第1章ー第6話 エルフの姫

 春馬はいつもより早い時間に目を覚ました。朝から外が騒がしかったからである。

 朝市か祭りでもやっているのかと窓から顔を出し、春馬は騒ぎのする方を見る。窓を開けると騒ぎが一層良く聞こえて来が、それは賑やかというより狂騒に近かった。歓声のような喜びではなく、悲鳴のような悲しみ。

 春馬の頭には昨日見掛けた怪しい連中のことが過る。

 ――あの時に感じた嫌な気配は勘違いではなかったのか。春馬に後悔の念が押し寄せる。数日という短い期間ではあるが、ここで生活をここに暮らす住人や町を春馬は少し好きになっていた。そんな町が悲劇に襲われるのは春馬としても喜ばしいことではない。

 最近は部屋に置きっぱなしにしていた和傘を手に取り部屋を出る。階段を下りるとアディは渋い顔をして入り口の近くに立っていた。

「早いなアディ。この騒ぎ、何かあったのか?」

「ああ、ハルマか。お前もこの騒ぎに起こされたのか。アタシも聞いた話だが、なんでも帝国が城を占拠したらしい」

「帝国が城を占拠? 城を落とされたということか?」

「そうらしい。それで広場に……」

「なんだ。なにがあった?」

目を瞑り眉間を指で押さえながら、アディは重たい口を開いた。

「……国王様の首が広場に晒されているらしい」

「晒し首、か」

 倭の国では罪人の首を晒す『獄門』という刑罰があった。それより昔の時代では敵将の首を取り、それを晒したこともあったようだ。今回は帝国が城を占拠した、ということから後者だろう。自分達が国を取ったのだ、とその国の民に知らしめるのが目的に違いない。

 「私達エルフは戦った結果、相手を殺すこともある。だが、それでもこんな酷い仕打ちはしない……」

アディは苦々しく呟いた。

 倭の国では今でも刑罰で首を晒すことがある。それは倭の国も帝国も変わり無い。しかも帝国はヒトが築いた国である。倒した相手の首を晒すのは人間の文化、ということだろうか。

 倭の国で生活していた頃の春馬はそれが当たり前のことだと思っていた。だが、こうして近しい相手が心を痛めているのを目の当たりして、それが当たり前なんて思えなかった。

 人間もエルフも頭を使って考えることが出来るのだ。戦って相手を殺すことになったとしても、亡き者を辱める必要は無いのだ。

 首を晒すことで相手に敗戦国である、と知らしめることは確かに出来るが、そんな非道な事をしなくても理解出来るはずだ。

 春馬は初めて自国、人間の文化を恥じた。春馬が一人落ち込んでいると、アディは再び言葉を続けた。

「ハルマの気持ちも分かる。帝国の残虐さや野蛮さは理解出来ないな。それも確かに重い問題だけど、帝国兵は逃げ延びた姫様を探しているらしい」

「姫?」

「ああ。広場に姫様の首は晒されていない。しかも懸賞金が掛けられている。幸いなことに姫様だけは逃げ出せたらしい」

この国に王がいることは聞いていたが、姫ということは娘か。娘がいたとは知らなかった。

「そうなのか。それで帝国は風の国を乗っ取った、ということだろう? 帝国は国民を殺すのか?」

「それがそうじゃないらしい。王族は皆殺しにすると宣言しているが、国民は税を課すだけらしい。しかも元々払っていた税と同じだけでいいと」

「つまり王族以外は今までの生活と変わらない、ということか」

 帝国は王族による反撃を恐れているが、国民から攻撃は怖くない。むしろそのままの生活を送らせることで反感を買わないようにし、しかも税収を得る。晒し首なんてことをするからには国を丸ごと頂くなんてことも辞さないと思ったが、意外に合理主義のようだ。それか、風の国を落とすことで得られる他の何かが目的か。

 いずれにしても風の国の庶民が酷い目に遭うことはなさそうなので、春馬は安心していた。王族達は不憫だと思うが、それでも身近なエルフ達が無事であるなら、それで春馬は十分だった。


 「ちょっと広場を見て来る」

現状の危険を把握しておく必要があると春馬は考えた。いくら帝国が国民に対して何もしない、と言っても絶対的に信頼して良いものではない。昨日見かけた外套の連中が帝国兵じゃない可能性もある。この国に不穏分子が紛れ込んでいるのは間違いない。発見出来たとして何が出来るという訳ではないが、受け身でいるのも危険だ。

 広場に到着すると人だかりが出来ていた。隙間から台座のような物が見える。ということはあの台座には王の首が晒されているのだろう。見て気持ちが良いものではないので、周辺に視線を巡らせる。

 「昨日の連中はあそこにいたのか」

裏路地へと歩みを進める。

「朝でもここは暗いな」

昨日は夕方だったが、朝でも明かりの届かない裏路地だった。この細い路地は意図して陽が射さないように造られているようだ。それに普通に生活していれば目に付かないような場所に入り口がある。そのまま歩みを進めると城の前にある大きな吊り橋の下へと続いていた。吊り橋の下には穏やかな川が流れていた。吊り橋のしたからも水が流れ出ており、これは城の下水が川へと流れているのだろう。城へと続く下水の穴は鉄柵に覆われており、少なくとも外部からの侵入は不可能だろう。

 「おや?」

そう思った矢先、内部からしか開けられない扉がこじ開けられていた。

 「金属の扉が真っ二つか……」

倭の国でも剣の達人は鉄をも両断すると聞いたことがあるが、これは刀剣による断面ではない。鋸で切ったような雑な断面だが、鉄を鋸で切れるはずもない。となると倭の国では見たことのない武器や道具の類か。それが知れただけでも収穫だ。

「店に戻ろう。リリアンの様子も気になる」

踵を返し、裏路地へと戻ろうとした時だった。

「――貴様も帝国兵か?」

その声と共に春馬は背後を何者かに取られた。和傘を握る左手を抑えられ、首筋には細身の刃物を当てられている。

「俺は帝国兵じゃない」

「嘘を吐け! この国にヒトがいるはずがない! 帝国兵でなければ貴様はどこの者だ!」

話から察するに背後にいるのはエルフだろう。帝国兵に対して敵意を剥き出しにしているということは王族か? このまま帝国兵と疑われたままでは殺されかねない。隙を見て拘束から抜け出そうと春馬は様子を覗っていた。

「離しなさい、ジレス」

足音と共に可愛らしい声が聞こえて来た。

「し、しかし!」

「これは命令よ、ジレス。そんな野蛮なことをしては帝国と何も変わらなくてよ」

「……御意」

渋々といった様子で後ろの人物は剣を引き手を離した。

「ジレスも良く見なさい。この方はヒトではあるけれど、帝国人ではないわ」

「衣服、でしょうか?」

「それもそうですが、人種が違いますわ。肌の色に背格好も違いすぎます。別種と考えて問題ないでしょう」

別種、という単語に良い気はしないが、誤解が解けて良かった。

「俺もヒト種だが、違う国から来たんだ。数日前からこの国に住んでいる。アディという女主人の酒場だ」

「酒場ですか。なるほど」

押さえられた手首を擦りながら振り返る。細身の両刃剣を腰の鞘に納めた男のエルフ。このエルフが春馬を拘束したのだろう。そのエルフの斜め後ろには背の小さい女のエルフが見えた。

 二人は小声で何かを話し合っていた。今朝もこの国に関わるべきではない、と判断したのだ。ここは大人しく立ち去るべきだろう。

 春馬は静かに振り返り、来た道をそっと引き返す。そのつもりであったが、春馬は手を引かれて動けなかった。

「すみませんが、私達をその酒場まで案内して頂けますか?」

「いや、俺はお前達と……」

関わるつもりはない、と言うつもりだったが言葉を続けられなかった。手を握る女エルフは笑顔で春馬を見つめていた。顔立ちも背格好も、勿論人種も違う。だけど目が桜に似ていた。強い決意に満ち明日を見つめる目。国が取られ明日すら見えない状況で、こんなにも強い目を保てるのか。死に際の桜も同じ目をしていた。明日なんてなかったのに……。

 そんな目をされて断れるわけもなく、春馬は溜息を吐きながら答える。

「はあ、わかったよ」

「ありがとうございます! 私はマール。この国の王女です」

「マール様! 危険です! 見ず知らずのヒトに身分を明かしてはいけません!」

「私達が迷惑を掛けてしまうのは間違いないのです。身分を隠したままというのは不義理でしょう」

なんて言いつつも約束を交わしてから身分を明かすというのは策士というか腹黒というか。温室育ちのお嬢様、という訳ではなさそうだ。

「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ハルマだ」

「ハルマさん。これから暫くの間、よろしくお願い致しますわ」

そう言って無理矢理握手をして微笑むマール。

「はあ。はいはい」

溜め息を吐きつつも悪い気はしなかった。

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