あきさん家の鈴木さんと佐藤

猫背人

あきさん家の鈴木さんと佐藤

  わたしの家には二人の居候がいる。


 正確には一人と一匹。


 どんな訳で居候になったのか忘れたけど、何となく信用も出来るしどことなく懐かしくて昔からの親友のように感じるから居座るのを許している鈴木さんはいったいどんな仕事をしているのか知らないけれど数え始めてかれこれ五ヶ月ほど一緒に住んでいる。


 本当になんでそんな長い間、わたしは鈴木さんと一緒に居られているか不思議で、もはやこれは運命というやつだろなんて思えてくるけれど、わたしは別に鈴木さんとそういう関係になるつもりは無いし、今はシェアハウスとか学生寮のルームメイトの感覚で、それが一番落ち着いててそれ以上は考えにくい。でも、だからわたしは丁度いい距離感にいる鈴木さんの存在を許して、居ると落ち着くから何となく一緒に居たくなってわたしからも鈴木さんに居てもらいたいと思って、ついつい鈴木さんに優しくしちゃう。まあ、それで鈴木さんが調子に乗ったりする時はちゃんと叱るけど、その時の鈴木さんが佐藤(犬)みたいにしょぼくれて可愛いかもなんて思いながらわたしも調子乗ってついついそれ見たさに叱っちゃう。それで今度は調子に乗ったわたしを鈴木さんが叱るなんて流れがいつもの。


 まあ、だからわたしは居候の鈴木さんのことが心地よく好きでいる。


「それは嬉しいな。僕もアキさんのこと好きだよ。きょうの料理も美味しいし、いつも料理美味しいし、これからも料理美味しいと思うから」


「それ、わたしの料理が好きなんじゃん」


「あー、あと、アキさんの実家から送られてくるお酒も好きだよ」


「鈴木さん、完全にわたしのこと都合のいい存在ですよね? しばきますよ?」


「怖い怖い。笑顔が怖いよ。料理している時に包丁持ちながらその笑顔向けないでよ……うっかり財布と携帯だけ持って逃げ出しそうになるから」


「そうなったら佐藤(犬)の親権はわたしになりますよ~」


「ちょっと、佐藤は僕の大事な友達だ。いくらアキさんでも佐藤は渡さないよ!」


「はいはい。それはいいけど、テーブルの上片付けて下さいよ。もうご飯出来たので」


「あー、ちょっと待って今いいところだから」


 今朝、目が覚めて寝室からリビングに出た時に目にした光景をまさか仕事から帰って来てまた見ることになるとは思わなかったが、どうやら鈴木さんは今日一日中何かの模型(?)作りをしていたらしい。それが、今朝に見た状況より進んで形になって目に見えるけど、いったい何なのか分からないその模型(?)は夕食をテーブルに並べるのに邪魔でしかない。


 形からして全く何なのか分からない、その模型(?)は、ただただ緻密で。様々な長さの細い棒を複雑に組み合わせた物としか言いようがない。


「片付けないなら鈴木さんのご飯は佐藤にあげますね~」「ワン!」


「ちょっと待って、ちょっと待って、もう少しでキリのいいところだから」


「いや、それにキリのいいところとかあるんですか。無いですよね」


「無くはないよ。でも、本当に今止めると中途半端過ぎるからもう少し待って」「ワン!」


「じゃあ、早くしてねー。早くしないと佐藤が食べちゃうかもしれないから~」「ワンワン!」


「高速ハイスピード・オーバーワークッ!」


 意味分からない技名を言って鈴木さんはほんの少し作業スピードを上げた。その間にわたしはコンビニのお弁当で夕食を摂る。


 塩カルビだとか、麻婆豆腐丼だとかのお弁当は美味しい。なんでかってそれは野菜が少ないから。自称肉食系なわたしはお肉が大好き。畑の肉も大好き。レンジでチンしてホカホカお弁当をハフハフの完食。十分で済んだ夕食を堪能したら足元でご飯くれくれうるさく回る佐藤(犬)にご飯をあげて、余るほど送られてくるお酒の一つを使った酒風呂へ。一日の疲れがお酒の香りとともに癒されていい湯だな~。


 体はポカポカ、犬はワンワン。明日の天気、上司の機嫌、知らぬが仏で馬に念仏。明日の我が身は明日のわたしに任せて、疲れた今日はもう寝よう。

 それではそれでは、お風呂上がってベットへドーン。

 今日も一日お疲れ様。

 そうして、私の一日は終わりを告げる。


「――あ、鈴木さん。食べた食器水に浸けておいてくださいね」


「了解でーす」



 *


 カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。

 キーボードを叩く音が響くわたしの職場。朝から晩まで皆さん死んだ魚の目で画面と睨めっこ。ここは睨めっこ競技会場か? いいえ違います。生活のためにせっせ、せっせと働く社畜様方の職場でございます。

 一日二十四時間のうち、多い人は泊まり込みで十二時間以上勤務のブラックな職場で出荷されるのは社畜が画面と睨めっこで作り上げた血と汗が滲んだ悲しき商品。それらは様々なお客様の要望に応えるためにわたくしどもが作らせていただいた献上品でございます。どうぞ大事にお使い下さい。ッターン!


 と、くだらないことを思いながら、そんなわたしも一日座ってキーボードをカタカタでッターン!


 睨めっこに疲れた死んだ魚の目で休憩に席を立ってコーヒーサーバーの前に行けば世間話が聞こえて耳を傾ける。


「知ってるか? 太田さん、太田太い企業に引き抜きされたって」

「え、太田さんが? 太田太い企業に? 凄いな」

「な。実際、太田さんは太いけど、そこまでジャストな企業に行くのはホント凄いよな」

「そういえば細田さんも、スリム細リムに転職したよな」

「な。この会社凄いよな。東西南北でNEWSって読ませる社名だしな。ホントこの会社凄いよ」

「お前、よくこんな会社に就職したな」

「まあ、就活で焦ってたからな。本当、お前のおかげだよ」

「いや、そんなことないって。お前の実力だよ」

「いやいやいや、そんなことないって社長のお前のおかげだよ」

「お? お、おう。ま、まあな」

「「…………ガハハハハッ!」」


 ブラックな職場にあるコーヒーはブラック。というかコーヒーのみならず、あちらこちらに黒い色が見える。もちろんその色は、視覚的に見える色であったり、突然やってきたちょっと怖い方たちに上司が呼び出しくらって謝罪している景色の色であったり様々。


「…………ふう」


 視界の端にそれらを見ながら、おかわり入れたコーヒーをその場でひと口飲んだ。ほんの少しの休憩と言えるのかどうかのおかわり移動を終えたら席に戻ってまた無心にキーボードをカタカタ。


 一日カタカタ、二カタカタ、三日超えてもカタカタカタカタ。気付けば毎日カタカタでわたしの体はもうパソコンと同化しているようなもの。それでも、それがどうしたお仕事お仕事。

 わたしに与えられた、もとい下さったお仕事を終わらせて、今日は久々の定時上がり。

 スッキリしているデスクを眺め、バッグに入れていた封筒一つ取り出して頭下げてた上司の下へ。

 カタカタカタカタカタカタカタッターン! カタカタカタカタカタカタカタッターン! 

 みんなカタカタしてるなら、上司もカタカタ、机もカタカタ、会社はガタガタ。


「上下部長」


「ん、なんだ。今カタカタしてて忙しいんだ」(意訳)


「……これを」


「ん? ……そうか。今日はもう帰るのか?」


「はい。請け負っている業務はある程度終えて、引き続きも終わりました」


「分かった。お疲れ様」


「お疲れ様でした」


 今日のお仕事は終了。ついでに言えば今週でお仕事も終了。

 さらばブラック、ようこそ自由。

 そして、ただいま愛しの我が家。


「おかえり、アキさん」「ワン!」


 *


 毎日がお休み最高。午後起き最高。鈴木さんはいつもこんな生活をしていたと思うと若干恨めしくも思えてくるけれど、今はそれも昔の話。今日からわたしも午後起き生活者。そして無職の不安定生活者。


「……絶望しかねぇな」


 洗面台で顔を洗って冷たい水で目を覚ますと見えてくる現実。


 貯金があってもしばらくしか生活出来ない。はてさて、これはどうしたものかと目覚めてからしばらくで襲ってくる不安に悩まされるのは想定していたよりも気分が重くなる。


 沈んだ気分は体に悪い。こういう時は佐藤(犬)でアニマルセラピーをするのが一番。クリーム色の毛並みを撫でて顎の下をわしゃわしゃと指で掻く。微笑むような佐藤(犬)の表情に癒されて、無職の不安も少しは和らぐ。これはもうこの先ずっと一緒にいて癒されたい。


「そういうわけで、佐藤の親権わたしにください」


「いやでも、アキさん仕事やめて収入ないでしょ? 犬飼うのお金かかるけど大丈夫なの?」


「そこは次の仕事を早く見つけるので」


「というか、僕は佐藤を例えアキさんでも誰にも渡さないから。佐藤は僕の大事な友達だから」


「ぐぬぬ……じゃあどうすれば、佐藤を今後生涯ずっとに居させてくれますか!?」


「え、なにそれプロポーズ……? ごめん、いくら世話になっているアキさんとはいえ結婚とか僕は誰とも考えていないから……」


「申し込んだ覚えはありません! 欲しいのは旦那ではなく佐藤です!」


「それなら、今後生涯ずっと僕がアキさんのお世話になれば結果的に佐藤とずっといられるけど」


「居心地は悪くないですが、生涯という域で考えればさすがにわたしも考えてしまうのでそれはちょっと……」


「だよね」「ワン!」


 いっそ佐藤(犬)を抱きかかえてこのまま強引に奪取してしまえば佐藤(犬)は私のものになるのではないか……なんて邪な考えが頭を過るけれど、犯罪に手を染められるほどわたしは強い人じゃない。

 それにそこまで落ちるような状況に陥ったらわたしはライフラインとして残されている実家の両親に頭下げて助けてもらう。まあ、それも両親が生きていればの話だが、年中酒造りに夢中でそれはもうゴリラのように筋骨隆々のお父さんはそんな直ぐには死なないだろうし、お母さんはお母さんで雷に打たれてもピンピンしているほどの生命力が高いから、少なくともまだしばらくは元気にわたしのライフラインは保たれる。


 問題があるとすれば、わたしが無職であることのみ。ブラックな環境と適当な社名で自分の職場がヤバい(ヤバい)ことに気が付いて、転職先も決めぬままノリと勢いでやめてしまったから早いとこ次の職場を見つけなければならない。


 ああ、ずっとこのまま佐藤(犬)を抱いて過ごすだけでお金がお貰えるのならどんなに幸せなことか……と、思ったが現実的に考えてそれはあり得ないのだから仕方がない。


「ねえ、鈴木さん。その作っている模型いい加減何が出来るの? ずっと製作途中っていう感じの出来栄えだけど」


 暇なので謎の模型(?)について鈴木さんに問う。


「んー? これはね、僕の最高傑作。もはや、『人生』といっても過言ではないね」


「ごめんなに言っているのかわからない。その姿からどう鈴木さんの人生につながっているのか、わたしの想像力では理解できない」


「まあ、まだまだ完成には程遠いからね」


「え、それ結構いい大きさだけど、完成にはまだかかるんだ」


「うん、そうだよ。完成はこれの十倍くらいになるかな?」


 鈴木さんが模型作りに取りかかってから一週間が経った今では高さ三十センチ横三十センチの正方形に近い形のものがダイニングテーブルに鎮座している。これがあと十倍の大きさになる……? 邪魔でしかない。


「……それ、完成したらどうするの? ずっとうちに置いておくにしても場所っ取って邪魔になるのは明らかなんだけど」


「大丈夫。ちゃんと然るべきところに置いてもらうつもりだから」


「然るべきところ? 美術館とかどこか?」


「そうそう。そんな感じ」


「へえー、鈴木さんって芸術家? だったんだ」


「あれ? 知らなかったっけ?」


「うん、全然知らなかった」


 そもそもわたしが知っている鈴木さんのプロフィールは鈴木さんという名前と佐藤(犬)とわたしの料理が好きくらいしか知らないのだ。詳細なプロフィールは今まで聞いたことも話してくれたこともない。


 興味がないというより、知らなくても信用できる、そんな関係を感じてわたしは聞いてこなかった。


「そっか。まあ、だから僕はこういうのを作って収入を得ているんだ」


「ふーん、そうなんだ」


 ならば、大事な収入源の製作邪魔をしてはまずい。いくら場所を取るとはいえ、居候をさせている鈴木さんの収入は今ではわたしの大事なわずかな収入になるのだ。月に貰う金額で家賃を払えるほどのお金にはならないが、食費をいくらか楽できるくらいにはなるのだから。


 これも仕方ないことだと理解したわたしは相変わらず佐藤(犬)を抱きかかえたまま今日一日鈴木さんの製作過程を見守ることにした。


 *


 無職になってから二週間ほどたった頃、まあ親には仕事辞めたことを伝えておかないといけないな、と思って電話を入れるとその翌日には筋骨隆々のお父さんが酒蔵のある新潟から屋号がプリントされた車を走らせて迎えという名の半ば拉致のようにわたしを実家に連れ戻しに来た。


 相変わらずどころか年々筋肉が付いて肥大化しているような気がするその体に取り押さえられれば抗うことなんか出来ずに、模型を製作する鈴木さんを傍らにわたしはなすすべもなく車に乗せられてお母さんの待つ実家へと強制送還することになった。


 しかし、この馬鹿みたい筋肉が付いたお父さんに逆らえないのはともかくとして、わたしの隣で模型(?)製作にぼっとする鈴木さんに何一つ疑問も抱かず、わたしを掻っ攫っていったその姿には道中、疑問を抱かずにはいられなかった。


「ねえ、お父さん」

「なんだ、マイドーター」

「それやめて」

「わかった。愛しの我が娘」

「それもやめて」

「……愛娘よ」

「許容範囲」


「……それで、なんだ? 何が聞きたい」


「わたしを連れ去るときに、部屋に人いたじゃん」


「ああ、あのなんか作るのに没頭していた人か。お前の恋人なのか? 結婚を前提に同棲していたのか? お父さんはそんな話聞いていません。聞いたのは仕事辞めたことだけです」


「違います。恋人でもなければ結婚を前提に同棲していたわけじゃありません」


「じゃあなんだんだ」


「ただのルームシェアしている同居人」


「そうか」


「納得がやけに早いね。まあ、いいけど。それで、一緒にいた鈴木さんのこと何の気にも留めなかったけど、どうして?」


「鈴木さんっていうのか。下の名前は?」


「知らない」


「は?」


「名前は鈴木さん。職業、芸術家? 友達。佐藤とわたしの家で同居中」


「なんだ、随分と不明瞭なプロフィール紹介だな」


「まあ、わたしたちの関係はそんなものだよ。それより、なんで鈴木さんに一言も話しかけなかったの?」


「ああ、それな。だって、鈴木さんはあのよく分からないものを作るのに没頭していたじゃないか。それを邪魔するのは悪いと思ってな」


「え、なにそれ」


「俺も酒作りをしているときは同じような顔をするんだ。あれは何か作ることに夢中になっている顔だった。それに、それを邪魔されるのが嫌なのはよく知っている。だから、何も声をかけなかった」


「……ふーん。そうなんだ。まあ、よく分からないけど……そうなんだ」


「ああ」


 ものを作っている者同士だから分かることがあるらしい。わたしにはさっぱりわからない。だけど、確かに鈴木さんはたまにお父さんが酒蔵でお酒と真剣に向き合ている時と同じ表情をする。


 わたしはそういう表情が好きだから鈴木さんの模型作りも一日中眺めることが出来ていた。


 あの謎の模型(?)の完成予想サイズにはまだ半分にもなっていなかったけど、わたしが実家に帰省している間にどのくらい進んでいるのか少し楽しみだ。


 *


 実家に帰ってくるとお母さんがたくさんの料理を作って出迎えてくれた。


「おかえり、あき。ずっと車の中で疲れたでしょ? まずがお仏壇に手を合わせて。それから、ご飯作ったからたくさん食べてよく休みな」


「うん、ありがとう」


 いつも朗らかなお母さんのあとを追って、一緒にお仏壇に手を合わせ、帰ってきたことを仏様に挨拶する。そうして挨拶を終えると、美味しそうな匂いにのする方へ向かう。


 わたしが仕事をやめたと話したからか、食卓に並べられた食事はいつも帰省した時に出される料理とは華さやかさが違った。わたしの好物で固められて、食卓が見えなくほどの量は、まるでなにかの祝い事のような、あるいは高三の夏に剣道の個人戦で出場したインターハイを二回戦で敗退したときに出された慰めのように豪華だ。


「いただきます」


「はい、召し上がれ」


 お母さんの作った料理はやっぱりどれも美味しくて、でも、全部食べきるには量が多いからどれもちょっとずつしか食べられなくて。もうお腹には入らず、残りは全部お父さんが食べると、そのあとちょっと家族で団欒を過ごして、温かいお風呂に入りふかふかの布団で眠って今日が終わった。


 鈴木さんと過ごす日々も居心地がよくて幸せに思えるけど、こうして生まれ育った家に帰って過ごす日もやっぱり幸せに感じられた。


 ――だけど、わたしはなんだかこの幸せがとても怖く感じる。


 ただ、仕事をやめて二週間くらいの無職生活から父親に半ば拉致のように実家へ連れ戻されると、たくさんの温かな食事で出迎えられる――こんな好待遇、この先何があるのか怖くて仕方がない。


 いくらふかふかの布団といえど、先に待ち受けるの恐怖を思うと安眠にはほど遠い眠りとなった。


 *


 体が重い。そして、悪夢にうなされて起きた目覚めは最悪だった。


 出来れば昨日の出来事が夢であったならと願ったが、仏間から香る線香の匂いでここが実家であることを明らかにした。


「はあ……」


 重い溜息から始まる今日一日はいったいどんなことになるのか、と不安で仕方がないが、あらかじめ自分に何か起こると言い聞かせておかないとわたしは何かが起きた時の衝撃で何かを起こしかねない。

 洗面台で顔を洗い、家族と顔を合わせる前に鏡の前で覚悟を決める。


 何が来るかは知らないが、とりあえず頑張るしかない。


 そう、心の中で意気込んで家族に挨拶した。


「おはよう」


「おはよう、あき」「おはよう」


 台所で料理を作るお母さんと、新聞に目を通しているお父さん。……あれ? そういえば、昨日からおじいちゃんの姿見えない。


「ねえ、そういえばおじいちゃんは? 昨日も全然見なかったけど」


「ああ……爺ちゃんな……」


「お義父さんね……」


「…………?」


 二人の暗い反応からして、これはもしかしてわたしの知らない間にお墓の中に入っていたりするのだろうか? いや、さすがにそれはあり得ないか。なにせ、お父さんのマッチョ具合はおじいちゃん譲りなのだから。去年帰省したときも腕の力こぶをわたしに見せつけて元気にやっていたし。そう簡単に亡くなるような性質には思えない。じゃあ、何があったのだろう?


 わたしは分からず首を傾けて二人が何か言うのを待った。


「…………お義父さん。実は――」


 お母さんがそうして話そうとしたとき、唐突に家の中に陽気な声が響いた。


「――――たっだいまー! そして、おかえり! わしのかわいいかわいい孫娘~!」


「…………っえ」


 どこか聞き覚えのある声。そして、昨日車の中で聞いた誰かと似ている喋り方。


「まさか……」


 まさか、このアホみたいに陽気な声が今のおじいちゃんなのか、そう思って両親の表情をうかがうと、二人は肯定するようにうなだれていた。


「おぉ! ここおったか! 愛しい孫娘!」


「お、おはよう……おじいちゃん」


 思わず苦笑いになった。なんというか、還暦超えてから十年は立っているはずのおじいちゃんはアロハシャツを着て、抜け落ちた頂点以外の髪の毛を金髪に染めて、更にはカラーサングラスなんか付けた――正直、もうよく分からない存在だった。


「いや、久しぶりじゃな。いつ以来かのう。まあ、別にいいか。細かいことは気にするな! わしは会えてうれしいぞ、あき!」


「なんか、すごく元気だね。おじいちゃん……」


「なに、年取ったからと家にこもっては暇だしの。昨日、東京観光行ったついでにお前の家に寄ったらなんか犬が居ったから連れてきたぞ」


「…………ん?」


 東京観光? 昨日? わたしの家にいた犬?


 おじいちゃんの言葉からいくつか気になるワードが飛び出た。昨日といえば、わたしがお父さんに有無を言わさず連れ戻された日で、わたしの家に居た犬といえば、佐藤(犬)になる。わたしは頭を傾げて情報を整理した。


 けれど、そんなことをしていると、わたしの体に何かが飛びついてきた。


 視線を落とせばそこに居たのは見間違えることなく、佐藤(犬)だった。


「佐藤ぉ~!」「ワン!」


「おお、おお、元気な子じゃのう」


「え、なんで? おじいちゃん、なんで佐藤連れてきたの?」「ワン!」


「なんでって、この犬はあきの飼い犬じゃないのか?」


「違うよ。佐藤はわたしと一緒に同居している鈴木さんの友達で、別にわたしが飼っているわけじゃないよ」


「おや、なんだ。そうだったのか。てっきり、そうだと思って寂しいだろうから連れて来てちゃったぞい」「ワン!」


「どうしよう……多分、鈴木さん困っているよ」


「まあ、それなら心配いらないじゃろ」


「そんなことないよ。心配だよ。なんか鈴木さんは適当に生きてて普通の人と比べれば精神的に強そうに見えるけど、佐藤あっての強さだもん。無理やり佐藤を連れてきたってなれば、今頃どうなっているか……」


 ああ、昨日の夜に抱いた恐怖の想像以上で別のベクトルの怖さだ。あ、でも佐藤(犬)はいつ見てもかわいい。癒される。


「うーむ……これは、大分あの若人に迷惑かけてしまったようじゃのう」「ワン!」


「もうしょうがないなぁ……。とりあえず、わたし佐藤を連れて向こうに戻ってみるからおじちゃんは大人しくしてて」


「む、大人しくといわれるほどはっちゃけているつもりはないが……まあ、かわいい孫娘の言葉じゃ。わかった」


 そういっておじいちゃんは自分の部屋へと消えて行った。


「ワン!」


 ひとまず、今日は朝ご飯を食べたら直ぐに佐藤(犬)を東京に連れていかないと。


 足元で初めての環境にはしゃぐ佐藤(犬)をなだめながらわたしは悠長に思案していると、再び家の中に声が響いた。今度は陽気な声ではなく、迫力のある大きな声だ。


 そして、これもまたどこか聞いたことのある声だった。


「――――佐藤ゥーッ!」


「――ッワン!」


 その声に反応して佐藤(犬)は玄関の方へ勢いよく走っていった。


「あ、ちょっと」


 わたしは佐藤(犬)を追いかけると、そこには滝のように汗を流し、息を上げて佐藤(犬)を心から喜んで笑顔で抱きかかえた鈴木さんの姿があった。


「よかった。佐藤。……やっと、追いついた」


 佐藤(犬)を抱いて涙ぐむ鈴木さんに声をかける。


「鈴木さん……」


「…………アキさん」


「えっと……ごめんなさい。うちのおじいちゃんが勘違いして佐藤を連れてきちゃったみたいなの。鈴木さんには本当に迷惑をかけました。すみませんでした……」


「…………」「ワン!」


「…………」


 わたしは鈴木さんに向かって頭を下げたまま、鈴木さんが何かしゃべるのを待っている。


 このまま鈴木さんが何も言わずに佐藤(犬)を連れて帰って行ったらどうしよう。東京で借りているわたしの家に鈴木さんは帰るのだろうか。いや、こんなこと起こしてしまったのだ。それはあり得ないだろう。


 頭を下げた状態では、鈴木さんがどんな表情をしているのかがわからない。


「……あのよく分からないアロハシャツを着たお爺さんはアキさんのお爺さんだったんだ。随分と元気なお爺さんだね。佐藤を軽々抱えて颯爽と家を出て行くんだから驚いちゃった」


 鈴木さんは笑いながらそんなことを口にした。そうやって人からうちのおじいちゃんのはしゃぎ具合を言われると猛烈に恥ずかしくなる。けれど、今は鈴木さんが喋ってくれるだけで少しの不安が解消された。


「……本当にごめんなさい。えっと、うちの家系、男子はなぜかみんなマッチョになって……お父さんとか、お兄ちゃんとか、弟とか、七十過ぎのおじいちゃんも未だ筋肉は衰えない感じで……だから、えっと……佐藤の件ごめんなさい」


「そんなに謝らなくても、もういいよ。僕は佐藤に会えたことだし」


 鈴木さんは笑顔でそう言った。


「しかし、あれだね。アキさんの実家大きいね」


「あ、うん……えっと蔵元なんだ」


「へえー。あ、だから、やけにアキさんの家にお酒が沢山あったんだ」


「そう。そんな感じで、なんか送られてくるから。でも、わたしそんなに飲む方じゃないから、気が付いたら溜まってて……」


「ふーん」


「…………」


 気まずくてうまく会話が出来ない。今まで鈴木さんとはこんなことになったことがないからどうすればいいのか分からない。


 しばらく、お互い会話に困って沈黙続くと家の奥からお母さんのわたしを呼ぶ声がしてきた。


「あきー、朝ご飯できたよ」「ワン!」


「…………」


「……えっと、じゃあ、僕は佐藤とも無事出会えたしそろそろ帰るね」


「――っま、待って!」


「…………なに?」


「せっかくなので、お詫びもかねてうちで朝ご飯食べて行って。……お米、美味しいよ? 佐藤の分ももちろん出すし」


「えっと……」「ワン!」


「あら、あき。そちら、どなた?」


「お母さん! この人は向こうでわたしと一緒に住んでいる鈴木さんです。朝ご飯もう一人前用意して!」


「別にそのくらい構わないけど。……え、一緒に住んでる?」


「そこの説明はまた後でするから。今はあんまり疑問に思わないで」


「……まあ、いいわ。えっと、じゃあ、鈴木さん? よければ朝ご飯食べって。お米美味しいわよ?」


「は、はあ……なんか、アキさんとお母さん似てるね。いや、親子だから当然なんだけど、お米が美味しいところを勧めたりして」


「それは多分、県民性。いや、正直よく分からないけど。米どころ新潟県民なら多分みんな同じことする…………はず」


「……っはは。そうなんだ。でも、そっか。新潟ってお米が美味しいって言うもんね。地元の名産品おすすめするのはよくあるよね」


「そうそう。そんな感じ。そんな感じ」「ワン!」


「じゃあ、ご馳走になるよ」


「うん! 食べって!」


 *


「それで、鈴木さんはあきの恋人なの?」


「いや、別に恋人っていうわけじゃなく、ただの同居人です。ルームシェアみたな」


「あら、そうなの? てっきり、あきのことだからそうとばかり」


「あははは、違いますよ。というか、結構長く一緒に住んでますけど、アキさん全然そういうのが居そうな気がしないんですよね」


「それは意外ね。高校のときとか毎月のようにとっかえひっかえしてうちに連れて来ては、お父さんと相撲取らせて惨敗させて来たのに。まあ、大学は地元じゃないからお父さんの管轄から外れて好き勝手やってたと思うけど」


「お母さん、別に話さなくていいから」


「え、アキさん高校時代は彼氏さんをお父さんと相撲取らせてたんですか?」


「取らせてないよー。彼氏を家に連れてきたらお父さんが勝手に相撲取り始めただけで。あと、鈴木さんもそんなにそこに興味持たないで。アレは源五郎丸家の恥なので」


「えー、世間話程度に話聞かせてくださいよ」


「そうよ、あき。おじいちゃんがご迷惑をお掛けしたんだし、そのくらい話してもいいでしょ?」


「おじいちゃんが迷惑をかけたことの償いがわたしの昔話っておかしくない?」


「あ、僕は別にそれでも全然いいですよ。むしろ、面白そうですし」


「あら、そう? じゃあ、ほかに教えるわね――」


 高校時代はわたしにとって黒歴史だ。彼氏ができる度になぜだか全員がウチに来たがり、断っても食い下がり根負けしたわたしが父に会わせないように注意して家に入れても、気が付けば彼氏と父が庭で相撲を取っている、ということが何度もあった。そして、その話が同窓会などの席で上がる度にわたしは同級生から「親方」と呼ばれていい笑い者になる。おかげで、同窓会で久しぶりに会った男子とちょっと仲いい感じになっても「相撲取らされるぞ」とガヤが入って男が逃げてこと逃げていくこと。いや、別に男を求めて同窓会の席に参加した訳ではないけれど、話しているうちに自然とちょっと仲よくなってそういう雰囲気から発展するロマンティックなラブストーリーが始まりそうでいいな、と思っているところに夢を打ち砕くように相撲が入って来るから、「親方」という不名誉なあだ名共々みんなの記憶から消え去ってほしい黒歴史になっている。


 *


 お父さんに強制送還されて、お爺ちゃんが佐藤(犬)を誘拐して鈴木さんを困らせた一件から数日後。

 わたしは鈴木さんと佐藤(犬)と暮らす家で、いつの間にか肥大化していた模型(?)の完成を目の当たりにしていた。


「……でかい。そして、邪魔」


「やっと完成したよ」「ワン!」


 最初はテーブルの片隅で済んでいた大きさのものが、最終的には一部屋を埋めるまでの大きさになり、ずっと眺めていた鈴木さんの作品の完成に感動する余裕などなく、ただただ邪魔という感想しか思い浮かばなかった。


「ねえ、鈴木さん。これどうやって外に出すの?」


 模型(?)は言葉そのままに部屋を埋める大きさであり、玄関の扉からはもちろん、ベランダの引き戸から大型家具の引っ越しみたいに取り出せるようには思えない。ましてや、どこかに脱着してコンパクトにまとめられる接合部が見えるわけでもなく。というか、毎日コツコツ地道に様々な長さの細い棒を複雑に組み合わていたはずなのに、わたしの目に映るこの模型(?)にはどこにも接合部の跡が見えない。細い棒は全部が最初から一本の棒としてあったかのように、どの表面も滑らかだった。いや、技術として接合部を見せないようにすることは出来るのだろうけれど、しかし、こうも表面が滑らかだと、コンパクトにまとめて取り出せるのか、と不安になる。


 そんな不安を思い浮かべながら聞いてみれば、鈴木さんはあっけらかんとした顔で、


「ブッ壊す!」「ワン!」


 と答えて、いつの間にか用意していた木槌でドーンッ! と、模型(?)を叩いた。


「…………は?」


 木槌で叩かれた模型(?)は目の前で簡単に崩れていき、サラサラと砂のように床一面に細い棒が広がった。


「え、鈴木さんなにしてるの? いいの? ダメでしょ? え? え? え……?」

「ん? いや、もともと、これこういうものだよ」

「は? いや、『人生』とかなんとか言ってたじゃん! 思いっきり崩れてるじゃん!」

「そんなこと言ったっけ?」「クゥン?」

「言ってたよ! 鈴木さんが『最高傑作』って!」

「あぁ……ごめん、よく覚えてないや」「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ッワン!」

「えぇ……じゃあ、『然るべきところに置いてもらう』って言ってたのはいいの? これもうただの細い棒になっちゃってるけど」

「ああ、廃品回収のこと? 全然大丈夫。むしろこうしないと捨てられないしね」「ワン!」

「えぇ…………」


 *


 鈴木さんの模型(?)作りの完成を待ちわびていれば、深いため息の出るオチが待っていた。


 特大のゴミ袋をいくつも用意して出した廃品回収はあっけなく持ち去られ、部屋にあった束の間の圧迫感はすぐに開放感を取り戻した。

 ついでに掃除したわたしの部屋は綺麗になり、気分が良くなったわたしは実家から送られてきたお酒を飲んでみようとお猪口に注いで一口飲んだ。


 初めて飲んでみたお酒の味は、酒蔵の娘ながらあまり美味しいとは思えずその一口でやめてしまったけれど、なんだか楽しい気持ちになって、真っ赤な顔になった鈴木さんと一緒になって久しぶりに大はしゃぎした。


 あと、佐藤(犬)がいつも以上にかわいく見えたから、高級おやつをべろんべろんに酔いながら、ついでにあげた。


「ほら~、佐藤~。ジャーキー。犬が大好きなやつ~」「私は犬ではない」


 佐藤(犬)の口から、なんか聞こえた。いや、佐藤は犬じゃん。


 

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