はこのなかにいる

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第1話 はこのなかにいる

 目が覚めると、真っ白な部屋の中でイスに座っていた。

 どうも体が重い。

 どうしてこんなところで目覚めたのか。昨日、僕はたしかにホテルの自室で眠ったはずだった。それがどうしてこんな、ベッドもない部屋で……

 見回すと、その部屋はあまりにも異様だった。

 四方すべてがつるりとした白い壁。

 家具も装飾も一切無い、ほとんど完全な正方形の、箱のような部屋だった。

 ある物といえば、僕が座っている、このイス一脚だけなのだ。

 自分の座っているイスを見つめながら、僕は恐ろしいことに気づき、もう一度壁を見る。

 正面の壁。真っ白。なにもない。

 右の壁、左の壁、天井、床。真っ白。なにもない。

 そうだ、この部屋には、扉がなかった。

 それなら僕はどこからこの部屋に入ったのか。どこから出ていくのか。

 自分が監禁されているように思えて、急に不安が襲ってくる。不安に駆られて立ち上がった瞬間、声が響いた。

「落ち着いて」

 女性の声だった。

「座ってください。誰もあなたに危害を加えたりしません」

 どこかで聞いたことのある声だ。声はどこから聞こえてくるのか、僕は天井を見まわしながら、何も見つけられないまま、イスに座った。

 僕が座ると、部屋の中にもう一脚のイスと、それに座っている男の映像が浮かび上がってきた。完全な立体映像ホログラフィだ。いったいどこから、何に投影しているのか、まるでわからない。

 いや、そんなことよりも、その映像の男が、あまりにも僕に似ている。

 一瞬、僕がどこかから撮影されているのかと思い、手を振ってみたけれど、映像の僕はポカンと口を開けているばかりだ。

「おい、なんだこれは! ここから出せ!」

 僕は天井に向かって叫んでみた。監視カメラのようなものは見当たらないものの、さっきの声からすれば、見られているのはほとんど確実だった。

 案の定、もう一度声が聞こえる。

「これは実験です。二人で話し合い、『なぜ自分が二人いるのか』の答えを出してください。無事に答えが導ければ、二人とも解放いたします」

 声は、訴えを断ち切るようにそう言った。

 なぜ『自分』が二人いるのか? 目の前のこいつが、『自分』だっていうのか?

「……おい、聞こえるのか?」

 僕は恐る恐る、目の前の『自分』に話しかけた。

「ああ、聞こえる」

 録音した自分の声を聴いたときのような、奇妙な感覚。どういう仕組みになっているのか、映像そのものから声が出ているように聞こえる。

「一応、確認しよう。君は……」

 僕がそう聞くと、先回りして彼が答えた。

「僕は、せき哲也てつや。32歳。T大学で上代じょうだい文学の研究をしている。妻子はない。もしかして、君も同じだっていうのか?」

「……そうだよ。T大の大学院に籍を置いていて、専門は古事記と日本書紀の構造分析と成立背景の推定。でも上代文学で雇ってくれる大学なんて今時ない。今年中に次の働き口を決めないと、来年から食っていけない。こんな大がかりな実験に使ってもらうような人間じゃないよ」

 それを聞いて、目の前の僕が生唾なまつばをごくりと飲み込むのが、はっきりと見えた。鏡の前に立つのとはまったく違う、異様な感覚だ。軽い吐き気を覚える。

「……どうしてここに?」

 映像の僕が、ためらいがちにそう聞く。

「まったくわからない。高校時代の後輩から、職を紹介してくれるって連絡をもらって、東京から出て来たんだ。今日は面接の予定だった」

「しかし……ありえないだろう、こんなこと。自分が二人いる理由だって?」

 目の前の現実を受け入れられないというように、映像の僕が言う。

「僕に聞くなよ、僕だって混乱してるんだ」

 正直に言って、目の前に自分そのものを出されるのは気持ちのいいもんじゃない。どうしても語気が荒くなってしまう。

 しばらくの間、二人とも沈黙していた。僕はいたたまれなくなって、イスから立ち上がり、部屋の壁を調べることにした。

 壁にはまったく継ぎ目が無い。この空間はいったいどうやって作られたのだろう。そうして、どうやって僕たちをここに入れたのだろう。通気口のようなものすら見当たらないことが、不安をかき立てる。急に息苦しくなってきたような気がする。

「おい、この部屋、通気口が無いぞ」

 不安をまぎらわすために、僕は壁をでながら、映像の僕に向かって声をかけた。

 彼はぎょっとしたように周囲を見回す。

「なあ、やっぱり出された問題に答えるしかないんじゃないか?」

 再びイスに座ると、僕は目の前の自分に向かってそう言った。

 映像の僕はしばらく考えてから、話し始めた。

「……でも、現実的に考えて、自分が二人いるなんて、ありえないよ。例えば、ものすごく似ている人とか、見た目だけCGで作っているとかならまだしも……」

 たしかに、普通に考えればそうだ。『僕が二人いる』というのはありえなくても、『僕にすごく似ている人』なら、可能性がある。

「つまり、どっちかが嘘をついているってことか?」

「そうとしか思えない」

「それなら、関哲也しか知らないことを知っていたほうが本物だと、証明できるんじゃないか?」

 僕はそう言ってから、自分がまちがえていることに気づいて、言い直した。

「無理か。ここには二人しかいない以上、記憶を頼りにこっちが本物だと主張したって、意味がない」

 けれど映像の僕は、何か思いついたように言う。

「いや、やってみよう」

「なぜ? 無駄だろう」

「少なくともお互い、相手が『本物の』自分じゃないってことは、確認できるはずだ」

 それを聞いて、僕は少し困惑してしまった。見ないようにしていた不安を、目の前に引きずり出されたような気がした。

 もし、『二人とも本物の僕』だったとしたら、それはいったい何を意味するのだろう。

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