第2話 出会い

 「綺麗な顔してえげつないことするのね」

先程手に入れた『食料』の解体し、血抜きを行っているとエリックに誰かが話しかけて来た。

 盗賊の仲間がまだ隠れていたのか⁉ と警戒するエリックだったが、何故かヘルメスに反応がない。

 声のした方へ視線を移すと、まだ崩れていない家屋の塀に座る少女がいた。

 ヘルメスは少女に気付いていないかのように、エリックから与えられた『食料』を食べていた。エリックは手足の四肢、ヘルメスはそれ以外の部位を食べる。内臓を食べるのに抵抗があるのと、もとが何であったかを強く意識してしまうからだった。

 ヘルメスは食事中だとしても自分達に接近するものに反応するはず。

 目の前の少女は一体何者なんだ? とエリック警戒を更に高めた。

 慎重に少女の様子をうかがう。特に変わった様子は見られない。更に上から下まで注意深く観察する。

 「あ、クマさんだ」

「はっ!」

エリックが口にしたことを少女は咄嗟に悟った。声を掛けてからずっと、少女は足をブラブラさせて塀に座っていた。スカートを履いた少女が足を揺らすと見えるのだ。おパンツ様が。

 うっかり口に出したことを後悔しつつ視線を少女の顔へ移すと、そこには真っ赤な般若がいた。

 まだ少女と呼ぶのに相応しい年齢でも、こんな顔出来るんだ、とエリックは暢気に考えていた。

 足を閉じて揺らすの止め、両手でスカートの裾をギュッと握り、見えないように抑えた。

 「すまん、たまたま目に入って来て」

エリック右手を後頭部に当て、軽く会釈するようにして誤った。

「たまたま⁉ 私のことメッチャ見てたでしょ! 何? カニバリズムにロリコン?」

少女は般若の顔を崩さず、エリックを罵倒する。

 前者は認めるが後者は違う。あらぬ誤解を受けたエリックは弁解する。

「いや違う。俺は年上の方が好きだ」

「そういう話じゃないでしょ! この変態!」

 なんだかおかしな展開になって来た。ただこんな時でもエリックは油断しない。相手が子供だとしても、油断した瞬間に死ぬ。この『食料』と同じように……。

 子供とはいえ武器さえ使えば簡単に人を殺せるのだ。子供相手だからと言って油断すると痛い目に遭う。

 エリックの警戒心を感じ取ったのか、少女は微笑みながら塀から降りた。

「おい、近づくな?」

そう言うとポケットにしまった拳銃を取り出す、少女へと向ける。

「ふふ、ずっと見てたから知ってるわ。それ、弾が入ってないでしょ?」

 エリックのブラフは見抜かれていた。少女は先程のやりとりを見ていたという。そうなってしまうと、エリックの手に握られているのは鉄くずと変わらない。

 「ヘルメス」

盗賊と対峙していた時、辺りには気を配っていた。後から現れた三人にも気付いていた。だが少女の存在には気付かなかった。

 『ずっと』見ていたと少女は言った。それはいつからだ。少なくとも『食料』が手に入る瞬間にはいたはず。じゃなければ拳銃の弾が入っていないことは知らないはず。

 エリックの背筋に冷たいものが走る。こんな時に重要なのはヘルメスとの連携だ。だが、先程声を掛けたのにヘルメスはエリックをチラりと見たかと思うと、再び食事に戻っていた。

 「ヘルメス!」

今度は少し強めに相棒へと声を掛ける。一瞬、意識がヘルメスへと移った。その隙を狙ってか、少女は飛び掛かって来た。少女との距離は十メートル近くある。それなのに少女は『飛び掛かって』来た。途中で落ちる気配もなく、勢いもそのままでエリックに飛び掛かって来た。

 「うわあぁ!」

思わず叫び声を上げ、そのまま尻餅をついた。ただいくら待っても体には何の衝撃もなかった。

 まるで通り抜けたように少女はエリックを避けた。

 「おかしい。わあ! だって」

声はエリックの後から聞こえた。慌てて振り返ると尻餅をついたエリックを見下ろしていた。

 急いで解体に使ったナイフを構える。

「あら、おっかない」

言葉とは裏腹に少女は笑いながらエリックへと近づいて来る。

「お、おい。来るなって!」

 エリックの言葉も聞かず、少女は歩みを進める。手を伸ばせばナイフが届く距離まで少女が近づいた。

 悪いな、と心で謝り少女の心臓へとナイフを突き立てようとした。だがそれは叶わず、突き出した勢いのまま地面に倒れてしまった。

 「は?」

視線を再び少女へと向けると、エリックが少女の体を突き破っていた。いや、それは通り抜けていた。

「うわああ、なんだこれ⁉」

 慌てて少女から距離を取る。

「どう? 驚いた?」

クスクス笑いながら少女をいたずらっ子のような顔を浮かべた。

「あ、ああ。き、君はいったい?」

「自己紹介がまだだったわね。私はミーナ。もう分かってると思うけど幽霊よ」

 そう言うとふわりと浮き上がり、再び塀の上まで飛んで行った。

 「ゆうれい。幽霊かあ……」

現実を受け入れようとしてミーナの言葉を繰り返す。

 「あなたのお名前は?」

「あ、ああ。エリック、羊飼いだ」

まだ処理しきれていないが、ミーナに促されるまま自己紹介をするエリック。

 「本当に幽霊なのか?」

「じゃあ逆に聞くけど通り抜けたり、宙を飛ぶ人間なんているの?」

「いない、と思う。うん、それは確かに幽霊な気がする」

「でしょ? 私だって幽霊だって確信はないけど、こんな存在なんて幽霊しか思い当たらないわ」

 エリックはその言葉を聞いて、自分も人間だという確信はないことに気付いた。現状から推測して人間だろうと思い込んでいるだけかもしれない。通り抜けが出来て空を飛べる存在があれば、ミーナは幽霊じゃなくその何かかもしれない。

 エリックは頭振って余計な考えを捨てる。幽霊と初めて会って、まだ頭が混乱しているに違いない。自分が人間かどうかなんて決まっているじゃないか。

 「それ本当に食べるの?」

ミーナは口元を左手で押さえながら、右手で先程解体した『食料』を指さした。

「ああ。じゃなきゃこんなことしないよ」

「そう。そうよね」

 解体された『食料』を見てミーナは気分を悪くしていた。エリックも慣れたとはいえ、まだ抵抗が残っているのだ。おそらく初めて見たであろうミーナには衝撃が強すぎるだろう。

 「『審判の日』以降、こうでもしないと生きていけないからな」

 エリックの中で線引きはしている。自分達を襲った相手のみを『食料』とする。見境なく『食料』を手にしていたら、自分はは人でなくなってしまう、とエリックは思っていた。あくまで仕方ないことだと自分に納得させる理由が必要だった。

 「私はそんなことしなくても生きていけるわ」

エリックの言葉を受けてミーナが妙なことを口にした。

「生きていける?」

「そうよ。だって私は幽霊だから。幽霊ってお腹も空かないの」

 会話が成立したようで、微妙に噛み合っていなかった。エリックが気になったのは食べなくても生きている、ということではない。

「ミーナは幽霊なんだろ? それじゃあもう死んでるんじゃないか?」

ミーナビックリしていた。まさか自分が死んでるとは夢にも思っていなかったようだ。

「私が死んでる? そんなことはないわ。ただ『幽霊』になっちゃっただけよ」

エリックはますます混乱した。

「待ってくれ。幽霊ってのは死んだらなるんだろ? 幽霊であるミーナは死んでるってことじゃないのか?」

整理するように今度は丁寧に言葉を重ねた。

「そんなの知らないわ。幽霊が死んでいるって誰が決めたの? 私は私以外の幽霊を知らないから幽霊が生きているのか死んでいるのか分からないわ。私は死んだ記憶も自覚もない。だから生きているって思うわ。逆に聞くけどエリックは生きているの?」

「もちろん生きてるよ。俺は通り抜けられないし宙も飛べない。腹だって減る」

「そういう死者がいるかもしれないわ。例えばゾンビとか?」

「ゾンビがこうやって話せるか?」

「そんなの私は知らないわ。本物だっていうゾンビに会ったことがないもの。ゾンビがどういう存在なのか詳しくは分からない」

ミーナは肩をすくめて言った。自分がゾンビを例えに出すから答えたのに、とエリックは理不尽に感じていた。

 「それに俺は死んでないんだから生きてるだろ?」

そう口に出した時、エリックは同じ言葉を聞いた。

「そうかもしれないわね。でもそれは私も一緒。幽霊って存在にはなったと思うけど、死んだと思ってない。これって生きているってことにならないの?」

「うーん……」

 エリックは眉間に皺を寄せて考えを巡らせた。ミーナが言っていることは正しいとは思えないが、間違っているとも思えない。

 エリックは考えすぎて頭が痛くなって来た。

 「やめだやめだ」

ミーナが幽霊でも生きていたとして問題はない。それについて考えて腹は膨れないし、頭を使うことでエネルギーを消費してしまうだけだ。そうエリックは考え、足を投げ出して思考を放棄することにした。

 「まあ、エリックの言う通り幽霊って死んでいるものだと、私だって思うわ」

今までの会話を台無しにするような一言をミーナは口にした。

 散々人の頭をかき乱しておいて、そりゃあねえよ、とエリックは心の中で言ちた。

 「私だって馬鹿じゃないもの、それくらい分かるわ。でもね、私は自分が死んだって自覚がない。生きていることをエリックが生きていることを証明してくれたら私は死を自覚出来ると思ったの」

「ちょっと待ってくれ。それって……」

エリックは二の句が継げなかった。死を自覚するってことは、つまりは死ぬのと同義だ。それをミーナは望んでいるようにエリックには見えた。

「ええ、それは私にとっての死と一緒。でもこんな状態でいつまで私はいるの? って思った時、不安になったのよ。『審判の日』でたくさんの人は死んじゃったけど、これからも人が死んでいって、最後には一人も残らないかもしれない。もしそうなったとしても私はここにいる。幽霊として生きてしまう。そんな孤独に私は耐えられる気がしない」

 ミーナの抱える恐怖。それは永遠の孤独。今、世界に起きていることがこの星の終わりだとしても、虚空に放り出され幽霊としてあり続ける可能性もゼロではない。

 そんなものはエリックにだって耐えられない。

 「ねえエリック。あなたはどうして生きているの?」

ミーナの哲学のような問は続く。

「どうして生きているって聞かれても……」

再びエリックは思考を巡らせる。どうして生きているのか。そんなことは『審判の日』が起きる前にも考えたことはない。ただ過行く日常に、時の流れに身を任せていただけだ。朝がくれば起きるし、腹が減れば飯を食う。そんな日常に意味なんてない。

 だからエリックはこうとしか答えられなかった。

「生きてるから生きてるんじゃないかなあ」

「なにそれ」

「生きることに意味や理由なんてないんだよ。太陽が昇れば朝は来るし、可愛い子を見れば恋をする」

エリックが真面目に答えたのに、ミーナは口元を押さえて小さく笑った。

「エリックってロマンチストなのね」

「男の子だからな」

肩をすくめて、照れ隠しにエリックは言う。

「じゃあミーナが幽霊でも生きているとして聞かせてくれ。君はなんで生きてるんだ?」

「私? 私が生きている理由かあ」

そう言うとミーナは顎に手を当てて考え始めた。

 「ヘルメス」

 邪魔をするのも悪いと思い、相棒をあぐらをかいた膝の上に呼ぶ。ヘルメスは嬉しそうにエリックの膝の上に乗りくつろぎ始めた。

 自分の元でくつろぐ相棒の背中を愛情を込めて撫でる。荒い呼吸をしながらもヘルメスは目を細め気持ち良さそうにエリックの愛撫を受け入れていた。

「やっぱり羊飼いと牧羊犬って仲が良いのね。ん? その子、本当に犬というより狼っぽいわね」

 エリックがヘルメスの頭を撫でるのに夢中になっていると、ミーナから声を掛けられた。

「ああ、ヘルメスは狼だよ」

「え、狼って人に懐くの⁉」

ミーナは自分が考えていたこも忘れる程に驚いていた。

「さあ、俺もヘルメスのことしか知らないから分からないな」

「エリックは家業を継いだとか言ってたけど、ヘルメスはエリックの家で飼われていたの?」

ライオンやトラが生まれた時から一緒にいた場合人に懐く。ミーナはつまり最初からヘルメスは家族だったの? と聞いているのだ。

 「いや、うちの牧羊犬は『審判の日』に死んじゃった。ヘルメスと会ったのは『審判の日』より後だし、その頃のヘルメスは今と同じ大きさだったな」

「うそでしょ? それなら狼が懐くなんて信じられないわ」

「まあ、俺達の出会いは特殊だったからなあ。ヘルメスと初めて会った時、ヘルメスは怪我をしていたんだ。近くにに人の死体があったからヘルメスとその人は戦ったんだと思う。それでヘルメスが生き残った。怪我をしてたから俺が治療したんだ。そうしたら懐いてた」

 「変なの。普通、人間を襲った狼がいたら逃げるか戦わない?」

そう言われてエリックは当時の事を思い返す。

 前足をナイフで切られ、あふれ出る血を舐め続けていたヘルメス。エリックを見付けた時、ヘルメスは諦めた目をしていた。少なくともエリックにはそう見えた。ヘルメスは群れではなく、言葉通り一匹狼だった。

 自分の死を悟ったヘルメスは悲しそうだった。一人で寂しく死にたくない。そうエリックは一人で解釈し、気付けば手当をしていた。

 いくら怪我をしているとはいえ、無防備な人間を殺すなんて訳ないはずなのに、ヘルメスはエリックの治療を黙って受けていた。

 その時、寂しくしている一人と一匹は友達に、相棒に、家族になった。

 そうエリックは思っている。きっとヘルメスもそうだろうと勝手に思っていた。

 だが、そんなことをミーナに話すのは何だか恥ずかしいし、ヘルメスの許可も取らず勝手に話すのも悪い。そう心の中で言い訳をしてエリックは、

「きっと俺達は変なんだろうな」

そう答えた。

 「本当に変。でも素敵ね。羨ましいくらいに」

変だと言いつつもミーナは二人を馬鹿にしなかった。

「私もエリックみたいに友達が欲しかったなあ」

沈みつつある太陽を見ながらミーナは寂し気に呟いた。

「友達?」

「うん。恥ずかしいけど、ずっと友達がいなかったの。なんかクラスで浮いちゃっててね。私もそんなクラスメートを友達にしたくない! って強がっていたけど」

見た目以上にしっかりしているミーナは同級生からしたら腫物のようなものだったのかもしれない。話し方にも品があるし、振る舞いもどこか大人っぽい。クマさんパンツだけど。

 子供の頃、大人は遠い存在で近寄りがたい存在だった。理解出来ない、まるで未知の存在は恐怖でもあった。

 ミーナはクラスメートにとって怖い存在だったのかもしれない。

 でも本心は友達が欲しかったとミーナは告白した。

 それならエリックが友達になればいい。一人の寂しさは知っているから、とエリックは思った。

 だが、エリックから友達になろう、という言葉は発せられなかった。

「私が生きている理由は、友達が欲しいからかもしれないわ」

そうミーナが言ったからだ。

 生きている理由が、友達が欲しい。それは生きている理由というより未練のようにエリックは聞こえた。

 未練がなくなったら生きている理由を失い、ミーナは死んでしまうのではないか、とエリックは思ったからだ。

 友達になろう。

 それはミーナを殺す刃になる。エリックはそう思った。

 ミーナの顔に影が落ちて行く。

 太陽が沈み、夜の帳が降りて来た。

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