第2話 はこのなかにいる

「それで、何を確認する? 古事記の話か? 稗田阿礼ひえだのあれは古事記編纂当時20代だった話とか?」

 僕が言うと、映像の僕は首を横に振った。

「もし本物のフリをしてだまそうって魂胆なら、そういうことはいちばん調べやすい。古事記に関する基礎的な知識はもちろんだし、僕の論文だってインターネットで公開されている。それ以外のことだって、指導教官にでも聞けばいくらでも情報が取れる」

「じゃあどうするんだ」

「そうだな。例えば、昨日の夜は何を食べた?」

 映像の僕が妙なことを聞く。

「コンビニのからあげ弁当」

 深く考えず、僕は素直に答えた。

 映像の僕が不快そうにまゆを寄せながら、質問をつけ加える。

「ちょっと待ってくれ、なんだか息苦しくなってきた……一緒に買ったものは?」

 それを聞いて、僕も少し不安になった。

「……ビールを一本」

「発泡酒だろう? おまけの袋の中身は缶バッヂで、そのままゴミ箱に捨てた」

 その通りだ。こいつは僕が昨日何を食べたのかを知っている。

「おい、僕を監視でもしていたのか? それとも、拉致らちするときに確認したのか?」

「馬鹿言え」

 そう言いながら、映像の僕はどこか青ざめた顔をしている。見ると、右足をカタカタと動かして、貧乏ゆすりをしている。ふと気づくと、僕も同じことをしていた。

 僕はわけのわからない怒りがわいてくるのを必死に押さえつけ、不安を払いのけるように言う。

「冗談じゃないぞ、はっきりさせよう。本人でないとわからないことを確認するんだ」

 僕は考える。

 本当の本当に、僕にしかわからないことは、何があるだろう?

「例えば、家族のことだ。家族の中で、僕がいちばん大切に思っているのは誰だ?」

「実家の猫。名前はチャーリー」

 映像の僕が即答する。

「いや……」

「だってそうだろう? 親父はどこにいるのかわからないし、母親は口を開けばかね、金、金。兄貴は何を考えているのかわからない」

 彼が口にした印象は、まさしく僕のそれと同じというよりも、僕が言おうとしていた内容よりもさらに僕の実感に近く、僕は何も言い返せなくなった。

 再び沈黙が生まれた。僕たちは、もう一歩踏み出せば何かがつかめそうな場所で、そのもう一歩を恐れていた。

 もしも。

 もしも、僕も彼も、ともにまったく同じ記憶を持っているとしたら、それはどんな場合があり得るのだろう。

 CGや特殊メイクで顔だけ似せたにしても、クローンのようなものにしても、記憶まで共有はできない。それとも、本当に僕のことを調べ尽くしていて、僕をだまそうとしているんだろうか。そんなことをしてどんな意味がある?

 無音の続く部屋に、突然、女性の声が響いた。

「議論が行き詰まったようですね」

 最初に聞こえた、あの声だった。

「ヒントが必要ですか?」

 その言葉に、僕たちは顔を見合わせる。

「出し惜しみするな! なんでもいいから教えてくれ!」

 僕は天井に向かってそう叫んだ。

 そして、返ってきた答えは、予想もしていなかったものだった。

「同じ人物が二人いるように思えるのは、そのように組み上げられたプログラムだからです。完全な人間に思えるほど、高度な人工知能なのです」

 僕は、言われたことを理解することができず、一瞬硬直してしまった。

 いや、そんなに難しいことを言われているわけじゃあない。けれど僕は無意識に、それを理解することを拒んでいた。

 女性の声が続く。

「失礼、ミッションの答えを先に言ってしまいましたね。それでは続いて、『自分がプログラムかどうか』を考えてください」

 その言葉に、映像の僕が反論する。

「なんだそれは、答えを言ってしまったら、実験の意味がないじゃないか」

「実験の目的は会話のログを取ることですから、問題ありません」

 女性の声は、あくまで淡々としている。

「だいたい、どうして相手が映像なんだ。ここに呼んだらいいじゃないか」

 とにかく何かいちゃもんをつけようと、僕がそう言うと、彼女は軽く笑うようにこう言った。

「だって、直接会うとあなたたち、殴り合いを始めるでしょう。さて、質問はここまでです。議論を再開してください」

「おい、待ってくれ、息苦しいんだ! 空気が薄くなっているんじゃないか!?」

 映像の僕が、必死な表情でそう叫ぶ。

「異常はありません。気のせいです」

 声はそう答えた。

「クソッ……なんで僕が……」

 彼はそうつぶやき、立ち上がると、部屋の隅に行って壁を軽く殴り、そのまま座り込んでしまった。

 そうだ、僕は強いストレスを受けたとき、よくそんな行動を取っていた。思い返してみれば、いつだってそうだ。それで何度も、ものにできるはずのチャンスを逃してきたんだ。

「おい、うずくまってないで、こっちに来いよ」

 僕は彼に向かって、そう声をかけた。

 けれど、彼はその声を無視するように、壁のほうを向いて、ブツブツと独り言をつぶやいている。その姿を見ていると、僕は僕に対する怒りが、ふつふつと沸き上がってくるのを感じる。いつからだったろう。嫌なことから目を背けるようになってしまったのは。あの時も、あの時も……

 その時、僕の記憶の底から、思い出されるはずのなかった記憶が、鎌首をもたげるようにして掘り起こされてきた。それは、僕が二度と思い出したくない、脳みその奥の奥に押し込めてきた最悪の思い出だった。

 僕は、恐怖におののきながら、それを押し隠して言った。

「おい、そろそろどっちが人間か決めよう」

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