紅葉ティー・パーティー

(1)「あなた、頭おかしいんじゃないの?」

 

 一件落着マンの朝は早い。

 彼の出番は最後の一言だけである。

「これにて、一件落着!」

 多くの人はこのひょうきんな声をナレーターのものだと思っているかもしれない。

 しかし、このセリフを言っているのは、一件落着マンというヒーローなのだ。

 では、出番が来るまでの間、彼は何をしているのか? 他のヒーローが戦っている間、昼寝をしているのか?

 いや、一件落着マンがいるからこそ、他のヒーローは悪の組織と憂いなく戦うことができるといっていい。

 そもそも、正義のヒーローが悪の組織をこらしめたところで「一件落着」となるか、あなたは疑問に感じたことがないだろうか?

 正義のヒーローに助けを求めた幼い兄妹は、自分の言うことを身近な大人たちに信じてもらえなかったから、うさんくさいヒーロー戦隊に助けを求めるしかなかったのだ。

 正義のヒーローが悪の組織を倒したところで、幼い兄妹の大人に対する不信感をぬぐいさることはできるだろうか。

 我が子の危機に気づかなかった親は、その後も子供たちと向き合うことができるだろうか。

 それらの問題を解決しているのが一件落着マンなのだ。

 表に出てくる彼のセリフはたった一言、「これにて、一件落着!」しかない。

 だが、すがすがしくそのセリフを言うために、彼はヒーロー戦隊が戦っている間、付近の住民への説明役に回っているのだ。

 時には根気強く、時には低姿勢で、彼は周囲の大人たちに話しかける。悪は力で倒すことができても、人の絆を力で修復することはできないのだから。

 この一件落着マン、もともとは正義のヒーロー戦隊の一員だった。戦闘能力に特筆すべきところはなかったが、その人柄の良さは仲間たちに愛されていた。

 しかし、彼より戦闘に優れたヒーロー候補が現れた。その男は一匹狼気質で協調性がまるでなかったが、戦いの才能はヒーロー戦隊を指揮する司令官の目にとまることになった。

 そこで、のちの一件落着マンは司令官と面談したのである。

 司令官の「戦いから身を引いて後方支援に回れ」という通告は、正義のヒーローにとってはクビを言い渡されたのに等しいものだった。

 その夜、彼は大いに悩んだ。

 人当たりの良い彼だが、前線で戦ってきたというプライドは、他のヒーローに負けないぐらい高かった。

 彼は思いだす。正義のヒーロー戦隊に入るために、自分に課した過酷なトレーニングを。

 彼は思いだす。自分の活躍を耳にして、喜んでいる故郷の両親の笑顔を。

 しかしながら、彼はみずからの限界をも悟っていた。

 もし、自分が身を引くことで、正義のヒーロー戦隊が強くなるというのならば、みずからのプライドは犠牲にすべきではないか?

 正義は必ず勝たなければならないのだから。

 長い長い夜が明けたあと、彼は決断する。戦いという表舞台から身を引くものの、誇りを持って後方支援につとめることを。

 その決意をこめて、彼は『一件落着マン』と名のるようになったのだ。

 それから、一件落着マンとなった彼の功績を、ほとんどの人は知ることはない。ただ、ひょうきんな声でこう締めるのを耳にするだけである。

「これにて、一件落着!」

 しかし、我々は忘れてはならない。

 真の平和のためには、悪の組織との戦いに勝つだけではなく、一件落着マンのような存在が欠かせないことを。

 

     ◇

 

「一件落着マン?」

「そう、私の理想のタイプは一件落着マン」

「そんなのいるの?」

「ううん、私が作った」

「キョン子ちゃん、なんでそんなこと……」

 十一月中旬の昼休み。

 イツキと廊下で立ち話をしていた私は、一件落着マンについて熱っぽく語っていた。

 こんな話を始めたきっかけはイツキにある。

 彼女が「じゃあ、キョン子ちゃんの理想のタイプってどんなのよ?」としつこくたずねたから、私は「一件落着マン」と答えたわけだ。

 こんなヒーローを思いついたのは、小学生の弟と昔の特撮番組を見たあとのことである。

 正義が悪をやっつける、それで本当に一件落着なのか?

 最後に「これにて、一件落着!」と言っている人は、ほかに出番があるのか?

 そんな私の疑問が生み出したヒーロー。それが、一件落着マンなのだ。

 では、なぜ、私はそんな架空のヒーローを理想のタイプとしてイツキに伝えたのか。

 それは、涼宮ハルヒコのせいである。

 もともと、私は「理想のタイプ」をたずねられて、芸能人の名前を出したくない女子だった。あまりテレビを見ないし、なんだか軽い性格と見られてしまうのがイヤだからだ。適当に答えた名前に「わかるわかる」と同意されて話を広げられるのも困る。

 そこで、中三のときに、歴史の偉人の名を出すことにした。前に書いたと思うが、幕末志士の高杉晋作である。

 ところが、高校に入ってから涼宮ハルヒコという変人に目をつけられ、そのたくらみに巻きこまれるようになってから、高杉晋作の名を出すことに危険性を感じるようになった。最近、あらためて高杉晋作の出てくる歴史小説を読み返したのだが、その危なっかしい志士活動に涼宮ハルヒコの顔がちらついて、まともに読めなくなったのだ。

 もし、私の好きな男性のタイプが高杉晋作だと知ったら、ハルヒコはどんな顔をするだろう?

 ますます調子に乗るのではないか。

 それをいましめるべく、私は自分の理想のタイプを『一件落着マン』という架空のヒーローにゆだねることにしたのだ。

 まったくもってメンドくさい男子なのだ、涼宮ハルヒコってヤツは。

「……つまり、団長におとなしくしてほしいから、キョン子ちゃんはそんなヒーローをでっちあげたってわけ?」

「ま、まあ、そうだけど」

「ったく、キョン子ちゃんったら、かわいいんだから!」

「へ? ちょ、ちょっと」

 イツキはいきなり私に抱きついてきた。私が避ける間もなく。

 ここは廊下だぞ。みんなに見られてるんだぞ。

 だいたい、この話のどこが「かわいい」のか。私はイツキに「そうそう、団長って最近調子に乗りすぎだよね」と同意してほしかっただけなのに。

「……あの、いいかしら?」

「あ、はい!」

 そんな私たちに話しかけてくる女子の声。

 その上品な口調は、たちまち私をあせらせる。

 もしかして、私、生徒会とか風紀委員とかそういう人たちに、不純行為をしていると目をつけられたのか?

 必死で身をよじってイツキのハグをかわし、私は身の潔白を主張しようとする。

「こ、これはけっして――あっ!」

 そこにいたのは、私の知っている先輩女子の姿だった。

 豊かな黒髪をたなびかせて、清楚なたたずまいをした美人先輩女子――『朝比奈みつるファンクラブ』の会長さん。

 先日の文化祭で、私の属するSOS団は『純愛ファイターみつる』というバカげた自主制作映画を公開した。その目的はDVD販売にあり、ターゲットになったのが、みつる先輩ファンクラブの皆さんだった。

 結果は成功したのだが、ほとんど映画制作にノータッチだった私が、悪意に満ちた編集によってラスボスにされたせいで、様々な誤解をもたらすことになった。

 とはいえ、上映会以降、会長さんが私に声をかけることはなかった。

 私は姿勢を正しながら考える。きっとイツキに用があるのだろう。イツキと会長さんは高校に入る前から面識があったみたいだし。

「なにしに来たの、ここ一年の廊下なんだけど?」

 ところが、イツキは会長さんに喧嘩腰で答えたのだ。高三の先輩にタメ口で。

 たちまち、不穏な雰囲気がただよってくる。

 茶髪ピアスのイツキと黒髪ロングの会長さんは、我が北高では飛びぬけて目立つ美人である。

 その対照的な二人が対峙する姿は、あたかも『竜虎相打つ』という緊迫感を生みだしていた。

 すっかり観客と化した私が、拳をギュッと握りしめるぐらいに。

 しかし、会長さんが発した言葉は、そんな雰囲気をぶち壊すものだった。

「さっちんに用があるんじゃないわよ。話があるのは清水さんだから」

「……さっちん?」

 思わず私はオウム返しをしてしまう。

 清水というのは私の名字だから、「さっちん」はイツキをさしているのだろう。

 でも、古泉イツキという名前のどこに「さっちん」があるというのか?

「ちょっとその名前を出しちゃダメじゃん、はるぴぃ」

「な! その呼び方は学校ではヒミツだって!」

 イツキの言葉にあからさまに動揺する会長さん。

 はるぴぃ――北高でもっとも黒髪ロングが似合う会長さんに対して、あまりにも幼稚すぎるそのあだ名。

「だって、はるぴぃから言いだしたんじゃん。あたしだってヒミツにしてたし」とイツキ。

「清水さんも知らないの?」と会長さん。

「うん、キョン子ちゃんにも言ってなかったのに」

 それから、イツキは私の肩をたたいて言う。

「ま、そういうことなんだよ、キョン子ちゃん」

 いや、そういうことってどういうことだ?

 イツキがさっちんで、会長さんがはるぴぃ。それが知られることで明らかになる二人の秘密。

 まさか――。

「もしかして、イツキちゃんと会長さんって、オタク仲間?」

「……………………あれ?」とイツキ。

「ど、どどど、どうして?」と会長さん。

「だって、オタク仲間は、ハンドルネームっていうあだ名で呼び合うんですよね? 実際に会うオフ会でも本名で呼んじゃダメだって、私聞いたことありますから!」

 オタク業界にくわしくない私でも、それぐらいの知識はある。

「あ、あの、清水さん。そういうんじゃなくて、ね?」

「会長さん、そんなにあわてなくていいですよ。二人がどんな趣味で仲良くなったのかは、あえて聞きませんから」

 私は優しい口調で会長さんに約束する。

 誰にだって秘密にしたい趣味はあるものだ。特に、清楚な印象がある会長さんがオタクだとバレてしまえば、そのダメージははかりしれないだろう。

「安心してください! 私、口かたいほうですから!」

「そ、そう」

 私の断言に納得いかない顔をする会長さん。

「まあそういうことでいいじゃん、はるぴぃ」

「ったく、さっちんは、あいかわらず適当なんだから」

 イツキのなぐさめに会長さんは笑いながら応じる。

 それにしても、この美人二人が幼稚なあだ名で呼び合っているのは、微笑ましい光景だった。

 先ほどの緊迫感あふれる雰囲気がウソのように、見ている私もぽわーんとした晴れやかな気持ちになってしまう。

「……で、はるぴぃがわざわざ一年の廊下まで来た理由はなに?」

「だから、さっちんに話があるんじゃなくて」

 会長さんはイツキから私に視点を移しながら言う。

「清水さんに朗報を伝えに来たのよ」

「は、はい?」

 朗報? なんだそれ。

 私が会長さんと話をしたのは、先日の上映会のときだけである。

 いくらイツキのオタク仲間とはいえ、先輩で美人の会長さん相手には、向き合うだけで緊張してしまう。

 そんな先輩に「朗報です」と言われても、姿勢を正して「はい」と答えるほかない。

「わたしたちミッチーズで話し合った結果――」

「……ミッチーズ?」

「ええ、わたしたち、みっちゃんファンクラブのことよ」

「そ、そうですか」

 会長さんをはじめ、ファンクラブの人たちが、みつる先輩のことをみっちゃんと呼んでいることは知っていたが、自分たちの愛称も作っていたとは初耳だった。

「それで、ミッチーズは、清水京子さん、あなたを歓迎することにしたの!」

「……はい?」

 両手を広げて祝福してくれる会長さんに、私はとまどう。

 たしか、あの上映会のあと、会長さんは「あなたなら次を任せられる」とか言ってたけど。

「ミッチーズは、清水さんを次期会長として受け入れることにしたわ!」

「ちょ、ちょちょちょっと、待ってください」

 たちまち私は取り乱してしまう。

 会長うんぬん以前に、私はみつる先輩ファンクラブの会員ではない。なろうと思ったことさえ一度もない。みつる先輩とは部室に行けばいつでも会えるのだから。

「もしかして、はるぴぃったら、キョン子ちゃんをファンクラブの会長にするつもり?」

「あんたには関係ないでしょ、さっちん」

 口をはさんできたイツキに冷たく答える会長さん。

 しかし、イツキはひるまずに叫ぶ。

「それ、いいじゃん!」

「へ?」

 私は思わず間の抜けた声を発してしまう。

「あら、さっちんも賛成してくれるの?」

「うん、はるぴぃにしては良いアイディアじゃん」

「ちょっとイツキちゃん」

 私はあわてて、イツキを引っ張って会長さんから離れる。

「どういうこと?」

「だってキョン子ちゃん、あたしたちからすりゃ、そっちのほうが都合いいし」

「だ、だけど……」

 ややこしい話だが、イツキはみつる先輩と付き合っている。

 まだ、私にすら公言していないが、部室ではイチャイチャしまくっていて、どう考えても友達以上の関係になっている。

 だが、この二人、そのために朝比奈みつるファンクラブを解散しようとは考えていないのだ。

 みつる先輩はイツキとコソコソ付き合いながらも、北高のアイドルのままでいたいようで、イツキもそれを支援している。

 そうなると、みつるファンクラブ会長には、二人の目が届く私になれば都合がいい、という理屈だろう。

 しかし、私にとってはとんでもないムチャぶりだ。

 みつるファンクラブの会員には、会長さんと同じ三年だけでなく、二年の先輩もいる。そんな人たちを差し置いて、一年の私が会長になれるはずがない。

 だいたい、地味女子である私に会長職がつとまるはずがない。不適任だ。

「急に、そんなこと言われても」

「だいじょうぶだいじょうぶ。このイツキちゃんに任せなさい!」

 無責任なことを私に言ったあと、イツキは会長さんに話しかける。

「はるぴぃ、キョン子ちゃんの説得はあたしがやるから」

「そう、さっちんが協力してくれるのなら安心だけど」

「あの、私は……」

 まるっきり私の意見を無視して、美人二人は話をまとめたようだ。

「では、清水さん、今度の日曜の『もみじ茶会』に来てくれるかしら?」

「もみじ茶会?」

「ええ、今月は十一月だから、紅葉を愛でるお茶会にするのよ。清水さんも楽しめると思うわ」

 みつるファンクラブでは、月一回、地区会館の一室を借りて、お茶会を開いていると私も聞いたことがある。

 でも、もみじを愛でるとなれば――。

「じゃあ、紅葉狩りに山に遠征してお茶会するんですか?」

「い、いえ、そこまでは……場所はいつもの地区会館なんだけれど」

「そ、そうですよね」

 私はあわてて答える。

 日頃、涼宮ハルヒコのようなムダな行動力の持ち主を相手にしていると「よし、今日は紅葉狩りに行くぞ!」と宣言されても、驚かない頭になってしまったらしい。

 会長さんは我らが団長よりもずっとまともな人なのだ。

「……となると、もみじの天ぷらを食べたりするんですか?」

「え? 何言ってるの、キョン子ちゃん」

「イツキちゃんは知らない? もみじの天ぷらって、かなり有名なんだよ。そうですよね、会長さん?」

 私は自信満々に言ってみたが、会長さんは唖然としていた。

「し、清水さん。あなた、もみじを天ぷらにするの? なんで?」

「あれ? 会長さんも聞いたことないですか? 前にテレビでやってたんですけど」

「キョン子ちゃん、どこのテレビよそれ」

「イツキちゃんには話してないって。ねえ、会長さんは聞いたことありますよね? もみじの天ぷらって」

「――あなた、頭おかしいんじゃないの?」

「ひっ!」

 これまでとは異なる野太いドス声に私はあわてて後ずさる。

 今、会長さんの口から、とんでもない罵声を浴びたぞ、私。

「キョン子ちゃん、それって、しその天ぷらのことだよね?」

「いや、しそじゃなくて…………いてっ!」

 私の腕をイツキは力いっぱいひねってきた。そして、小声で耳打ちする。

「いいから、話合わせといてよ、キョン子ちゃん」

「わ、わかった」

 イツキのささやきにうなずいてしまう私。

「そうです、会長さん。しその天ぷらのことですよ」

「そ、そう。……良かったわぁ。わたし、清水さんが常識外れの狂人だと思っちゃった。ごめんね」

 それから、頭にげんこつをあてて舌を出す。「てへっ」の動作である。

 そのしぐさだけを見れば「会長さんって美人のくせに子供っぽいところもあるんだな、親しみやすい人だな」と好意的に感じるはずなのだが、今の私は冷や汗すら出してしまった。

 もしかして、会長さんって、ものすごく怖い人じゃ――。

「くわしくはまたあとで連絡するわ。ちなみに、会計の子を説得してるから、清水さんは会費出さなくていいのよ。お金のことは心配しないでね」

「……う」

 断る最大の口実が阻止されてしまって、私は絶句する。

 先日の映画制作で部費を徴収されたために、私はしばらく余計な出費ができない状況だ。

 だから、話だけ聞いて「お金ないから無理です」と断る計算もしていたのに、どうやら私には選択権すら与えられていないようだった。

「はるぴぃ安心して、あとはキョン子ちゃんの親友たるこのあたしにまかせれば、うまくいくから」

「あまりさっちんに恩を着せたくないんだけど」

「これぐらいの恩で、はるぴぃにたかったりしないって」

 イツキと会長さんは小言を交わす。高一と高三とは思えない友情の厚さである。オタク仲間のくせに。

「それでは清水さん、御機嫌よう」

 そして、会長さんは優雅にきびすを返して、三年の教室へと帰って行った。

 私の返事も聞かないままで。

 

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