続く道で、もう一方は火の国へと続いているのだろう。何の迷いも無く、一直線に道は続いていた。確かにこれなら案内人などいらないし、迷うことなく森を抜けられる。エルフ達が帝国人を野蛮だと言う理由も分かる気がする。倭の国にも表れた南蛮人が、エルフにとっての帝国人のような存在なのだろう。急に現れ、全てを奪う野蛮なヒト。帝国人は倭の国に現れた南蛮人と同じかもしれないな、と春馬は思った。

 「これは危険です。森を荒らされてグリフォンが黙っているとは思えな――」

ジレスの言葉途中で聞こえなくなった。鳥のような鳴き声にかき消されたのだ。その声は春馬がこの世界に漂着した時に聞いた生き物の声と同じだった。

 「グリフォンが起きているようです。危険ですので姫様は自分から離れないようにして下さい」

「え、ええ。分かりました」

森に慣れ、風と共に生きるエルフもグリフォンの存在は恐ろしいらしく、二人に緊張が走っていた。マールも素直にジレスに従っていることで、事の重大さが分かる。倭の国にも羆など大きな生き物が人間を襲うといった話は聞いたことがあるが、それでもここまで警戒はしない。春馬はその姿が想像出来ず、二人のように緊張することはなかった。羆くらいならば男二人でかかれば仕留められるだろう。そう春馬は思っていた。

 「――大きいな」

だからだろうか。グリフォンを目の前にしても、そんな簡単な感想しか春馬には浮かばなかった。

 グリフォンの声を聞いて鳥の鳴き声のようだ、と思った春馬は間違いではなかった。頭はまさに鷹だったのだ。そして体は馬のような大きな体に、四本の足が地についていた。そしてその馬の身体からは大きな羽が生えていた。それは鷲だと考えるなら普通であるが、馬だと考えるならおかしい。だが鷲だと考えるなら羽は普通でも四本の足と馬の胴体はおかしい。それに良く見ると馬の身体ではなく、大きな猫のような体をしていた。それが馬であろうが猫であろうが、倭の国にこんな生き物は存在しない。馬の胴体かと春馬が勘違いしたのは、その体の大きさゆえである。前脚の鋭い爪、尖った大きなくちばし。一目見て危険な生き物だと分かる。

 春馬はグリフォンを初めて見て呆けていたが、ジレスは静かに両刃の大剣を構えていた。そんなジレスを嘲笑うかのようにグリフォンは大きく飛躍した。その動きはまさに猫。体格からは想像も出来ない俊敏さで三人を軽々と飛び越える。そしてグリフォンが飛んだ刹那、突風が三人を襲う。

 ジレスは何とか踏ん張り堪えるが、その風に煽られ、マールは飛ばされそうになるが、春馬がマールを支えて耐えた。そのまま飛ばされていたら、グリフォンの目の前に転がっていた。目の前の危機は何とか回避出来たが、危険の火種はまだ消えていない。

 グリフォンは再びこちらへと向き直ると不満気に声を上げる。その迫力に圧倒され、春馬は竦みそうになる。二人も何とか気力を奮い立たせ耐えているが、内心は恐怖でいっぱいだろう。この二人はここ数日で何度命の危機に晒されているんだ、と春馬は不憫に思った。その思いが二人を生かすのだ、という気持ちに変える。春馬も和傘から刀を抜き、中段で構える。グリフォンに不意打ちが決まるか分からない。もし駄目だった時、呆気なくやられてしまう。それならば迎え撃つ形の方が勝率は高い。そう春馬は判断したのだった。

 「ハルマ殿はちゃんと戦えるではないか! その構えは隙がなく、長年の経験を感じさせる。やはり、俺に嘘を吐いていたな!」

こんな時でもジレスは騎士の精神を振りかざし、春馬を糾弾しようとしていた。

「わかったわかった。後でいくらでも聞いてやるから」

そんなジレスに呆れつつも、少し体の緊張が解れた。だが、グリフォンは冷静になったからといって簡単に勝てる相手ではない。そもそも勝てるかどうかも怪しい相手だ。ここはやはりジレスと協力しなければ切り抜けられない。そう思った春馬は横目でジレスを見る。春馬の目には苦しそうに剣を構えるジレスが映った。

 「お前、大丈夫か?」

「大丈夫だ――と言いたい所だが」

帝国兵と戦った時の傷が残っているのだろう。剣を構えるだけでやっと、といった様子だった。これはジレスとの協力は見込めない。それどころか、ジレスに戦わせてはいけない。真正面からぶつかることしか知らない頑固物に待っているのは死だけだ。

 そんなにお人好しだったか? と自分で自分に問いかけるが、まあエルフだからか? といった考えしか浮かばなかった。この異世界に流れ着いた時、誰にも貸し借りを作らず、一人で生きて行こうと思ったのに、よく分からない関係をいくつも作ってしまった。そういうのはもう嫌だと思ったのに、嫌な気持ちはしていない。

 だから春馬は決心した。この二人を生かす、と。

「この鳥は引き受ける。さっさと行け」

春馬はそう二人に告げる。グリフォンと一人で対峙した場合、死ぬ可能性が高い。元々死ぬ運命だった自分の命なら、二人を生かすために使った方が良い。ただ気掛かりなのはリリアンのことだった。

「リリアンのことは頼む」

それだけ託すと春馬は決死の覚悟を決めた。

 だが、二人からは逃げ出す気配がしない。どうしたことかと横目でジレスを見る。

「馬鹿なことを言うな。騎士としてハルマ殿を見捨てて行ける訳がないだろう」

「馬鹿はお前だ! その傷じゃ足でまといなんだ。さっさとお前の姫様を連れて逃げろ!」

「ふん。そんなことは俺が一番良く分かっている」

春馬の罵声を受けてもジレスはただ苦笑いを浮かべるだけだった。

「分かってるならさっさと逃げろ。こんな鳥ごとき、俺一人で十分だ」

「本当にハルマ殿は嘘つきだな。本来であれば俺とハルマ殿が本気を出して倒せるかどうか、という相手だ。一人では決して勝てない」

「……まあ、そうだろうな」

騎士としての経験から、相手の力量は分かるようだった。だったら尚更、早く逃げろと春馬は思い、苛々し始めていた。

「それが分かっているなら逃げろと、何度も言っている」

「それは騎士として看過出来ないと言っている」

お前の騎士をどうにかしろ、という念を込めてマールに視線を送る。だが、マールは何かを察してか悲しい顔をしていた。

 グリフォンは再び飛び掛かる。春馬は体を瞬時に転がして回避するが、ジレスは剣で鋭い爪をいなしていた。片膝を着き、なんとか倒れないように耐えていた。

「このままじゃ犬死だ。お前の騎士道は認めるが、このままじゃお前の姫様も危ないんだぞ? 騎士としての精神より、姫の方が大事だって言ってただろう?」

ジレスを責め、早く逃げろと春馬は強く訴えるが、それでもジレスは逃げようとしない。

 「グリフォンは肉食の生き物だ。血の匂いに敏感で、一度獲物を捉えたら決して逃さない」

そう言ってジレスは自分の肩を見ろと視線を春馬に送る。それにつられて視線をジレスの肩に移すと、そこからは滲むように血が溢れていた。暗闇で気付かなかったが、ジレスは帝国兵との戦闘で負傷していたのだ。

「お前、そうと分かったなんで……」

「俺の騎士としての誇りが邪魔して怪我をしているから休ませて欲しいなんて言えなかった。これは俺の自業自得だ。それに姫様とハルマ殿を巻き込むわけにはいかない」

「何を言っている?」

「残るのは俺ってことだ。こんな傷を負った俺が姫様を守れる訳がない。だからハルマ殿、姫様を頼む」

そう言うと、ジレスは血の滲む服を破った。春馬ですら感じれるほど、血の匂いが溢れて来た。それに反応し、グリフォンは興奮し出した。

「早く行くんだハルマ殿! 姫様、こんな騎士をお許し下さい」

そしてジレスは剣を捨て、残る力を振り絞り、来た道へと思い切り駆け出して行った。それにつられてグリフォンは残された二人に目もくれず、ジレスを追って駆けて行った。

 「行きましょう」

固まる春馬にマールはそう声を掛ける。その声を聞いた春馬は我に返り、マールの先導に従って森を進んで行く。

 森には不気味な鳥の鳴き声が木霊した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る