第1章ー第8話 出発
春馬は店に戻ると直ぐにアディを探した。客間にアディの姿はなく、厨房を探すがアディの姿は無かった。まだ開店まで時間があるので、料理人達は誰も来ていなかった。客席、厨房に居ないとなると上か、と春馬は二階へと向かう。
階段を上っていると話声が聞こえて来た。
「広場で買い物をしていて聞こえたんだが、姫様がここに潜伏しているとバレているみたです。広場の騒ぎがありましたから朝から大勢のエルフ達が外に出ていましたからね。目撃されていてもおかしくない。それに姫様と騎士様の格好では、やはり目立ってしまうのでしょう」
「そうですか……それは困りました。私達はこの格好しか手持ちが無いのです」
「それならウチにある服で良ければ好きに使って下さい」
「何から何まで申し訳ありません」
春馬は階段の途中から盗み聞きをする形になっているが、マールが深々と頭を下げている様子が手に取るように分かった。
そういえばマールは良く頭を下げ、感謝と謝罪を口にしていた。それは春馬の国の領主達とは少し違った。それでも付き従える者に命令するのは変わらない。そんな関係を見てしまうと春馬の心は荒んでしまう。嫌な記憶が甦ってしまうからだ。
「部屋にある服は自由に使って下さい。それでは」
そうアディが口にすると扉の閉まる音が聞こえた。どうやら会話は終わったようだ。春馬は再び階段を上り、廊下にいるアディと遭遇した。
「おや、戻ってたのかい」
「今帰った所だ。それより、アディ話がある」
そう言って春馬はアディを自室へと連れて行った。
「なんだい改まって」
「俺は今夜、この国から出ようと思っている」
「えらく急だね」
「ああ、リリアンが帝国に声を掛けられているらしい。そのまま帝国に行ったら、もう帝国の研究者になってしまうかもしれない。だから俺がリリアンを連れて逃げようと思ってな」
「それをリリアン先生は何て?」
「俺と行きたいと言っている。まだアディからの借りを返せていない中で申し訳ないんだが」
「そんなのはどうでもいいんだよ。そもそもアタシは借りとかそんなのは要らないって言ってたんだからね。そうか、リリアン先生が春馬と行くってかい。お前も隅に置けないね!」
そう言うとアディは春馬の背中を叩き、大口を開けて笑った。
「痛いって。俺達はそんなんじゃない。ただ、何となく生きている俺がもう一度誰かの役に立てるならって思うんだ」
「そうかい。それならアタシは止めないよ。帝国なんかに殺されるんじゃないよ」
再び手を振り上げたので、春馬は再び叩かれると思い身構えたが、頭を撫でられただけだった。
「落ち着いたら帰っておいで。いつでも歓迎するぞ」
「あ、ああ。ありがとう」
少し気恥ずかしかったが、素直に感謝の気持ちを伝える。倭の国では自分の居場所を無くしてしまったが、ここで新たに帰れる場所が出来たことが春馬には嬉しかった。
「今日は店のことはいいから、もう休みな。今夜出るんだろう?」
「ああ。何から何まですまない」
「いいんだよ。困った時はお互い様だよ。だからアンタの目の前で困っている人がいたら助けてやるんだよ」
「分かった」
「よし、じゃあお休み」
挨拶を交わし、アディは部屋から出て行った。
「ありがとう」
去ったアディの影に再び感謝を口にして春馬は眠りについた。
※
隣室からの物音が聞こえ、春馬は目を覚ました。窓から見える外の景色はすっかり帳が下りていた。部屋の扉を開けると一階から賑やかな声が聞こえて来た。まだ店は営業中のようだった。忙しい時に挨拶に行っても邪魔になるし、湿っぽいのは好きじゃない。それにきっとアディから話はされているだろう。そう思った春馬は一人店を出ることにした。
「また帰ってくるんだ。その時に謝ろう」
そう口にして階段を下りて、そのまま出口へと向かった。誰にも会わず外に出るとアディが後から頭を叩いた。
「馬鹿もん! 一人でそっと出て行くなよ」
「悪い」
「はあ、まあアンタは格好付けたがりだからね。それでもちゃんと挨拶はして行くのが人情ってやつだろう?」
「そう、だな。悪かったアディ。行ってくる」
「行ってらっしゃい。いつでも帰っておいで」
いつもは男勝りのアディも優しい顔をして春馬を見送った。ああ、アディは母みたいだな、と本人に知られたら「アンタみたいなデカイ子供育てた覚えないよ!」と怒られそうなことを春馬は思った。
これから何が起きるか分からないし、どうなるか分からない。それでも死ぬ前にアディには顔を出そう、と決意し春馬は夜の闇に消えて行った。
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