(3)「粋だね、キョン子さん!」
約束の日曜日。
私は集合時間ギリギリに『もみじ茶会』の会場である地区会館に着いた。
それは、イツキの「ちょうどに行けばいいじゃん」という適当なアドバイスにしたがったせいだが、一番の理由はミッチーズことファンクラブの皆さんと話しても間が持たないと不安だったからだ。
私はあくまで見学者なのだ、お客様なのだ。
そんなうぬぼれた気持ちで、私はお茶会に向かったのである。
会場となっているのは、地区会館二階の第二会議室。その案内板にはこう書かれていた。
【朝比奈クラブ 十一月定期お茶会】
なるほど、朝比奈クラブときたか、と私は感心する。
『朝比奈みつるファンクラブ』とか『ミッチーズ』とか書かれていたら、私は入室をためらっただろう。
こういう世間体を気にするところが、我らが団長とちがうところだ。
涼宮ハルヒコならば、堂々と『SOS団 定期会合』と書くだろう。そして、地区会館の事務員さんに『SOS団』がどういう団体か、長々と熱弁するだろう。結果として、事務員さんはその部屋に入る連中に不審な目を向けるようになるわけだ。
こういう配慮ができる会長さんは、やっぱりまともな人なのだ。
そんな悠長なことを考えながら、私は第二会議室に足を踏み入れる。
ガチャリとドアを開けると、すでにミッチーズの皆さん十人(会長さん含む)は着席していた。
一年生はひとりもいない。全員が先輩である。
たちまち、私の胸が凍りつく。教室移動で場所をまちがえたときのような気まずさが私を襲う。
「清水さん! 来てくれたのね!」
会長さんは大げさに両手を広げて歓迎のポーズをとってくれた。
ところが、喜んでいるのは会長さんだけなのだ。
他のミッチーズの皆さんは、私に鋭い視線を投げかけてくる。
あれ? ミッチーズの皆さんで話し合った結果、私を次期会長として歓迎することになったんじゃ……。
「どうぞどうぞ、清水さん」
会長さんは私の戸惑いなど気にせずに、うれしそうに席を勧めてくる。私はとりあえずその席に座る。
会長さんの隣の席に。
この部屋の上座にあたる席は、まだ空席である。おそらく、主賓であるみつる先輩の席だろう。その隣に会長さんが当然のように座っている。
私はその隣である。みずから注目の的に飛びこんでいったようなものだ。
そんな私を手でさして、会長さんは笑顔で言う。
「じゃあ皆さんに紹介するわね。この子が、ミッチーズ次期会長に立候補してくれた、清水京子さんよ!」
「え? ち、ちが……」
会長さんのありえない紹介に、私はあわてて反論しようとするが、言葉が出てこない。
立候補? なんの話だ?
「うふふ、来てくれたってことは、そういうことよね?」
会長さんは小声で私に耳打ちする。
「い、いえ…………。そ、その……私は、けけけ、見学で……」
「ええ、清水さんはまだミッチーズの正式なメンバーじゃないわよ。だから、立候補という形にしたの」
どもる私に、得意げに答える会長さん。まったく話が通じない。
考えてみれば、よく知らない一年生を次期会長に招くなんて話がおかしかった。このお茶会は歓迎会ではない。むしろ、面接試験なのだ。私が次期会長にふさわしいかどうかの。
末席で、ファンクラブの様子を観察しようと考えていた私の見こみは、あまりにも甘すぎたといえる。
みつる先輩がこの話をイツキに聞かされるまで知らない時点で怪しいと思うべきだったのだ。美人の会長さんに高く評価されて舞いあがった私は、さながら王様から城に呼びだされて喜んでたら「魔王を倒してこい、この100Gでな!」とムチャぶりをされる素人勇者と同じである。
しかし、後悔しても遅い。もうバスは動き出したのだ。そして、そのバスには「次とまります」のボタンはない。
「じゃあ、みっちゃん、入ってもいいわよ」
会長さんの合図で、入り口とは別のドアから、みつる先輩が入室する。
ミッチーズの皆さんは拍手する。私も真似して手を叩く。集合時間ギリギリに来た私には、心の準備をする余裕はない。
カジュアルな私服に身を包んだみつる先輩は、律儀にもミッチーズの皆さん一人ひとりにあいさつをしている。
そして、私の前に来る。
「清水さん、僕のファンクラブにようこそ」
あまりにも他人行儀なその声に、会長さんが笑顔で口をはさむ。
「あらあらみっちゃん、いつものように清水さんに話しかけていいのよ」
「じゃあキョン子さん、ファンクラブにようこそ」
しかし、その呼び方にSOS団部室のような親しみは感じられない。どの女子にも優しい「ファンクラブモードみつる」である。
ただ、その目は一瞬だけ「だから来るなと言ったのに」という批判めいた光を放っていた。
そう、みつる先輩は私が来ることに乗り気ではなかった。彼がそれを受け入れたのは、イツキが熱心に勧めたからだ。最愛のイツキの頼んだから、渋々応じただけの話である。
「うふふ、今日はもみじ茶会ということで、とっておきのお茶請けを用意したのよ」
私の隣では、あいかわらず会長さんが上機嫌に話している。
そして、みつる先輩にお茶菓子の入った紙袋を渡しながら、こう言った。
「なにをかくそう、このお菓子を提案してくれたのは清水さんよ!」
え? そんなことした覚えないんですけど?
唐突に出てきた自分の名前に、私はたじろぐ。
「へえ、キョン子さんが、ねえ」
「ほらほらみっちゃん、開けてみてよ」
一瞬、みつる先輩が私を見たような気がしたが、無視することにした。
どうせ、会長さんが私の手柄にするためにでっちあげたウソなのだろう。
ガサコソと包みを開けたみつる先輩は、驚きの声をあげる。
「もみじの天ぷら! こんなのあるの?」
私はあわてて顔を向ける。
もみじの天ぷら――それはこのお茶会最大のNGワードではなかったのか。
「ええ、清水さんに教えてもらったの。ね?」
会長さんはしてやったりの表情を浮かべている。実に楽しそうだ。
「わたしも最初に清水さんにきいたときは冗談だと思ったんだけど、気になって調べてみたら、大阪のほうの有名な土産物らしくて、通販もしてるっていうじゃない? あわてて取り寄せたのよ。ねえ、清水さん。ビックリした?」
「は、はい……」
あなた、あのとき「頭おかしいんじゃない?」とまで罵倒したじゃないですか。
そりゃまあ、私はあのあと、もみじの天ぷらについてちゃんと調べたりはしなかったけれど。
「うふふ、では、みっちゃん、いつものお願いね」
「これ、玉露にあうかなあ」
「もし、合わなかったら、清水さんが悪いってことで、ね?」
「あははは、じゃあ、準備してくるよ」
気さくに声をかけあう会長さんとみつる先輩。
私は話題にされているのに、声を出すこともできない。
「さて、こちらはお茶請けの用意をしなくちゃね。ちゃんとみんなの分もあるから、心配しなくていいわよ」
会長さんのペースでお茶会はとどこおりなく進行していく。一人ひとりの前にお皿が置かれ、ミッチーズのメンバーにより、もみじの天ぷらが配られる。みつる先輩は席から離れて、お茶をいれている。
もし、私がただの見学者だったら、素直に感心しただろう。会長さんの手際の良さと、その快活な話し方に。
みつる先輩のファンクラブであるはずなのに、その場を支配していたのは会長さんの圧倒的指導力だった。
その後任者として、誰も手を挙げる人がいなかったのもうなずける。ミッチーズのメンバーだからこそ、絶対的な会長さんの後を継ぐなんて誰も考えられなかったのだろう。
そこで、会長さんは自分が高く評価した一年女子に後をたくそうとした。その一年女子はノコノコやってきて、当然のように会長さんの隣に座っている。
これで敵意を抱くな、というほうが無理ではないか。
「はい、キョン子さん」
みつる先輩の声がしたので、顔をあげてみる。
そこには、部室で飲むよりも小ぶりの湯呑茶碗が置かれていた。
香ばしい匂いがたちこめている。
「あ、ありがとう……」
なんとか声をふりしぼって言ってみる。
部室で渡されたときは「うむ」の一言ですませる私だが、ここではそういうわけにもいかない。
「どういたしまして」
みつる先輩はニッコリと営業スマイルで応じて、次の人たちにお茶碗を配っていく。
「清水さん、みっちゃんの一番煎じをどうぞ召し上がって」
会長さんの前には、まだお茶は置かれていない。私が最初で、会長さんが最後になるルートである。
「い、いえ、まだ会長さんの分が……」
「わたしは最後だから。それより、せっかく、みっちゃんがいれてくれたお茶が冷めないうちに、ね?」
もしかして、私が一番手なのか?
ふと見渡すと、ミッチーズの皆さんの視線が私に集中していた。お茶を配っているみつる先輩そっちのけで。
私のような地味女子にとって、もっとも恐るべきもの――それが一番手である。
例えば、神社に参拝したときどうすればいいか、知っている人はいるだろうか?
私はそういう作法をろくに知らない。だから、前の人の真似をするのだ。もし、それがまちがっていても、悪いのは前の人であって、自分ではないと言い訳ができるから。
一番手はそんな責任転嫁はできない。だから、私は目立った格好をしようとしなかったのだ。
逆にいえば、イツキが目立つ格好をしているのは、一番手になってもたじろかないからだろう。自分のやり方が作法に合ってなくても、それで悪評がたっても、イツキは気にしない強い子なのだ。
そんなイツキのアドバイスが適当なのは当然だ。地味女子には地味女子なりの生き方がある。その道を踏み外してしまった私がバカなのだ。
急須すらない家庭に育った私は、正しいお茶碗の持ち方すら知らない。
そして、みつる先輩は会長さんのことを『礼儀にうるさい人』と言った。そんな人を前に、ヘタなことはできない。
「どうしたの? 清水さん」
「わ、私……ね、猫舌ですから……」
なんとかしぼりだした私の言い訳に、会長さんはあわてることなく、
「うふふ、これは玉露だから、普通の煎茶よりも適温がぬるめなのよ。60℃ぐらいだったかしら。ねえ、みっちゃん」
「う、うん。会長さん、そうだよ」
「だから、猫舌の清水さんでも安心して飲めるわよ。さあ、召し上がれ」
まさか、玉露にそんなワナがあったとは。私の逃げ道は完全に断たれてしまった。
たしかに、みつる先輩のお茶のいれかたは、部室のときよりも時間をかけたように見えた。
玉露には玉露のいれ方があるのだろう。それを事前に調べなかった私が悪いのである。
もう、やるしかない。
私はロボットめいた動作で、湯呑茶碗に手をのばし、両手を使って、なんとか口元にそれを運んだのだが。
――ズズズッ!
とてつもなく下品な音が、静寂なお茶会に鳴りひびいてしまった。
しまった、とあせっても、もう遅い。普段、部室で偉そうに「うむ」とみつる先輩のお茶を飲んできた報いである。
私は静かにお茶を飲むことすらできないダメ女子だったのだ。
頬が熱くなる。目を伏せる。ああ、自分はなんとも身の程知らずだったのか。みつる先輩の警告を無視し、イツキの適当な「だいじょうぶ」を信じ、何も考えずお茶会に参加した結果がこれである。
「い、粋だね、キョン子さん!」
そんな私に、みつる先輩が声をかけてくる。
「どういうことですの、みっちゃん」
「だって会長さん、玉露の一番煎じは空気を含みながら飲むのが、一番おいしいと言われてるんだよ。だから、ああいう音が出たりするわけで」
「あら、そうでしたの」
「そうだよね、キョン子さん」
思いもよらぬみつる先輩のフォローに、私はコクコクとうなずく。
音を出してお茶を飲むのが粋(いき)だなんて、これまで聞いたことはない。
そもそも『粋』という概念が私にはさっぱりわからないのだが、それに同意する以外に、私が救われる道はなかった。
「ああよかった。すっかり、わたし、清水さんが下品な女かと思いそうになったわ」
会長さんはそんな怖いことを言う。
いっそのこと、私の本性が明らかになったほうがラクではないか、と一瞬だけ思ったが、それはもっと恐ろしい事態を招きかねない。
会長さんの好意によって、私はなんとかこの部屋にとどまっているのだから。
「じゃあ僕はこのお茶請けをいただいちゃおうかな――へえ、もみじの天ぷらって、かりんとうみたいな味がするんだね」
「ホントね。この甘さが玉露にちょうど合うわ。さすが清水さん!」
みつる先輩はなんとか私から話をそらせようとするが、会長さんはいちいち私を話にからませてくる。
それに私は「にへら~」と笑って応じるしかない。
今の私にできることは、あたりさわりなく、このお茶会を乗りきるしかないのだ。
ミッチーズの皆さんの視線から逃れるように目を伏せ気味に、音をたてないように気をつけてお茶を飲む。
みつる先輩は会長さんの隣の席から離れて、他の人たちと歓談しているが、その内容を聞き取ることは私にはできない。
思えば、私は会長さんから最上級のおもてなしを受けていた。会費は払わなくてよかったし、私の話題にした茶菓子をわざわざ取り寄せて用意し、一番煎じの玉露を飲ませてくれた。これほどの待遇は、私の人生でも初めてのことだといっていい。
その期待にこたえなければならないはずなのに、私はますます身を縮ませることしかできないのだ。
みつる先輩の笑い声が時折聞こえてくるが、それは部室のものとはちがう。ファンクラブの望む自分を演じているということだろう。
でも、そんなみつる先輩をバカにすることはできなかった。
もともと、みつる先輩は「強いものに巻かれる」タイプである。
例えば、つるやさん。みつる先輩のクラスメイトであるつるやさんは、柔道部主将であり、男くさい人である。友達として話が合うかは疑問だが、今のところ、みつる先輩の一番の友達は、つるやさんと言っていいだろう。
そして、ハルヒコ。我らが団長は、かなり強引にみつる先輩を勧誘したのだが、結局、みつる先輩は部室に居着いている。後輩の一年であるハルヒコに呼び捨てにされても、ことあるごとに悪い扱いをされても、楽しそうにニコニコしている。
イツキにしてもそうだ。自分よりも身長が高く、芯の強いイツキに惚れるあたり、みつる先輩は「強い」パートナーが好きなのだ。
このファンクラブで会長さんの望む自分を演じているのも、「ミスター受身」であるみつる先輩には当然のことなのだろう。
ただ、その姿を私には見られたくないと言った。その意味を私はもっと考えるべきだったのかもしれない。
ちなみに、私はイツキにそんな頼りないみつる先輩のどこが良いのか、一度だけたずねたことがある。
イツキは当然のようにこう言い切った。「顔よ!」
そのあと、イツキに「じゃあキョン子ちゃんの好きなタイプってどんなのよ?」としつこくたずねられて、私は『一件落着マン』の名をだすことになる。会長さんからこのお茶会に誘われる直前の話だ。
おお、一件落着マン、と私は思う。
彼がここに現れたら、どんなふうに「これにて、一件落着!」にしてくれるだろうか。彼をもってしても、今の私の状況を救うことはできないだろうか。
「じゃあ、みっちゃん、そろそろ」
「あ、そうだね」
腕時計をチラリと見て、みつる先輩は立ち上がる。
「今日は僕、これから用事があるから、ごめんね」
えー、というミッチーズの声。
しかし、そこに驚きはない。お約束のようなものだった。
みつる先輩、予定ってまさか18禁ゲームをプレイすることじゃないよね、という軽口を、もちろん今の私が言えるはずがない。
「それでは、みんな、さよなら。僕はいつもいつまでも、ミッチーズを応援しているからね」
みつる先輩は立ち上がる。予想していたよりずっと早かったが、お茶会も終わりということだろう。
やっとこのアウェー状態から逃れることができると、私は安堵しながら拍手をする。
みつる先輩が手を振って、ドアを開ける。私たちはひたすら手をたたく。ドアは開きっぱなしで、みつる先輩の姿が見えなくなるまで拍手は続いた。
「もういなくなった?」
「はい、会長」
会長さんはミッチーズとそんな会話を交わす。
「うふふ、では、二次会、はじめましょうか」
あれ? みつる先輩がいなくなっても、お茶会、終わらないんですか?
「じゃあ、予定どおり、今日のお題は『清水さんへの質問コーナー』で」
「……え?」
なにを言っているのだ、この人は。
「清水さん、お楽しみはこれからよ」
怪しい笑みを浮かべながら、会長さんは両手の上に顎を乗せる。どこかのヒーロー戦隊司令官のようなポーズだ。
「あ、清水さん。まだまだお茶請けはあるからね、どうぞどうぞ」
そして、もみじの天ぷらを私に勧めてくる。私には席を立つタイミングがつかめない。
「はい、清水さんに質問!」
早くもミッチーズの皆さんが挙手をする。とどこおりない進行だ。ハルヒコが自分勝手なことを言ってばかりのSOS団とは、雲泥の差である。
と、そんなことに感心している場合ではない。みつる先輩がいなくなった今、私の味方は一人もいないのだ。
逃げ場のない私は、神様に助けを乞いたいとまで願った。
でも、信仰心のない私には祈りの言葉すら持ち合わせていない。
だから、私は心の中でこう叫ぶしかなかった。
「助けて、一件落着マン!」
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