二 憑依
私の研究が行き詰まるのを待っていたように、共同研究の誘いがあった。
「笹木巌(いわお)教授のご希望通りにしますので、我が国で研究を続けていただきたい。
勿論、被験者を提供できます」
甲国は、かつてこの分野の最先端にいた。
甲国の研究リーダーは私のかつての同僚。この分野を一緒に切り開いた同志だ。
彼を帰国させた甲国は、独自技術に固執するあまり、デファクトスタンダードとなった私のBCIを使わなかったため、日本や麦国との差が広がった。
かつての同僚はそんな研究環境に置かれ、さぞかし苦労したことだろう。
麦国では、既に被験者二人組の研究に着手しているが芳しい成果が得られていない。
そんな焦りもあったのだろう。独自路線からキャッチアップ優先に方針変更して私を招聘するに至った。
「研究データを日本に残したチームと共有することが条件です」
意外にも快諾してくれた。
ここに彼と甲国の焦りが窺える。
妻子と研究チームは日本に残し、私の電子機器類の面倒を見てくれるテクニシャンを一人連れて甲国へ渡った。
甲国では、既に三人の被験者がいた。ただし、実験に反抗的だ。
「このような虐待をしている事実は、政府が民主化を拒んでいる証だ」
「私達は研究に協力しない。だから研究は進まない」
「協力しない。このまま死なせてくれ」
望ましい被験者とは高い知能と教養の持ち主であることだが、それを死刑が確定した政治犯、すなわち反政府主義者から調達した。
甲国とて、この研究の被験者を許可する法律はない。
だが人治の国だ。禁止する法律がないとして被験者を調達している。
死刑囚の有効活用と割り切っている。
甲国の研究が遅れている理由は、アンドロイド技術の水準の低さによる。
国家戦略として関心が薄いからだ。
麦国では兵力の補強という意味でもアンドロイド研究に熱心だが、この国は有事において三億人以上の国民が即戦力の兵士として徴兵できるので、人海戦術でどの国にも対抗できると考えている。
多分、そうなる前に核を使うのだろうが。
甲国の研究水準は類人猿を対象にするのも危ういのだが、ヒトで実験してしまう拙速かつ無謀なところがある。
私の研究を管理する技術士官が男を連れてきた。
「笹木教授、早速ですが被験者を提供します」
名をハンという。
何をしたのか知らないが、詐欺で死刑だそうだ。
「生まれ変わったつもりで実験に協力します!」
詐欺師だけに人当たりが良い。
だが、技術士官が釘を刺す。
「笹木教授、被験者に心を許さないように。
詐欺師ですから、信用を勝ち取ったところで、どんなどんでん返しを目論んでいるか、分かりませんから。
最も、これだけ厳重な警備をかいくぐって研究所を脱走するなんて考えられませんけどね」
「君には今までの被験者と違って、世界最高水準のBCIが提供される」
私が持ってきたBCIを導入しただけで、この国の研究は飛躍的に進展した。
彼に日本でしてきた実験をハンに再現したら、私とほぼ同じ結果を得た。
ハンの協力的な態度もあってか、実験は順調だ。
次の段階では、ハンにアンドロイドの制御を挑戦してもらう。
「笹木先生、全然動きませんよ」
ハンの第一声だった。
甲国製アンドロイドでは、世界の標準的なBMIのレスポンスについていけないのだが、この国の秀才達がアンドロイドのインターフェースをBMIと完全に同期できるようにチューニングを繰り返した。
「笹木先生、歩けました!」
気の遠くなるような試行の末だけにハンは興奮気味に叫んだ。
だが、昔のヒト型ロボットのようなぎこちない歩き方だ。
これが甲国製アンドロイドの実力だ。
アンドロイドだけの白兵戦では、甲国は麦国どころか、日本にも歯が立たない。
被験者との相性、すなわち個体差を検証するために、この国は実験機器を購入するように三人の被験者を提供してくれた。
ただし、ハンも含めて皆、玄民族だ。
「新しい被験者でも結果は個体差の許容範囲です。
日本製のBCIと貴国のアンドロイドのチューニングに時間をいただければ、より良い結果が得られると思います」
「それには及びません笹木教授。
かねがね伺っていた次の段階へ研究を進めてください」
国家科学技術部長から直々の許可が出て、興奮した。
日本では法律や学会の倫理規定などで十年間はできないだろう研究テーマに着手できるのだ。
悪い知らせもある。ハンの精神活動は数カ月後に停止する。
それでも死刑執行よりは長生きしたことになると技術士官は私を慰めた。
屈強の肉体の持ち主マオは死刑囚であり、新しい研究の被験者だ。
ハンとマオをニューラル・ハーネスで接続すると、拘束されたマオは初め頭痛を訴えていたが、絶叫に変わって意識を失った。
全身の激しい痙攣が二十秒程続いて、荒々しい呼吸。
突然呼吸が止まって二分後、マオは深い呼吸を繰り返して目を開き、叫んだ。
「やった!」
発音は不明瞭だがマオの口を使って喋ったのはハンだ。
手足をばたつかせたり、体を揺らしたりしながら、ハンはマオの肉体を制御しつつあった。
一瞬、立ったが、すぐよろめいた。
他人の体に慣れるのに少し時間がかかるようだ。
「先生、見てください!」
翌日、ハンはマオの体を自分のものとして使いこなしている様子を自慢げに私に見せた。
ハンとマオを繋ぐニューラル・ハーネスの長さでしか移動できないが、歩行もできた。 発音も明瞭になってきた。
「ハン、上出来じゃないか!」
私はハンが制御している状態を、憑依と表現している。
マオはその依り代だ。
「笹木教授、成功おめでとうございます。
私も指導者達に誇らしく報告できます」
ハンとマオを視察した国家科学技術部長は満足していた。
ハンの残り時間は二ヶ月程だ。
日甲間の研究設備の性能差が彼の不幸だ。
二ヶ月後、ハンは私が欲していた殆どのデータを提供して精神活動を停止した。
これを脳死でなく、崩壊と私は定義している。
憑依を解く技術は、日本も麦国もあと一歩で完成するが、甲国では優先順位が低く、事実上、開発に着手されていない。
無関心なのだ。
為す術もなく、ハンの崩壊でマオは脳死状態に陥り、間もなく心停止した。
日本では類人猿で確認したことだが、制御体の崩壊は被制御体の脳死となることを、甲国ではヒトで確認した。
三人の被験者はハンの崩壊(死)がショックだったようだ。
「俺たちがこうなるのも時間の問題だ」
「政府の、人を人と思わない悪魔の所行だ」
「何とかして一矢報いたい」
思考モードのBCIは彼らの強い思考をモニターとスピーカーに出力したが、誰も関心を払わない。
頑(かたく)なな彼らの心は、何度も実験を中断させた。
反抗的だった三人の被験者が憑依する依り代が提供された。
彼らが出すデータはハンのデータの許容範囲に収まり、甲国で私が研究対象にした四つのサンプル(被験者)は全て成功した。
この国なら実用レベルと認められるだろう。
成果を国家科学技術部長に報告した。
「笹木教授、あなたの尽力に国を代表して感謝します。
もう実用レベルです」
「私には二点、懸案事項があります。
一つは実用化にあたっての信頼性を一層高めること、もう一つは今までの被験者は玄民族に偏っていて、他の民族でデータを取る必要があることです」
彼に実用レベルに移行することが時期尚早と助言できない。
「前者は教授の弟子達がやってくれます。
一年以内にあなたの母国に追いつきますよ。
後者は、教授も残酷なことを言われるが、学術的には望ましくても倫理面で差し障りがあります。
政治的には必要ないというのが上意です」
今さら倫理を持ち出すのかと思ったが、科学技術部長は、それに、と続けた。
「教授のシステムは日本で唯一でしょう。
母国では教授が唯一の被験者だ。
法整備に戸惑っている間にわが甲国は憑依を四例成功させました。
教授に育てていただいた研究チームは麦国に勝るとも劣らない」
痛いところを突いてくる。
確かに、日本では私が唯一の被験者だ。
だが、私が最高の被験者であることに変わりない。
この分野の開拓者であり、最先端にいるのが私だ。
「ところで、これまでは日本で教授が研究されてきた理論の実証でしたが、新たな研究に移っていただきたい。
今までのことは我が国の弟子達に任せればいいのです」
「日本でできなかったテーマが幾つかあります。
休暇をいただいて、静かなところで計画をまとめます」
休暇では、観光地化されていない辺境の地を訪れることにした。
引き継ぎを終え、旅に出る当日の未明、国家科学技術部長補佐官が初めて我が家を訪れた。緊張した面持ちで。
彼は国の科学技術行政を担うエリート官僚だが、時間を割いては研究官の部長以上に頻繁に私の研究室を訪れ、熱心に学んでいた。
謙虚な姿勢に好感を抱いていた。
「これからご旅行という時に申し訳ございませんが、実用化第一号への適用が急遽決まりましたので、是非、立ち会っていただくためにお迎えに参上しました」
あまりにも早い実用化に驚きながら研究所に戻った。
廊下の窓越しに見た依り代は筋肉質の体躯ときりっとした顔立ち。
初対面の軍人だが、見覚えのある気がする。
しかし、憑依者は知っている。
この国のキングメーカーとされる長老だ。
「国軍と地方軍を完全に掌握している、唯一無二の方です」
補佐官の説明によれば、現国家元首は、この長老を後ろ盾に軍を統帥できている。
ここ数年は療養していると聞いたことがある。
なる程、万が一にも過ちがあってはいけない。
実用化を急いでいた理由はこれだったのだ。
そして玄民族に偏っていたのも。
彼も玄民族だったのだ。
この国で育てた私の優秀な愛弟子は、憑依を見事に成功させた。
私が立ち会うまでもなかった。
寝たきりだった長老は、若い強靱な肉体の持ち主として蘇った。
思い出した。
依り代の顔は長老の若い頃の顔に似ているのだ。いや、瓜二つだ。
そんな軍人を探し出したのか、整形したのか。
国家の最高機密を一つ知ってしまった。
レンズを通して見る景色、マイクが拾う様々な音は刺激的だった。
私には味覚、触覚がない。
それでも楽しい旅だ。
辺境の手つかずの自然は世界遺産級の風景だが、その景色はインターネットで見ることはできない。
多分、アップロードが禁止されているのだろう。
ここを訪れるツアーはない。
国の許可がなければ、国民とて訪れられないのだ。
そんな秘境を満喫した。
私は歩けない。
だから、私のシステムの面倒と生活全般を手伝ってくれるテクニシャン任せの旅だ。
彼には申し訳ないと思っている。
私が連れてきたので甲国の最高機密にどっぷりと浸かってしまった。彼の帰国は許されないだろう。
だが、彼は私やハンの、データに載らない情報も経験値として持っている。
日本の大学で技官として生きるよりも、甲国ならずっと優遇されるはずだ。
温泉好きのテクニシャンの希望で温泉が湧き出る火山地帯に達した。
私は温泉に入れないので、彼一人が硫黄泉を浴びた。
程なく、地元の若い女性達もやって来た。
私に気づかず服を脱ぎだした。
ここの風習なのだろう。肌が透ける淡い黄色の浴衣を着たまま入っていった。
しばらくすると彼女たちは慌ててテクニシャンに声をかけて、素肌が透ける浴衣姿で温泉から走り去った。
彼女たちが何を言ったのか、よく聞こえなかった。
だが、すぐに分かった。
私のBMIに組み込まれたセンサーも硫黄酸化物や窒素酸化物の濃度が危険域までの急上昇を伝えている。
急に意識が薄れてきた。
「教授、今すぐ避難します」
慌てたテクニシャンが無造作に抱えたので、私のレンズが何かに覆われて視覚が遮断された。
薄れる意識の中で聞こえるのは、獣の悲鳴や鳥の羽音だ。
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