第6話 オフ会

 さて、どうする?

 浮ついた気持ちの中、俺は意識を戻した。

 トモとセックス出来る。トモは、その気だ。

 オフ会という非日常に開放的になっているのか、それとも小遣いが欲しいのか。理由は分からないが、そんな事はどうでもいい。

 俺を躊躇させるのは、時折見せる暗い表情と、こんな時間から男を求めてくる事実。

 普通じゃない。

 受け答えはしっかりしている子だが、不思議な面がある。

 逡巡している間、トモは何も言わない。薄い笑みを浮かべて、潤んだ目で俺を見つめる。

 通常なら、ただ抱き寄せればいい。口づけすればいい。そして、欲望を開放させればいい。

 だが……

 ふと、そこで気づいた。

 トモの左手首に、線のような傷跡が何本もある事に。

 ああ……心の中で嘆息した。やっぱりこの子は普通じゃない。

 俺は、断念した。

 この子に手は出せない。


「メシでも食うか?」

 そう言うと、トモは一瞬固まって、次に不思議そうな顔で俺を見つめた。

「もう少しで昼だ。どこかに食いに行くか、家で食うか」

「家って、ここで?」

「ああ。簡単なものを作ったり、出来合いのものを買ってきたりして、酒でも飲んで……

 ああ、トモちゃんはまだ未成年だったな」

 トモはぱっと表情を明るくした。

「それいいですね! ご飯、作りましょう」

 この明るい性格が、本当のトモなんだろうな。

「じゃあ買い出しに行ってくるから、少し待っていてくれるか」

「ううん、私も行きます」

 ふと、不審者として通報されないだろうか、という事を考えたが、ここは繁華街で、行先はデパートの食品売り場だ。ちょっと変わった父娘に見えない事もなかろうと思い直した。

 メニューは、鍋にした。

 暑い盛りに鍋ってもの何だが、俺は煮るか焼くかしか出来ない。マンションの部屋で焼き肉っていうのは避けたかった。

 酒で少々饒舌になっていた俺は、トモに家族の事を色々と聞き出した。

 トモは母子家庭で、母親は水商売をしている。父親はその客で、母が妊娠した時、逃げたらしく、トモは一度も父親の顔を見た事はなかった。

 母はトモを疎んでおり、「お前さえいなければ、もっと違う生き方が出来るのに」と、しょちゅう愚痴を零しているらしい。

 2Kのアパートに暮らしていて、そこによく母親が男を連れ込むらしい。そういう時は本当に居辛く、実際邪魔者扱いされる。今日朝早く待ち合わせしたのも、昨晩男が泊まっていったからだった。

「母親がセックスしている隣で、私は寝たふりしているんです」

 そう言って、寂しそうに笑った。

 トモの母親は十代という若い年齢で駆け落ちしたらしく、実家とは断絶状態だった。実際、トモは祖父祖母の住所も連絡先も知らない。

 トモの母親の年齢は俺よりも若く、三十代後半だ。確かにその年齢なら、まだ男を捕まえる事は出来るだろうと思った。

 会話も尽きずに話し込んでいると、いつの間にか時刻は夜の七時になっていた。

 トモは晩ご飯も食べていきたいと言った。一応、親が心配しないか聞くと、「全然大丈夫です。これまで生きてきて、そういう心配はされた事がないです」と、乾いた声で笑った。

 それに、どうせもうそろそろ仕事に向かっているとの事だった。

「誰かと一緒にご飯を食べたのも、家でご飯を料理したのも、本当に久しぶり」

 そう言って見せた笑顔が印象的だった。


    *


 トモとは、これで終わっただろうと思った。

 意外と会話は弾んだ。お互いの印象も悪くない。歳の離れた友人になれると思う。

 だが、俺はトモを抱かなかった。トモの要求を拒んだ。

 きっと俺は、「人の良いおじさん」で終わるのだろう。

 もしかしたら、小遣いを入手できなかったという事で、今頃舌打ちしているかもしれない。

 実際、あれからトモからメールは来ない。

 トモにとって、都合のいい人間……財布になるのは簡単だ。金はある。風俗に行ったと思えば安いものだ。

 だが、これでいい。俺は、トモを傷つけたくなかったのだ。

 そう思っているのは俺だけで、単なる自己満足かもしれない。

 だが、これでいいのだ……

 俺はパソコンを起動させて、ブログの管理画面を開いた。

 トモの事を、記録しようと思った。

 無論、オフ会の事は伏せて、外見的特徴もぼかした。

 トモという可愛らしい子と出会った事。彼女に抱いた気持ち。

 その事を記録しようと思った。

 そうせずには、いられなかった。


 トモと会ってから三週間後、ブログを付けたその週末、トモからメールが入っていた。オフ会後、始めてのメールだ。

 記事に対する抗議かと思い、慌てて開く。

『会いませんか?』

 短く、そうあった。

 俺はすぐに承諾の返信を送った。


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