世紀末の羊飼い

野黒鍵

第1話 食生活

 少年と彼の飼い犬が廃れた街道を歩いている。その前には羊達が五匹。時折、群れから外れそうになる羊を彼の犬は吠えながら群れへと戻す。

 街道を行く少年は羊飼い。ならばその飼い犬は牧羊犬である。それはナイフとフォークのようなもの。

 フォークがあるからといってナイフがあるとは限らないが、ナイフがある時、フォークはある。

 羊飼いと牧羊犬も同じようなもので、犬だけでは牧羊犬か分からないが、羊飼いが飼っている犬であれば、それは牧羊犬と相場が決まっている。

 羊飼いの少年が指示を出さずとも牧羊犬は羊達を導く。

 羊達も群れでの移動になれているのか、滅多なことでは離れてしまうことはない。

 羊飼いの少年エリックにとって町から町への移動は少なくない。むしろ多い方である。

 移動を続けて三日目。ようやく町が見えて来た。この町には羊達の餌が生えていると良いんだけどな、とエリックは思っていた。


 町はエリックの思っていた通り廃れていた。それは町というより廃墟と呼んだ方が相応しい様相だった。

 家屋は倒壊し形を保っている物もあるが、ヒビが入っていたりしていつ崩れてもおかしくなかった。

 「ヘルメス」

エリックの相棒である牧羊犬に声を掛け、エリックの側へ呼び寄せる。それを合図に羊達は自由に散らばりだした。

 羊達は砂利や石畳の隙間から生える雑草を食みはじめた。エリックが廃墟と化した町を巡る理由は羊達の餌を求めてだった。

 草を食む羊達を見守っているとヘルメスが低い声で唸り出した。他者の接近による警戒。それに合わせてエリックも辺りを警戒心を高める。

 接近に気付かれたと判断したのか体格の良い男が建物の陰から姿を現した。

 「こんなご時世に羊飼いか?」

男は小馬鹿にした風でエリックに話し掛けて来た。

「家業なんでね。両親が『審判の日』に死んだから俺が後を継いだだけさ」

 肩をすくめてエリックは力なく答える。

『審判の日』とエリックが口にしたのは世界を襲った未曾有の災害が起きた日。隕石が落ちて来たとか未知の科学兵器を使われたとか、いろんな憶測が飛び交っていたが誰も真実を知らない。もしかしたらエリックが出会った誰かが知っていたかもしれないが、エリックにはそんなことは興味なかった。

 世界崩壊の真実より明日の飯。それはエリックだけでなく、この世界で生きる生き物の常識だったからだ。

 エリックは廃墟ばかりを巡っているんじゃなく、行き着く先が全て廃墟と化しているだけなのだ。

「まあお互い大変だよな」

 エリックには目の前の男が次に何を口にするか分かっていた。こんな事態は初めてじゃない。

 「こんな時代だから助け合わないと。悪いんだが俺『達』腹が減っちまってな。その羊をくれないか?」

「羊をあげてしまったら、俺はただの遊牧民になっちまう」

「もともと本物の羊飼いじゃないんだろう? お前の格好も羊飼いじゃない。ダッフルコートを着た羊飼いなんて聞いたことがない。何かを始めるなら、まずは形から」

「じゃあアンタの格好は盗賊でもやっているからそんな恰好をしているのか?」

「そういうことになるな」

 エリックの格好はダッフルコートにジーンズ。これは『審判の日』以前から着ているエリックの普段着である。

 片や盗賊の男はボロ布を頭に巻いてフードとし、服装を動き易さを重視しているのか単純に着るものがないのか分からないが、この寒さには合わない薄着だった。確かに盗賊らしい格好と言える。

 「形というのは大事だぞ? 神父だって俺と同じ格好をしていれば賊に成り下がるし、俺も修道着を着れば敬虔な神の僕になる。そうなれば俺はお前に導かれるかもしれないな」

 神を『良き羊飼い』と言っているのだろう。目の前の男は盗賊なんてことをやっている割には賢そうだ。もしかしたら『審判の日』以前は本当に神の僕だったのかもしれない。

 「じゃあ俺も形に合わせて言い方を変えるな。その羊を全ておいていけ。その犬はサービスで見逃してやる。牧羊犬がいないとただの流れ者になっちまうからな。遊牧民で済ませてやるよ」

その言葉を皮切りにして物陰から三人の男が現れた。先程、男が俺『達』と口にしていたので仲間がいることは察していた。エリックと会話している男を含めて四人。それに対して、エリックで戦力になるのはエリックと牧羊犬のヘルメス。ヘルメスはやる気満々で今に飛びかからん様子だが、圧倒的にエリック側が不利である。

 「先に仕掛けて来たのはそちらが先だからな」

そう言ってエリックはコートのポケットから逆転の一手を取り出した。

「はあ、嫌な予感はしていたんだ。元気な羊を五匹も連れているんだ。牧羊犬が優秀なだけな訳がない」

エリックが取り出したのは拳銃。『審判の日』が起きてから機械などの電子機器が壊れ、工場による大量生産は出来なくなった。それに加えて世界が崩壊するほどの大災害が起きたことによるモラルハザード。誰もが自分が生きることだけを考え、武器を手に争いが起きた。その時に銃も使われた。だが、大量生産の出来ない世界で弾は直ぐに枯渇した。

 この世界で銃自体は珍しくないが、弾は貴重なのだ。そんな弾を誰もが持っている筈もなく、弾のない銃はただの鈍器である。だから誰もが銃を捨て、捨てられた銃は壊れてしまった。

 そんな銃を持っているということは弾も持っているだろう。人数差を使って無理にでも襲いかかることも可能だが、必ず怪我人が出る。もしかしてハッタリ? という考えが盗賊の男の頭を過った。しかし、本当だった場合、勝ち目はない。そう盗賊の男は判断した。

 リーダーは手に持ったナイフを捨てて両手を上げる。

「ただそんな予感だけで目の前のお宝を見過ごせる訳がないよな。俺達もこうすることでしか食えないんだ」

「俺も盗賊だったら同じことをしていたと思う。形の問題ってやつだな。俺にとってもコイツは貴重なんだ。無駄には使いたくない。アンタが部下を縛ってくれるとありがたいんだが」

エリックは構えた拳銃に視線を一瞬移しながら盗賊の男に言う。

「ああ、分かってるよ」

諦めた様子で物陰にいた部下を集めると手際良く後ろ手に縛って行く。

 「いてて、もっと優しくしてくだせえ」

「こういうのは引き際が大事なんだ。甘く縛って危険だと判断されたら俺達が危ない。この状況を支配しているのは相手なんだ」

盗賊のリーダーは部下の三人を縛り、一カ所にまとめた。

「次はどうする? 歌でも歌おうか?」

「その必要はない。ヘルメス」

エリックは相棒の名を呼び、頭を一度撫でると腕を素早く振った。

 合図を受け、ヘルメスは盗賊の男に飛びかかった。不意を突かれたリーダーは投げたナイフを拾う間も無く喉笛を噛み付かれていた。

 「お、親分?」

 その光景に部下の男達は理解が追いつかないでいた。

 盗賊の男は悶えるように暴れていたが、しばらくすると静かになった。

 「お、おい。話が違うじゃねーか!」

「話? そんな話はしてないと思うが」

「俺達を縛れば見逃すって言ってたじゃねーかよ」

「俺は縛ってくれるとありがたいって言っただけだ」

「そ、そりゃあ確かにそうだが」

「コイツも言っていただろ? お宝があったら見逃せないと。俺もそうだったって訳さ」

「お宝? お前何を言って……」

 残りの盗賊達はエリックの言うお宝が自分達であると悟った。男達の顔に恐怖が浮かんでいた。

「羊飼いはもちろん羊の肉も食べる。だけど毎日食べられる訳じゃない。そんなことしたら羊が何匹いても足りないからな。だからその時々で食料を調達しないといけないんだ。こんな世界だ。わかるだろう?」

 盗賊のリーダーが捨てたナイフを拾って、縛られた男達に近付く。

「暴れないでくれると助かる。痛い思いは出来るだけさせたくない」

ナイフを持ち申し訳なさそうに言うエリックを見て、男達は諦めたようだった。目の前の少年は何があっても自分達を見逃してはくれない。

「そ、それならその拳銃で頼む」

盗賊達は懇願した。

「悪いな」

そう言って盗賊に拳銃を向け、躊躇うことなく引き金を引いた。

 カンっと乾いた音と、ガチャリというシリンダーの音だけが響いた。

「ブラフってやつさ。ヘルメス」

先程の男をやった時と同じように手を振り、ヘルメスに指示を出す。それに合わせてエリックも男の口を押え喉を切り裂く。そして慣れた様子で手早くもう一人の男も処理した。

 「今日は大収穫だな」

ナイフに付いた血を男の服で拭い、空いている左手でヘルメスを撫でる。相棒は一つ「ワン」と鳴いてエリックに答える。

 羊達は何事も無かったように草を食べていた。

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