(5)「この腐れキリスト教徒がっ!」
「おいキョン子」
放課後に教室でSFを読み続けている私に、聞きなれた偉そうな声がする。
私は無視をする。その声の主は、すでに部室に行ったはずだ。教室に戻ったということは、私にロクでもない用事があるからだろう。私にはそんなものに付き合うヒマはないのだ。
終業式四日前のこの日も、教室ではみんなが、採点された期末テストを見せ合いながら、幸運さを強調したり言い訳したりしていた。私はそのざわめきから遠く離れて、ただひたすらにSFと向き合っている。クニやグッチはすでに私を見放すようになった。喜ばしいことである。
私の期末テストの点数は、悪くないものだった。なにしろ、イツキと絶交していたから、勉強する時間がたっぷりあったからだ。それに、イツキに「赤点スレスレのあんたの面倒を見なかったら、私だってこれぐらいの点数はとれるんだよ、ふんっ!」とアピールしたくて、意固地になって勉強したせいもある。
もしかすると、このままイツキと絶交していたほうが良い未来が築けるかもしれない。しかし、私の精神が持ちそうにない。イツキを無視することに、私はけっこう傷ついているのである。そのことをイツキに見すかされているところが腹立つのだけれど。
とにかく、私はブッダの『サイの角のように独り歩め』を実践しているのであって、たとえ我らが団長の問いかけであっても無視するのが至極当然なのだ。
それでも、ハルヒコは語りかけてくる。
「そろそろ読み終えたか、キョン子」
「話しかけないで」
「まさか、まだ上巻を読んでるわけじゃないよな?」
「だったらどうするのよ」
「……マジか?」
「だから、話しかけないで」
「だいじょうぶかよ、おい」
そう、ここまで必死で読んでいるのに、私はまだ『ハイペリオン』の上巻すら読み終えていないのだ。
とてもじゃないが、今のペースでは間に合わない。だから、必死で読まなければならないものの、残念ながら本というものは読み手があせればあせるほど文字が分解して、物語としての音を奏でなくなるものだ。
「おまえ、読書感想文が唯一の特技なんだろ? なんでまだ上巻なんだ?」
「SFだからよ」
私はあきらめて本から目をあげる。たまには休息も必要だ。こいつとのバカ話に付き合うのも悪くない。
「あのねえ、歴史小説だったら、とっくの昔に読み終えてるわよ。二巻ものだろうが三巻ものだろうが」
「そりゃ歴史を題材にしていたら、ある程度の登場人物の背景が頭に入っているからな。それにおまえの家って、大河ドラマをマジメに見てそうだし」
「まあね」
日曜夜の大河ドラマは、我が家にとって週に一度の重要なイベントである。弟ですら見ることを強制されるぐらいだ。
だけど最近は、ビール片手の父さんのグチがうっとうしくて、なかなか集中できない。肝心の母さんは舞台となった時代の別小説をわざわざ読んでいる始末だ。小学生の弟は頼りにならず、結果として私が父さんの相手をせざるをえない。
昔は父さんの雑学を聞くのが好きだったけれど、今は俳優が気に入らないだの脚本がダメだの、そんな悪口ばかり聞かされるので、あいづちを打つのも疲れる。だいたい、こういうのは嫁である母さんの役目ではないのか。
「でも、SFだって小説だろ? 長門のヤツが言ってたじゃねえか、SFも人間の物語だって」
「ハルヒコ、あんた、スタインウェイって知ってる?」
私は投げやりにハルヒコに問いかけてみる。
「……たしか有名なピアノメーカーじゃなかったっけ?」
「ゲッ……知ってるの、あんた」
「前に話したと思うけど、俺、ピアノ習ってたし」
「じゃあ――」
私はパラパラと『ハイペリオン』をめくる。
「あんた、ラフマニノフの『前奏曲嬰ハ短調』ってどんな曲か知ってる?」
「うーん、メロディーを聴けばわかるかもしれないけど」
「この『ハイペリオン』の1ページ目で、主人公っぽい男が弾いているのが、その曲なんだよね」
「ほう、主人公はピアニストか。SFにしては珍しい」
「ちがうわよ。コイツはピアニストじゃない。趣味で弾いているだけよ」
「つまり、そいつは裕福な家庭に生まれたということだろ? スタインウェイとかラフマニノフっていうのは物語を演出するただの道具じゃねえか。まさかキョン子は、そんなものにイチイチつっこんでるのか?」
私はそれに「ふんっ!」と応じたあとで、
「で、コイツは無人の小型惑星に住んでるの。今でいうと、無人島に一人で暮らしながらピアノを弾いているわけ」
「うらやましいな。無人島で趣味に没頭できるなんて、バカンスとしては最強だ」
「ただし、ピアノばっかり弾いているわけじゃなくて、昼は狩りをしているのよ」
「おお、自給自足か! 俺もかつて『ロビンソン・クルーソー』みたいな冒険に憧れて――」
「ちがうわよ。趣味で動物を狩っているだけよ。帰ったら、特上のステーキをビールで流しこんでいるのよ。いわば、スポーツハンティングってわけ」
「……アメリカンな生活だな」
「でしょ? 日本人である私にはまったく共感できないわよ。日々の運動のために、動物を殺すなんて許されると思う? これだからアメリカ人は……」
「俺たち日本人だっていっぱい動物を滅ぼしているじゃねえか。ニホンオオカミとかニホンカワウソとか。そもそもスーパーに並んでいる肉のためにどれだけの動物が犠牲になってると思うんだよ」
「そりゃそうでしょうよ。ベジタリアンじゃない私には、スポーツハンティングを批判する権利はないかもしれない。でも、そんな男をわざわざ冒頭に持ってくるこの作者の神経を疑いたくなるわけよ。私が読むのはSFのはずなのに、なんで典型的アメリカ人を相手にしなくちゃいけないのよ!」
「といっても、そいつ以外にも登場人物はいるんだろ?」
「あんた、遠藤周作の『ディープリバー』って本、知ってる?」
「なんでいきなり話を変えるんだよ」
「知ってるの?」
「読んだことはねえな。でも、遠藤周作なら知ってるぜ」
「この本は『ディープリバー』とよく似た展開なのよ。とある七人がハイペリオンという惑星に向かう。その旅の合間に、どうして彼らがハイペリオンに行かなければならない理由が、人物別に語られていくわけ」
「じゃあ、冒頭のスポーツハンティング野郎なんて、無視していいじゃねえか?」
「でもねハルヒコ、一人目の物語の主人公が、よりにもよって、イエズス会の神父なのよ!」
「イエズス会ってあれか? フランシスコ・ザビエルか?」
「そうよ! 長門くんはキリスト教徒だから当然のように読めたでしょうけど、仏教徒である私はちがうわよ。なんで、SFを読んでいるのに、イエズス会が出てくるのよ! しかも、なんでソイツがトップバッターなのよ!」
「……まあ、宇宙に出ても、自分の国籍や宗教を大事にする人もいるだろうしな。それにソイツ、ザビエルが日本に布教したみたいに、宇宙人相手にキリスト教を広めようとしてるんだろ? バカっぽくて面白そうじゃねえか」
「それだけじゃないのよ。彼は宇宙で十字架を探してるのよ」
「十字架って、どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。もし、人類の文明が届かない地で十字架が崇められているのがわかったら、キリストは地球だけじゃなくて宇宙の支配者であることが明らかになるんだって。どういうことよ、これ! 宇宙まで出たのになんで聖書の創世神話を信じてるのよ! この腐れキリスト教徒がっ!」
「ちょっとキョン子、落ち着け。今のは相当ヤバイ発言だぞ」
「ふんっ! キリスト教徒は調子に乗りすぎなのよ」
「でも、おまえ、長門の家のクリスマス打ち上げには参加するつもりなんだろ?」
「それとこれとは別よ。私は聖書には興味ないけど、クリスマスの食事には興味あるから。あんただってそうでしょ?」
「まあな」
「とにかく、私はSFを読んでいるはずなのに、イエズス会神父の妄言に付き合わされるわけよ。もちろん、物語はイエズス会の理想通りには進まないんだけどね。十字架に固執した愚かな神父の末路が語られて、一人目の話はおしまい」
「まあ七人もいるからな。ちょっとぐらい外れがあっても仕方ねえだろ?」
「で、今度がイスラム教徒の軍人なのよ! どこまで宗教好きなのよ、この作者!」
「じゃあユダヤ人も出てきたりするのか?」
「ええ、この後に待ち構えているわ。まだ読んでないけどね。キリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教の一神教三役揃い踏みよ! 私にどうしろっていうのよ!」
「……つまり、現代アメリカの縮図ってことだろ。そのSFは」
「だから、日本人の影も形も出てこないんだけどね」
「なるほど、そりゃてごわいな。でも、その本、長門が勧めたんだろ? だったらそれなりに面白いんじゃ――」
「ちなみに、イスラム教徒の軍人の話だけど、彼は過激派のテロリストじゃなくて、まっとうな軍人なのよ」
「でも、イスラム教徒だったら、宇宙でもメッカに向かって礼拝してるのかな?」
「残念ながら、この小説の地球は崩壊して、メッカも消えてなくなってるんだけどね」
「それでも宗教って残るのか? そろそろ別の宗教が出ても――」
「ちなみに、今回の七人の中に、宇宙時代に生まれた新たな宗教の指導者がいるんだけどね。宗教まみれなのよ、この小説」
「そ、そうか……それは大変だな」
「まあ、このイスラム教徒の軍人は、イスラム狂信者による反乱を食い止めたりするんだよね。自分の生まれに誇りを持っているけど、自分の思いこみを押しつけようとはしない人なのよ」
「じゃあいいじゃねえか」
「でも、裸の女が出てくるんだよね」
「ちょ、ちょっと待て。イスラム教徒の話なんだろ?」
「ええ、官能的なシーンもたっぷりとね。まったく、長門くんは涼しい顔をして部室でこんなものを読んでたとは信じられないわよ。しかも、それを女子の私に読ませようとするなんてね」
「いやいや、イスラム教って、女性の格好に厳しいじゃねえか。だから、イラン映画では――」
「あんた、イランの映画なんて見ているの? 物好きね」
「何言ってんだ。イラン映画は世界的に評価が高いんだよ。宗教的制約があるけど、だからこそ細かい心境描写に力を入れている。かつて、昭和の日本映画が世界でブームになったように、好事家の間ではイラン映画を見ることが教養になっているぐらいだ」
「あんな映画を作ったあんたに言われたくないけどね」
「あれは売り物だったからな。それにイラン映画は長門に勧められて、ちょっとだけ見たぐらいだし」
「ほう、長門くんってあんたにはおとなしいイラン映画を勧めておいて、私には官能描写たっぷりのこの本を勧めるわけね。とんだ変態よ、あのメガネ」
「おいおい、キョン子、すっかり病んでるけどだいじょうぶか? そりゃ、そういうシーンもあるかもしれないけど、長門が勧めたからにはそれなりの理由が――」
「あんた、やけにあの変態メガネの肩を持つわね」
「だってさ、あいつが勧めてくれた本、面白かったからな」
そう言って、ハルヒコは印刷されたばかりの紙を渡してきた。
「まさか、これ……」
「ああ、俺の感想文だ。読みたいか? まだ上巻のキョン子には読むヒマなんてないかもしれないけどな」
「ちょっと読ませて」
「おいっ」
私は強引にハルヒコからその紙を奪う。ハルヒコはさして抵抗しない。
どうやら私に見せびらかしに来たのだろう。まだ四日もあるというのに感想文を仕上げるとは、やはり涼宮ハルヒコ、ただ者ではない。
だがしかし、私は読書感想文の清水である。良い感想文と悪い感想文を見きわめる目はあるはずだ。
はたして、ハルヒコがどんな感想文を書いたか、私は目を通す。
◇
これがサイエンス・フィクションだ!
――S氏に捧ぐ『星を継ぐもの』感想文
涼宮ハルヒコ
【プロローグ 月の裏側には狂人が住む】
古来より人類は月を様々な象徴に見たててきた。我が国では月面の模様に『モチをつくウサギ』を見出した。日本最古の物語といわれる『竹取物語』では絶世の美女かぐや姫の故郷とされている。
いっぽう西洋では月は『狂気』の象徴である。狼男が満月を見るとオオカミに変身するのはその一例だ。英語では狂人のことを"Lunatic"という。Lunaは月の別名であるから、狂人は月の影響を受けて、気がふれたとされたのだ。
美女の故郷か狂気の源か。月は人類にそんな憧れと恐怖を抱かせる神秘的な存在といえよう。
その月の裏側を地球上からは見ることはできない。「そりゃそうよ」と軽はずみに答えるS氏みたいな人は、ちょっと考えてほしい。天動説なら話は単純だが、地動説となればそうはいかない。しかも、地球は丸いのだ。こういうと、S氏は「なるほど、ブラジルで見る月と日本で見る月は模様が違うのね!」と、とんでもないまちがいをしそうだ。言うまでもなく、日本で見てもブラジルで見ても、モチをつくウサギのような月の模様は変わらない。
こんな常識も知らないくせに、S氏は天動説を信じていた昔の人々をバカにするのだから救えない。もしタイムマシンがあったのならば、S氏を過去に送りこんで、地動説を広めるよう命令したいものだ。月の満ち欠けぐらいはS氏でも地動説で説明できるだろう。ところが、春夏秋冬、月の模様が変わらないことは証明できないのではないか。古代の人は今の人よりマジメに月を見ている。地動説ありきのS氏の主張は、たちまち論破されるだろう。結局、誰ひとり地動説への改宗を果たせぬまま、すごすごと現代に戻るS氏の姿がありありと目に浮かぶようだ。
そんな月の裏側を人類が初めて目にしたのは1959年のことである。アポロ計画の月面着陸では、電波の届かない裏側は対象にならず、すべて地球から見える表側が着陸地点となった。その後も月の裏側は無人探査機で観測されているとはいえ、表側と地殻の厚さが大きく違うなど、様々な謎が解明されていない。
月の裏側は人類未踏のミステリーの宝庫なのだ。ピンク・フロイドが「月の裏側に狂人が住む」と歌ったように。
【1 月面の死体をめぐる科学ミステリー】
この『星を継ぐもの』では、月の裏側で赤い宇宙服を着た死体が発見されたところから物語が始まる。
調査によれば、それは死後五万年以上たったもので、骨格は人類――つまり、ホモ・サピエンスに酷似している。死体の付近からは、地球上のあらゆる文明とは異なる言語で書かれた手帳も発見される。
こう要約すると、S氏は「ワオ! 荒唐無稽なファンタジー!」と一笑に付すかもしれないが、本書の読み手はそう感じないだろう。なぜなら、科学的論拠が明確だからだ。どうして、死後五万年以上たっているとされたのか。どうして、その死体がホモ・サピエンスであるとされたのか。本書の科学的説明は、S氏ならずとも反論できない説得力に満ちている。
そして、本書は月の裏側で発見された死体をめぐるミステリーで始まり、それで終わる。一人合点が得意なS氏は「そこから大冒険とやらが始まるんでしょうよ」とウンザリした顔で言うかもしれないが、その予想は外れである。本書のほとんどは地球上を舞台にしているからだ。
五万年以上前に生きた、あらゆる地球文明とは異なる言語を操る者。その正体の解明が本書のすべてといっていい。
まさに、純正科学ミステリーなのだ。
【2 舞台は2027年=50年後の世界】
本書が書かれたのは1977年。作中の舞台は2027年である。つまり、作者は五十年後の世界を想定して、本書を書いたわけだ。
では、本書の2027年はどういう世界か? なんと、人類は核兵器を無用の長物とする新兵器の開発に成功し、また出生率低下によって人口増は抑制されている。通常のSFとは異なり、ずいぶんと希望に満ちた未来が描かれているのだ。
ただし、S氏が「こんな未来、嘘っぱちよ」と愚痴りそうな設定もある。
一つがタバコである。会議の最中でも、登場人物は当然のようにタバコをふかしている。大学の研究室も禁煙ではなく、教授はコーヒーを浴びるように飲みながらタバコをプカプカ吸っている。現代人からすれば、信じられない光景である。本書の描く未来では、核戦争の脅威からは逃れているものの、タバコの副流煙からは逃れられなかったようだ。
次にスペースシャトルである。本書で大いに活躍しているスペースシャトルだが、現実では2003年に起きたコロンビア号空中分解事故をきっかけに、計画が凍結された。今では、時代遅れだが信頼性抜群のロシア宇宙船ソユーズしか、有人宇宙飛行を行っていない。もし、タイムマシンで現在にやって来た20世紀の人がいたら「スペースシャトルに乗って宇宙に行きたい。そろそろ民間人の宇宙旅行も実現されている頃だろ?」とたずねるだろう。現代人の我々は、そんな前世紀の憧れにどう答えたらいいだろうか。まあ、たいていのSFにスペースシャトルは出てくるので、それを過去の遺産とバカにすると何も読めなくなるのだが。
そして、最大の問題点はソヴィエト連邦が崩壊していないことである。この月面死体解明プロジェクトには、世界中の学者が集結したことになっているが、その顔ぶれは、アメリカ合衆国・ヨーロッパ合衆国・カナダ・ソヴィエト・オーストラリアとなっている。このメンツに日本か中国が入っていないのはおかしいとか、EUですら離脱国が出そうなのに何言ってるんだとか、S氏ならずとも「この作者には先見の明がない」と言いたくなる設定だ。
しかし、1977年当時、アメリカとソ連が手を組んで一つのプロジェクトにあたるというのは奇跡的なことだったのだ。例えば、1980年モスクワ五輪では日本を含めた西側諸国が参加せず、次のロサンゼルス五輪にはソ連などの東側諸国が参加しなかった。オリンピック開催国が気に入らないから選手団を派遣しないなんて、今では考えられないことである。
月面で発見されたものが、国境という垣根を取り払い、世界中の学者を結集させる――そんな未来を想像した作者の希望は大いに尊重するべきだろう。
【3 サラリーマン研究者VS大学教授】
本書を読む一番の醍醐味は、科学の最前線を体感することができることだ。まるで、世界の第一人者が集結した史上最大の解明プロジェクトに、参加した気分になれる。マスメディアが見当外れな憶測を乱発しているのを冷ややかな目で見ることができるのは、心地よい感覚である。
このプロジェクトには、数学者や言語学者、地質学者や解剖学者など、当代屈指の学者が集結しているが、本書を読む上で覚えるべき学者は二人で良い。カタカナの名前を覚えるのが苦手そうなS氏にも親切設計である。
一人は核物理学者のヴィクター・ハント。彼は民間企業の研究者として、先進技術をいかした新商品の開発をしている。我が国でもサラリーマン研究者がノーベル賞を受賞して話題になったが、本書の主人公であるハント博士はそのような立場である。
もう一人が生物学者のダンチェッカー教授。彼は学界で名をはせるアカデミックな第一人者である。
ハント博士は民間企業で新たな商品の開発をするべく柔軟な思考を養ってきた。いっぽうのダンチェッカー教授はかたくなに自説を主張することで学界で確固たる地位を築くようになった。
本書はハント博士の視点で語られる。民間企業出身のハント博士からすれば、ダンチェッカー教授の視野は狭く、自分の得意分野でしか語らない彼の論説は真実を曇らせているように感じる。読者もそう感じるだろう。
ところが、世界的名声を持つダンチェッカー教授の意見は、プロジェクトでは大きな影響力を持っているのだ。
この、サラリーマン研究者VS大学教授という構図が、本書の最初の読みどころである。はたして、ハント博士はダンチェッカー教授のかたくなな主張をくつがえすことができるのか? まずはそれに注目して読み進めていけば、科学嫌いのS氏でも本書を楽しめるはずだ。
【4 素人意見が突破口を開く】
月面の裏側で発見された死体をめぐり、学者たちは壁にぶち当たる。
もし、彼が宇宙人ならば地球人と同じ骨格をしているはずがなく、地球人ならば月に行くほどの科学力を持った五万年前の文明がなければならないからだ。
この謎の最初の突破口を開いたのが、素人である秘書の思いつき発言であったことが、本書の面白いところだ。もし、本書に沿ったドキュメンタリー番組が編集されるならば、この瞬間が「歴史を変えた」と大きく取り上げられるだろう。
素人発言が、プロジェクトに新たな方向性を与えて、各界のスペシャリストがどんどんと新しい事実を解明していく。そのあざやかさをたとえるならば、不謹慎な話だが、SNSに公開された一枚の写真から身元が特定される過程に似ている。なにげなく撮影された写真のありふれた風景から、その場所が特定されるというのは、情報社会の恐ろしさを物語っているが、それは写真の解明に多くの人が躍起になったからである。多くの人が注目したからこそ、その突破口となる発想が出てきたのだ。
ただ、本書のすごいところは、一つの謎の解明が、さらなる謎を呼び起こすことだ。本書の最後の最後で語られる「真実」に至るまで、読者はヴィクター博士とともに頭を悩ませながら読み進めることになるだろう。
【5 死体が伝える五万年前の物語】
本書で個人的にもっとも印象的に残ったのは、月面で発見された死体が遺した手記の中身である。
といっても、地球上のいかなる文明とは異なる言語で書かれているために、それが解明されるのは本書の後半部分に当たる。
ここで語られる五万年前の物語は、鬼気迫るものだ。
なぜ、彼は月面で死んだのか? どのような過程で、彼は月にたどり着いたのか? そこには、いかなるSFにも劣らない絶望と悲劇があった。
本書の未来は通常のSFに反して、希望にあふれた未来が描かれていると前述した。地球上では核戦争の脅威から脱出し、世界中の学者が団結してプロジェクトにのぞんでいる。そんな楽観的な未来を描く本書に不満をいだく読者は多いかもしれない。
しかし、平和な未来を描いているからこそ、月面の死体が体験した過去の悲劇が心に突き刺さるのだ。
少し種明かしをしておくと、月面の死体が遺した手記が未知の言語で書かれているのは、その文明が五万年前に完全に滅んだからである。
文明が完全に滅ぶという展開は、いささかロマンティックにすぎる。それはあまりにも空想的で、人々の想像力を超えてしまう。恋人たちの「世界の終わりをいかにむかえるか?」という妄想に似た、淡いファンタジーになってしまう。しかし、本書の設定はそうならない。なぜなら、過去の物語だからだ。
今でも、宇宙では星々が寿命を向かえ、燃え尽きている。その死に絶えた星にどんな物語があったのか。それを想像することは、人類滅亡で終わるような近未来SFよりも、ずっとリアルに実感できるのではないか。
【6 作り話だからこそ予測不能な到達点】
本書はいわば科学ミステリーである。月面で発見された死体が、どこから来たのかをめぐる謎の究明にすべてのページがさかれている。
しかし、名探偵はいない。主人公であるヴィクター博士は、柔軟な思考の持ち主で、各界のスペシャリストの調整役をつとめているとはいえ、一人で真実にたどり着くことはできないのだ。
その過程をまどろっこしく感じるかもしれない。
しかも、本書はサイエンス・フィクションである。つまり、作り話である。その結論を知ったところで、テストの点数が上がることはない。
だが、フィクションだからこそ、到達点が見えないところが、本書の面白いところなのだ。
例えば、理系科目が苦手なS氏のような者にとって、「数学の公式がどのように生まれたか?」というドキュメンタリーは楽しめるだろう。しかし、それらは事実にもとづいているからこそ、結末ありきの展開になっている。そして、S氏のような者は、その過程に「なるほどー」とうなずきながら、最終的に頭に残っているのは、結末の「公式」だけだったりする。
だから、S氏は天動説の仕組みにまったく興味を持たない。「天動説はまちがってるんだから、地動説だけ覚えておけばいいじゃん」というスタンスなのだ。「ガリレオを否定したキリスト教はバカ」の一言で終わらせてしまうのだ。
そんなS氏には、ぜひとも本書をマジメに読んでもらいたいものだ。
最後の最後まで真実がわからない本書を読み進めることは、頭を悩ませるものだろう。科学的説明が多く、なかなか頭に入ってこない部分もあるだろう。作り話だからこそ、わかりやすい構造にするべきではないか? そう考える人は多いかもしれない。
しかし、その結末で明らかになる真実は、あまりにも予測不能であるからこそ、過程の面白さが味わえるのだ。
本書はそんなサイエンス・フィクションならではの魅力があふれた傑作である。
◇
「どうだ? 読書感想文が唯一の特技である清水さん」
ハルヒコが笑顔を浮かべて私を見ている。
言いたいことは山ほどあったが、ひとまず角度を変えてみる。
「なんで、小題をつけてんのよ。小論文でも同じことするの?」
「だって、俺たちが発行するんだから、好きに書いたほうが面白いじゃねえか」
ハルヒコは感想文に制限字数を設けなかった。各人の満足いくまで書けばいいというスタンスだろう。
だから、普通の読書感想文では書けないような、無駄口が叩けたわけだ。
「で、このS氏っていうのは、私のことだよね?」
「よくわかったな」
「私、『ワオ!』なんて言わないんだけど」
「じゃあ、これから口癖にしろよ」
「なんであんたの感想文に私が合わせなきゃいけないのよ」
「……まあ、おまえがイヤだったらやめるけどさ」
殊勝にもハルヒコは譲歩をしてみせる。
「だから、締め切り四日前に見せてきたわけね」
「いや、残り三日だぞ」
「言い方のちがいよ」
私はため息をつく。ここで怒ってはいけない。
「私ね、本の巻頭辞に自分の名前が載るのが夢だったの」
「おう、それは良かった。夢がかなったじゃねえか」
「とんでもない。こんなにムカつくとはね」
「ははは、ムカついたか!」
人を怒らせて笑う。あんたは小学生のガキか、とののしりたい気持ちを必死でおさえる。
「俺さ、あの映画をつくったときも、最後はおまえの怒った顔を見るのがモチベーションになったし」
「知ってる」
だからこそ、私は怒りをかみ殺しているのだ。怒ればコイツの思うツボなのだ。
それに、コイツの感想文に「S氏」がなかったらどうなるか?
涼宮ハルヒコというヤツは、あからさまに人をバカにした態度をとる。それが原因で中学時代は孤立していた。その性格は今でもあまり変わらない。グッチならずとも、「あいつ何様なのよ」と感じている子は多いだろう。
でも「S氏」にあてて書くという形式だと、読む人はそれほど傷つかなくてすむ。そして、ハルヒコの犠牲になったS氏、つまり私をかわいそうだと憐れんでくれるのではないか。
それは私にとって有利である。最近『キョン子は調子に乗ってる』と非難するクニやグッチだって、これを読めば私に同情してくれるはずだ。
「じゃあキョン子、このまま印刷して全クラスに配布してもいいってことか?」
「……勝手にすれば」
「ほう、おまえも大人になったな」
「ふんっ!」
ガキっぽいあんたに大人なんて言われたくない、という気持ちをこめて、私は力強くそっぽを向く。
「まあ、俺はおまえとちがって、自分の感想文を書けばいいってわけじゃねえしな」
「やっぱり、あの二人、読む気配ないの?」
「読んでると口では言うんだけど、信用できねえからなあ」
「へえ、団長らしいこと考えてんじゃん」
「だから、おまえはあの二人のことは気にせず、自分の感想文に専念しろよ」
「言われなくとも」
私は反抗的に答えながらも感心する。いちおう、コイツはコイツなりにみんなのことを考えているんだと。
結局、私が感想文を仕上げたのは、締め切り一日前の祝日になった。
それは、クラス代表になった夏休みの読書感想文とは遠く離れた、私の悪戦苦闘ぶりをダイレクトに伝えるものになったけれど。
◇
彼らは『ハイペリオン』に向かう
清水京子
ダン・シモンズ著『ハイペリオン』は、銀河の辺境にある惑星ハイペリオンに向かう男女七人を描いたSFである。
ハイペリオンには何があるのか? 『時間の墓標』という宇宙の神秘である。それがどういうものかは読み進めないとわからない。
問題は、この七人の顔ぶれだ。
作者であるダン・シモンズは、SF作家になる前は小学校の教師をしていたという。ならば『ハイペリオン』は子供にも楽しめる冒険小説だと予想するかもしれないが、その期待は裏切られる。登場人物はみんな年齢が高めで、小学生どころか高校生の私でも感情移入しにくい。
まず、最初に出てくるのは「領事」。なんの領事をしているのかわかるのは、かなり後である。この男、無人島ならぬ無人惑星でピアノを弾いたり、スポーツハンティングをしている。そう、スポーツハンティングである! 趣味で動物の命を奪う、とんでもない野郎である。こんなのが最初の登場人物なのだ。
残り六人の顔ぶれはどんなものかというと――
キリスト教神父(しかも、イエズス会士!)
イスラム教徒の軍人。
ユダヤ人学者。
宇宙時代の新興宗教のリーダー格。
筋肉質の女探偵。
酔いどれ詩人。
――なんというか、かたよった人選である。
宗教関係者が多いくせに、アジア人も仏教徒も出てこない。所詮はアメリカ人の書いた小説だ。
では、世界観はどういうものかというと、すでに地球は消滅している。2038年に核戦争が起き、それから百年かけて地球は崩壊したという設定である。その間に、人類は宇宙に離散していく。『ハイペリオン』の舞台は、2750年ぐらいの話である。
そして、かつての地球をその時代の人はオールドアースと呼んでいる。実にたくましい話である。
地球が滅んでしまっているのに、イスラム教徒はどこに向かって礼拝しているのかとか、キリスト教とかユダヤ人とか言ってる場合なのかと思うのだが、意外と人類は宇宙に脱出しても民族や宗教を捨てられないのかもしれない。私はそんな垣根を超える物語こそ、SFが語るべき未来だと思うのだけれど。
ともあれ、この『ハイペリオン』は七人の男女が辺境の惑星に向かう話である。彼らはそれぞれハイペリオンに向かう理由があるのだが、互いに面識はない。そのために、目的地である『時間の墓標』に着くまでに、自分たちの過去を話していくというスタイルである。その順番はくじで決定される。
はたして、あなたはこの七人のうち、誰の話を最初に聞きたいと思うだろうか?
私はコイツだけはやめてくれ、と思った。他の人選も似たり寄ったりだが、コイツにだけは最初に語らせるのはダメだと、祈る思いでページをめくった。
しかし、そいつが最初の語り手になってしまったのである。
そう、トップバッターはイエズス会士だ! フランシスコ・ザビエルの末裔だ!
なんで、SFでキリスト教徒の話を聞かなくちゃいけないんだ! 頭を抱えた私の気持ちがあなたにわかってもらえたらと思う。
私たちは海外文学を読むなかで、何度もキリスト教の壁にぶち当たったものだ。『聖書を読まずんば人にあらず』。そんな暴論を幾度となく目にしたものだ。まさかSFではそれはないだろうと信じていたが、私の考えは甘かったのだ。
ただし、このイエズス会士の語る話に、宗教的押し付けはない。十字架信仰が行きすぎて身をあやまった男の話だからだ。
その男、文化人類学者としても名をはせているらしく、言動はとてもまともである。ところが、十字架がからむと話が変わる。その男によると、十字架はキリストのシンボルである。もし、地球人の文化が届かない地で十字架が信仰されていたとすれば、キリストは地球だけではなく宇宙の支配者だという証明になるというのだ。
ハッ! 私たちはそんなタワゴトを軽く笑い飛ばす。キリストの生涯は偉大かもしれないが、それは地球にかぎった話ではないか。なぜ、地球が消滅した28世紀にもなって、十字架を探し求めているのだ?
しかし、世の中にはそういう人がいる。私の身近な例でいうと、阪神ファンである。私の親戚に関西の人がいるが、プロ野球の阪神タイガースの熱心なファンという。どれぐらい熱心かというと、阪神の悪口をいうと子供だろうが取引先のお得意様だろうが自分を雇う社長だろうが許せないらしい。そのくせ、普段は仕事ができる有能な人物というから良くわからない。阪神ファンでなければ欠点のない人なのに、と巨人ファンの父が嘆いていたぐらいだ。
いわば、阪神ファンにとって、阪神というのは弱点である。もし、仕事の契約がうまくいきそうでも、阪神の悪口を言わればおじゃんとなる。そんなもののファンになる必要がどこにあるというのか?
ただ、それが人間というものかもしれない。例えば、大人にとって自分の子供は弱点である。子供を人質にとられると、たいていの大人は自分の正義をゆがめてしまうという。では、子供を持たないほうがいいのか? もちろん、そんなことはないだろう。子供がいるからこそ大人は強くなれるのだ――たぶん。
その阪神ファンの人にとって、阪神を愛することは生きがいなのだろう。人間はそういうものを必要としている。そして、それは弱点であると同時に強さにもなる。私たちはそういう生きがいなくして、生き続けることに耐えられないわけだ。
話を『ハイペリオン』に戻すと、一人目の話に出てくる男は、十字架を盲目的に信じるあまり破滅に追いやられる。具体的には、現地人が信仰している十字架はキリストのものではなく、全然別物だったというオチである。
おいおいネタバレするんじゃないよ、と怒る人もいるかもしれないが、読み始めるとすぐに予想された結末なのだ。もし、逆だったら、私は即座にこの本をやぶり捨てていただろう。この一人目の話は、男が破滅するシーンに「ざまあみろ、腐れキリスト教徒!」とあざ笑うのが正しい読み方だ。
続いて過去を語るのは、イスラム教徒の軍人である。また一神教信者か、と唖然とされるかもしれないが、このイスラム教徒は狂信者ではない。むしろ、イスラム過激派による反乱を防いだことで勇名をとどろかせた人物なのだ。
ところが、裸の女が出てくる。そして、その女との濃厚な官能シーンが描写されるのである。
このため、ブックカバーをして読むことを強くオススメしたい。うっかり表紙をさらけたまま電車で読んでると「デュフフ、ハイペリオンを読んでるとは感心ですな。おぬしは二人目の話は読みましたかな? ヌポォ」と気持ち悪いSFオタクに声をかけられるかもしれないので注意が必要だ。
その裸の女をのぞけば、二人目の物語は宇宙戦記物といっていいだろう。敵であるアウスターの存在が描かれていたり、いわゆる『ウラシマ効果』が活用されていたりと、SFらしい話ではある。
そして、三人目が酔いどれ詩人である。一人称が「小生」で、色男を自認する最高に気持ち悪い男である。この自分語りに耐えられるかどうかが『ハイペリオン』最大の難関といっていい。
物語の内容自体は、芸術の都を作るために辺境の惑星ハイペリオンを開拓したり、そこでシュライクという恐怖の存在に遭遇したりとなかなか面白いのだが。
上巻ではこの三人、下巻では残り三人の過去が、旅の合間に語られる。あれ? 七人の男女がハイペリオンに向かったのではないかとあなたは思うだろうが、一人の過去は話されずじまいである。その一人が敵のスパイなのか、途中で死んでしまったのか、それは読んでのお楽しみである。
問題はこの四人目だ。
上巻の三人の過去は結果的に面白かったのだが、そこに到るまでには骨が折れる内容だった。一人目は時代遅れのイエズス会士だし、二人目は裸の女が出てくるし、三人目は口調がとんでもなく気持ち悪い。
ところが、この四人目の物語は、それまでの憂鬱を吹き飛ばす傑作なのだ。あの『アルジャーノンに花束を』に匹敵するぐらい。
私は夢中でページをめくりながら、こう叫ばざるをえなかった。なんで、この話を一人目に持ってこないのだ!
ただ、読み終えたあとで考えると、四人目にするしかない内容だとは思う。さんざん文句を書いたが、この『ハイペリオン』の構成力は見事であり、それぞれの登場人物の過去を通じて、惑星ハイペリオンに迫る危機が見事に描きだされているのだ。
一人目の十字架狂信者+文化人類学者である男は、ハイペリオンの地理をわかりやすく書き留めている。その手記を読むのは、あたかもRPGで未開の地を冒険するような楽しさがあった。
二人目のイスラム教徒の軍人は、銀河中に名をとどろかせる有名人だが、その軍歴を追うことで、ハイペリオンをとりまく背景が読者にわかってくる。
そして、三人目の酔いどれ詩人によって、ハイペリオンになぜ人類が植民したか、そして、それを滅亡寸前に追いやった存在が浮かびあがる。
こうして初めて、四人目の物語が意味を持つのだ。荒唐無稽であるはずの設定が、ハイペリオンではありえる話となって、読者に感情移入させることに成功したのだ。
だから、下巻までたどり着いたら勝ちである。四人目と、そのあと続く五人目の話を私は一気に読み進めた。食事をするのも億劫になるぐらいに。
ところが、最後の六人目の過去が残念な出来なのだ。
巻末の解説によれば、六人目の話が最初に出来たものらしい。そして、その話を広げているうちに、別の物語が生まれて、最終的には七人の男女がハイペリオンを目指す作品になってしまったという。
結果、物語の原点である最後の話が、もっともスケールが小さいものになっている(まるで、某ファンタジー小説シリーズみたいな感じである)
もちろん、構成力の巧みさには定評があるこの作者のこと、これまでの伏線が六人目の物語でどんどん明らかにされていくのだが、その驚きよりも物語の熱が足りないことが読んでいて残念だった。
このように、数多くの欠点があるものの、六人の物語を通じて、実に様々なジャンルのSFが楽しめる。未知の存在との遭遇。宇宙戦記物。惑星開拓物語と恐怖小説、人間ドラマのサイエンス・フィクション、ハードボイルドな探偵物語、などなどである。
SFの可能性を知るうえで、この『ハイペリオン』は最適であるかもしれない。
そうわかっていても、私はこの本を勧めてくれた人を許すことはできない。それは六人目の物語が終わったあとのエピローグで衝撃の事実が明らかになるからだ。いや、六人目の物語の途中で私はうすうすとは感じていた。
なんと、上下巻だけでは、全体のストーリーは解決しないのである! 聞くところによると『ハイペリオン』は四部作であるらしい。なんとまあ、私が苦労して読んだのは、起承転結の起の部分にすぎなかったわけだ!
ということで、相当にヒマな人以外にはお勧めできない作品である。
まったく、私はとんでもない大作をつかまされたものだ!
◇
「どう? 長門くん」
長門くんチェックが終わったあと、私はたずねてみる。
「なるほど」
「……………………それだけなの?」
「フッ」
それから長門くんはSF小説を読み始めた。私の一週間にわたる悪戦苦闘を物語る感想文のチェックなんぞ余興にすぎないとでもいうふうに。
あとから思い起こせば、長門くんのこの四文字感想はかつての私に対する仕返しだったのだが、それを思い出したのはずっとあとのことだ。
そのときの私は、長門くんのそっけない言葉に、膝から崩れ落ちるように倒れただけである。さすがのハルヒコが心配して駆け寄ってくるぐらいに。
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