終章 精神一到何事か成らざらん
三年B組
四月六日。小野田学園高校三年B組。美鳥に紅葉君。それに塚原君に高橋君。四人の机が縦横に偶然並んだ。
「どういうことだよ。クラスがそのまま持ち上がったぜ。塚原は知ってたか?」
「いや。俺も知らなかった。だが今年はそうしたらしいな」高橋君は教室だけ移動した変哲ないクラスをぐるりと見渡し塚原君に尋ねた。
「高校三年生か。色々面倒くさそうだな。で、この先どうするんだ?」
「そうだな。取り敢えず大学に行く」
なんの話題か賑やかな女子の笑い声がした。
「取り敢えずか。真面目なくせに将来は適当だな。で、紅葉はどうする?」
「俺は美鳥と結婚する」鞄から教科書を出しつつ平然と答えた。
「ええーっ! もう決まってんのかよ」
「まあな。先日契りをした」
「はっ、契り?」高橋君は折り紙を折っている美鳥をしみじみ見つめ、「兄弟だったのにな」と、ボソリ呟きため息をついた。
「確かに兄弟だった。だがここでは違う。それにショウの体はない。これは紅葉の体だ。言っておくが高橋が想像するような卑しいことは全くないから安心しろ。結婚の約束は紙に書いただけだ……」不意に紅葉君の声が小さくなり天井に視線を向けた。すると高橋君は美鳥の折った紙飛行機を摘み、上へスッと飛ばした。
さあ大変である。滑らかに進むはずの紙飛行機は見えない壁に当たり急落下した。
「ああ。俺は思う。残念ながら美女じゃないぜ」男三人と美鳥は深呼吸する間もなく身構えた。するとどこからともなく馬の鳴き声が聞こえ、「ゴーッ」と、突風が吹き机や椅子がズズズッと端へ動いた。この異様な雰囲気に教室は静かになり、生徒達は即座に廊下へ飛び出した。毎度のことながら怪奇現象そのものであったが、皆の目に薄っすら白い馬に跨った筋骨隆々の恐ろしい戦士が映った。そればかりか今まで見たことのない精悼な銀の虎が高橋君の横へ姿を現した。
武装した男は誰が見ても圧倒的強さを体から放っていたが、今はまだこの世界の感覚を掴んでないようだった。その者はゆっくり辺りを見回し、「必ず見つけ出す」そう言って、馬を走らせた。どうやら誰かを急いで探していた。そのせいで運が良かった。千年家の者達がまるで眼中になかった。
「危なかった。頗る危険人物と判断したぜ。あいつは誰なんだ。それに誰を探してたんだ?」高橋君は皆の顔を眺めた。と、同時に直感した。
「やっべー! あいつは姫を探しているぜ!」
あの貫禄ある男は只者でないと千年家の者達は見識したが、まさか赤国の王と思わなかった。
「あいつが姫を探してる。と言うことはこの世界に姫様が存在しているってことか?」
塚原君は緑国の王に会った美鳥が、何か知ってるのではないかと思いそう質問した。けれど予想に反し首を横に振った。
「あの時王に尋ねる間もなかったわ。あそこにアオさんと一太君のお母さんがいたけれど……。思い返せばアオさんは誰かに似てた。えっと。どこかで出会った気がするの」美鳥は目を閉じ眉間に人差し指を当てると必死で記憶を辿っていた。
「塚原。それがもし本当なら授業どころじゃないな。俺らはあいつより先に姫様を探した方がいいぜ」
「待て高橋。気持ちは分かる。だが慌てるな」塚原君は美鳥に目を向けた。
「姫様は誰かに守られてるわ。私には分かる。でもその人がまるでアオさんみたいで……。とても強い人よ。そうよ、紳士的な人だわ」
すると紅葉君がこう言った。
「俺も感じる。アオさん以上のエネルギーがその人に流れている」
千年家の問答をさて置き、白馬に跨った男と銀の虎が消えてから、生徒達はソロソロと教室へ戻った。別段怯えたり驚くこともない。いつでも逃げれるように準備をしていた。
「しかしあそこまで行って姫様の話を聞けなかったとはな」高橋君はさも残念がった。
「実は。紅葉君が紅の虎になっちゃって……。一大事だったのよ」
「マジかよ。って言うかなんで変身したんだ?」目を皿のようにして高橋君は紅葉君を見つめた。
「銀の虎は緑国の王と判断すれば、襲うように訓練されていた。俺の頭は死に物狂いで獣を抑制したんだが、悠に限界を越え結果的に一瞬で表面化して王に牙を向けた。途端に攻撃されたわけだ。焦った美鳥が誤解を解こうとして……。そうだ。そこに面識の無い女性が俺を味方と信じてアオの攻撃を止めさせたんだ。これは俺の憶測だがあの女性が姫様ではないだろうか?」
「つまり俺達と一緒にこの世界へ戻ったあの人が?」異口同音して彼らは顔を見合わせた。
「そうか。そうだったのか。ああ、美人で良かったぜ。で、連絡先は?」高橋君はわくわくして身を乗り出した。
「あははははっ。私は知らないわ」
「はっ、マジ?」皆は唖然とした。
「さて弾んだ話はそこまでだ。またお前らと一緒だな」爽やかな顔で英語の教師が入って来た。持ち上がりは生徒だけではなかった。美鳥の顔が妙に明るくなった。
先生が壇上で笑うと、「起立!」と、委員長が号令をかけた。噂によると今年の晩秋に二世が誕生するらしい。そんな幸せに包まれた英語の教師である。だが白馬の戦士と銀の虎が、今し方ここへ現れたとは思ってもないだろう。そればかりか年末以来、教室で起きた一連の事件はもう、「発生しない」と、信じていたから……。しかもあの教室だけ起こる現象と思い込んでただけに、事実を知ったなら必ず肝を潰すであろう。生徒達はそう思っていた。
一時間目の授業終了一分前。高橋君は紙飛行機を何となしに天井へ飛ばした。するとさっきと同様、見えない壁へコツンと当たりスッと床へ落下した。
千年家の者達の目つきが刃物のように鋭く変わった。と、同時に一人の生徒が、「皆、逃げるぞ!」と、囁いた。
「キンコーン……」チャイムが鳴るやいなや、生徒達は一斉に荷物を掴んでゾゾゾッと廊下へ走り出した。
「おい、まだ号令してないぞ!」先生は黒板に文字を書いていたが、くるりと向きを変えると目が大きく開きそのまま固まった。先生は微動だにせず氷の彫刻のようだった。
「信じられない……」先生は心で呟いた。なぜなら机や椅子が自動的に、ズズズッと、教室の中央を押し空ける突飛な現象が目に飛び込んだ。更に何とも言えない異様な空気が辺りに漂って、白い馬に跨った筋骨隆々の戦士と銀色に輝く獣がみるみる姿を現した。その獣は金色の眼をギラギラさせどんな獣より凶暴に見えた。
先生は恰も呼吸困難に陥ったような真っ青な顔で、しかしながら気はしっかり持って机の蔭に小さく沈んで隠れた。それを知ってかどうか銀色の虎は、「グワオォォォォッ」と、吠え、千年家の者達を冷酷に見つめた。生徒達は廊下で息を呑んでこの光景を眺めた。
「ここで戦う気は毛頭ない。流星の矢を放つ女戦士を探してる。その者はどこにいる。答えよ」銀の虎は紅葉君をぐっと睨んだ。
「だったらどうだって言うんだよ。とって食うつもりか?」紅葉君は睨み返した。
「我が名はソウ。ふん。お前は千年家の女を殺し損ねたショウか」ソウは紅葉君を見下した。
「お前は王の隠れ右腕だったが馬鹿な女に惚れたようだ。実に残念だ。裏切り者の命は俺がもらう」ソウの含み笑いは身が凍ったが、美鳥は違った。
「馬鹿な女とは失礼よ。こんなやつ倒してやる」美鳥は憤慨した。
「これは威勢のいい女だ。気に入った」ソウが冷ややかに笑った。
「女戦士は必ず見つけ我が物にする」白馬の戦士は千年家の者達を眺め自信ありげに呟いた。透かさず美鳥が、
「で、あんた何様なのよ」半ば強引な戦士に呆れてた。すると筋骨隆々の男は冷静に答えた。
「我こそは赤国の王」彼は手綱をぐいっと引き彼らを暫く見下ろした。
千年家の者達は狐に撮まれたように明らかにポカンとした。そんな彼らをあざ笑うように王と獣は間もなく天井へ姿を消した。
「おおおおおい。聞いたか? あいつは赤国の王だった。紅葉、お前は知ってたんだろ?」高橋君の目が血走った。
「いや。たった今知った」
「はっ?」
「真の王の顔を知った獣の戦士は、側近のソウだけだと聞いている」紅葉君は真剣に答えた。
「嘘だろ?」
「高橋、落ち着け。とにかく僕達は命拾いした。おそらく真面に戦ったら軽症で済まなかっただろう」塚原君はこの先を考え腕を組んだ……
午後になった。小野田学園高校三年B組の生徒達はいたって普通。たとえ赤国の王と凶暴な銀の虎が現れようと、千年家の者達がいる限り到底彼らに負けるわけないと思っていた。そればかりかこの先どんな展開になるのか、ワクワクしていると言った方が妥当かも知れない。
ところで話は変わる。この物語に金、銀と言った輝かしい色が作者の好みで度々出る。ただ「銅」だけは二次鉱物で描かれ何気に隠れた存在だった。ならば、これから日の目をみる。「銅」は銅として現れ物語を飾るであろう……
さて、午前の始業式で各々の表彰が行われた。紅葉君もその一人だった。彼は一か月前の全国大会で念願のメダルを手に入れ、全校生徒の前で堂々と表彰されたが、彼が登壇するやいなや無駄に、「きゃー、きゃーっ」と、女子生徒が騒ぎ立てた。今や学校で知らない者はいない。しかしながら彼が獣を宿した人物と知る者は三年B組だけの話だった。彼が列に戻ると、
「紅葉。後でそのメダル見せてくれないか?」クラスメイトの視線が熱かった。それから数時間後の昼休み。「待ってました!」と、言わんばかりにぞろぞろ人が集まり紅葉君の貴重なメダルはあっちこっちと移動した。
「へえ。これが全国大会の銅メダルか。皆で記念写真を撮ろうぜ」男子が教室の後方へ集まってわいわい騒いでいたけれど、美鳥は紅葉君を見ながらソワソワしていた。
「どうしたんだ?」妙に落ち着かない美鳥に紅葉君が心配して尋ねた。
「ねえ。何か聞こえない? ほら、大勢の足音よ」
美鳥は目を閉じ微かな音に集中した。
「教室が今まで以上に大騒動になるわ……」そう言うやいなや美鳥は急に駆け出した。紅葉君は首から外した銅メダルを自分の机に置くと、急いで美鳥を追った。
「美鳥! 何を焦ってる?」
「いいから付いてきて! 戦いが始まるわ」二人は階段を駆け下り南門まで一直線に進んだ。
「思い出したの。アオさんにそっくりだったのは、一太君のおじ様よ」
「一太? って、保育園のガキか?」
「そうよ!」
二人が去った後、教室は一転した。室内は塚原、高橋君を残して誰もいない。クラスメイトはワクワクして廊下から中を覗いていた。やがて威嚇する獣の吠え声が聞こえたが……。それにしてもカマキリの卵が孵化し糸を引くように続々と獣が現れたから堪らない。教室に措いて手の施しようのない数だった。と言っても塚原君と高橋君は戦うより方法がなかったから、二人は器物損害の覚悟で戦うつもりだった。ただ獣が増えれば増えるほど奇妙なことに一頭の大きさがどんどん縮んで、遂にハツカネズミ大に変わった。つまり百頭以上のネズミサイズの虎、チビ虎が教室をぴょんぴょん跳ね回っていた。
「こうしてはいられない」学級委員長が呟くと皆に掛け声をした。
「ジャージに着替えろ! 虎を捕まえるぞ!」皆は異口同音した。よってドタバタ着替えると他の教室にまで箒や塵取りを借用した。それから意を決した委員長がタイミングを計り、腕を上にあげた。
「捕まえるぞっ! ドアを閉めろっ!」と、合図をすれば、皆はコクリと頷き、「わぁーっ!」と、一気に突撃した。そしてチビ虎を次々と捕獲した。
「塚原、なんで虎が小さくなったんだ? 以前はこんな現象なかったぜ」チビ虎の首の皮をひょいと撮み、高橋君は手足をバタつかせたそれを楽しそうに眺めた。
「全く妙なことだ。まるで遊びだな」塚原君の両手は器用に幾つもチビ虎を捕まえていた。
精神一到
こちらは秀美の会社……
「ええ。三日後ですね。では宜しくお願い致します」秀美が電話を切ると、隣の席で加藤さんが下を向いて笑いを堪えていた。
「秋山さん。植田課長が招き猫みたいに手招きしていますよ」加藤さんは、「クスクスッ」と、笑いながら前方を指差した。確かに彼は手招きをしていた。秀美は両肩を少し上げて、「いつもの誘いと違う感じね」と言いながら、「クスッ」と、笑い課長席へ進んだ。
「何か御用ですか?」秀美が尋ねると、
「ああ。実は君にどうしても渡したい物があってな。先日、
「有難うございます」秀美は丁寧にお礼を言うと朱色で「鳩山神社」と書かれた白い小さな筒を受け取った。珍妙な先輩だけれど秀美の身の危険度は、人より何倍も察していた。
「秋山さん。電話です」秀美は植田課長席で受話器を取った。相手は真也さんだった。
「秀美さんを、いや姫を我が物にしようと二つの大きな気が動いてる」
受話器を握った秀美の手に力が入った。そしてチラッと植田課長を見ると、
「分かりました。では後ほど」そう言って受話器を置いた。
「急用が出来ました。早退致します」秀美は即座に植田課長へ申し出た。彼は不安そうに秀美を見つめ、持っていた護符を渡した。
「どうやら役立つ時がきたか……。肌身離さず持ってくれ」ただそれだけ忠告した。秀美は一礼するとその場を離れた。
「赤国の王が動いたんだわ」
秀美は席へ戻りつつ、もう一人の自分の運命を考えていた。
「もし別世界へ戻ったならば、真也さんと私の関係はどうなってしまうのかしら。今の幸せを失いたくない……」それから真也さんへメールをした。
「私も胸騒ぎがします。小野田学園高校へ一緒に行って頂けませんか? そこに何かあります」
慌てた様子で秀美が鞄に荷物を入れていると、加藤さんが仕事をしつつさり気なく質問をした。
「ねえ。秋山さん。今から秋山真也さんとデートなの?」
「どうして?」「女の勘よ」加藤さんはパソコンの画面を見て笑ったが、次の瞬間顔色が変わった。
「ちょっと待って。と言うことは、私と植田課長と二人で昼食なのね」加藤さんが深いため息をつくと一気に肩を落とした。けれど秀美は、「とてもお似合いよ」と、笑った。
「はいはい。行ってらっしゃい」加藤さんも笑った。
秀美と真也さんは高校の南門へ向かった。いい具合に男女の高校生とばったり会った。
「秀美さーん!」走りながら美鳥が手を振っていた。
「二人に会える予感がしてたんです。秀美さんこっちです」
秀美と真也さんは美鳥に導かれるまま校舎へ入った。階段を駆け上がるごとに真也さんは別世界の力が腕や足へ漲るのを感じていた。秀美もそうだった。
「この教室です」先に美鳥が到着した。
三年B組から聞こえる生徒達の声は奇声と言うより、「そっちだ」「あっちだ」と、ドタバタ楽しそうに声を出してチビ虎を追い掛けていた。
美鳥と紅葉君は互いに目で合図して、最初に紅葉君が教室へ飛び込んだ。
「紅葉、遅いぞ。それと美鳥を知らないか?」高橋君はチビ虎を両手で掴みながら尋ねた。
「美鳥ならあそこだ!」彼は入り口を指差したがそこに緑国で会った秀美が立っていた。
「あの人が姫様か。俺は最高に嬉しいぜ!」高橋君の瞳が熱くなった。
「紅葉。僕達は先に緑国へ行く」塚原君は高橋君へ視線を送るとサッと消えた。「おっといけねぇ。美鳥、姫様を頼む!」叫ぶと同時に高橋君も姿を消したが、一方で紅葉君の体は美しい紅色の光に包まれ、紅の虎へ姿を変えていた。
「秀美さん、真也さん。今教室は別世界と繋がっています。だから心の準備をして下さい」
美鳥が優しく微笑むと騒々しい教室の奥へ、一歩一歩秀美を守りながら慎重に進んだ。紅の虎が透かさず美鳥の前へ現れ二人に襲いかかるチビ虎へ、「グワォォォーッ」と、吠えた。チビ虎の動作はピタリと静止し目をまん丸にして尻尾を巻いて逃げた。
「そっちへ行ったぞーっ! 捕まえろ!」相変わらず生徒達は夢中だ。
「秀美さん、手を貸して下さい」美鳥は紅の虎に跨り秀美のほっそりした手を握り、一度大きく深呼吸してから天井を見上げると真也さんへ合図し一瞬でここから姿を消した。すると秀美の世界が一変し、かつてアオの住まいだった土木壮麗なお屋敷が視界に広がった。
「秀美さん。アオさんのお屋敷です。行きましょう!」美鳥がお屋敷の玄関を叩いた。
「美鳥さん。お久しぶりです」庭の奥から声がした。
「アオさん! アオさんじゃないですか?」ギンは喜び勇んで駆け寄り真也さんの前に跪いた。主人の帰りを待ち望むように鶯の唄声も庭に響いた。
「今は真也という名だ。だが……。ギン。アオだ」
「やはり、そうだったのね」美鳥は納得した。
「アオさん。では全ての魂が体に戻られた」
「そうだ。魂が全てこの体に集まった」
「畏まりました。では皆さんこちらへどうぞ」
全員がお屋敷に通されるとそれぞれ武器が用意されたが、秀美だけは武器を探す以前に自然と矢筒が背に現れた。そして常に一本の矢が存在し不思議なことに減りも増えもしなかった。言い換えれば一本使えば一本誕生して摩訶不思議な力がそれに宿った。
その頃赤国の王は姫がこの世界へ戻ったのを感じ、戦士を集め緑国へ攻めようと動き出した。
さてチビ虎を捕獲した教室は、一旦平和になった。チビ虎は透明な袋にごっそり入れられ観念していたけれど、面白いことに全部同じ方に顔を向けてた。
「なんだこれ?」男子が袋の上から一匹の虎を突き、「右向け右!」と、冗談で
号令した。するとごそごそと頭が動く。
「おもしれえ。これは病み付きになるな。おい。お前もやってみろよ」と、香澄の肩を叩いた。ただチビ虎にとってそれは生きるか死ぬかの際どい行動で、間違いなく生存を掛けていた。
「何言ってんのよ。遊んでられないわ。それより心配にならないの? 高橋君達
が消えてから三十分以上経つわ」香澄が男子に言った。
「ねえ静かにして! 彼らの声が聞こえるの」美桜が耳を澄まし呟いた。クラスメイトも耳を欹てた。
「確かに聞こえるわ。皆が必死で戦ってる。私達で何か手助け出来ないな……」加勢したいものの……。誰もその手段が分からなかった。
「あっ!」香澄は不意に手を叩いた。
「これよ! 仰山のチビ虎よ」
「えっ? チビ虎がどうかしたの?」
「これを使うの。つまりチビ虎に教育するのよ。だって人の言葉を理解してたもの」
「そう言えば……。やってみる価値はあるわ」
「だよね」香澄はすぐにペンケースから黒の油性マジックを取り出して、ゴミ袋に顔を近付けチビ虎にこう言った。
「命の惜しいものは、こっちを向きなさい。今からあなた達は紅の虎の仲間よ。彼らを助けるのよ。もし裏切ったら……。ペシャンコにするわ。いいわね」
チビ虎達は怖い姉ちゃんをじーっと見つめ一斉に首を大きく縦に振った。チビ虎は命懸けだ。香澄は再度透明な袋に顔を近付けぎろっと睨んだ。それから一頭だけ掴むとチビ虎の右腕にハートマークを描いた。生徒と獣の恐るべし契約……
「なかなかいいわね」香澄がチビ虎の腕をそっと摩ると、男子も女子もそれに倣った。
「なるほど。可愛いじゃん? 鞄に付けたいわ」
次々袋から出されたチビ虎は行儀よく床に整列し微塵も動かなかった。
「さあ、あなた達の腕に印をつけたわ。これは契約よ。分かったものは右手を上げて!」香澄が怖い顔で命令すると一斉に手を上げた。
「虎に二言はないわね!」香澄が彼らを見回すと今度は美桜が、「ドンッ」と、力の限り足で床を叩いた。「念には念を入れよ」である。チビ虎は震え上がった。
「さて、皆で机を重ねてチビ虎を天井へ送るわよ!」
机を段々に重ねるとチビ虎を眺めた。そして全員呼吸を合わせて、「いっけーっ!」と、叫んだ。漲る声は教室に響き香澄の指先をチビ虎は眺めた。その先は天井だった。ピョン、ピョンと、一頭ずつ並んで机に上がると生徒達はバタバタと廊下へ出て行った。なぜなら虎の数が減る毎にチビ虎が元通りの大きさになるからだ。しかしながら虎達は純に契約を果たそうと天井を見つめ淡々と上がり続けた。
虎の姿が見えなくなると、生徒達は教室へ入り何となしに机を端へ寄せて廊下で待機していた。と、その時である。
「ドシンッ!」と、男が二人降って来た。彼らはまるで戦士のような格好だったけれど、どちらも目が回りそうな素早い動きだった。
「見ろよ。あれは紅葉じゃないか? 相手は行方不明の数学教師だぞ!」生徒達の目が大きくなった。
「驚きだ。一体全体どうなってんだ? と言うより紅葉を応援するんだ」
「そうだ、そうだ!」
「紅葉、負けるなっ!」皆は一致団結して声援を送った。腕を上げて夢中で応援したけれど廊下は半端なく騒々しい。偶然通り掛った女の先生に、
「あなた達、授業が始まるわ。静かにしなさい!」と、注意されたものの誰もかれも耳に入いらない。無我夢中で紅葉君を応援していたせいだったが、残念ながら先生には理解できなかった。
生徒に無視されたと勘違いし先生は怒りで真っ赤な顔になった。ぐらぐら沸騰したやかんの口からもくもく出る蒸気で、「ピーッ」と、きつい音が鳴るように、いや、どう見ても富士山噴火の勢いだった。
「お前らいい加減にしろっ!」ヒステリックを通り越した女の物言いに生徒達はギョッとして静かになった。そこへいい具合に担任がやって来た。担任は妙な雰囲気に首を傾げた。
「先生のクラスの生徒は騒ぎ過ぎです。このクラスは問題ありです。 生徒にしっかり教育なさって下さい」今度は担任へ飛び火である。
女の先生は怒り奮闘でその場を去ったが、それより担任は根拠があるに違いないと生徒達を眺めた。不意に学級委員長の手が上がり、
「宣誓! 僕達は正々堂々と彼らを応援すると誓います!」と、言うやいなや一斉に応援が始まったから堪らない。焦った担任は、「静かにするんだ」と、言いつつ気掛かりな教室を覗き込んだ。
「これは錯覚か? いや本物だ。蒸発した数学教師と紅葉が激闘してるぞ。これは面白い!」担任まで大興奮だ。そして、
「そこだ紅葉! 一発くらませ!」違和感なく生徒達と一体化した。
かつて数学教師と紅葉君は共に戦士として育った仲間であり、互いの力を把握していた。彼らは虎の中でも最強グループに属する銀の虎の保持者だ。とは言うものの人の体内に宿した紅の虎は、以前戦った以上の能力を歴然と発揮し明らかに力の差があった。とうとう相手に限界がきた。数学教師は銀の虎へ変身し獣の姿を露わにした。
生徒達は彼の正体に唖然とした。直後に紅の虎が現れ、上下、左右、ところ構わず銀の虎を追いかけ取っ組み合いをした。紅の虎が優勢だった。逃げる銀の虎。そのせいで端へ寄せられた机があちこち移動した。
「そこだー!」男子が叫んだ。紅の虎と銀の虎が宙で激突し、「バシッ」と、銀の虎が弾き飛ばされ廊下側の壁へ思い切りぶち当たった。壁が酷く揺れ生徒達は思わず後退した。
「おい。どうなったんだ?」担任と生徒達はぎゅうぎゅうと入り口へ詰め寄ったものの静かな教室で動くものは見えなかった。
彼らは酷く振動した壁へ視線を向けた。その横に銀の虎が目を閉じ横たわっていた。
「おい。死んでるのか?」
「わかんねぇ。見てみようぜ」彼らは注意深く中へ入り興味津々で銀の虎を囲った。強靭な獣を黙って眺めた。
この世のものと思えない輝きは恐ろしさと異様な美しさを兼ね備えていた。大きな体に何箇所も鋭利な傷があったが、酷い出血の形跡はなかった。その状態から生徒達は「死」よりも「気絶ではないか」と、囁いた。すると担任が腰に両手を当てこう言った。
「あっはっはっ。行方をくらました職務放棄者に天罰だ!」
「それは言えてる……」生徒達は納得した表情だった。
「ところで紅葉はどこだ?」彼らは教室を見渡したけれど、どこにも姿が見えない。数人の男子が机を掻き分け探し回った。
「おい、ここにいたぞ!」紅葉君は床で目を閉じ仰向けで倒れてた。
「紅葉、生きてるか?」唐突に聞かれ彼は目を開け、「フッ」と、笑った。
「ああ。生きてるさ。ちょっと疲れただけだ。それより飲み物が欲しい」
「了解した。おい、誰か飲み物持ってこい!」透かさず男子が廊下へ駆けて、荷物をゴソゴソ探りスポーツドリンクを紅葉君へ渡した。彼の体は気絶した銀の虎より外傷がなかった。ゆっくり起き上がると「グビグビッ」と一本飲み干した。
「ああ。生きた心地がする」紅葉君は立ち上がり皆に礼を言った。それか
ら倒れた銀の虎を眺め頭を掻いた。
「悪いがそいつは殺せないんだ。塚原の命令だからな。このままにしておくから、後は宜しく頼む」そう言い残すと姿を消した。
「宜しく頼むと言われてもだな。どうしたものか……」担任は腕を組みじっとそれを眺めた。
「先生。ここは危険です。何が降ってくるか分かりません。一先ず廊下へ行きましょう」委員長は皆を移動させたがその矢先に銀の虎へ一光が当たった。それは秀美の放った光の矢に相違なく獣は銀煙になってこの世から消えてしまった。
「しつっこいわよ」廊下へ出たばかりの生徒達は一瞬で振り向いた。見れば四頭の銀の虎が美鳥を囲みキリキリと迫っていた。
「見ろよ。美鳥だ! だがもう一人美人がいる」皆は再びぎゅうぎゅうとドアへ詰め寄り息を飲んだ。
四頭の銀の虎が同時に吠え、今にも二人へ飛び掛ろうとしていた。その内一頭が槍を構えた美鳥へ飛び掛かった。槍は銀の虎を深く刺せなかったが、美鳥に指一本触れさせなかった。
「大した女だ。だがお遊びはそこまでだ」三頭の獣が美鳥を囲みそのうちの一頭が「グルルルル」と、顔をあげて威嚇した。しかしながら美鳥は全てを見通したように平然と槍を構えた。なぜなら美鳥は以前の戦いで恐ろしい「鬼」に変化し己の力を知った。だから彼らにさほど恐怖心を抱かなかった。運が良いのか悪いのか獣らは彼女正体をを知らなかった。そのうえ秀美が例の矢の保持者、姫と知らず、一頭の銀の虎だけはいつでも秀美に襲い掛かろうとギロリと睨んで見張っていた。ところが突如、「ウッ」と、声をあげ煙のように消えた。続いて吠える間もなく一頭消えた。別の獣が異変に気付き吠えた。
「その女は流星の矢を放つ者だ。王へ知らせろ!」一頭の獣が天井へ跳ねた。姿を消す寸前に美鳥が透かさず槍を投げた。しかしながらそれは獣を逸れて教室の壁に刺さっただけだった。残り一頭は秀美の矢に当たり教室から獣が消えた。しかしながら新たな危険を察した美鳥は、
「危険です。ここを離れましょう」美鳥は姫の傍へ寄ったのだけれど、時は既に遅く、周囲に異様なエネルギーが漂い白馬に跨った筋骨隆々の王と、銀の虎、「ソウ」の姿が目に映った。
王の瞳は秀美の美しさに引き込まれ暫く動かなかったが、漸く口が開いた。
「美しい……。お前を赤国へ連れて行く」王は低い声で囁いた。
「させるものか!」彼らの前に黒馬に跨ったアオと紅の虎が現れた。
ソウがアオの前にゆっくり前進した。
「ほう。黒馬の戦士よ。お前は確か俺の体に傷をつけた者。生きていたとは驚いた」
「期待に添えず残念だったな。俺はあの時と違う」
全て魂の戻ったアオのエネルギーがソウの爪の先までじわじわっと伝わった。
アオはゆっくり剣を抜いた。
「確かにそうらしいな」ソウがニヤリと笑えば素早い動作でアオへ飛び掛ったが、「お前の相手は俺だ!」紅の虎が、「ガツン」と、体当たりした。
「アオさん。どうか赤国の王から姫をお守り下さい」紅の虎はソウと命懸けで戦おうとしていた。
「こいつはただの銀の虎じゃないぞ」
「分かっています。ソウと俺は一度も戦ったことがありません。しかし一か八かやるしかないのです」紅の虎が体中で吠えた。するとソウも吠えた。
「何をブツブツ言ってる。二人共あの世へ送ってやる」ソウの吠え声は死の宣告そのものだった。明らかに紅の虎を大きく上回った体だが、紅の虎はそれに劣らない賢さで機敏に動いた。
とうとう両者がぶつかって互いに睨み、引っ掻き、共に体から血が流れ出た。どちらも王の右腕であり影と光だ。そう簡単に倒れるわけがなく二頭の緊張感は決して緩まなかった。ところが数学教師の戦いの影響か、紅の虎の呼吸が乱れ出し足元がふらついてきた。
「お前はこれで終わりだな」ソウの息も酷く荒かった。そのうえ足元も覚束なかったが、それを隠すように金色の眼は微動だにしない。
「ソウもふらついてる。俺には判る」紅の虎は苦笑いした。
「俺達は何のために戦っている?」悲しげな瞳で紅の虎が呟いた。
「王のためだ。生き残るためだ」ソウは淡々と答えたが微かに言葉に迷いがあった。
紅の虎は「フッ」と笑い、最後の力を振り絞ってこう言った。
「俺の成長のためにソウに会いたかった……」
青い瞳も決して輝きを失ってなかった。そして互いに全力で飛び掛かった時、光の矢がソウの背に刺さった。紅の虎は全身に酷い痺れ感じた。それは死の恐怖と言っても過言でなかった。紅の虎はバタッと横へ倒れソウが銀煙になって空中へ消えたのを青い瞳に映していた。
「ソウーッ!」紅の虎は渾身の力で叫んだものの、白くぼやけた背景に包まれ視界が狭まった。それから数秒後に彼の瞳は閉じられた。
「大変だ! 紅葉が倒れたぞ。紅葉を助けろ!」けたたましい戦いを茫然と見ていた生徒達が、どうにかして紅葉君を廊下へ引っ張り出したかった。とは言うものの赤国の王とアオの剣が激しく衝突していたために躊躇った。
「俺らがやります」柔道部と空手部男子が率先して教室へ飛び込んだ。方や見ていた生徒達は前後左右に視線を動かし、ハラハラしながら心臓を押さえ見守っていた。
「右。左。そこだ」先生は声を張り上げ誘導した。
やっとこさっとこ彼らが紅葉君の肩を抱いたが二頭の馬の動きが速すぎて危険極まりなかった。
「そっちは馬に蹴られる。左に寄れ。いまだっ!」
一時も目が離せなかった先生と生徒達。皆の額や手にどっと汗が滲んだが、漸く紅葉君が救出されると生徒達の肩の力が抜け落ちてへなへなと床へ座り込んだ。
「救急車だ。救急車を呼べ!」先生が叫んだ。即座に生徒達は立ち上がり一斉に携帯電話で救急車を呼んだ。
「先生、話し中です」
「焦るな。誰か通じているはずだ」既に女子生徒が紅葉君の様子を伝えていた。
「紅葉。大丈夫か? 生きてるか?」声に反応して彼の目がゆっくり開いた。そして、「フッ」と、笑った。
「俺、その言葉を前にも聞いた。今は体が動かないだけだから安心しろ」と、言ってたが苦しそうだった。
「だよな。二度目の葬式はしないよな」
「ああ……。葬式はしない。しかし傷が痛すぎだ」普通の人間ならとっくに失神してる。
「ソウ。お前はどこへ消えたんだ」紅葉君の心にぽっかり穴が開いた。
さてソウが教室から姿を消して束の間のこと。易々と平和は訪れなかった。次々現れる獣と美鳥は戦い続けた。
不意にアオが叫んだ。
「姫!」王の攻撃を避けた瞬間、姫は赤国の王に囚われ瞬く間に気絶させられた。
「攻撃するなら、この者の命はない」剣の先を姫に向け赤国の王は勝ち誇った顔でアオを見ると、馬を別世界へ走らせた。
「姫を助けて!」美鳥はそこらの獣を一気に槍で突き刺した。断じて命を奪うものでなかったが、余りの速さと発せられるオーラに獣は自然と退いた。
「命の惜しいものは逃げよ」美鳥が呟くとあっという間に獣は消えた。それもそのはず獣の心臓の裏にまで恐怖のエネルギーがジリジリと振動していた。
「姫は誰にも渡さない」アオは風を切って追い掛けた。逃げる王の背をひたすら見つめ馬の上でぎゅっと弓を引くと赤国の王を目掛け矢を放った。
「断じて逃すものか!」矢は見事に王の右頬を掠めスーッと赤い血が滲んだ。王はすぐさま馬の向きを変えてまるで怒り狂った猪のようにアオへ突進し、二つの剣と剣が激しくぶつかった。とは言うものの姫を抱えた王は思うように戦えずアオも攻められなかった。冷静なアオは自身を守りながら可能な限り姫に近付き名を呼び続けた。やがて目覚めた。
「私は何をしてたの?」剣と剣が酷くぶつかり合う音がした。
「私は……。赤国の王に捕まったんだわ!」意識が完全に戻り逃げようと藻掻いたけれど、どうにも出来なかった。ところが天の助けか、一頭の虎が王の背後から勢いよく「ドン」と、ぶつかった。いえ、意図的に押したに違いなかった。その拍子に王はバランスを崩した。
姫は馬から振り落とされたが、その先に数頭の虎が一気に集合して彼らの背に上手く載せた。
「私に捕まって下さい」一頭の虎が王の剣を器用に躱しつつも姫を乗せて突っ走った。
「王が怒ったぞ。でも契約した。姫の命が大切……」
「虎に二言はない!」ぶつぶつ呟きながら姫を安全な場所へ移動させた。よく見れば彼らの腕にハートマークが付いていたそうな。
それはさて置き王は国を裏切る戦士に怒った。そしてとうとう馬から降りて、
「緑国の戦士。対等に戦え」と、アオに剣先を向けた。周りは戦渦だ。アオは下馬した。王を見つめるグレーの瞳は、「姫を渡すものか」と、揺るぎなかった。そして互いに剣を構え相手の動きに集中した。知らず知らず戦いは教室へ移動していた。
「ちょっと何よ! 今度は何が来たの?」教室はまた大騒ぎだ。
「白馬の人達のようだけど」
「ねえ、どっちが勝つのかな?」
「筋骨隆々タイプは敵よ。だから私達は背の高い彼を応援するのよ」
生徒達は手に汗を握り二人の戦いを眺めていたが、アオの方がより優れた剣捌きだと解っていた。なぜなら王は徐々に押されていた。と、その時、天井から獣の吠え声が聞こえ、一頭の銀の虎が教室へ現れアオを狙って飛び掛かった。
「銀の虎よ。逃げてーっ!」思わず生徒達は叫んだ。アオの肩に獣の爪痕が僅かについたがアオは極めて冷静に避けた。ただその隙に赤国の王は銀の虎を片腕で掴み天井へ上がった。
その頃別世界は大変な事件が発生していた。姫を攫われた怒りで美鳥が鬼に変身して、「王はどこよーっ!」と、ゴジラに匹敵する恐ろしい声を轟かせていた。当然、人も獣も命辛々逃げ回り戦場は目茶目茶だった。
「どこにいるのよーっ!」雷鳴のごとく叫ぶ声は誰も寄せつけない。そこへ偶然銀の虎と王が現れ美鳥は怒り奮闘の眼差しでここぞとばかりに睨みつけた。そこから発せられるエネルギーはまさに、「息の根を止める凄い威力だ」と、言っても大げさでなかった。王も銀の虎も瞬きする間もなく地面に倒れたが、その先に決して逃げない百頭余りの虎を見つけた。彼らは気絶寸前でぶるぶる震えていた。その真ん中に穏やかに笑う姫を見つけ、美鳥は安心してみるみる人の姿へ戻った。これで戦いは終了したのだけれど……。緑国の勝利にも関わらず歓喜の声は塚原、高橋君と姫を守り抜いた虎達だけだった。言うまでもないが、敵も味方もたじたじでとうの昔にどこかへ逃げ去った。
ところで戦いに貢献した生徒達はその後どうしたか。彼らは勝利を祝ってカラオケで盛りがったようだ。一方傷だらけの紅葉君は総合病院でぐっすり眠っていた。それと千年家の者達は一旦家へ戻った。
姫とアオは黄金色の橋の上で大きな月を眺めていた。不思議な感覚だった。姫である秀美はかつてこの世界で戦士アオと巡り合いここから同じように月を眺めた。その後アオはソウに殺され秀美はこの川で永遠の別れを偲んだ。そして今は真也さんであるアオとこの場にいる。二人が再び巡り合うまでにどれだけ魂を織り成し命を懸け赤国と戦っていたか……
「姫は緑国へ残りますか?」アオが神秘的な瞳で尋ねた。
「私は……。暫く秋山秀美で生きてきます」そう言うと、アオは優しく姫を抱きしめた。
「俺は愛する人とこの場所で愛を誓い合いたかった」
水面に反射する月の光はきらきらと美しく輝き二人をゆらゆら照らした。
アオは姫を見つめ優しく微笑むと深くキスをした。そして真也さんの口調でこう言った。
「秀美さん。元の世界へ戻ったら試合で秀一に勝って、必ずあなたを僕のものにします。ここで誓います」
秀美はまるで誠也君と一太がここにいる気がした。そしてコクリと頷き、
「あなたを信じて待っています。永遠の愛を誓います」
秀美の瞳から涙が溢れた。姫を導くために存在した愛する人達。アオの魂。
「ありがとう」って、心で囁いた。
あれから一週間後。
「はい。営業部第二課の秋山です……」秀美が受話器を置くと加藤さんが羨ましそうに見つめた。
「いいわね。とうとう結婚かぁ。植田課長が知ったらきっと酷いショックを受けるわ。あら、噂をすれば課長よ」
「ああ。秋山さん。今夜、一緒に夕食どうかな?」
「お誘い感謝します。でも遠慮します」植田課長は少々がっかりしたが、「また、誘うよ」と、社交辞令的だ。
ところでこちらは小野田学園高校。あれから妙な出来事は完全に収まり生徒達に平和が訪れた。とは言うものの高校三年生は真剣に将来を考え、懸命に勉学に励まなければならない。そんな中で紅葉君はどうしても気になることがあった。それは彼にとって何より大切なものだった。
「美鳥。赤国と戦う前の話なんだが。あの時俺は銅メダルを机に置いたんだけど、どこへいったか知らないか?」
「さあ……。知らないわ」
「マジかよ……」紅葉君のショックは言葉で言い表せなかった。
さて彼が全国大会で勝ち取った銅メダルは一体どこへ消えたのか? それは別世界の空から真っすぐ降下し、腕にハートマークのある虎の首にスポッと紐が嵌りきらり輝いていた。それからどうなったか? 実は誰も知らない。
まあ思い返せば実に波瀾万丈な物語だった。これはこれで一件落着なのだけれど一つお願いがある。秀美が姫として別世界へ戻る日まで、どうかそのままにして欲しいとのこと。では宜しく……
姫編 完
クリムゾン タイガー (姫編) 菊田 禮 @kurimusontaiga-4018
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