第1章ー第5話 不穏な気配

 エルフの国での生活も数日が過ぎ、春馬も少しずつ馴染んで来ていた。昼間はリリアンの所に行き、質問に答えたり研究の手伝いをしていた。夜はアディの料理屋を手伝う。実はアディの店は飲食店ではなく、居酒屋のようなもので夜しか営業していなかった。なので昼間はリリアンの所で暇を潰していると言っても過言ではなかった。何もすることなく一人でいても暗い気持ちにしかならないし、リリアンも喜んでいるので、その方が良いだろう、と春馬は納得していた。

 今日もリリアンの家に向かって春馬は歩いていた。春馬がリリアンの所でしていることと言っても、倭の国がどんな所なのか、そこに住む人々の生活や文化について教えているだけだったが、リリアンは興味深そうに聞いていた。

 それに対してリリアンも春馬にエルフの国の事や言葉も教えていた。

 「『リリアン』、今日も来たぞ」

そう言って大樹の扉を開けて家に入る。春馬も横文字を使うのにも慣れて来ていた。概念や詳細は違うが、用いる言語が同じという事で春馬がエルフ共用語特有の単語を覚えるのも早かった。最初は違和感を覚えていたが、次第に気にしなくなっていた。

 「おお、相変わらずの暇人じゃのう」

春馬の声を聞き、ふわりと宙を浮きリリアンが上階から降りて来た。初めは驚いた春馬だったが、リリアンが風を操るエルフであること。降りる時は空気の層を纏っているから、ゆっくり降りられることを聞き、そういうものなのか、と漠然と納得してからは慣れてしまった。 分からないことは恐怖や驚きを招くが、知ってしまえば何てことはない。ただ理屈や詳細は分からないままだったが。

 今日も為になるのかならないのか分からない会話をして春馬はリリアンの家を後にした。


 「食材が足りないだと?」

春馬がリリアンの家から戻ると、厨房からそんな料理長の怒号が聞こえて来た。開店まではまだ時間もあり、春馬は部屋に戻ろうとしたが、様子が気になって厨房を覗くことにした。

「馬鹿野郎! 俺達は仕込みもあるってのに食材が足りないってどうすんだよ! アディさんも今日は月に一度の会合に出てるし買い出しに行ける奴いねえんだぞ?」

食材はまだ残っているが、確かにいつもの来客数から予測すると足りなくなりそうだった。少なくとも余るくらいに食材は無いと問題である。

 春馬は厨房へと入りると料理長に声をか掛けた。

「俺が行こうか?」

「え、おぉ! ハルマ居たのか! いやー助かったぜ。まだ仕事の時間じゃないのに良いのか?」

「ああ、構わんぞ」

料理担当は早目に仕事に取り掛かるが、終わりも閉店と同時で一番早い。春馬達洗い物担当は開店してから仕事に入るため、仕事は一番遅く始まり、一番遅く終わる。

 「そうか、じゃあ悪いがこれを頼む」

そう言ってメモを渡された。エルフの国の文字も初めてみる文字で読めないかと思ったが、書かれている意味を元々知っていたかのように理解出来た。

 元の世界の知識がこの世界の知識に変換されたんじゃないか、とリリアンは言っていた。春馬はそう言われたらそうなのか、としか思わなかったがリリアンは興奮していた。

 「じゃあ、行ってくる」

「ああ、頼んだぞ」

店を出て右、北側へと向かう。この町の北には大きな広場があり、そこで市場が開かれている。そこに行けば食材、衣服など何でも揃うとトーマスは言っていた。春馬は南側のリリアンの家からアディの居酒屋までの往復しかしてこなかったので、市場に行くのは初めてだった。

 坂を上って行くと開けた大きな広場が見えた。そこには屋台のような小さな店が沢山あり、店先で売り子達が声を上げていた。「この店の果物が世界で一番甘いよ!」や「こんな丈夫な服、世界のどこを探しても見つからないよ!」など、自分の店の商品がいかに優れているかを宣伝していた。

 春馬は自分の家が刀鍛冶であまり人気が無かったことを思い出した。ああやっていかに自分の品が優れているかを宣伝しないと売れないのか、と頑固な父を思い出し、それは無理だろうなと思い直した。ただ、父よりも桜の打った刀の方が立派だった。それを俺が宣伝してやれば桜はもっと有名な刀鍛冶になれたのかもしれんな、と春馬は感慨深く思った。だが、自分も口下手なのでどちらにしても駄目だっただろうな、と自嘲気味笑った。

 ふと妙な人影が目に付いた。外套に頭まで覆われた者が裏路地に消えていくのが見えた。普段なら気にならないのに、何故か目に留まって離れなかった。どこか潜むような立ち振る舞いに、怪しい気配を春馬は感じていた。

 春馬は外套の者がやけに気になったので、後を付けようと思った時だった。広場中央の鐘が辺りに鳴り響いた。これは市場がもう直ぐ閉まるという合図だ。一度目の鐘は終わりが近いことを告げ、二度目の鐘は市場の終わりを告げる。

 頭から外套の集団が離れなかったが、それよりも今日の食材の方が大事なので春馬は慌てて買い物を済ませることにした。


 買い物を済ませて戻ると、厨房からは良い匂いがしていた。

「戻ったぞ」

春馬の声に料理長が両手を広げて近づいて来た。抱きしめられるのか、と身構えていたが、ただ材料を受け取ってくれただけだった。避けるつもりで身構えていたので、春馬は少し渋い顔をしてしまっていた。

 「ハルマ、すまない。おかげで助かった」

渋い顔をしていたので、春馬が不満を訴えていると思い、料理長は申し訳なさそうに詫びた。

 「お前ら! 料理人はいくら腕が良くても食材がなきゃ無職と同じなんだからな!」

春馬から弟子達に視線を映し、先程よりも大きな怒号を上げた。

「ああいや、良いんだ。俺は料理の腕も無い無職だからな。手伝えることがあったら言ってくれ」

「ハルマは良い奴だなあ。おい、お前ら! ハルマに免じてこれくらいにしておくが、こんな失敗は二度とするなよ!」

「「はい!」」

弟子達は縦に長い白い帽子を手に取り、料理長に頭を下げる。

 「じゃあ、俺はこれで」

食材を全て渡して厨房を後にしようとした時。

「ありがとうなハルマ」

「助かったよ」

そう言って春馬の手を取り、弟子達は各々感謝を伝える。その様子を見て腕を組み大きく頷く料理長。

「あ、ああ。気にするな」

視界の隅に料理長が見えて苦笑いが浮かんだ春馬だったが、視界から料理長を消し、弟子達を見て答える。

「じゃあ、また後で。店が開く前に来る」

そう言って今度こそ春馬は厨房を後にした。


 アディの店は今日も繁盛していた。いつもと同じくらいに忙しく、いつもと同じくらいに店が閉まった。ここに来る客は常連客ばかりなので、ある種一定の仕事量だった。だからいつもと同じように料理人達の仕事が終わり、料理長は帰って行った。他の料理人達も一緒に帰るかと思いきや、春馬の側にやって来た。

 「手伝うよ!」

そう言って料理人達は使用済みの食器を各自、勝手に洗い始めた。

 「おいおい、どういう風の吹き回しだい? いつもはさっさと帰えるだろ?」

夕方の事を知らないトーマスは訳が分からず混乱していた。昨日までお互いの帰る時間というか、お互いの事自体に無関心だったのだ。早く帰ること、遅く仕事が始まること等、周りの仕事なんて気にしないで、ただ自分の仕事だけやる。そんな割り切った関係性だった。それが自分達の仕事は終わっているのに残って皿洗いを手伝うなんてトーマスは生まれて初めて見た。

 「ハルマは良い奴なんだ。だから手伝うってだけだよ」

料理人達はうんうんと頷き合い、洗い物を進める。トーマスには夕方の事は言いたくなさそうなので、春馬はどういうことだ? と訴えるトーマスの視線に肩を竦めて答える。どういうことだ? と諦めず疑問を持った目で今度はエミリーを見る。春馬と同じように肩を竦め、「良いから手を動かして」、とトーマスを促した。納得いかないといった顔をしながらも止めていた手をトーマスは再び動かした。

 トーマスが視線を食器に移したのを確認して、春馬は料理人達に目をやった。料理人達は笑顔で親指を立てていた。春馬は自分の親指に何か付いているのか、と思い同じように親指を立てて確認するが特に何も無かった。再び料理人達に視線を移すと、春馬が親指を立てたこと見るや、満足そうに頷いていた。ああ、これも片目を閉じる合図と同じように親愛の合図のなのだろう、と春馬は解釈した。

 三人でやる作業を十人近くでやったので、あっという間に終わってしまった。

「こんなに早く終わったのは初めてね!」

いつもは冷静なエミリーも興奮していた。エミリーは仕事が少しでも早く終わると興奮していた。それが今日は少しなんてものじゃなく、本当にあっという間に終わってしまった。興奮してトーマスの背中を何度も叩いていた。

「よし、じゃあ帰ろうか」

綺麗になった食器を片付け終わり、料理人達は帰り支度を始めた。

 「手伝ってくれて助かった。こんなに早く終わったのは初めてだ」

「いやいや良いんだよ。あのまま食材が足りなかったら、今よりもっと遅くまで料理長に叱られてたんだ。これでも早く帰れる方だよ」

「そうか。それでもありがとうな」

「止してくれよ。こんなんで借りは返せたなんて思ってないからな」

借り、という言葉聞いて内心複雑な心境になった。誰にも借りを作りたくない、というのは他人に対して不信感を覚えていたからだ。もう誰とも関わらないようにしよう、と桜が死んだ日に春馬は思った。

 だけど、この世界にやって来てアディに借りを作り、料理人達に貸しを作ってしまった。もう独りで生きていくなんて思っていたけど、生きていく上でそんなのは無理なのかもしれない。

 リリアンも言っていたが、人間不信だがエルフ不信じゃないから良いのか? と春馬は思い始めていた。

 そんな考えが顔に出ていたのか、料理人は春馬の肩を叩いて笑った。

「そう嫌な顔すんなよ。これからもよろしくな」

「え? あ、ああ」

「そういえば名乗ってなかったな。俺はメイプルだ」

そう言ってベーコンは手を差し出した。これも親愛を示す合図なのだろうか、と思い同じように春馬も手を差し出すと、ベーコンはその手を握って来た。そしてベーコンはにっこりと笑った。ふくよかな顔は笑うと目が潰れて見えなくなるが、それは醜くなく愛嬌があった。

 「俺はシロップさ」「私はバニラよ」「オレはエッセンス」「僕はジャムだよ」と次々に料理人達と手を握り合って、厨房から出るのを見送った。流れで手を握りあったが、桜以外の女子と手を握り合ったのはバニラが初めてだったな、とぼんやり考えていると肩をトーマスに揺さぶられた。

「握手までして、どういうこと? 料理人達は手が仕事道具だから気を許した相手としか握手なんてしないんだぞ」

手を握り合う行為は握手というのか、と春馬は思い、先程握り合った手を見ているとトーマスの声は耳に入っていなかった。

「聞いているのかい? 一体君達に何があったんだよ! 僕だって握手したことないんだぞ?」

再び強く肩を揺さぶられ、春馬はトーマスの言葉に耳を傾けた。

「まあ、色々あったんだよ」

 聞く耳を持ったと言っても、人の失態を肴にする趣味はないので春馬は誤魔化すことにした。

「それより聞きたいことがあるんだよ」

「それより、って君ねえ」

「いいからいいから。今日ちょっと広場の方に行ってみたんだ」

広場に言った用事は勿論伏せる。

「そうしてたら裏路地に全身を黒い外套で覆った奴等がいたんだ。俺はそんな恰好しているエルフ見たことないが、一般的な服なのか?」

「全身を黒い外套、ローブってことかい? 栄えている国には学問を学ぶエルフ達もいるからローブを着るなんて珍しくないけど、この国は田舎だからかなり特殊だね。この国でローブを着ているのはリリアン先生くらいじゃないか?」

「そうね。私もローブを着ているエルフなんてこの国じゃ見たことないわ」

「やっぱりそうだよな……」

 外套、ローブを着ているエルフはこの国ではリリアンだけだと二人は言うが、リリアンのローブとは趣が違っていた。リリアンの着ている服をローブと呼ぶのなら、夕方の連中の服装は外套と呼ぶべきだ。リリアンのローブは丈が長く、機能より見た目を優先している。それに引き換え外套は見るからに見た目より機能を優先していた。確かに丈は同じように長いが、腰の辺りで帯がしてあり、邪魔にならないように配慮されていた。それに頭まで覆うことが出来て、連中が居た場所は裏路地。明らかに人目を避けてようとしていたことが分かる。嫌な気配が外套のようにこの国をすっぽりと覆ってしまう。そんな予感を春馬は感じた。

 「暗かったし見間違いかもしれないな」

「それか疲れているんだよ」

表情を曇らせた春馬をトーマスは心配した。

「そうかもしれないわ。せっかく早く仕事が終わったのだし、早く休むといいわ」

「そう、だな」

二人に心配されながら厨房を出る。二人が店から出るのを見送って春馬も二階の自室へと向かった。

 「何も起きなければ良いが」

寝床に就いても悪い考えが頭から離れなかった。

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