第56回【文学】孤独な僕と永遠少女

 ある雨の日に出会った彼女は、秋の海に漂うクラゲみたいに半透明だった。自称、永遠少女。この世の存在ではないという。

 まぁ、僕もこの世からあの世に向かいかけているところのようなので、こういう存在に会うこともあり得るのかも知れない。

 遠い視線の先には、スクラップ同然にぐしゃぐしゃになった自転車と、トマトケチャップをぶっかけすぎたオムライスみたいに真っ赤に染まる僕の身体。車に牽かれたとか電車に跳ねられたとかなら仕方がないかな、と受け入れられると思う。

 だが、僕が瀕死になっている原因は違う。

 視界が悪いこの雨の中、道を間違えて階段から落下した。

「あなたが落としたモノはなんですか?」

 永遠少女が問い掛ける。

 半透明であることを忘れることができるなら、この少女はかなりの美人さんだ。墨を流したみたいに艶やかな長髪は真っ直ぐに切りそろえられていて、そこから覗く透明感(いや、実際半透明なんだけど)のある白い肌のコントラストは芸術的。こぢんまりとした目鼻、朝露に濡れる深紅の薔薇のような唇。流石はこの世のものじゃない感じの美しさだ。年の頃なら十七くらい。見た目なら僕と同じだが、《永遠少女》なんて言っているあたり、享年十七で長い時間をこんな世界に漂っているんだろう。

「それ、僕が『命を落としました』って言ったら笑ってくれるの?」

「いえ」

 永遠少女は真面目な顔をして首を横に振った。

「それに、まだあなたは死んでいません」

 僕は僕の身体を見ているわけで、これが死んでいないというなら、幽体離脱中か夢を見ているということだろう。

「このままなら、確実に死にそうな出血量だと思うけど」

 今のところ、人が通りかかってはいない。すごい雷雨で、落雷があった瞬間に階段を落ちたため、この住宅街の中であっても家から出てきて様子を窺うようなこともない気がする。順調に死に向かっている。

「随分と冷静ですね」

「まぁ、そうだね」

 自分が死ぬという状況に、何故かすごく落ち着いてしまった。現実味がないからか。永遠少女に会ってしまったからか。

「言いたいこともないのですか?」

「この雨にかき消されてしまいそうだし」

 雨足は強くなるばかりだ。通り雨だかゲリラ豪雨かと思っていたのに、まだまだやむ気配はない。

「なるほど。これは嘆きの雨なのですね」

「それ、形容じゃなくて?」

 奇妙なことを問うので、僕は聞き返す。

「ええ。あなたの思い残したことが雨に変わり、降らせているのです」

「へえ」

 僕は真っ黒な空を見る。雲がぶ厚いらしくて光は見えない。

「随分と言いたいことがあったんだな」

「ですね」

 二人で空を見つめる。しばらく黙っていたが、永遠少女が口を開いた。

「さすがに私が持っている絆創膏は役に立たない怪我ですよね」

「だね」

 彼女が出した絆創膏は市販されている中では結構大きなものだったが、そんなものでどうにかなりそうな怪我じゃないことは明白だ。

「それでも、つけるならどこにします? 一応、これは魔法の絆創膏でして、貼ればたちまち元通りになるのですけど」

「じゃあ、それは別の人に使うことだな。僕にはいらない」

「――未練はないんですか?」

「こうなっちゃったら、もうどうでもいいかな」

「あなたは……本来はそういう人なんですね」

「はい?」

 言っている意味がわからなくて、僕は彼女の顔を覗く。

「あなたは一度死んだつもりで生きるべきだと思います。生きて、この絆創膏を使う相手を見つけることを望みます。大丈夫、あなたは託すに足る人。どうか、人生を謳歌して――」

 彼女の姿が消えていく。いや、僕の視界がおかしいようだ。全体が磨り硝子を通して見ているみたいにぼやけて消えていく――。



 目が覚める。見慣れない天井だが、病院の一室であるのはわかった。

 あれ?

 手のひらに違和感。点滴がつけられた腕を動かして見れば――。

 ――これは君がくれた絆創膏?

 永遠少女が見せてくれた魔法の絆創膏がそこにあった。

 僕はそれを見て、小さく笑う。


《了》

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