彼女の純情


 私は兄を愛していました。




 どこから話せば良いでしょうか…いえ、すべてをお話しします。


 私が生まれて間もなく父が亡くなったことは、真実さんもご存じですよね?


 その後母は、女手一つで私たち兄妹を育てるために昼夜を問わず働いてくれました。

 ですがそうすると、家のことまでは手がまわらないので、小さい私の面倒はいつも兄が見てくれていました。

 以前もお話ししたように、兄と私は五つ離れているので、そのとき兄はたったの五才でした。ですが本当によく私の面倒を見てくれたと母から聞いています。


 そんな兄に、私はとても懐いていました。

 兄は私にとって、兄であり、父の代わりであり、そして最も仲の良い友達でした。



 私が小学校に上がった頃は、まだ兄を男として意識することはありませんでしたが、このときから頼りになる存在だったことは間違いありません。

 兄は頭が良く、私になんでも教えてくれました。家のことがあったので部活はやっていませんでしたが、運動はもともと得意でしたから、縄跳びなんかも教えてくれました。

 小学校四年生のときには、自分は高校受験を控えながらも、私が勉強でつまずいていると必ず理解するまで懇々と教えてくれました。



 私が兄を意識するようになったのは、中学に上がってからです。

 その頃の兄と言えば、父親に似たのでしょうか、背が高い上に顔立ちは整っていて彫りが深く、学校でも人気だったそうです。高校生になってますます逞しくなった兄を、私もいけないとは思いながら、男として見てしまうことが何度かありました。



 私の兄に対する感情が恋であると気付いたのは、中学校一年生の冬でした。

 兄が家に彼女を連れてきたのです。彼女がいるとさえ聞いていなかった私はとても驚きました。


 私たちは初め三人でトランプなどをして遊んでいたのですが、兄が買い物をするために席を外したので、私と兄の彼女…煩わしいので、A子としますね。

 私とA子は二人きりで話すことになりました。


 話し始めてすぐは良かったんです。A子は優しいお姉さんといった感じで、忙しさゆえに母の愛情を十分に受けることのできなかった私にとっては、魅力的な人でした。


 ところが、A子が兄について話し出したときです。もちろん、A子に悪気などこれっぽっちも無かったと思います。

 ですが、兄のこんなところが素敵、かっこいいと言ってるのを聞いているうちに、だんだん怒りがこみあげてきたんです。

 あなたなんかが、兄の何を知っているんだと。兄の何を分かっているんだと。兄が十七年の間、本当に愛を注いできた人間をあなたは知っているのか、と…


 醜い嫉妬ですよね。そうです、私はA子に嫉妬していました。


 そして私は、その後A子から発せられた言葉に耳を疑いました。

 こないだキスしちゃって…って言うんです。私の中で嫉妬心が更に勢いよく燃え上がったのが分かりました。同時に、私が兄を愛していることを自覚しました。

 もちろん、家族としてではなく、男として愛してしまっていることを…です。


 私は気分が悪くなったからと言って、部屋に籠りました。そしてA子が帰るまでの間、ずっと泣いていました。

 今思えば、私もウブですよね。キスくらいで泣いたりして。

 でも純粋だった当時の私にとっては、そのくらいのショックでした。

 変な話、兄は初恋の人だったわけですから…


 私はすぐにでも兄の気持ちが知りたくて堪らなくなりました。兄は私をどう思っているのか。兄は私を女として見てくれているのか…


 もちろんそんなこと、単刀直入には聞けません。私は一晩中考えました。


 そして、ある作戦を思い付いたのです。


 兄に、久しぶりに一緒にお風呂に入りたいと言いました。

 初めはとても嫌がっていました、もうそんな年じゃないし恥ずかしいと言って…当然ですよね。

 それでも私は、とても怖いホラー映画を見てしまって一人でお風呂に入れないのだと言って、なんとか一緒に浴室まで行ったのです。


 兄は下にタオルを巻いていましたが、私はあえて何も身に付けずに入りました。家族なんだからと言って。

 好きな人に自分の裸を見せるのですから、それはそれは恥ずかしかったです。

 それでも、私はどうしても兄の反応が見たかったので、今にも逃げ出したいのを必死に堪えました。


 そして私は、背中を流してあげるからと言って、兄に触れるチャンスを作りました。


 初めは普通に洗っていましたが、途中何度か…その…胸の先端を、わざと擦り付けるようにしたんです。

 それで、兄はどんな反応をするのかなと思って。

 といっても、中学校一年生ですから、発育は良かったとはいえ、大して膨らみがあった訳でも無いんですけどね。


 心なしか顔を赤らめているようにも見えましたが、それはハッキリとした証拠にはなりませんでした。

 私はその後も、一緒に浴槽に浸かったり、ちょっと胸元を見せ付けるようにしてみたり…今思うと、動きが不自然で兄には目的がバレていたかもしれません。とにかく、出来る限りの誘惑をしました。


 しばらく兄はよそを向いて私には見向きもしなかったのですが、突然、俺先に出る、と言って慌てて飛び出していったんです。


 そのとき、手で隠してるつもりだったのでしょうが、タオルが何かに押し上げられて盛り上がっているのを私はしっかりと見ました。

 性の知識には疎い方でしたが、それが何を表しているかくらいは知っていました。


 兄が私に欲情している…私はたまらなく嬉しくなりました。勝手にA子に勝ち誇った気持ちになっていました。幼い私は、もうそれで兄を取り返した気になっていたのです。


 私はその晩、もう怖いのは落ち着いたから夜は一人で眠れると言って、自分の部屋へ行きました。兄はどことなく安心した表情をしているように見えました。


 そして、ベッドに入り、何年ぶりかに兄に触れた感触を反芻しました。兄の背中の感触を思い出すように、私は自分の胸の先をゆっくりと手で撫で回しました…初めて知った快楽でした。


 それ以来、私は毎晩のように兄を思いながら自らを慰めるようになりました。

 もっと兄に触れていたい、もっと兄を知りたい。

 もっと兄に愛されたい…そんな感情が次第に私を支配していきました。


 だけど現実は思い通りにはいきません。私の兄に対する感情がどれだけ高まっても、兄は今までとなんら変わる様子はありませんでした。



 ついに我慢ができなくなった私は、兄が留守にしている時間を狙って、兄の部屋を物色するようになりました。

 大人向けの雑誌を見つけると、中を読んで兄の性癖を探りました。

 別に性的欲求が強かったわけでは無かったのですが、とにかく当時の私は兄に女として見てもらうために必死だったのです。


 A子との写真も見つけました。何度ビリビリに破いてしまおうと思ったか分かりませんが、兄にバレてはまずいので結局何も出来ませんでした。

 それに私との写真もちゃんと綺麗に飾っていたので、それで何とか思い止まったのかもしれません。



 そしてある日、私は兄の通学鞄を覗いてしまいました。

 知らぬが仏なんて言いますが、私はそこでとんでもないものを見つけてしまいました。


 ゴムの箱でした。すでに開封されていて、中身を数えると、どうやら一回分は使っているようでした。

 相手はもちろん…考えるまでもありませんでした。

 悔しくて悔しくて、私はまた部屋に籠りました。

「あなたのお兄さんはもう私のものよ。」

 A子が耳元でそう囁いているような気がして、私は耳を塞いだまま転がり回りました。


 帰ってきた兄が私の様子がおかしいのに気付いてすぐに部屋に飛び込んできました。心配していろいろと尋ねてくれましたが、私は何も答えられませんでした。

 その日兄はずっと一緒にいてくれました。夜も一緒に寝てくれました。

 本来なら、大好きな兄が添い寝してくれるなんてこと、何度夢に見たかも分からないほど望んでいたはずなのに、その晩は素直に喜ぶことができませんでした。

 こうしている間も、兄はA子のことを想っているのかと考えるだけで胸が締め付けられて、兄が寝静まるのを待ってから声を殺して泣きました。



 兄とA子はとても仲が良く、その後もA子は何度も家へ来ました。A子は私のこともとても可愛がってくれましたが、私にはそれがかえって苦痛でした。

 そんな風に、私は悶々とした日々を送っていたのです。



 その後、兄とA子の交際は三年間続きました。もうこのまま二人は結婚してしまって、兄は手の届かないところに行ってしまうのだろうと諦めかけていたときでした。高校二年生の春のことです。


 突然、兄とA子が別れたのです。原因はA子の浮気でした。まさかあのA子が…と私も驚きました。

 その日から兄は、何かぽっかり心に穴が開いたようにまるで生気を失ってしまいました。こんな兄の姿を見るのは私も初めてでした。


 そして私の中に、醜い考えが浮かびました。このまま兄の弱みにつけこめば、兄を私のものにできるのではないか。

 私は悩みました。自分をここまで育ててくれた兄を裏切るような気がしたんです。


 それでも私は決心しました。たとえ弱みにつけこんだところで、それはきっかけに過ぎないのだと。私が兄を幸せにすればそれで良いじゃないかと…


 そして、机に突っ伏す兄に後ろから声をかけました。

「浮気するようなひどい女のことなんか忘れちゃいなよ、お兄ちゃん。寂しいなら、私が一緒にいてあげるから…」


 ですが、兄はまるで聞こえていないかのように、ピクリとも反応しませんでした。


 だから私は、最後の手段にでました。

「その…私でよければ、一晩中、好きにして良いよ。お兄ちゃんの気が済むまで…」


 自分でも、声が震えているのが分かりました。


 だけどその言葉に、兄がビクッと背中を揺らしました。

 しばらくして、兄はゆっくりと立ち上がり、私の方を振り返りました。

 そのまま私は押し倒され、兄に身を委ねました。

 夢のようでした。どんな理由であれ、兄が自分を求めてくれることが嬉しくてしかたなかったんです。


 初めての私には、少々荒っぽい抱き方で、とても気持ちいいと思えるものではありませんでしたが、それでも十分すぎるほど幸せな時間でした。



 それから、毎晩兄は私を抱きました。ときたま乱暴に抱くこともありましたが、兄もだいぶ落ち着きを取り戻し、たいていは優しく丁寧に扱ってくれました。私は何度も兄の腕の中で果てました。


 ですが、兄はどんなときでも必ず避妊具を忘れませんでした。初夜はもちろん、その後も一度だって忘れはしませんでした。

 やっぱり兄は、私とは本気ではないんじゃないか。身体だけの関係なんじゃないか。私は気になって、居ても立ってもいられなくなりました。


 そしてその晩、私はついに思いを打ち明けました。

 私がずっと、兄を思い続けてきたことを。


 だけど、兄は私の期待には応えてくれませんでした。

 恋愛感情は持てない…はっきりそう言われました。


 その日から、兄は私を抱かなくなりました。それどころか、一緒に寝ることも、口を利くことさえ無くなりました。


 私は後悔しました。たとえ身体だけの関係でも、ずっとあのまま求められる日々が続けばどれだけ幸せだったことか…悔やんでも悔やみきれませんでした。



 間もなく、兄に新しい彼女ができました。

 そうです、兄が結婚していることは以前話しましたよね。今の兄の嫁です。


 そして、兄が家を出るのに合わせて、私も一人暮らしを始めました。

 高校卒業後すぐに就職して、今の会社に来ました。なんとか新しい人生を歩もうと思って働き始めました。




 ですが…やっぱり兄のことを忘れきれず、私は会社帰りに毎晩向かいの居酒屋で一人孤独に呑んでいました。そうやって気を紛れさせるのがやっとだったんです。



 そんなある日です、ある男の人が私に声をかけてくれました。

 その人は、背が高くて彫りが深く、顔立ちも兄によく似ていました。私より五つ歳上で、そう、ちょうど兄と同い歳です。






 …えぇ、そうです。真実さん、あなたです。

 あなたと初めてお会いしたとき、この人なら私の心の隙間を埋めてくれる。そう思いました。




 私は、今でも兄を愛しています。

 この想いは一生変わることはありません。

 ですが、兄は私を女として愛してはくれませんでした。

 明日の結婚式にさえ、兄は来てくれないそうです。


 私の心は本来、兄でなければ満たせないのです。

 でも真実さん、あなたなら…


 あなたは、真摯に向き合ってくれると私に約束してくれました。



 こんな私でも、愛していただけますか?

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