第2話 春の願い②

 自宅のガレージには、オンボロのフェアレディZとピカピカのエスティマが並んでいる。もちろんたかしの愛車は、このオンボロ車である。


「なに、このオンボロカー。ちゃんと動くの? 」

「動くんだなこれが。六甲山でも摩耶山でも、走れないところはないんだな」

「五億円で新しい車でも買ったら? 」


 赤い塗装が剥がれている箇所を撫でながら、コレットは意地悪そうに言った。


「こいつは俺が必死で貯金して、初めて買った車なんだ。手放そうとか、金持っていても微塵も考えてないな」

「変なところ真面目よね」


 コレットはぶつくさ文句を言いながらも、助手席に乗りこんだ。


「で、これからどうすんの? 」

「夜の為に身なりを整える。ハーレム計画の偉大な一歩だ。その一歩はとても小さいが、人類にとっては」

「そういうのはもういいから。黙って運転して」


 二人を乗せた車は、自宅のある長田から、神戸市の中心、三宮へと向かっていた。


「駐車場、駐車場」

「五億円も持ってるんだから、千円二千円なんか気にしなくていいでしょ。さっさと止めなさいよ」

「お、それもそうだな」


 たかしは目に付いた駐車場に車を止め、今にもはち切れんばかりの長財布を取り出して、中身を確認した。


「いま、このパンパンに膨らんだ財布の中には、百万円が入っている」

「それで? 」

「七十万で、身なりを整えようと思う」


 二人はとりあえず、三宮をぶらぶらと歩き回り、服屋が密集しているJR高架下へとやってきた。お好みの店が見つかったのか、たかしはふらふらとその店に入り、店員が近づいてくるや否や、財布からお金を取り出した。


「この店で一番高い服、靴、財布、すべて持ってきて」


 店員は少し驚いた表情を見せたが、すぐに準備に取り掛かった。

たかしが次第に奇怪な格好に変貌していく様を、コレットは店先で呆れながら見ている。

 しばらくすると、花柄のワイシャツに、意味のわからない黒白のパンツ、似合っていない伊達眼鏡をかけた奇妙奇天烈な男が完成された。


「なかなかお洒落だろう。金がかかっているからな」

「唯一褒められるのはその茶色い靴だけね。それになに? その金の時計」

「なんか売っていたから買ってきた。渋いだろ」


 見せつけるかのように、コレットの目の前に差し出された手には、ギラギラ光る悪趣味な黄金時計がついていた。「なんか売っていたから買ってきた」なんて興味なさげに言ってはいたが、満足している感じがひしひしと伝わってきた。


「成金でもまだまともな服装するわよ。全てが似合ってない。で、幾らしたの?」

「オールコーディネートで、ざっと四十万円。安い買い物だ」

「頭湧いてんじゃない? もうちょっとまともな服を買いなさいよ」

「喪服姿のお前には言われたくねーよ」


 たかしのまさかのカウンターに、コレットは一瞬たじろいた。


「こ、この喪服には意味があるのよ。あんたのその、高級品ってことだけが共通点の、意味のないトータルコーディネートと一緒にしないでくれる? 」

「ほー、喪服に一体どういった意味があるんでしょうかねえ。ダメ人間がいつ死んでも、喪服を着ていれば大丈夫とか、そういった意味でしょうかねえ」

「惜しいわね」


 たかしはぎょっとした。適当に発した言葉が、またしても彼女の真意をついてしまったらしい。


「例外なく、四つの願いを叶えたダメ人間は、悲惨な最期を遂げているの。ダメ人間はこの一年間、快楽に時間と金を浪費し、結局、一年後には金も、友人も、挙句家族をも失ってしまうわ」


 コレットは、たかしから目を背け、喧騒の中、楽しそうに歩いている人々を見つめた。かと思うと、ハッとした表情をして、たかしの方へと振り返った。


「ま、つまりそういうことよ。これから絶対死ぬ人と、一緒に過ごすんだもの。喪服ほどこの職業に似合っている服はないと思ってね。ある種のブラックジョークよ」

「ブラックジョークねぇ、クソほどにも面白くない」

「あなたを笑わせる為に喪服を着ているわけじゃなくてよ? 」

「ああそうですか」


 強制的に話を終わらせたたかしは、先ほど買った金ピカの腕時計を見せつけるかのように左手を上げ、時間を確認した。


「十六時、まあそろそろかな」

「何を始める気? 」

「ハーレム計画を実行する為に、若者が集うパイ山という場所にむかう」


 パイ山とは、JR三宮駅の北西にある広場のことだ。お椀をひっくり返したようなオブジェクトが、女性の胸に見えることから、若者は皆、パイ山と呼んでいる。


「下品な名前ね」

「そうだろう。この時間頃から、若者が待ち合わせ場所に使い始める。そこを狙うんだ。そして、俺がこれから実行することは、パイ山という名前以上に下品だ」


 自信満々にそう言い放ったたかしに、憐れみの目を向けるコレット。

 二人がいたJR高架下からは、パイ山へ徒歩五分とかからない場所にある。サンキタ通りは金曜日ともあって、サラリーマンや学生、飲食店の呼び込みなどでごった返している。二人は呼び込みをことごとく断りながら、ようやくパイ山へと到着した。


「見ろ、コレット。極上の女だ」


 たかしが小さく指差した先には、ベンチに腰掛ける、妖艶な美女が座っていた。肩下ほどまで伸びている、美しい金髪に目を奪われた後、小ぶりな胸と、スラリと伸びた脚まで、たかしは舐めるように全身を眺めた。脚を組み替える時に、短く、ピッチリとしたミニスカートの間から、下着が見えるのではないかと余計に凝視していたことは言うまでもない。


「ちょっと、あんた見過ぎじゃない? 」

「おお、すまんすまん。これから俺は、ハーレム計画を実行に移す。これからお前は歴史の目撃者となるのだ」

「はいはい、なんでもいいけど、さっさと行動に移してもらえませんか」

「オーケー。よーく見ていろよ」


 たかしはそう言うと、金髪の美女へと近づいていった。


「こんにちは、お元気? 」


 クソほどにもどうでもいい触りだが、たかしの顔は自信に満ち溢れている。


「元気よ。なに? ナンパならお断りだけど」

「おやおや、高嶺の花気取りでございますか」


 そういうと、たかしは美女の足元に札束を放り投げた。


「どうですか」


 コレットは驚愕した。お金の足場を組み立てて、高嶺の花を摘みに行こうとしているのだから、呆れて物も言えないのは仕方がない。美女はたかしの顔を見ることなく、ずっと携帯を触っている。


「どうですか」


 さらに十万円を足元に放り投げる。無関心を貫いていた美女だったが、流石に足元に目がいってしまった。たかしはこのチャンスを見逃さなかった。


「欲しいんでしょう。これが」


 さらに二十万を取り出して、美女の頬っぺたをペチペチと叩き始めた。いよいよコレットは気分が悪くなってきた。

 しばらくの沈黙を破ったのは、意外にも美女の方だった。足元に散らばった二十万を拾い、たかしが持っていた二十万も、ぶんどった。


「このお金はもらうわね」

「それじゃあ! 」

「さっさとホテルで済ませましょ」


 たかしは確信した。どんな女でも金で買えるという事を。コレットの方へ振り返り、小さくガッツポーズを見せた。

 美女に誘われるまま、三宮から西へと向かう。喧騒な生田新道を抜け、東急ハンズの前を横切り、さらに西へと歩いていく。膨張したまま収まりのつかなくなった股間を、気遣いながら歩いているたかしにとって、とても道のりが長く感じた。

 南北に通る”トアロード”を越えると、閑静な街並みへと変貌する。たかしはさらにお金を渡して、今ここで、やってしまいたいという衝動に駆られたが、小道に入る美女を見て、ホテルがもう近いことを悟った。

 雑居ビルの間に、古びてはいるが、趣のあるラブホテルがそこにはあった。カウンターで鍵を受け取り、部屋に入るや否や、たかしは美女に抱きついた。衝動を抑えきれなかったのだ。


「待って。シャワーだけでも浴びさせて」

「あ、はい。それもそうですね」


 たかしはベッドの上に腰をかけ、悶々として待っていた。美女がシャワーを浴びる音を聞きながら、一発抜いてしまおうかとも考えたが、窓際に置かれた椅子に、コレットが座っていることを思い出した。


「なんでお前もついてきたんだよ」

「いや、その」


 コレットはもじもじしながら、何やら言いたそうにしている」


「なんだ、これから行われることを観測していたいのか。そして観測した結果を神様に報告しなければいけない義務でもあるのかな」

「そうじゃないわよタコ! その、家に帰る道が……わからないから」


 たかしは吹き出してしまった。なんせあれだけ、散々偉そうな口を叩いていた女が、帰り道がわからないという理由で、ノコノコ着いてきたというのだから。


「帰り道がわからないからクズ人間にそのまま着いてくるなんて、どっちが無能なんだかわかんねえな」

「うるさいわね、私だってこんなとこ、入りたくないわよ! 」

「外で待っていろ。これから始まることは、お前が見るにはまだ早い。俺は金を積んで、あんなプレイやこんなプレイを楽しむつもりなんでね」

「あんなプレイやこんなプレイがどんなことなのか知らないけど、そんなもの見る気も無いわ。言われなくても外で待ってるつもりだったんだから」


 そう吐き捨てると、コレットは部屋を出た。出口に向かっていると、筋骨隆々な、強面の男とすれ違った。コレットは程なく察したが、たかしに伝えようとせず、ホテルの前で待つことにした。


 コレットが部屋を去った後、程なく美女が、シャワー室から出てきた。


「お待たせ」

「いやあ、待ちました。僕もシャワーに」


 たかしがシャワー室に向かおうとすると、美女が後ろから手を回し、抱きついてきた。


「あなたはシャワーなんて浴びなくていいから、もう、やりましょ?」


 胸の感触が背中を伝わる。たかしはもう、欲望を即座に開放し、ぶちまける決心をした。

 そんな燻った気持ちを、ノックの音が一気に冷めさせた。ノックは、初めこそ遠慮気味ではあったが、次第に強く、ドアを叩き割らんとする勢いで、激しくなっていった。


「助けて! 」


 美女が唐突に助けを求め出した。かと思うと、怒り狂ったかのようにノックは激しくなり、いよいよドアが欠壊しそうだ。

 あっけにとられるたかしを、美女はどんと押しのけた。美女はドアの方へ駆け寄り、鍵を開け、ノックの主を部屋へ招き入れてしまった。

 野球部の少年のような頭を、金色に染め上げた、筋骨隆々の男の様が、たかしの目に飛び込んだ時、たかしのこれまで燻っていた性への欲求は一気に冷めてしまった。怒りと暴力を体現したようなその姿に、たかしは恐怖した。そう紛れも無い、この男。俗に言うヤンキーである。


「おい、カスミ!  なんや、どないしたんや! 」

「この男に無理やりホテルに連れ込まれて、犯されそうになったの」

「なんやとコラ。おいお前、どないやねん」


 ヤンキーは、抵抗するたかしの胸ぐらを強引に掴み、ぐいと持ち上げたと思えば、思いっきり壁に向かって放り投げた。この男の筋肉は見せかけだけではないことが証明された瞬間だった。


「いや、その。その女……、いや女性がですね、お金を渡すと嬉しそうに着いてきましたので、その、なんというか」

「おおん?  ほんならなにか、 俺の女は金渡されたら脚開くような、尻軽女とでもいいたいんかワレ。んでもっておのれは悪ないってこというとんのかコラ」

「いやはや、その、つまりですね、こう」


 壁に放り投げられたことで、動揺してしまったたかしは、自分でも訳の分からない言葉を羅列しているだけで、相手の感情を逆撫でしていることに気が付いていなかった。さらに言えば、金で女を釣ろうとしていた、自分に十中八九非があることに気がついたが、謝罪の言葉が出て来ず、結局終始、自己弁護に走っていたのだからたちが悪かった。


「御託はどないでもええねん、誠意みせんかい! 」

「足でも舐めればよろしいのでしょうか」

「誰がおのれに足舐めてもらって嬉しい思いすんねんボケ! おのれの持っとる金全部出さんかい! 」


 たかしは躊躇しなかった。財布に入れていた全ての金を、ヤンキーに手渡した。


「おう、結構持っとるやんけ」


 ヤンキーはその金をカスミに渡すと、とっとと帰る支度を始めた。


「ほんならまあ、一人でシコシコやっとけや。あと、その服似合ってへんから、やめといたほうがええで」


 そう言い残すと、ヤンキーは喜々と部屋を出た。後を追うように、カスミも部屋を出ようとする。そんな彼女を見て、たかしはたまらず、今の心情を吐露してしまう。


「彼氏がいるなんて、初めから言っててくれよ」

「彼氏がいなくても、あなたと寝るつもりはなかったよ。諭吉が近くにいたから、着いてきた、それだけ」


 たかしはようやく、全てを悟った。自分ただ一人となった部屋、一人にしては大きすぎるベッドの上で、大の字になってしばらくの間、ぼおっとしていた。

 コレットの前にたかしが姿を見せたのは、カスミがホテルを出てから一時間ほど経った後だった。


「あら、精魂使い果たしような顔をしてるわね」


 コレットの言葉を聞き、たかしは大きな溜息をついた。


「美人局だよくそったれ。あの女、携帯をずっと触ってると思ったら、彼氏と連絡取り合ってやがったな」

「金で女は買えなかったみたいね」


 コレットはくすりと笑った。


「いや、女は金で買えた」


所詮たかしは、諭吉の友達程度の認識しか、カスミの目には映っていたなかったのだ。その事実を突きつけられた今、たかしはこうして強がることしかできなかった。


「だが、金で女を買うことは、今後控えようと思う」

「あら、ダメ人間にしてはなかなかいい判断をするじゃない」

「なんだかこう、虚しくなった」


 コレットは、少したかしの事を見直した。少なくとも、これまでのダメ人間とは別の、”普通の心”を少しだけ持っているような気がしたのだ。


「さて、これからどうするの?」

「決まってる」


 たかしは駐車場の方角へと走り出した。


「家にある金を使ってあの二人に復讐するに決まってるだろバーカ! 」


 やっぱりダメ人間だった。コレットは少し見直した事を後悔した。美人局に会い、こんな事を大声で叫ぶ男を、ダメ人間、クズ人間、その他様々な侮称以外で、なんと呼べばいいのか。コレットはまたしても溜息をついた。

 しかしこの後、財布の中身を全て奪われたことで車が出せずさらに惨めな思いをするなどと、誰が想像していただろうか。

 三宮から自宅のある長田までは、とても遠い。電車の運賃もない二人は、時間をかけて歩くことにしたのだった。

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