第1章ー第2話 賢者
アディの言われた通りの道を歩いていく。町に着いたばかりの時は空腹で良く見えていなかったが、ここの町並みは少し倭の国に似ていた。
家々が横繋がりに建っていて、それが小さな道を作っている。それは倭の国も同じだった。違う点といえば建物の材質や建造法だろうか。倭の国の家は木造で壁には土を使っているのに対し、ここの国は石を使っている。それはアディの料理屋でも確認していた。さらに倭の国は何軒かの家が繋がって建てられていて、それは大きな家を敷居で区切っているのに近い。
それに対してここの国は一軒一軒が独立して建てられている。倭の国も領主や金持ちの人間は独立した一軒家を持っているが、庶民の家はそうではない。エルフの国は庶民でも一軒一軒の家に住むことが出来るようだ。
物珍しそうに辺りを見て歩いていると、家の群が途絶えてしまった。場所を間違えたかと周囲を見渡してみると少し離れたところに大きな樹が見えた。あれがアディの言っていた目印だろう。そう思い大樹へと近づくが、近くに家らしきものは見当たらない。
場所を間違えたか? と春馬は思ったが、ここまで来るのに分かれ道など無く一本道だった。春馬はとりあえず、大樹の根元まで行ってみることにした。大樹の影に家が隠れているかもしれない。そう思った春馬だったが、近くまでやって来て考え改めた。
「うーん……」
春馬の前には不思議な光景が目に入って来た。
「――扉だ」
大樹の根元に扉が付いていた。
これも一種の木造だろうか、と的外れな事を春馬は考えていた。
「いや、待て。そもそもこれは家なのか?」
当然の疑問に思い至ったが、これも外国では普通なのだろうか、と思い扉を開けることにした。
「頼もう」
声を掛け大樹へと一歩踏み出す。外は大樹だったが、中は異様に縦長いことを除けば普通の家と同じ造りをしていた。陽が射さないため、中は真っ暗だが、所々に行燈のような物が壁に付けられ、明かりが灯してあった。上部には床が螺旋状に設けられていた。
「なんじゃ、頼みは何も聞いてやらんぞ」
上階から女子の声が聞こえて来た。誰かが居るということは、やはりここは家なのだろう。
「いや、頼むじゃなく頼もうと言ったんだ」
「やはり頼むと言っておるじゃないか。この国じゃ珍しいが物乞いか?」
春馬に答えるように声がしたかと思うと、小さな少女が降って来た。それは落下ではなく、滑空するかのようにゆっくりと降りて来た。
春馬は内心かなり驚いていたが、表情の乏しさが落ち着ているように見せた。
「なんじゃお主、何者じゃ?」
少女が再び声を掛けて来たので我に返った春馬は慌てて答える。
「あ、ああ。お前は侍女か? 『りりあん』という賢者を訪ねて来たんだが、ここで合っているか?」
「どこか発音が変だが、ここは確かにリリアンの家じゃ」
「そうか、良かった。りりあん先生にお目通り願いたい。取り次いでもらえるか?」
「ほう?」
侍女は腕を組んで春馬を舐め回すように見ていた。急にヒトが訪ねて来て侍女は訝しんでいるのだろう。この国での賢者という身分がどれくらいのものか分からないが、侍女がいるくらいなので高い身分のなのだろう。警戒されても仕方がない、と思い何も言わず視線に耐えていた。
「まあよい。ヒトだからそんな勘違いをしているのじゃろう」
勘違いが何のことを言っているのか春馬には分からなかったが、話を通してくれると侍女は言っていた。
「そうか。それでは頼む」
春馬が安心して侍女に取り次いでくれるように頼むが、侍女は一向に動く気配が無い。ただ「まあよい」と言ってから腰に手を当てて、無い胸を張っていた。
「すまない、りりあん先生を呼んで欲しいんだが……」
「うむ、ワシがリリアンじゃ」
「……」
これは侍女なりの冗談だろうか、と春馬は思ったが目の前に立つ少女は自分こそがリリアンであると言わんばかりに立っている。少女の冗談に腹を立てるなんて大人げない。春馬はとりあえず笑うことにした。
「面白い面白い。じゃあ、りりあん先生を呼んでくれるかな?」
表情を変えずに侍女の冗談を面白かったと春馬は褒める。すかさずリリアンを呼んで欲しいと頼む。
「何が面白いんじゃ! だから、ワシが、リリアンだと、言っておるじゃろう!」
地団駄を踏みながら自称リリアンは怒り出した。
「い、いや。聞いた話によるとりりあん先生とは賢者だと聞いた。それが君のような少女な訳がないだろう?」
自称リリアンの気迫に押され、こちらに悪意は無いと慌てて弁明する。
「……お主、いくつじゃ?」
「今年で十七だな」
「ワシより全然年下じゃないか! ワシは今年で九十七じゃぞ!」
「九十七? 見るからに十代前半だろう」
「馬鹿者! エルフとヒトを比べるでない。ワシらは三百は生きるんじゃぞ? ワシなんてまだまだ若いがお主よりは年上じゃ! 年長者を敬え!」
春馬が自分よりもずっと年下と知り、リリアンは更に強く地団駄を踏み怒り出す。
にわかには信じられない春馬だったが、アディもエルフは長寿だと言っていたことを思い出した。ということは目の前にいる少女が本当に賢者リリアンなのだろう。
「そ、そうなのか。それは悪い事をした」
春馬は慌てて頭を下げる。
「ふ、ふん。ワシは年長者だからな。それくらい許してやろう!」
ぷい、と顔を逸らしながらも横目でチラチラと春馬を見ていた。これは褒めろという合図なのだろうか。
「あ、ああ。やはり年上の方は心が広くて助かる」
「そうだろう、そうだろう」
腕を組んでうんうん唸っており、その顔は誇らしげだった。
ここまでの会話で分かったことだが、確かにリリアンの実年齢は春馬よりずっと年上である。だけど精神年齢はもしかすると、春馬もよりも年下なのかもしれない。ここは自分が大人になるべきだろう、と春馬は思った。
「それで? ワシに何のようじゃ?」
面を食らっていた春馬だったが、リリアンの言葉に当初の目的を思い出した。
「端的に用件を言うと、俺は遭難したようだ」
「遭難? 遭難してこの国に着いたと?」
「ああ、そうなんだ」
春馬の言葉にリリアンは怪訝な表情を浮かべる。
「お主は遭難し、『帝国』からこの国へやって来た、と言うじゃな?」
聞きなれない国名をリリアンは口にした。外国では倭の国を『帝国』と呼ぶのだろうか、と春馬は疑問をそのままリリアンへとぶつける。
「帝国というのは倭の国のことか?」
「ワノクニ? なんじゃそれは?」
「ワノクニじゃなくて倭の国な。俺の生まれ育った国で、こんな格好をした人間が沢山いる国のことなんだが」
「ワノ国……聞いたことないのう」
目を瞑って考えを巡らせたリリアンだったが思い当たらなかったようだ。
春馬の格好を再び良く見たリリアンは今更のように驚いていた。
「そういえばお主の格好、ここらへんじゃ見かけんのう。それもワノ国の服なんじゃな?」
「ああ。これは着流しと言って庶民の服だな」
「キナガシ? 聞いたことが無いのう」
やはり春馬がこの国の言葉を上手く発音出来ないように、リリアンも倭の国言葉は上手く発音出来ないようだった。同じ言語を使っている筈なのに、言葉には『ずれ』のような物が発生している。
春馬はそのことでアディとの会話を思い出した。アディが口にしているのはエルフ共用語だと言っていた。まずはそのことを確かめるべきだろう。
「変なことを聞いて悪いが、あの照明器具は何て名前なんだ?」
春馬の中にある知識では、あれは形は変わっているが『行燈』という名前のはず。
「あれか? ヒトには珍しいのか? あれはランタンというのじゃ」
「『らんたん』。行燈ではないのか?」
「アンドン? いや、あれはランタンじゃぞ」
やはり、認識には『ずれ』がある。互いに自国の名称を上手く発音出来ていない。会話をする分には問題が起きないが物の名前や固有名詞には『ずれ』が多いようだ。
少し『ずれ』の正体が見えて来た気がしたが、この『ずれ』が発生している理由が春馬には分からなかった。
「おい、急に黙ってどうしたのじゃ」
春馬が黙々と考え事をしていると、リリアンは春馬に声を掛けた。
リリアンは賢者と呼ばれているからには、知識や思考能力も自分より高いはず。そもそも、自分一人で考えても分からないから、と尋ねて来たのだった。
春馬はリリアンに今、自分の抱えている疑問を打ち明けた。
「最初にも言ったが、俺は遭難したんだ。俺の生まれ育った国、倭の国から海を渡ってこの国にやって来た。ああ、そう言えばこの国の名前すら聞いてなかったな。ここは何ていう国なんだ?」
「……ここはウィンドエルフが暮らす『風の国』じゃ」
春馬の言っていることを訝しんでいるのか、リリアンの表情は硬かった。国名に聞き覚えは無かったが、『風の国』という単語の意味は理解出来る。春馬には風と国の二つの単語を知っているからだ。
「風の国、か。やっぱり知らない国に来たんだな。ということは俺は最初、外国に流れ着いたんだと思ったんだ。だが使っている言葉は同じ。それならここは、まだ倭の国なのか? と思ったが、それも違うようだ。それなら俺はどこにやって来たんだ? というのが、ここにやって来た理由だ」
「うーむ……お主の言っていること、にわかには信じられんな」
「俺もリリアン先生の立場ならそう思っただろうな。だが、事実としてそうなんだ。仮定でも妄想でも良い、何か意見をくれないか?」
春馬の真剣な態度に、リリアンは再び目を瞑り、思考を巡らせる。
「いくつか質問をするが、嘘は吐くでないぞ? まず、お主の話している言葉はエルフ共用語ではないのじゃな?」
「ああ。俺は倭語を話している」
「二つ目。お主は遭難したと言っていたな? しかも海を渡って、と」
「そうだ。俺は舟で風の国近くの海岸に漂着した」
「風の国の近く、じゃと?」
春馬の答えに驚き、リリアンは瞑っていた目を開いた。
「あ、ああ。それがどうした? 嘘は吐いていないぞ? 今も俺が乗って来た舟が打ち上げられている筈だ。確認してもらえば分かる」
リリアンは言葉が違うということより、春馬は海を渡って来たということに驚きを隠せないようだった。
「後で確認に行くとしよう。それより、ちょっと待っているがよい」
そう言うとリリアンは宙にふわりと浮いて上階へと飛んで行った。春馬は内心、かなり驚いたが、リリアンが降りて来た時と同様に表情の乏しさが冷静さを失っていないように見せていた。
リリアンが何かを探しているようで物音がしばらく響いていたが、間もなく滑空するかのようにリリアンは降りて来た。
降りて来れるなら、飛んでも行けるのか、と春馬は分析し内心の驚きも治まって来ていた。
「風の国周辺の地図なんぞ、滅多に見ないもんじゃから探すのに手こずったわい」
そう言って、部屋の中心にある大きな机に物が置いてあるのも構わず地図を広げる。
「ここに描いてある小さな町が『風の都』、この町じゃ。分かるな? それでお主が漂着したという『海岸』というのはここのことじゃな?」
「ああ、そうだ。俺は海岸を出て右手にこの町が見えたからな」
「うむ、それでは間違いないな。じゃあ、お主の言う『海』を見るのじゃ」
リリアンは春馬が漂着した海岸から海へ向かって指進める。それに従って春馬は視線を移していくと信じられない物が描かれていた。
「陸地、だと? この地図はかなり縮小されているのか?」
「いや、風の都とお主の言う『海岸』の距離を見るんじゃ。そんなに縮小された地図じゃないことが分かるじゃろう?」
「そんな馬鹿な。俺は確かに海を渡って来たんだぞ?」
「そうか。じゃが、それは有り得んよ。お主が海だと言っているのは見ての通り『湖』じゃ」
「嘘だと思うなら舟を見てみると良い。確かに俺は海を舟で渡って来たんだ」
「うむ、それに偽りは無いかもしれん。舟もあるじゃろう。じゃがな、そこは湖なのじゃ」
「し、信じられん。それじゃあ俺はどうやってここに来たって言うんだ……」
一歩進んで二歩下がる。いや、何歩も春馬は戻ってしまっただろう。進めば進むほど見えない暗闇が春馬を包み込んでいるようだった。
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