第4話 食

 「…リク。エリック! エリックってば!!」

エリックは自分の名を呼ぶ声で目を覚ました。まだボーっとする頭のまま体を起こし、声の主へと目をやった。

「ミーナか? そんな慌ててどうした?」

エリックを起こしたのはミーナだった。ミーナの顔を見て昨日ことを思い出し、少し気まずいな、とエリックは思った。

 しかし、ミーナはそんなことはお構いなしで声を荒げていた。

「羊が大変なの! 何か様子がおかしくて」

ミーナの言葉を聞き、気まずい気持ちや眠気が吹き飛んだ。

 陽はまだ上っておらず、辺りはまだ暗い。エリックは目を細め、自分の周りに眠っているであろう羊達を順番に見て行く。

 「アキレスは大丈夫。ベネディクト、カールも良く眠っているな。エーミルは……エーミル?」

他の羊達は今もぐっすりと眠っている。だが一匹だけ荒い呼吸のまま眠れずに起きている羊がいた。

 エーミルだ。エーミルの様子がおかしい。昨日の夜はまだ元気そうだったのに……。

 そうエリックが思いながらエーミルへと近づいて身体を確かめる。

 「この暗さで良く毛の長さが見えるわね」

「ん? あ、ああ。慣れてるからな」

ミーナが関心したように声を掛けて来たが、エリックは曖昧に返事を返した。

 エリックもこの暗さでは毛の長さなんて見えない。エリックが見たのは微かに見える顔や体の大きさ、雰囲気などである。昨日は顔を見ただけでは誰が誰かなんて分からないと言ったエリックだったが、本当はパッと見ただけで分かるのだ。

 あえて分からないと口にしたのは、エリックの中での線引きだった。自分は毛の長さでしか羊達を見ていない。名前だって機械的に付けている、ということで深入りしないようにと自分をセーブしている。

 だけど今はそんなことを気にしている場合じゃない。エーミルの身体を頭から順に撫でるように優しく確かめて行く。エリックに撫でられて少し気持ちが落ち着いたのか、怯える気配は無くなったが、エーミルはまだ喘ぐように呼吸を繰り返していた。

 頭、体と順に撫でて行くが異常は見付けられない。これは足か内臓か? 内臓に異常が出た場合、羊飼いといえど出来ることは少ない。体の内側を確かめることは出来ないのだから。

 心配そうに両方の前脚に触れていると、エリックのズボンが濡れて行くのに気付いた。膝をついている周辺に水たまりのような物が出来ている。それを確かめるようにエリックは水たまりに手を付けた。少し粘り気のある液体だった。

 匂いを確かめるため、濡れた手を鼻の近くまで寄せた。

 「うっ」

それは嗅ぎ慣れたとはいえ、まだ慣れぬ鉄の匂い。

「血だ……」

 血抜きをしている『食料』は離れた場所にあるため、ここまで血が流れて来るとは考えずらい。そんなことは分かっていたが、エリックはそうであって欲しいと願った。

 だが、その願いは叶わなかった。エリックがエーミルの左後足に触れた時、ぬめりを感じた。それと同時にエーミルは苦しそうに声をあげた。

 「ご、ごめん。エーミル、大丈夫か?」

痛い思いをさせてしまったエーミルに謝りながら、もう一度慎重に足に触れて行く。するとエリックはエーミルの足の異変に気付いた。ガラスのようなものがエーミルの足に刺さっていた。

 羊が足を怪我したりすること自体は珍しくない。重傷でなければ止血など、適切に処置することで大事にはならない。

 だが、今回は『大事』になってしまった。エリックのズボンを濡らす程の出血は、エーミルの生命に危機をもたらしていた。

 普段のエリックなら羊達の異変に気付かない訳がない。今までのエリックがそんなミスを犯したことは一度も無かった。

 そんなエリックがミスを犯したのはミーナの存在だ。年の近い人間と話したのは本当に久しぶりだったし、ミーナが幽霊ということでエリックの意識がミーナに集中してしまっていたのだろう。それはミーナの所為ではない。間違いなくエリックの責任だ。

 その事実がエリックを苦しめる。

「ごめんよ、ごめんな」

 エリックは悟っていた。エーミルはもう自分では助けられないと。

 そんなエリックに出来ることはエーミルの側にいて、見送ってやることだけだった。

 ちゃんと自分が見ていればこんなことにはならなかった。そう自分を責めるエリックの瞳から涙が溢れ出ていた。

 「エリック……」

そんなエリックを心配そうにミーナは見ていた。自分は羊飼いだから、羊は家族ではないと言っていたエリックだったが、こんなに悲しい顔を浮かべている人間が羊を大切に思っていない訳がない。

 ミーナは自分が幽霊であることを悔やんだ。幽霊である自分はエリックを慰めることも出来ない。

 そう思ったミーナは思った。例え幽霊ではなく普通の人間だったとしても、エリックを慰めることが自分には出来るのかと。『審判の日』が起きる前も友達がいない。エリックのように家族を愛せていたか自信もない。

 ミーナが自己嫌悪に陥りつつある時、エーミルは横に倒れてしまった。もう座っている力も残されていないのだろう。そんなエーミルを血だらけになることをいとわず、エリックは背中から抱きしめる。

 エーミルの異常を感じたのか、ヘルメスと残りの羊達は、そんな二人を囲むように集まっていた。

 皆でエーミルを看取り、最後の瞬間まで寂しくないようにと……。

 そんな光景をミーナは見つめていた。私なんかが慰めなくてもエリックには家族がいる。私がその輪に入ることは邪魔にしかならない。そう思ったミーナは静かに『エリック家』を見守っていた。

 きっと私が幽霊なんて存在でここにいるのは孤独な自分を誰かに救って欲しいからかもしれないわね。そうミーナは悲し気に思った。エリック達の家族の絆、愛情がミーナの孤独を色濃くしていた。

 朝日が顔を出した頃。太陽が迎えに来たように、エーミルは家族に見送られ旅立った。


 エリックはエーミルを見送ると緊張の糸が切れたのか、心労が溜まったのか再び眠ってしまった。

 そんなエリックを慰めるように『家族達』エリックの側から離れなかった。

 陽も高くなった頃、エリックは眩しさで目を覚ました。昼まで寝てたなんていつ以来だろうか。体を起こすと家族はエリックの側から離れて行った。

 「側にいてくれてたんだな」

家族の温もりを感じ、改めて一人じゃないことに感謝する。自分一人だったら、ずっと落ち込みダメになっていたかもしれない。でも俺がしっかりしないと。俺は羊飼いだからな。そうエリックは思い、リュックからハサミとナイフを取り出す。

 エリックの行動に気が付いたミーナが慌てて声を掛ける。

「ちょ、ちょっと。何をする気⁉」

「見て分からないか? これからエーミルを解体して『食料』と『羊毛』に分けるんだ」

「な、なんてことするの! エーミルはエリックの家族じゃないの⁉」

「……だから言っただろ? 俺は羊飼いで、羊達は家族じゃないって」

そう口にするエリックの瞳には強い意志があった。

「嘘よ! だって泣いてたじゃない!」

「……」

「家族が亡くなったら弔うものでしょ?」

ミーナに責められ、エリックは思う。羊飼いという言葉に自分は縛られているだけじゃないか? ミーナの言う通り、羊達はエリックにとって家族同然であり、ヘルメスとも違いはない。ただ『羊飼い』と『牧羊犬』、そして飼われている『羊』という役割の違いだけ。

 ミーナの言っていることは綺麗事だとエリックは分かっている。そんな言葉で揺らぐような決意で羊飼いをしていない。

 だけどエリックは揺れていた。自分が『家族』を食べる資格があるのかと。

 自分の不注意で死なせてしまったエーミル。五匹の中で二番目に若いエーミル。

 自分が本物の羊飼いじゃない。そんなことは言い訳にはならない……。

 手を止めて悩むエリックをヘルメスが背中を押した。エリックは驚きヘルメスを見る。

 ヘルメスは力強くエリックを見ていた。その目はやることをやれ、と言っているようにエリックには見えた。

 そんなヘルメスを見て、エリックは初めて人間を『食料』にした日を思いだしていた。

 エリックとヘルメスが出会った日。怪我したヘルメスを介抱し、ヘルメスが仕留め人間を食べた日のことを。

 そしてエリックは思った。もし自分が死んだ時、ヘルメスは自分を食べるだろうか。一緒にいるのは自分をいつか食べるためじゃないか、と。それは羊飼いである自分が、いつか羊といることと変わらない。それなのに、エリックは悲しくなった。きっとヘルメスは自分を食べる。生きるために必要なことだから。

 そう思うと家族と言っている自分が虚しくなった。機械的とはまでは言わないが、自分たちの関係はビジネスライクのようなもの。

 『羊飼い』はいつか『羊』を食べるため。

 『牧羊犬』は『羊飼い』から餌をもらうため。

 『羊』は『牧羊犬』に身を守ってもらい、『羊飼い』に餌をもらうため。

 そんな表的な付き合いなのか?

 自分は確かにヘルメス達に『家族』に対する愛情を抱いていると思っている。だけど、エーミルが死んだ直後から割り切れてしまう自分の感情は偽りではないか。

 「ワンッ」

迷うエリックにヘルメスは声を上げる。ヘルメスは少し怒っているようだった。

「駄目よ、エリック!」

ヘルメスの言葉が分かるのか、それを止めようとするミーナ。

 「そうだよな」

「エリック」

エリックの言葉にミーナは安心したように表情を緩ませた。だが、エリックの決意はミーナの意図に反するものだった。

 「俺は『羊飼い』として生きている。『羊飼い』は『羊』に生かされているんだ。ここでエーミルを食べなかったら、天国のエーミルに怒られちまう」

そう言ってエリックは優しく笑った。

 「ワンッ」

そうだと言わんばかりにヘルメスは吠える。

 「どうしてそうなるの? あんなに泣く程大切な家族が亡くなったのよ?」

ミーナは信じられないと怒りエリックを責める。

「俺達家族は覚悟して一緒にいるんだ。自分が死ぬその時、家族に食べられることを」

「そんなのエリックが勝手に思っているだけでしょ? 羊達が可哀想よ」

「確かに俺が勝手に思っているだけかもしれない。でもやっと分かったんだ。俺が俺達が生きている理由が」

「理由?」

「俺達は誰かを生かす為に生きているんだ。俺はヘルメス達家族がいるから、こんな世界でも生きていようと思える。自分が死ぬときはヘルメス達を生かす為に自分を食って欲しいと思う。ああ、でもアキレス達は草食だから駄目か」

エリックはおどけて言う。ヘルメスは自分を食べるのかという不安は、ヘルメスには自分を食べて生きて欲しいという願いへと変わった。一日でも長く生きて欲しい。そうエリックは強く思う。

 「そんなのって……」

「まともじゃない? 俺もそう思うよ。だけど俺はこれで良いと思う。ヘルメス達が一日でも長生きしてくれたら俺は嬉しい」

「……」

 エリックが辿り着いた結論は無償の愛。側にいることの幸せ。誰かの為になれる幸せ。

 それは自己犠牲かもしれない。自分勝手な考えかもしれないが、この世界で生きる意味をエリックは見付けられた気がした。俺達の愛情、絆はこれで良いとエリックは思えた。

 ――もう迷いは無い。

 エリックはエーミルに手を掛け、そして『食料』へと変えた。

 エーミルの愛情を感じながら。

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