三 スポンサー

 日本での研究に行き詰まっていた私は、太平洋を渡って麦国の研究機関にいる。

 麦国の研究で発生した問題の解決のために招聘されたのだ。

 妻も一緒だ。新婚から子育てまでを過ごした第二の故国でもある。


 かつて、日本で研究内容をマスコミに説明したことがある。

「アンドロイドの研究を通してヒトの理解が進んだように、人造脳は脳研究に新しいアプローチを提供する可能性があります。

 人造脳は漸くマウスのレベルに到達しました」

 私の恩師達の人造脳の基礎研究には無関心だったマスコミも、人造脳が動物実験に達すると急に関心を寄せてきた。

 絵になるからだ。


 研究の意味を理解できない彼らは、己の無知を恥じる代わりに、予算の無駄遣いと弾劾した。

「脳型コンピュータのAIは既に人格を持って、あたかも人のように振る舞うのに、今更、人造脳ですか?」

 配ったレジメの目を通したのだろうが、理解する前に質問する。

 理解とは字面を追うこと、覚えることでない。

 そこにある情報を応用できるようになることだ。

 残念ながら、文字のオウム返しが世間の視点らしい。


「AIの人格は、コンピュータやアンドロイドに人間味を持たせるためにプログラムされたマン・マシーン・インターフェースの一形態で、作られた人格です。

 私達の人造脳は、元の個人そのものです」

「よく分かりません」

「人造脳の人格は、AIのように人工的に作られたものでなく、本人の人格そのものです」

「元の個人とか、本人とか。

 どういうことですか?」

「誤解を恐れず簡潔に表現するなら、人造脳は個人の脳の複製です。

 それも記憶や思考パターン、さらには人格まで継承します」

「どう違うのですか?

 AIも本人の思考パターンを学習しますよね?」

「その学習がAIと人造脳との違いです。

 AIは本人の外部からの観察によって思考パターンや感情表現を学びます。

 人造脳は外部からの学習は必要ない……」


 既に、類人猿レベルの研究を完成させつつあったが、市(し)井(せい)で倫理委員会のような無益な議論を避けるためにマウスでの実験段階と嘘をついた。


 麦国は多様な人種がいるので、脳の遺伝的相違による問題も多く、その解決が足枷になっている。

「笹木教授、BMIのチューニングを重ねているのですが、五体の被験者が一時的な制御不能に陥る現象を解決できていないのです」

「コントローラー(憑依者)の意志にボディー(依り代)の本能が勝るという仮説を立てられたと聞いていますが?」

「(仮説の)裏付けが不十分です。

 コントローラーとボディーの遺伝的相違など、成功例との差異を検証してきましたが、そうではなさそうです。

 まだ憑依解除の技術が完成していないので、ボディーとコントローラーを入れ替えての検証は未実施です」

「三号と四号、八号は普通の連続殺人者、七号と十号のボディーは猟奇的連続殺人者で、どれもが子供の頃から素行が乱暴で、衝動を抑えることができない凶暴な犯罪者になるべくしてなったという生い立ちです」


 麦国も死刑囚で研究している。

 実験に協力するなら別人として新しい人生が用意される。

 麦国でしばしば使われる証人保護プログラムが自分にも適用されるならと、死刑囚は自発的に実験参加を同意する。

 死刑囚が想像する別人、新しい人生とは全く違うのだが。


 麦国は連邦政府なので地方政府の自治権は強力だ。

 国が死刑制度を廃止しても、地方政府の幾つかは死刑制度を維持している。

 麦国の研究はスポンサーが軍と富裕層ファンドで、豊潤な資金が提供されている。

 軍は、肉体を失った優秀な兵士、主に特殊部隊隊員、に屈強な肉体を与えることが目的だ。


 BMIでアンドロイドを操る技術を最初に完成させたのは麦国だが、高額な軍仕様アンドロイド、特に特殊部隊向カスタムメイド、の代替策として死刑囚に注目した。

 脳移植はまだ未来の技術である以上、ボディーを動かすのにボディーの脳は必須だ。


 改善すべきはコントローラーの方だ。マウスの研究段階から認識されていたが、ボディーの本能を抑圧するほどにBMIの出力を大きくすると、ボディーの脳を破壊してしまう。

 私が提案できるのは唯一つだ。

「私と同じGデータを使うことです。既に検討しているはずです」


 私は現時点で被験者として最高の存在なのは、日本と麦国で唯一、Gデータを使っているからだ。

「笹木教授も私達と同じ意見ということであれば、スポンサーを説得します。

 彼らのガイドラインを変更してもらいましょう」


 この研究には二つの壁がある。


 まず、ナノとピコの境界領域の解像度で脳をスキャンすると、照射する電磁波エネルギーが脳を破壊してしまうことだ。

 つまり本人は死ぬ。

 私も甲国の長老もこれによって、自然死の前に脳の崩壊死に至った。

 スキャンしなくても、私は数時間以内に死ぬ運命だった。

 被験者達は、死刑執行を待つ身とはいえ、研究のために殺された。


 二つ目の壁は、スキャンで得たデータには曖昧さに起因するノイズが含まれ、このノイズがデータアクセスの度に正常なデータ領域を侵蝕して、データを劣化させることだ。

 これでは、脳の完全なデータは得られないし、不完全なデータも劣化する。

 照射出力を強くすると、理論的に曖昧さは限りなく小さくできるが、スキャン(読み取り)前に脳が焼焦げてしまう。

 スキャンデータに含まれるノイズを削除すると、トランプで組み立てたタワーからカードを一枚抜き取るように、脳のデータは崩壊してしまう。

 ダミーデータに置き換えるノイズ処理なら劣化で済む。


 スキャンで得たデータをブレイン・デュプリケーターに入力すれば脳を再現できる。

 臓器の人工培養との違いは、脳の神経細胞や神経網などの器だけでなく、記憶や思考、そして人格までも忠実に再現している点だ。

 学習によって新たな神経網も形成される。

 スキャンで得たデータをGデータ、劣化は進むがノイズ処理したデータをDデータと区別している。

 Gデータは保存のプロセスで劣化してセカンダリーGデータになる。

 このデータは現在の技術では読み取ると劣化するのでアクセス不可扱いだ。

 GデータからセカンダリーGデータとDデータを保存し、アクセスしても劣化しないDデータで人造脳を作るのが麦国のガイドラインである。

 ちなみに甲国はセカンダリーGデータを使うが、その技術は日麦より数年遅れている。

 軍は、憑依によって兵士の肉体を交換し、人造脳が狙撃されたらDデータから再現するのだ。


 妻は私の遺言どおりに、セカンダリーGデータから人造脳を作ってくれた。

 これによって私のセカンダリーGデータは劣化が進んだが、私の人造脳は生前の記憶や思考、人格を限りなく忠実に伝承しているはずだ。甲国に渡ったのはDデータ脳だ。

 不幸にも有毒ガスで崩壊したが、日本でのモニター結果とテクニシャンの報告から、創造性が乏しく、感動や哀れみなど感情が次第に失われていくDデータ脳の欠陥が考えられた。

 Dデータ脳の人間性の欠如がボディーの残虐な本能を肯定しているのかもしれない。

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