侍ファンタジー
野黒鍵
第1章ー第1話 流れ者、流れ着く
一艘の小舟が海岸に流れ着いた。
「ん? どこだ、ここ」
漂着の衝撃で目を覚ました和装の青年、藤堂春馬が身体を起こし辺りを見渡す。終わりの見えない海岸線。視線を上げれば雄大な山々が連ねていて、高く険しい山の頂上は雲にかかって見えない。海岸から山々を結ぶのは、どこまでも広い草原や森。
「こんな自然、俺の国にはないよなあ」
独り言を言いながら春馬は船から降りる。
今まで見たこともない自然がある、ということはここは外国? 春馬の国である『倭の国』の全てを見て来たわけじゃないので一概には言えないが、自分の国では感じたことのない雰囲気がある。これが噂に聞く『南蛮』という所なのだろうか。
そんなことを考えながら春馬は船に乗せていた唯一の荷物である『和傘』を取り出そうとするも、足がふらつき小舟へと寄りかかる。もう何日も食事を口にしていたかったからだ。倒れそうになるのを何とか踏ん張り、乱れた『着流し』を正して和傘を杖代わりにして歩みを進める。体を動かすと視界も悪くなり、ぼんやりとしか見えなくなって来ていた。空腹で頭も働かなくなって来て、考えることも止めた。ここが倭の国でも外国でもこのまま何も食べなければ餓死してしまうだろう。
残された力を振り絞り辺りを見渡すと悪い視界でも町らしきものが見えた。
「とりあえず何か食わないと……」
よろめく足取りで春馬は町へと向けてゆっくりと歩き出した。
「死に損ねた命だからな。こんな所で餓死するわけにもいかんだろう」
諦めそうになる気持ちを奮い立たせ、重い足をなんとか動かす。
ただ町に着いても危険はある。ここの国の人間からしたら、外国人となるのは春馬である。追い出されるか、下手すれば捕まることもあり得る。
まあ、その時はその時だろう、と割り切ることにした。結局、町で何かを口にしなければ、どちらにしても死んでしまうのだから。
視界が霞んでいるからだろうか、結構歩いたつもりだったが町はまだ遠かった。
「ピギャー!」
形容しがたい声が森の方から響いた。それは鳥のような気もするが、こんな大きな声で鳴く鳥を春馬は知らない。外国には変わった動物もいるんだなあ、と春馬は思い歩みを進める。今、この状況で未知の動物に襲われたらひとたまりもない。戦うのはもちろん、走って逃げる力も無い。森が住処なのだろうか。森には近づかないようにしようと心に留める。
町は森から離れているが、少し焦りを感じつつ気持ちだけ急ぎ足で町へと向かった。
無心で足を進め、やっと思いで町の入り口に辿り着いた。目の前はぼやけていて良く分からないが聞こえて来る声から活気のある町であることが分かった。これくらいの町であれば飯屋の一つでもあるだろう。微かに感じる匂いを辿って飯屋を探す。
「これは香辛料の匂いか……」
南蛮渡来の香辛料を使った炒め物は妹の桜も良く作ってくれていたな、と春馬は思い出していた。いつも仕事が終わって家に近付くと香辛料の匂いがしていた。服装や格好は南蛮物を好まない桜だったが、料理は南蛮物を好んでいた。
桜を思い出していると、ふと力が抜け立っていられなくなった。家路を思い出し、気が緩んでしまったのだろう。
こんな外国の地で果てることになるなら桜の眠る土地で死にたかった、と願うのは身勝手なことだろうか。まあ、身勝手だろうな。そう思いつつ春馬は意識を手放そうとした。
「アンタ、なにこんな所で寝てんの? 営業妨害なんだけど」
強気な女の声が春馬に聞こえて来た。そうかここでは邪魔になるか、と体を起こそうとする春馬だったが、力が入らず少し身悶えするのが精一杯だった。
「悪いな。見ての通り動けん……」
身悶えすることを止め、力を振り絞り春馬はそれだけ答える。
「怪我してる、って訳じゃなさそうね。アンタ行き倒れかい?」
声の主は春馬を様子を覗っているようだった。
「ここが料理屋って知っての嫌がらせ? ここでアンタが餓死でもしたら悪い評判立つんだけど?」
どうやら声の主は飯屋の者らしい。人が言い返せないのを良いことに好き勝手言っているな。少し腹が立って来たが、立つ腹は空っぽだった。
言い返すことも出来ない春馬は考えた。 もういい、ここで餓死することで目の前の女に対して一矢報いてやろう。そう決意して春馬は目を閉じる。その顔は穏やかで、まるで布団で眠るようだった。
「ちょ、ちょっと! なに覚悟を決めた顔して目を閉じてんだい!」
女は驚いた様子で声を荒げていた。
ふん、慌てているな。いい気味だな。……ちょっと大人げない気もするが。
「まったく、しょうがない男だねえ!」
怒った声が聞こえたかと思うと同時に、女は春馬を引きずって店内へと連れて行った。
あれ、もしかして怒らせた結果、俺は飯屋の食材にされる? 俺の国では人間を食べる文化は無いが、外国しかも南蛮ならやりかねない。南蛮の蛮は野蛮から来ているのだから!
せめて首からはねてくれと願うのは、自分が元武士だからか、と春馬が考えていると、どこかに座らされていた。体を起こす力もなく、目の前の机に突っ伏していると目の前から香辛料の効いた良い匂いがして来た。桜の影響で春馬も南蛮の料理が好きになっていた。食欲に導かれるまま視線だけ上げると、目の前には美味しそうな料理がいくつも並べてあった。
なんだ、飯屋特有の嫌がらせか、と思っていると
「さあ食べな!」
と、思いがけない言葉が掛けられた。
視線だけ声の主に向けると腕を組んで偉そうにしている雰囲気だけは感じた。にこやかに笑う表情からは嫌味は感じなかった。ただ、腹の空いた男に飯を食わせてやろう、という優しさだけがそこにあった。
だが、それが純粋な好意や親切であったとしても、春馬はそれを受ける気はなかった。過去の出来事が春馬を人間不信にさせ、誰かに借りや貸しを作るのは嫌になっていた。
――他人に関わると碌なことがない。情けを掛けられるくらいなら死んだ方が良いとさえ思う程だった。
だから春馬は目の前にある料理を黙って見つめて、そして口を開いた。
「いらん……」
春馬はそう一言だけ呟いて再び突っ伏した。
「はあ? 金なんて取らないからさっさと食べなさいよ!」
女に言われて気が付いたが、春馬は金を持っていなかった。そもそも飯屋で食事を取るなんて、食い逃げでもしない限り無理な話だったのだ。もちろん春馬に食い逃げなどする気は無かった。
「他の誰かにやってくれ……」
それだけ口にすると、ふらふらな体に鞭を打ち、残された力を振り絞って立ち上がろうとした時だった。女は春馬の頭を押さえつけ、立ち上がれないようにした。
「一度出した飯はそいつのもんだ。それを誰かにやるなんて許さないよ。アンタが選べる選択肢は二つ。一、飯を食う。二、アタシに捌かれる。さあ、選びな?」
頭を押さえつけつつ顔を近づかせて女は不敵に笑った。それなら春馬が選ぶ選択肢は後者だ。借りを作るなんて考えられない。
「じゃあ、一思いにやってくれ」
春馬は残された力を使って体を起こし、顔を下に向け首を見せる。さあ、ここを狙ってくれと言わんばかりの姿勢を作り、振り下ろされる一撃を待つ。
「バカなこと言ってんじゃないよ」
春馬を襲ったのは女による平手が後頭部に直撃した痛みだった。
「そこは飯を食うことを選ぶ所だろうに」
女は呆れた様子で春馬に声をかける。
「……」
それに対して春馬は無言で答える。自分は何があっても情けは受けない、と意志を表していた。
――ぐう、と腹の音が鳴る。
黙って頭を下げる春馬だったが、その顔が朱に染まる。目の前に美味そうな飯が並んでいるのだ。腹が鳴るのも仕方ないだろう。
「腹が減ってるんだろう? 何を意地になってんだい」
自分を思って飯を作ってくれたのだ。理由くらい話すべきだろう。そう思った春馬は下を向いたまま口を開く。
「……借りは作りたくない」
そうこぼす様に春馬は呟く。
「はあ、何を言ってんだかねえ。店の前で倒れられた時点で、こっちは迷惑してんだ。その時点でアンタはアタシに借りがあるんだよ。それを今更借りを作りたくないだって? それならもう手遅れってもんよ」
言われてみればそうかもしれない。迷惑を掛けたのなら、それはもう立派な借りだ。その相手が飯を食えと言っているのに逆らうというのは、ただの我儘だろう。
「そうか。そうだったな……だが、借りは返すからな」
春馬は出された飯を食うことに決めた。ぼやける視線で箸を探すが見当たらなかった。代わりに大きな匙が目に付いた。そうか、南蛮では匙を使って食事をするのか、と思い匙を手に取り平皿に盛られた米を口へと運ぶ。
口にしたことのない料理だったが、南蛮の香辛料がどこか懐かしかった。
腹も膨れ、体に元気が戻って来た。頭も回るし視界も良好になっていた。店の壁は春馬の知っている木製や土や砂ではなく、均一な形の石が積み上げられた物であった。外国では石造りの家なのか、と春馬が関心していると女に声を掛けられた。
「アンタ、難しい顔してご飯食べるのな。作り甲斐ってのがないねえ」
溜め息交じりに女主人はそう愚痴をこぼした。
飯を食いながら考え事をするのは昔からの癖だった。桜にも「兄さんは表情を変えずに食べるから美味しいのか不味いのか分かりません」と良く小言を言われていた。
「すまん、妹にもよく怒られていたが、どうにも直らなくてな」
そう言って女へ視線を移すと、その姿に春馬は驚いた。女は金色の長い髪を持ち、顔立ちは彫りが深く色白の肌。そして一番春馬の目を引いたものは長く尖った耳だった。南蛮人の鼻は高いと聞いていたが、こんなにも耳が長く尖っているなんて聞いたことがない。それに服装も薄く、肌の露出も多く飾りの付いた服を着ていて、服装だけでも異国の人間だと分かる。少なくとも倭の国ではない。
春馬の表情を見て女は笑っていた。
「なんだい、『エルフ』を見るのは初めてかい?」
「えるふ?」
春馬は女主人の言っている単語を認識出来ず発音もおかしかった。というよりも『エルフ』という言葉を春馬は知らなかった。
「やっぱり。アタシ達はエルフって種族なのさ。この耳や髪の色が特徴さ。他の特徴としては、そうだね。アンタ達ヒト種と比べると長命ってところかな」
「ヒト種? お前達は人間を種類で分類しているのか?」
「何言ってんだい? アタシ達は人間じゃなくてエルフだってば」
「う、うん?」
会話が噛み合っていなかった。言葉を話し、二本足で立っていたので春馬は女を人間だと思っていた。だが、『エルフ』というのは人間ではないらしい。南蛮人以外にも外国には人間、いやエルフが存在するのか。
エルフというのは人間とエルフを区別しているのだろう、と納得することにした。郷に入っては郷に従えという言葉もある。
「お前の言うことは良く分からんが、まあ分かった」
「どっちなんだい」
女主人は笑いながら春馬の背中を叩いた。
「そのお前っての止めな? ヒトの中じゃどういう意味合いか知らないけど、エルフ達相手には良い言葉じゃない」
叩いた後、腕を組んで女主人は少し春馬に説教をした。
「そうか、それは悪かった。じゃあなんて呼べば良いんだ?」
「ああ、そうか。自己紹介もまだだったね。アタシは『アディ』だ。この料理屋の主人さ」
「俺は春馬だ。俺は、そうだなあ……。浪人ってとこかな」
「『ハルマ』ね。ロウニンってのはなんだい?」
「仕事をしてない駄目人間ってところだな」
「なんだいそれ」
アディは大笑いしながら春馬の背中を叩いていた。考えるより先に手が出る性質なんだろう。
背中を叩かれながらも春馬は違和感を覚えていた。アディに身を任せながらも春馬は考えていた。
「どうしたんだい?」
春馬が無言で考え事をしていると、アディは不思議そうに声を掛けた。
アディに声を掛けられ、春馬はその違和感の正体に気付いた。外国は外国の言葉を話すと聞いていた。それなのにアディは倭の国の言葉である『倭語』を話している。それなのに言葉の認識に若干のずれがある。倭の国の人間なら知っているであろう浪人という言葉をアディは知らず、春馬は『エルフ』なんて言葉を知らなかった。その疑問を春馬はそのまま口した。
「アディが話しているのは倭の国の言葉だよな?」
「ワノクニ? なんだいそれは?」
「俺の国だよ。こういう格好をした武士とかがたくさんいる国」
春馬は立ち上がり、両手を広げて自分の着流しを見せる。
「いや、知らないな。ヒトがエルフの国に来るなんて数百年ぶりだし。それにワノ国ってのも聞いたことがない」
首を傾げながらアディは答えた。
「そんな馬鹿な。その言葉だって倭語だろ?」
「いや? これはエルフ共用言語だろ? そういえばアンタ、エルフ語上手だね。どこで習ったんだい?」
ますます春馬は混乱して来た。知らない文化や風習があるのは「ここが外国だから」で済む問題だ。だけど同じ言葉を使っているのに互いが違う言語を話していると言っている。この『ずれ』は何だ?
「俺は一体、どこに流れ着いたんだ……」
春馬は頭を抱えて思案していた。
「何を悩んでるのか知らないけど、エルフのことが知りたきゃリリアン先生に聞いてみるといいよ」
「『りりあん』先生?」
「そう、この国で一番の賢者さ。エルフのことは勿論、アンタが悩んでることも解決してくれるかもよ?」
「……賢者か」
アディの言う事はもっともだ。ここは外国だ。外国のことは外国のエルフに聞くのが早い。それも賢者に話しを聞けるなら尚更だ。
そう考えた春馬は和傘を手に取り腰を上げる。
「世話になった。必ずこの恩は返す。ありがとう」
そう言って春馬は深く頭を下げた。
「なんだいなんだい! 良いんだよそんなの気にしなくて」
アディは頬を朱く染め、大げさに片手を大きく振っていた。
「そういう訳にはいかない。『リリアン』先生に会って来たら必ず戻る」
春馬は顔を上げ答える。
「はあ、困った奴を拾っちまったよ。はあ……仕方ない、色々こき使ってやるから覚悟しな?」
春馬の堅い態度に溜息を吐きながらもアディは笑顔を浮かべる。
「リリアン先生の家は店を出て左へ真っ直ぐ行くと、町外れに大樹が見えて来る。そこがリリアン先生の家だよ」
「店を出て左へ真っ直ぐの古い大樹?」
大樹が目印なのだろうか。疑問を浮かべながらも春馬は店を出る。
「わかった。じゃあ、直ぐに戻る」
「いいからゆっくりしておいで」
「すまない」
「はいはい、じゃあ気を付けて行っておいで」
「あ、ああ。行って来る」
そう言って春馬は歩き出した。店から出ようとした時、昔の癖で春馬は振り返った。アディは一瞬真顔になったが、次の瞬間には噴き出した。そして優しい笑顔を浮かべ手を振った。春馬も一瞬真顔になったが、それに答えるように会釈をして春馬は再び歩き出す。
「行ってくる、か。久しぶりに口にしたな」
そう呟いた春馬の心に暖かいものが宿り、自然と笑みが浮かんで来た。
それなのに春馬の頬には一滴の涙が流れた。春馬自身が一番驚き足を止める。この涙はなんだ? と春馬は少し考えたが、その正体に春馬は直ぐ思い至った。
「そうか、最後に口にしたのは桜が死んだ日だったか」
頬を袖で拭い、春馬は再び歩き出す。桜はもういないってことを噛みしめて――。
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