第3話 羊飼い
ヘルメスは相変わらずエリックに撫でられ気持ち良さそうにくつろいでいた。だが、日が落ちる前にヘルメスには仕事があった。
「ヘルメス、悪いが頼むぞ」
声を掛けて頷くと、ヘルメスは了解したと言わんばかりに一度鳴いて、エリックの膝から立ち上がり駆け出した。
暗くなり良く見えないが、ヘルメスは「わん」と鳴きながら辺りを駆け回っている。
ヘルメスに促されるまま、羊達はエリックの元へと集まって来た。
「アキレス、ベネディクト、カール、ダニエル、エーミル。よし、みんないるな」
エリックは集まった来た羊達の名を呼んで確認した。
羊達がエリックを囲むようにして座る。ヘルメスも再びエリックの膝へと帰って来た。
エリックの家族が集まると、ただそれだけで暖を取れる。家族の温もりがエリックを温める。
「さっき羊達の名前を呼んでいたけど、エリックってどの羊がどの子って分かるの?」
「これでも羊飼いだからな、顔を見るだけで誰か分かるさ」
「すごーい!」
ミーナは年相応にはしゃいでいた。感情が溢れる時には見た目通りの精神年齢に戻るみたいだ。
素直に驚くミーナを見て笑いを抑えられなくなり、エリックは噴き出してしまった。
「な、なによ。世間知らずって思っているの? しょうがないじゃない!羊飼いなんて見たの初めてなんだから!」
顔赤くして恥ずかしそうにミーナは怒っていた。腕を組んでそっぽを向いていた。
「いやいや違うんだ。本当は羊の顔を見て誰が誰なんて分からないんだ」
「で、でも、さっきは指さして名前を呼んでたじゃない」
「それは顔を見てたんじゃなくて毛の長さを見ていたんだ」
「毛の長さ?」
エリックの言葉を疑いながらも、ミーナは塀を下りて羊達を観察する。
「あ! この子達、微妙に毛の長さが違うわ!」
「その通り。コートの綿を変えたりするのに羊の毛を刈るんだ。だけど、全部刈ってしまったら羊達は凍えてしまう。だから少しずつローテーションして毛を刈るんだ」
「頭良いのね! あれ、でも毛の長さを覚えてるなら、それって羊の顔を覚えるのとあまり変わらないような気がするわ」
また自分を騙したのか? とミーナは訝しんでいた。
「もう一つからくりがあるんだ。アキレス、ベネディクト、カール、ダニエル、エーミル。羊達の名前なんだけど、何か気付かないか?」
「名前のからくり? うーん」
ミーナは顎に手を当て、その場をぐるぐると歩き考えていた。顎に手を当てて考えるのはミーナの癖のようだった。
「分かったわ! 羊達の名前の頭文字がアルファベットになっているのね!」
「おおー正解。アルファベット順に毛を刈るんだ。最近毛を刈ったのがカール。ということは?」
「えーと、この子がカールね。じゃあ、この子がダニエル。エーミル、アキレス、ベネディクト?」
ミーナは羊達を指さしながら名前を呼ぶ。
「そうそう。これでミーナも今日から羊飼いだな」
「ふふ、ありがとう」
エリックが褒めると、ミーナは嬉しそうにはにかんだ。
「でもアルファベット順なんて少し冷たいわ」
「ん?」
「なんだか機械的じゃない。ヘルメスの同じく機械的に名付けたの?」
「いや、ヘルメスは特別だ。俺の中でヘルメスは意味のある名前だよ」
「羊達も同じ家族なのに差別するのね」
「差別しているんじゃなくて区別しているんだ」
ミーナにはどちらも同じように感じた。羊飼いという職を良く知らないのだろう。
エリックが『牧羊犬』と『羊』を区別するのには理由がある。
「『牧羊犬』は羊飼いにとって相棒なんだ。家族と呼んでも良い。でも『羊』はそうじゃない。家族にはなれないんだ」
「どうして?」
「羊飼いはどんな状況でも『牧羊犬』を食べたりしない。だけど『羊』は毛を刈るためだけじゃなく、それと同時に『食料』でもあるんだ」
「そんな。一緒に旅をしている仲間でしょう?」
「そんな優しい関係じゃない。羊飼いが羊を守り餌をやるのは食料とするためだ。あくまで羊は『家畜』なんだよ。酷いと思うか?」
「思わない、思わないけど。なんだか寂しいわ」
「そう思わないために、あくまで家畜なんだと意識するために機械的に接するんだ。情がわいたら俺は羊を『食料』に出来なくなってしまう」
「そう、そうよね。知りもしないで偉そうなこと言ってごめんなさい」
「気にしないでくれ。ミーナは優しいからそう思うんだよ」
「そんなこと……。」
「……」
二人の間に沈黙が流れた。
エリックは黙ってヘルメスを撫で続け、ミーナは空を見上げた。
夜空に星が一つ。まるで自分のようだ、とミーナは思った。
真っ暗闇に一人。
視線をエリックに移すと、いつの間にかエリックはヘルメスを出して横になっていた。
「私もヘルメスになりたいな」
そう一人呟いた。
エリックはミーナの独り言を落ち行く意識の中聞き、眠りへと落ちて行った。
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