第1章ー第4話 新しい生活

 リリアンと別れた春馬はアディの飯屋へと戻って来た。

「今帰ったぞ」

「はいはい、おかえり。今、忙しいんだから二階でも行ってくつろいでて」

「そうはいかん。何か手伝うぞ」

「あー、そうだったね。じゃあ厨房に行って皿洗いでもやっててくれ。面倒見てらんないんだよ」

それだけ春馬に告げるとアディは給仕の仕事に戻った。陽も落ちて、ちょうど飯時になっていた。アディの料理屋は繁盛していた。春馬も邪魔にならないように厨房へと向かった。

 「アディに皿洗いでもしてろと言われたんだが」

そう言いながら厨房に入ると、ここはここで戦場だった。料理長が怒声を上げながら指示を出し、出来た料理を給仕達が手早く運んでいく。春馬が倭の国で見たどの料理屋よりも活気づいていて、従業員達も忙しいながらも楽しそうだった。

 「おーい、こっちだこっち」

春馬の声も聞こえていたらしく、若い男のエルフに手を引かれて春馬は洗い場に連れて行かれた。

「さあ早く片づけちゃうぞ。さっさと片づけないとあっという間に埋まっちゃうんだよ」

その言葉は冗談ではなく、給仕がどんどん使用済みの食器を持ってくる。見よう見まねで流れ続ける水を使って更に付いた汚れを流し、それを重ねて布で拭く若い女のエルフへと渡す。皿の洗い方はこの国でも同じだった。春馬は倭の国では珍しく、家事を手伝っていたので皿洗いは得意だった。自分から進んで手伝っていたわけじゃないが、手伝わないと桜が拗ねるので仕方なく手伝っていた。

 「へえ、意外と手際がいいんだな」

手を止めて隣のエルフが関心したように春馬を褒めた。

「昔から皿洗いは手伝わされてたんだ」

「ははん。アンタ、嫁さんの尻に敷かれるタイプだな?」

「嫁さん、って。まあ、あんまり変わらないか。多分そうだな」

『たいぷ』という言葉は春馬には良く分からなかったが、言いたいことは伝わった。春馬の場合、嫁ではなく妹だが、頭が上がらなかったのは事実だ。

 若いエルフの男の言葉に苦笑いを浮かべながら答える。

 こうして外国に来てまで皿を洗うなんて思ってもみなかったな、と春馬は感慨深いものを感じていた。桜のことを思い出すと、また暗い気持ちに一杯になりそうだったが、厨房の活気と止むことのない食器達が春馬に考えることを止めさせていた。


 「手がふやける……」

春馬の仕事が終わったのは店が閉店してから一時間後であった。店が閉まってからも使用済みの食器は片付いていなかった。それに加えて皿を洗った後、皿拭き手伝っていたので閉店後も仕事は無くならなかった。店が閉まると料理人達が店を後にし、給仕達も使用済みの食器を洗い係に任せて帰ってしまった。最後まで仕事が残るのは雑用にも近い、春馬達洗い係だった。

 エルフの二人はこんな雑用でも楽しそうだった。

「どうして二人は楽しそうなんだ?」

「意味が分かんないな。君、えっと名前は?」

「春馬だ」

「ハルマ。ヒトの名前は変わってるね。僕はトーマス、よろしくな。それでハルマ、君は皿洗いは嫌いかい?」

「好きでも嫌いでもない」

「そうか、それは僕も同じだ。それでも僕が楽しく見えるのはエイミーと一緒だからだろうね」

そう言ってトーマスは皿を拭く若い女のエルフを見た。

「相変わらず口が上手ね」

「本心だよ?」

二人は顔を合わせて笑った。

「好きな子と一緒に居られるんだから楽しいに決まってるだろ?」

片目を瞑りながら笑顔でトーマスは春馬に向かって言った。片目を瞑る意味は良く分からなかったが、それでも親愛を示しているような気がした。そんなトーマスを呆れ顔でエミリーは見ていたが、それでも軽蔑の意図は感じられなかった。むしろ親愛。何だかんだ言いつつも良い仲であることが春馬にはうかがえた。

 「少し分かる気がする」

「だろう? 僕が生きる理由なんてエミリーと一緒にいたいからってだけだからね。一緒にいられるなら、皿洗いでも何でもするさ」

「分かったから。ほら、手が止まってるわよ、トーマス。」

「あはは、すまない。さあハルマ、さっさと片づけるよ」

それから三人は無言で皿を片付けた。その間、春馬はトーマスの言っていたことを考えていた。大事な相手と一緒に居られればそれで良い。それは春馬にも理解出来た。ただ、それを知ったのは桜が死んでからだった。

 「おう、お疲れさん!」

春馬が考えに沈んでいると、男勝りな声が三人だけの厨房に響いた。顔を上げるとアディが笑顔で入って来た。

「どうだいハルマは? ちゃんと働いてたかい?」

そうトーマスとエミリーに尋ねた。

「真面目にこなしてましたよ。しかも手際も良いし僕も見習わないといけませんね」

「へえー、そうかい。やるじゃないか」

「あ、ああ」

「後はいいから、二人はもう帰んな」

「はーい」

「お疲れさまでしたー」

元気よく二人は厨房を後にした。

 「ハルマも、もう良いぞ。って言っても泊まる宛もないか。うちの二階の奥の部屋が空いてるから、そこを使いな」

「そこまで借りを作るのは……」

「またごちゃごちゃと。男の癖に細かいやつだねえ。いいから使いなさいって。明日も頑張ってもらうんだから、ちゃんと休みな」

「……すまない。だが、後片付けは最後までやる」

「はいはい」

 春馬の気持ちも察しながらも折り合いを付けられるのは年の功だろう。

そんな気遣いも申し訳なくて、春馬はまた落ち込んでいた。

 「リリアン先生には会えたのかい?」

「ああ。また来いってさ」

「そうかいそうかい。それは良かったね」

そう言って力強く春馬の背中を叩いた。

「いってえ」

「あはは。そのなんだ、暗い気持ちでいたら心が参っちゃうぞ? 明るく、な?」

そう言ってアディもトーマスのように片目を瞑って笑った。その合図はこの国で励ますような意味があるのか、と春馬は理解した。それに答えるように片目だけ閉じようとして上手くいかず、結局両目を瞑ってしまった。

「なんだいそれは。ウィンクのつもりかい?」

大きな声で笑うアディにつられて春馬も少し笑顔がこぼれた。

「そう、笑っていれば良い事は起きるよ」

そう言って再び春馬の背中を思い切り叩いた。

「さあ、片付いたしさっさと寝な」

 アディに促されるまま春馬は二階の割り当てられた部屋へと向かった。扉を開けて箱型寝具へと倒れ込むと、疲れからか春馬はそのまま眠ってしまった。

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